目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

詩人の日本學ー日常性は空気を読み同時に空気を読まぬことでこそ保持されやうー

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尚個人的には幕藩体制を是非復活させるべきだとさうも考へて居り特に江戸幕府に反抗して居る訳では決して御座らぬ。

 

それにつけても加賀藩及び紀州藩の反抗たるやまさに凄まじきものぞ。

金沢はかうして学校を休みにはしなひのだぞよ。

和歌山はみんな医者に診て貰ふのださうな。

 

其れに比し名古屋は卒業式をやるだけのことじゃ。

 

 

なぜ?PCR検査実施の保健所は土日祝の連休に休んでいるのか?

 

確かに何故?

どだひ医療機関が決まって日祝休みなのがー土曜も休みか午前中だけ診療ーまるで解せぬ。

医療機関こそ休みなしの二十四時間体制でもって営業すべきものなのだ。

結局は医療の領域が一種の聖域であるからこそ其れが出来ぬのだらう。

医療の領域が一種の聖域であるからこそサーヴィス業なのにサーヴィスがまるで前近代的でもって其処に医師の給料だけが高額となって仕舞ふのだ。

 

其の権威的価値ヒエラルキーこそがおかしひ。

人の命を救はせて頂く医師の月給はむしろお布施制へと是非変更すべきだ。

つまり金の無ひ人は拾円のお布施でもって其れで〇。

金のある人は百萬円のお布施でもって其れで〇。

 

 

 

「空気を読む人」は組織に危機をもたらす、同調圧力のワナ (1/5)

「空気を読む人」は組織に危機をもたらす、同調圧力のワナ (2/5)

ー「同調圧力」に流れやすいので現実から目を背けがちで、事態を取り返しのつかないほど悪化させてしまうケースが多々あるからだー以上より

 

 

ちなみに何かと敏感なわたくしは存外に「空気を読む」のだしさらに協調性も案外ある。

なので意外と場を上手く纏められもする。

 

だが其の一方で其んな努力をバカバカしく思ふことの方が本心なのだ。

正直其の所謂社会性を抜き去ったところにこそわたくしの本心がある。

 

確かに「同調圧力」に流れ易ひ人は逆に現實から目を背け生きて行かざるを得なひ。

 

何故なら現實とは矛盾のカタマリなので其処にイチイチ正直に反応して居る限り生きてはいけなくなって仕舞ふことだらう。

 

 

だが「同調圧力」に流れ自分を失ふとほんたうは其処に生きて居る甲斐など無ひ。

 

何故ならさうしてまるで自己實現出来ずに只家畜の群れの如くに生きて居るのは生の苦痛を増すばかりでのことだ。

 

 

「空気を読めぬ人」よりも「空気を読む人」の方が多ひことだらう此処日本國ではさうした「空気を読む」型での社会がやがて形作られていくのである。

 

「空気を読む」型での社会では事の眞相などはどうでも宜しく「空気を読める」人であることこそが偉ひ日本人であることの基本的な要件ともされて居やう。

 

ところが往往にして「空気を読む」人は自分の内側に価値判断の規準を持ってなど居なひ。

 

もしも持って居るのだとすれば空気を読んで同調することなどもはや出来ぬ訳だ。

 

 

わたくしの場合はイヤイヤながら周りにも合はせて来た訳で何故なら自分の内側に価値判断の規準を持って居ると云ふのに日銭欲しさから其の基準をあへて曲げさうして下らぬ嗚呼實に下らぬ組織の価値基準に心を染め上げて来ねばならなんだ。

 

さうしてわたくしは鬱病のやうにさへもなって来て居るのだ。

 

其れはわたくしの神経質がそもおかしひのでは無く組織の無基準こそがそもおかしひのだ。

 

 

ほんたうはまさにわたくしの方が正しかった。

 

だからわたくしはかうして眞相を述べていくこととしてみた。

 

文明の眞實と人間の眞實を死ぬる迄に是非語って置きたかったのだ。

 

と其のやうに常にじぶんが正しひと思ひ込む程に自己愛が強くなければ此の濁世を渡り切ることなど決して出来ぬものだ。

 

 

「空気を読む人」は組織に危機をもたらす、同調圧力のワナ (3/5)

 

さうしてまさに決断を避けることで日本の組織は其の場を上手く回転乃至は維持していかうとする。

謂はば条件反射的に無判断、無裁定へと流れ其処で日常が齎す安全且つ安心な心持ちに何処までも擦り寄りまるで其れが永遠に続くかの如くに何か勘違ひをして御座る。

 

確かに無判断、無裁定へと流れると日常性が其処に保障されて居る場合には上手く組織が回転乃至は維持されていく可能性もまた高くあらう。

 

なのだがイザ何かがあった場合、たとへば危機がドーンと訪れた場合には其の無判断、無裁定こそが命取りにもならう。

 

故に組織にせよ個人にせよ特に近代的な社会の枠組みの中でやっていく限りは自己裁定であり自己による判断の決定こそが重要な意見の多様性の確保へと繋がるものだ。

 

ところが日本の社会組織にはなかなかさうした批判其れ自体が通じぬものだ。

 

 

但し場合によっては尾張藩加賀藩、また紀州藩などがまさに異論を述べそんなもんにはまるで従ひません、などと強気で攻めて来たりもまたするのである。

なのではあるが、感染症の場合其れはまた違ふのではなからうか。

 

即ち今回の安倍首相の判断はまさに英断であった。

学校などはもう行かずに皆留年せよ。

 

おそらくは今こそが学生の皆が休学し芥川全集でも読まねばならぬ時ぞ。

 

どだひアノ変な名古屋市長のやりたがる卒業式などそんなものは出る必要など無し。

 

第一金沢は勉強が遅れて學力的に長野に遅れるのがイヤなので学生が死んでもヨヒから勉強させたひばかりなのだ。

 

但し和歌山の言って居ることは分からぬものでは無く其はむしろ正論ぞ。

確かに病気であるかどうかの判断は所詮大衆には其れは無理なので是非にも医師に早うして貰わねばなるまひ。

 

 

 

「空気を読む人」は組織に危機をもたらす、同調圧力のワナ (4/5)

 

確かに日本國は安全で安心な國である。

だが其の安全さと安心さは一種矛盾的にさう推進されて来ても居やう。

 

故に日常的には其れー日本の組織としての無判断、無裁定ーは上手く機能しやう。

ところが非日常の場面では其れが組織ごとコケることにも即繋がるのだ。

 

いや組織どころか國ごと沈没する虞さへもがまた存しても居らう。

つまりは日常的には上手くいくやり方こそが危機の場面では沈没の元凶ともまたなるのだ。

 

 

其れは前々よりのわたくしの日本社会の分析に於ける結論なのだ。

 

尤も鎖國中ならば其の矛盾は國を沈没させる程のことにはならぬ筈。

故に鎖國を是非検討すべきである、かの國こそは是非さうすべきなのだ。

 

其処で鎖國出来ぬのであれば其れはもう早う近代的自我を確立させて行くより他は無し。

 

尚日本國及び日本人には所謂正常性バイアスが強くかかって居やう。

 

其れは一つには日本國が伝統國だと言ふことだ。

 

其れに加へ二百七十年にも亘る徳川による太平の御世があった。

 

 

其の時にも實は尾張藩は将軍家に反抗したのだったが、其れは尾張藩には元々パワーがあったからでありつまるところは信長や秀吉の趣味と云ふか血統と云ふかさうしたものが其処には脈々として流れても居り其処からすれば家康は元々家来のやうなものだったのでそんなものにはまるで従へんのだわ、だから反抗したるわ。

 

とさう思ひかの徳川 宗春は反旗を翻し独自の経済政策をかの地に断行したのであった。

 

 

まあ其の話は別として問題は其の正常性バイアスが強くかかる日本社会と云ふことだ。

 

正常性バイアスが強くかかる日本社会に於ひては日常性が至上のものとして賛美されるに至る。

 

曰く、日々是感謝。

 

有難や、有難や、嗚呼まさに今日が無事に終はると云ふこと程尊きことは無し。

 

其れは其の通りでのこと。

 

確かに其れが最大の価値であり有り難きこと其のものなのだ。

 

 

なんだけれども、實は近代社会では其の価値を基本的に永続させることは不可能なのだ。

近代社会とは其の種の封建制では無く言はば伝統と革新が継続と進歩が常に相剋し相即する形で闘争し続けて行く謂はば非日常での領域のことなのだ。

 

だから欧米の文明社会では其の非日常であることを組み伏せて行くやうな勢いでもって社会の変革や進歩が断行されて行く。

其れは名誉革命仏蘭西革命以降の欧米の近代文明社会の謂はば宿命なのでもある。

 

そんな非日常での近代的闘争領域と日常としての幕藩体制又は天皇制とはまるでと云ふか大ひに違ふのだ。

 

まあ其れでも似て居ると言へなくも無ひのが英國王室と云ふことであらうが何故か最近其の英國王室其れ自体が壊れかかって居るやうな気がせぬでもなひ。

 

そんな進歩による破壊はイヤです、とさう述べて居るのが保守派の人々でありならば日本國も所詮は其の保守社会であらうことは否めぬ訳だが其れにしてはやって居ることが無責任でもってして無判断に過ぎる。

 

 

だから此の際学校だけでは無く会社も休みにして仕舞へ。

 

もう全部長期の休暇に入らう。

 

ところが主婦だけはより忙しくもならう。

 

つまりは女共は今後より一層家事に精を出さねばならぬやうになる。

 

 

嗚呼まさに其は素晴らしきことではなひだらうか。

 

むしろ日本國の抱へる病を治す絶好の機会の到来ぞ。

 

 

 

要するに日本國は産業化しまた情報化し近代化したやうで居て其の本質は近代化などまるでされては居らぬ。

 

だからいまだに江戸時代での意思決定を為して居るのだ。

 

組織にせよ個人にせよ所詮は其の幕藩体制によるところでの精神的産物なのだ。

 

 

「空気を読む人」は組織に危機をもたらす、同調圧力のワナ (5/5)

 

組織の暴走を防ぐ為に「空気を読めぬ人」か又は「空気を読まぬ人」=我のやうな所謂変な人がどうしても要るのである。

 

其れは現代文明の暴走にせよ同じことで現代文明の暴走を止める為には其処であへて声を上げねば誰もそんなことには気付いたりせぬものなのだ。

 

人間と言ふか文明には常にそんな正常性バイアスが強くかかって居るのだが此処日本國ではおそらくは其れが二重にかかっても居やう。

 

要するに日本の組織又は個としての日本人にとり大事なのは今日が無事に済むことでしかも其処で革命などが金輪際起きて居てはならぬのだ。

 

 

なのだけれども、なんとしてでも其の革命を阻止する為にはまずは保守勢力が日常性=正常性バイアスに対し批判的にならねば保守の範囲では事が収まらなくなって来るのだ。

 

正直申して「コネクティングルーム」を堂々と使って居るやうでは保守の維持など金輪際成らなひ、其れではほとんど自滅であらう。

 

では其処ではどんな保守が望まれて居るのかと云ふに、其れ即ち西部先生でありまた佐伯先生のやうな極左➡右へと舵を切った論客の方々の意見を是非にも参考とせねばなるまひ。

 

 

おおまさに其こそが保守を眞の保守として変革なさしめる保守なのであり嗚呼まさに革命への防波堤なのでありそればかりか文明への根本的な批判力其のもののことぞ。

 

では革命など無ひと?

 

いや、其れは分からぬ。

 

ことによれば或は革命もあり得るかと。

 

最悪の場合感染症が猛威を振るひ保守勢力を一掃する虞さへもが御座りませう。

 

革命が成ればまた左翼に戻るのですか?

 

 

左翼では無くアナーキストです、アナーキスト

其れが場合により左翼的アナーキストに見へると言ふだけのことですなあ。

 

アナーキストと保守がどう両立するのでせうか?

 

アナーキストには保守もまた居ますよ。

 

共同体主義的なアナーキズムこそがわたくしが述べるところでの理想論としての社会システムなのだ。

 

そんなでは天皇制は無くなりませう。

 

いや別に天皇制はあってもいいですよ。

 

 

 

兎に角其れどころでは無く当面はウイルスとの闘ひですよ、おおまさに死闘だ。

 

尚其の「不正」を不正として糾弾するのは左翼としての潔癖な合理性でもまたある訳です。

 

ですが現實は合理性だけでもまた回っていかぬものなのです。

 

つまりはアソビの部分、社会的な意味での潤滑油の部分が現實を上手く動かすことが事實としてまたある。

 

さうかと言って自民党+官僚機構のやうにつひ気を抜ひて日常に浸り切って居てもイケナヒのです。

 

 

だから思想は右をも左をも弁へた人にこそ尋ねてみるべきなのだ。

 

右をも左をも弁へた佐伯 啓思先生の本をまた読み返してみやうかな。

 

いや新しひ本が何ぞ出て居る筈です。

 

其れともユーチューブの方か。

 

 

待てよ、さう言へば五木 寛之先生の本も多分新しひものが何冊も出て居るのやもしれぬ。

 

また五木 寛之先生の場合にもユーチューブの方に色々と出て居られるのかもしれません。

 

かうして御勉強に時間を取られて最近は趣味の方が疎かになりがちなわたくしです。

 

如何にも唐突に人類の危機が訪れましたので其れを何とかしやうと相変わらず孤軍奮闘して居る訳です。