目覚めよ!

文明批判と心の探求と

人とは繋がらぬ自己と云ふ眞の価値

 

C・W・ニコルさん死去

謹んで哀悼の意を表させて頂きます。合掌。

 

 

此の度の感染爆発は其れ即ち人類の危機意識の無さを露呈させて来て居ります。

 

人類は大きな思考が不得意なのでまさに危機管理がなって居りません。

危機を叫んで居たのは滅亡ライターだのキチガヒ詩人だの其れから末法思想だの黙示録だのだけのことでした。

 

嗚呼其れから一部の哲學者や歴史學者にも其の危機への認識が多分にあったのやもしれぬ。

 

なのですが、さうした折角の知性が此のバカバカしひ世の中にはまるで反映されては行きませぬ。

 

尤も戦後暫くの間はかのキチガヒ文士の坂口 安吾の合理化思想が喧伝され世に受け容れられたりもして居たものであった。

 

但しわたくしは何故佛教徒の安吾が合理主義に至ったのか其の点につきまるで合点がいきませぬ。

 

でも其れはきっと盟友である太宰の死が安吾にとり何より苦しひものであったのやもしれませぬ。

太宰の死の如き不合理の権化、不条理の親玉こそが謂はば世の元凶なので其れを基から根絶させる為あへて安吾は合理化へと走ったのやもしれぬ。

 

 

ところでキチガヒ詩人は「とある蜘蛛の死」に酷く心を痛めて居り皆様とはまるで違ふ心的状況に御座ります。

要するに昨夜蜘蛛が一匹風呂桶の中に自ら落ち死んだので其れを庭に埋葬してやりましたが其れが可哀想でたまらぬので御座ります。

 

だから詩人は別に人類滅亡のことなどは實は露程にも心配などしては居りませぬ。

 

人類は自らの行為が招く結果によりかうなって居るのですからまさに自業自得でのことだ。

 

ほんたうは本日一日を其の蜘蛛を悼む日となし蜘蛛の霊と語り合ひ終日お経を唱へて居てあげたひのだ。

 

そんな中昨夜NHKのTVを視て居たところ世界的に「離れて繋がる」と云ふ概念が廣まって居るとのことでまさに其れを聞ひた時に其れぞ人類のおバカさなのだとさうも思ひました。

 

 

数年前から屡述べて来て居りますが何で人間はさうまでして繋がりたひのでせう。

 

わたくしは逆に切っていく、其の絆を絶ち切っていくべきだともさう思ひますね。

 

先に眞の自我ー眞我ーへと至る話をさせて頂きましたが、眞の自我とは社会的な絆が生むものでは御座りません。

 

 

ここで「法灯明」ではなく「自灯明」が先に来ているのは、お釈尊自らが説いた法ばかりを頼らないで、まず「自分自身を拠り所にしなさい」である。


「法」を頼りにすることは、外部の決まりごとに従えということであるが、ただ、法に従うことにのみ忠実になってしまって、法の奴隷になってしまうことの無いように「己こそ己のよるべ」ということである。先にこの欄で
取り扱った「随処に主となる」の語と「仏陀感興のことば」にはこの世では自己こそ自分の主である。他人がどうして〈自分の〉主であろうか。

賢者は自分の身を調えて〈自分の〉主となる。 賢者は自分の身を調えて〈自分の〉目的を達成する。賢者は自分の身を調えて〈自分の〉徳目を達成する。 賢者は自分の身を調えて〈自分の〉名声を得る。

賢者は自分の身を調えて〈自分の〉名誉を得る。賢者は自分の身を調えて〈自分の〉いろいろのしあわせを得る。賢者は自分の身を調えて〈自分の〉天の世界に生まれる。賢者は自分の身を調えて〈自分の〉永く天の世界に
あって楽しむ。賢者は自分の身を調えて〈自分の〉明らかな智慧を獲得する

賢者は自分の身を調えて〈自分の〉親族の中にあって輝く。賢者は自分の身を調えて〈自分の〉悩みのうちにあって悩まない。

賢者は自分の身を調えて〈自分の〉いかなる束縛も断ち切る。ー
自灯明・法灯明 自らを灯とし 法を灯とせよより

 

 

此の自灯明・法灯明は釈尊による最晩年の教へでもって佛法の中でも非常に重要な法理を説ひたものです。

此処では賢者ー智者、覚者ーの生き方乃至は心構へのやうなものが説かれて居る。

 

ですが現代人は、其れこそ僧侶であるにせよ今は煩悩に汚されて居る場合が多くお釈迦様のやうな潔癖な精神性へと至ることなどはまるで無理なのです。

ましてや其の辺の現代人はアホンダラばかりでつまりはグオーでもってギャオーの様です。

 

 

ズバリ申しませう。

其のグオーでもってギャオーの奴等が徒党を組んで何かを為すとロクなことにはならず最終的には地球を破壊へと導くこととならう。

 

 

どだひ今回の災厄の本質的意味を君等は考へてみたことがあるのだらうか?

 

其れは「おまへらはバカだから離れよ」なのだ。

 

さうして馬鹿が連なり酒色にまみれ金儲けに勤しみセッセと毎日地球を破壊して来て居たのだぞ。

 

嗚呼まさに其の心掛けの悪さを、其の欲にまみれし下賤な様を神佛がお諫めになり只一言「滅べ」との仰せじゃ。

 

だったらむしろ喜んで其の上意を受け取らねばならぬではなひか。

 

 

でも繋がりたひ。

かうしてネットでもっていつも一緒♡だよ。

 

だってもう釈迦やキリストなんて誰も信じては居なひよ。

へへへへへすでに神佛は死んだのサ。

 

 

馬鹿者!

其れも大馬鹿者めが!

 

 

智者と云ふものはだな、金輪際さうしたものでは無く常に孤独にて日々修行に邁進していくものだ。

 

其れも👩を否定し社会を否定し資本主義を否定しマスクをたったの二枚しか配らぬ安倍政権と其の妻を否定しつつ毎日壱冊は本を読まねば其れはならぬ。

 

オマヘ達のやうな馬鹿者とは違ひ智者は心の中での闘ひが實に多く常に苦しひのだ。

 

 

先に相対認識による破壊のメカニズムを説明して置ひたがまさに其処が問題なのだ。

 

其れ即ち社会ー國家、共同体、組織、家庭ーの意思決定とは相対認識による非我による分別的認識に留まると云ふことである。

 

 

だから繋がって進むと「赤信号をみんなでもって渡る」ことと必然的にならう。

 

ところがお釈迦様は繋がってグオーでもってギャオーをやれなどとは一言も仰って居なひ。

 

 

むしろ上でのやうに「他人を」絶ち切れとさう述べて居られやう。

 

其れはどう云ふことか?

 

 

要するに己としての内なる心の中に眞我を形成せよ、とさう述べて居られるのだ。

 

何故なら他人と繋がれば繋がる程に眞の自我が形成されぬやうに原理上なって仕舞ふからなのだ。

 

ところが、其れは所謂利己的な自我の追求とは本質的に異なるのだ。

 

即ち其れは相対認識としての価値ヒエラルキーに沿った自我の追求ー分別智による欲得の追求ーでは無く直観的な認識による相対認識の滅却即ち価値ヒエラルキーの解体であり分別智の消去=無分別化の流れのこと其のものなのだ。

 

 

 

アンタの言って居ること自体が理窟っぽくて兎に角変だ。

 

そりゃ君等の価値観ではさうなるだけのことであり最近のわたくしの心はいつもお釈迦様やイエス様にかうして寄り添っても居る。

 

 

然し上での説明のやうにこれだけ「自分の」と連発されると多少は佛法に親しんで居る人でも?????と思って仕舞ふのかもしれなひ。

 

事實わたくしも四十代位までは最晩年の釈尊が説かれし「自灯明」と云ふことの眞の意義がまるで分からなかったものだ。

 

正直申しますと其れは大乗佛教による教義的な洗脳のやうなもので自己と他己の意味を取り違へて居たのだらうと思ふ。

 

ところが同じ大乗佛教にせよ禅宗だけはまた違ふ。

禅宗は流石に釈迦による根本の精神を継承して居るか又は大事にして御座らう。

 

其れで禅により初めて何となく認識の上での原理が分かって来たのである。

 

 

其の無分別化の流れの大事さ其のものがさうさな、五十五を過ぎた辺りから次第次第にさう了解されても来た。

 

要するに若ひ頃ー四十代までーはたとへわたくしのやうな超感覚者であれ何も分からなかった。

 

其れがようやく全てが統合され分かって来たと云ふところなのであるが實は此処からが佛道修行に於ける大事な局面でもあるものらしひ。

 

 

正直申せば精神の流れに於ひては矢張りと云ふべきか禅の流れこそが今わたくしの目指すべきところなのでもある。

 

だが同時に浄土思想や密教の方をもやれる範囲にて是非探求してみたひものだ。

 

 

ところがもはや今は其れどころでは無ひ。

 

文明はもはや其れどころでは無ひのだ。

 

 

結局其れは本質が問はれて居るのである。

 

人間存在としての存在意義とでも申すのか其の本質の部分こそがまさに問はれて居る。

 

 

ところが眞我を形成すること無くむしろ繋がることで大幅に分別化したがる=虚の価値観にしがみつこうとする大衆は所詮は心が盲目なので大抵はわたくしの発言に耳を傾けやうとはしなひ。

 

おまへの方がずっと馬鹿でおまへなんぞはどーぶつ達と山の中でドロまみれになり遊んで居ろと正直さうも思はれて居るのである。

 

いや、確かに其の方がわたくしの性には合って居るのだ。

 

わたくしは動植物が兎に角好き♡だ。

逆に人間が好きでは無ひ。

 

然し困ったもんだな、また其んな性質も。

 

 

昨日も名古屋城の横でいつもの野良猫に挨拶するとみゃおーーーーと返事をして呉れ🚇の駅の横に白猫も居たので其れにわたくしの指の匂ひを確りと嗅がせて居りました。

 

其のやうにわたくしの生活とは文學、哲學、並びに釈迦とキリストが動植物と頻繁に交わると云ふまさに余人には理解のかなはぬ唯一の世界観でのものなのです。

 

 

其れでもってパンデミックは一体どうなったのだ?

 

先に述べたやうにパンデミックは人間存在の持つ価値観への自然からの問ひかけでありまた神佛よりの人間の精神のあり方への問ひかけなのでもある。

 

また先の「繋がる」話で言へばむしろ繋がらぬ領域にて初めて眞の意味での自我の確立は成り其の意味ではむしろ繋がってはイケナヒのであります。

 

事實として今まさに今感染爆発して居る米國からのメッセージとして「兎に角人からは離れよ」と云ふものがあるやうにだ。

 

 

日本流の和の社会は戦後はむしろ科学技術を信仰し日本の自然を破壊するに勤しんでも来た。

 

其の和としての価値観には無分別の智慧など元より生ずるべくも無く逆に「みんなで渡る悪魔の世界」か又は「みんなで行かう地獄の底へ」と云った善悪規定の無ひ合理化されし価値観、道徳もクソも無くあるのはタダ金儲けと会社へ行くことと大酒を浴びキャバレーでもって大金をはたくこと只其ればかり。

 

この侭ではキャバクラも援交も皆潰れませうが其れで良ひのでせうか?

そんなキャバクラ嬢がおまへさんの臨終を看取って呉れるかへ?

 

さうして日本の和はむしろ戦後日本の道徳を根本より破壊致しました。

 

つまりは酒池肉林の場などはもはや潰れてまさに御尤もだ。

 

 

尚所謂アベノマスクですがアンタほんたうに其れで良ひとさう思っていらっしゃるのか?

 

先回述べたやうに國は國民から精を吸ひ取る代わりにちゃんと國民を危機から救はねばならんのだ。

 

だのになーぜまだ國民を其の侭働かせて居るのだ?

 

どだひ学校など休みにするな。

 

其れでは教師と学生が楽過ぎる。

 

代わりに教師に会社へ出て働ひて貰ひ勤労國民は皆自宅待機にすべきだらう。

 

 

とのことで今回は一見ふざけて居るかのやうで實は至極深刻でもって真面目な話を致して来て居ります。

 

其れは「繋がる」=和、と云ふことが必ずしも眞理ー釈迦の佛法上のーでは無ひと云ふことなのだ。

 

即ち眞我ー無分別智ーを形成すること無く繋がればむしろ其れは悪の価値観の増幅を許すことにも繋がらう。

 

ところが逆に無明者ー分別智に生きる者ーは心の根本のところが常に不安なので兎に角繋がりたく思ふ。

 

 

逆にたとへ独りでも平気な人=わたくしのやうな人は自分への不安はほとんど無くむしろ社会への不安に大きく苛まれて御座る。

 

が、其れも覚醒=目覚めに至れば自他分別の抹消が其処に成りもはやそんなタイプの苦にもふり回されなくなる。

 

 

つまりわたくしの場合にも眞の智慧にまで至って居る訳では無くさうかと言って世間の人々とはまた違ふのでおそらくは其の中間位に多分位置して居るのであらう。

 

だがほんたうの聖者=智慧の完成者であり眞我の体得者ともなれば苦は須らく消失する。

 

なのだけれども、もしもわたくしの心がそんな段階へと至るともう作文の内容の方が初めから最後まで全部分からなくなる筈であらう。

 

 

尚、其の和による意思決定の弱さはまさに最悪だ。

 

政府+官僚機構は兎に角やることが遅くやってもまだマスク二枚だけの支給のみだ。

 

そればかりか此の度は現金の支給とのことでつひ喜んで居たら其れは水商売の👩や芸人を救ふ為の話で我が家などは申請のしやうも無ひお話だった。

 

そんなのでは無く全世帯に対しベーシックインカムをやらねばバカサラリーマンが皆死んじゃふぞ。

 

バカサラリーマンが皆死んだらほんたうに日本國は沈没するぞ。

 

 

バカサラリーマンは今イヤイヤ出勤して居るばかりでのことだ。

 

皆ゲホゲホ言ひながらさうして出勤して居るのだぞよ。

 

其れもマスクも無ひと云ふのに何で働かなきゃならんのだ?

 

 

働くことこそが和の美徳だ。

 

なんじゃそりゃ。

 

死んでも働けと云ふ其の全体主義にて日本國はもうほんたうに滅びるぞ。

 

 

何度も言ふやうに壱ヵ月位全ての就労を即刻停止すべきだ。

さうして日本人らしく勤労奉仕を続けるから感染が廣まり次第に國自体が危うくもなって来て居るのだ。

 

即ち働くと云ふ和の美徳にて日本國は滅びるのだぞよ。

 

 

もう働くのは止めて遊べ、遊べ。

 

ところが遊んでるのは学校が休みの児童や学生ばかりだ。

 

すると其の元気一杯の青少年が街へとまた山へ川へとくり出すこととならう。

 

無論のこと其れでもってまたドカーンと感染爆発するのだった。

 

 

だから何で其れが分からぬのだ。

 

青少年をこそむしろ働かせるべきだ。

其れも教師と共に労働させねばならぬ。

 

五十歳以上でもって長年の労働にて躰の疲れたサラリーマンを即刻休ませよ。

 

其れを日本共産党ならばひょっとしてやるのではなひか。

 

もしも其れをやったならば個人的に日本共産党へ入党しても無論のこと良ひ。

 

 

青少年は兎に角こきつかはねば楽を覚へてダメだ。

 

こんなことでは日本の青少年の未来がもはや台無しだ。

 

 

故に今回の自民党+官僚のパンデミック対応は最悪だ。

 

むしろ左翼の方にこそ任せておくべきであったのやもしれぬ。

 

 

兎に角キツヒことが言へぬ安倍政権。

 

早う緊急事態を宣言せねばもうエラヒことになるぞよ。

 

直に安倍氏の頭の中の和のソロバン勘定が日本のサラリーマンを全員國家に対し殉職させるに至る。

 

殉職したにせよ警察官や自衛隊員では無ひ我我は階級の特進は無く其ればかりか何の保証も無く只こきつかはれて無駄死にをするばかりなり。

 

 

そんな訳であくまでわたくしの結論としてはもはや「和」と云ふ価値の継続は懲り懲りだとさうしたこととなるのである。

さうして「繋がる価値」をも此の際全否定して置かう。

 

だから其の「和」だの「繋がる」だのはあくまで平和な時での望まれる価値なのであり緊急事態に其れを望むものでは無ひのだぞよ。

 

其れから此の期に及んでまだ子宮思考を継続させて来て居る女共へも一言。

 

平和な時には勿論何をしても良ひのだがこんな時には沢山の子供を引き連れ公園にブルーシートなどを敷き花見をして居たりしてはならぬ。

 

今まさにわたくしが妙に気になるのはさうした民族の精神だの性別による精神だのが齎す矛盾でありカン違ひの様なのだ。

 

 

さて本日は歯ブラシーラークサンスターーを買ひにカインズまで出かけ帰りに堀田のヤマナカでちょこちょこと買ひ物をしたが客の入りはいつもの七、八割と云ふところか。

 

尚スーパーは品揃への良ひ店とさうでは無ひ店があり品揃への良ひ店で買ふと何故か全ての物が良ひものだ。

堀田のヤマナカや南区のヤマダイは兎に角良ひ。

久々にタコ焼きーパック入りのーを買って来た。

 

尚わたくしはタコ焼きの中のタコは食はぬ。

タコは悪魔っぽい生物なので元々食べはせぬ。

 

だがタコ以外のタコ焼きは大好き♡だ。

尚ところがイカはむしろ好物なのだった。

 

イカのフライやらおつまみのやうなものが實は大好物である。

嗚呼、イカン。同様に足が沢山ある蜘蛛の死をまた思ひ出し哀しくなって来た。

 

 

またわたくしはウナギもまた好きだがウナギの皮は食はぬ。

 

要するに何かと気難しひところのある人間なので感覚が余りまともでは無ひ。

 

 

さて自転車にて街を行く限りは普段の土曜日のやうにも一見見へるが街を行く人々を良く見詰めてみると皆マスクをして御座る。

 

学校の周りには大抵桜が多く植へてあり其れ等が美しひ限りなのだが決まって学校の門は閉ざされまさに閑散として居る。

 

いつも通る小さな寺の前の掲示板には「菩薩は悪を忍受する」とさう書かれて居た。

 

 

人間は確かに悪に傾き過ぎて居たのやもしれぬ。

 

しかも其れは全体が悪に傾き過ぎて居たことだらう。

 

だがたとへ宗教関係の人でさへ文明の価値観其れ自体を否定する人などまずは居らぬ。

 

其れをやる為には強靭な理性の力が必要だからなのだ。

 

 

「地球最後のニュースと資料」をお書きになられて居る方などにもまた其の強靭な理性の力を其処に感じるのだ。

そんな訳で次回はまた滅亡ライターがお書きになったものを参考に書かせて頂くつもりだ。