八事山文庫 2019秋 秋季彼岸会 千燈供養会 八事山興正寺
我等凡夫に於ひても常に宗教に縁ししかもかような宗教的行事に気を配り其れに参加することこそが肝要です。
元より仏教とは其処で現世利益の成就を乞ひ願ふものでは無ひが、たとへ現世利益の成就への祈りであるにせよ何にせよ祈る気持ちであることこそが大切な精神のスタンスであり我我人間の持つ罪障を僅かでも減じる方向性へと我我自身を導く為の唯一の方策なのだ。
信ずるに値せぬものを信じるのでは無く信ずるに値するものをのみ信じ皆が生きていかれんことを願ってやまぬ。
信ずることは負けぬこと、たとへ負けても負けはしなひことだ。
尚わたくしの場合本年は特に気合を入れた上でかの千燈供養会に参加する積もりである。
気合を入れる、即ち何ぞお手伝ひでも出来るものなら喜んで其れをやり恙なくかの宗教行事を完遂させねばなるまひ。
火の密事、其の焔がメラメラと燃へ我等の邪なる煩悩を焼き付くさうぞ!
嗚呼、何て美しひのだ、其の大護摩の火こそは!
聖なる火が悪逆の者共を、かの魔物共の邪なる欲望をばさうして根こそぎ焼き尽くして呉れやうぞ。
嗚呼、我は願ふ、タダ其のことだけを願ふ。
但し左様な思想的願望を抜きにしても千燈会こそは観て居て楽しひものだ。
我等大衆は寺へ出向き其処で佛との縁を結んでいかねばならぬ。
何でも良ひから日頃から寺へ出向き佛への帰依の形を其処に示しておかねばならぬ。
凡夫は救われぬ者である故にこそ其のやうに意識して佛との縁を結んでいくのだ。
我我にとり大事なものは会社でも👪でも無ひ。
我我にとり大事なものは国家でも文明でも無ひ。
我我にとり大事なものは佛だ。
または神だ。
我我はあくまでも人間であり人間とはタダの欲望の申し子のことだ。
故にこそむしろ人間は火に焼き尽くされてみなければならぬ。
一度位は其の侭に火に焼き尽くされてみよ。
さすれば己の抱く妄想の無価値なのがよーく其処で分かる。
よろしひか、妄想などして居るヒマなど何処にも無ひぞよ。
今こそ目覚め、さうして事の真相を見抜け。
さらに我が身をば其の焔に捧げるのじゃ。
紅蓮の焔のさ中へとサアサ飛び込んでみよ。
今行きまーす、ジュワワワワ―。
アレ、よう焼けた。
如何にもよう焼けたぞよ。
其の素晴らしき煩悩滅却の様よ、まさにどうもお目出当御座ります。