目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

愛は人間を救ふのかーⅣ 藝術家による愛ー

元より藝術家の愛、其れは激しくも哀しひものなのでせう。

藝術とは生きる上での其の感度の幅、其の幅を常人よりも広く深く持つと言ふことなので認識対象として彼等に見へて居るものは矢張りと言ふべきか違ふものです。

 

いや、所詮は同じものなんですが、其の捉へ方、解釈の仕方が凡人とは心理的に異なるのです。

また其れは宗教とも同じやうなもので宗教家の方々なども生其れ自体への向き合ひ方が常に常人とは異なりませう。

 

但し先に述べた如くに其の認識の根幹のところを死として見詰めるか又は生として見詰めるかで方向性が異なって来ます。

尤も其の部分も、たとへば死を対象としなひ宗教もあればまた死ばかりを見詰め続ける藝術などもまたありませう。

 

其処のところはまさに逆転し合ふところもまたあるのだと申せませう。

ですがキリスト教と佛教は共に死を見詰め続けて来ても居る。

 

自然は、また大衆は死を見詰めることをしなひがー其のやうなある意味では幸せな心の状態にあるが故にー宗教や藝術は其の死に寄りかかりあへて生きて行かざるを得ぬ。

オーギュスト・ロダンの心もまた常に其の死にさうして地獄へと向けられて居たのかもしれません。

 

 

オーギュスト・ロダン(フランス 1840-1917)「バルザック」1891-98年

 -ロダンは文芸家協会から、小説家オノレ・ド・バルザック(1799-1850)の記念像の制作を依頼され、
肖像写真をもとにして制作した。
1898年のサロンにガウンをまとった石膏像を発表したが、これが雪だるま、溶岩、異教神などと言われ、
「フランスが誇る偉大な作家を侮辱した」と、協会から作品の引き取りを拒否された。
ロダンは石膏像を引き取り、終生外に出さなかった。彼の死後、1939年になってパリ市内に設置、除幕された。
ガウンによって写実的なディテールが覆われ、大胆に要約された形態は、ロダンの作品の中でも最も現代に通じるものである。-以上より

 

箱根の彫刻の森美術館にはかうしてオーギュスト・ロダンの傑作があります。

尤も出不精のわたくしは其れを観たことは無ひ。

 

わたくしは此の作品を初めて画像で見て以降まさに此れこそがロダンの最高傑作なのだとさう思ふやうになった。

其れもあくまでさう感じるからさうなのだ。

 

藝術とは理窟以前にさう感じるものです。

感じられぬと云ふ方にはハッキリ言って藝術は分かりません。

藝術音痴の人々は確かに世に居てわたくしは五年程前だったか、其の人からどうしたら良ひかと尋ねられたことがあった。

 

〇✖さんは絵も詩も分かるんでせう?

ワタシ分からないんですが一体どうしたら良ひのでせう。

 

尤も其の方は言はば資産家でもあり立派な方なのです。

でも其ればかりはどうしやうもありません。

 

其れはまるで👨に👩になれと云ふが如きもので藝術を理解する感性の上での素地の無ひ方にはそも伝へられぬ性質のものなのです。

 

逆に我我はいつも藝術してる心理的な状況にあり其処でもうアップアップして居る訳だ。

勿論其れは楽じゃ無くもうゲロゲロでもってヘロヘロですので實はもうアンタみたくなりたひんです。

 

ほんたうはもっと楽になりたひんですう。

ところがつひ苦しひ方へとあへて向かって仕舞ふのだ。

 

其処は宗教家の方々とさほど変はらずで兎に角苦しひ状態が好きなのかさうして磔だの苦行だのさうしたものをやる代はりに文學の方へとさうして絵画の方へとつひ向かって仕舞ふのだった。

 

 

ー小説を書いている以外の時間は、社交界でご馳走をたらふく食べるか、知人と楽しく過ごすかのいずれかに費やされた。もはや伝説になっているバルザックの大食いは、(糖尿病が原因と思われる)晩年の失明や、死因となった腹膜炎を引き起こしたと思われる。借金も豪放、食事も豪胆であった。事業の失敗や贅沢な生活のためにバルザックがつくった莫大な借金は、ついに彼自身によって清算されることはなく、晩年に結婚したポーランド貴族の未亡人ハンスカ伯爵夫人の巨額の財産がその損失補填にあてられた。ーオノレ・ド・バルザックより

 

バルザックは何となくかの菊池 寛みたく思へて仕舞ひ読んで居なひのですが此のやうに兎に角大食ひだったやうです。

其の豪胆な壊れ方と云ふかいやらしひ贅沢への固執と云ふかそんな部分がバルザック像にはしかと表現されて居るのである。

 

またバルザックの超俗した視野と云った部分も同時に其処に何となく観て取れやう。

壊れては居るが彼は知の巨人だと云った面が前衛的に表されて居り此れぞまさにロダンの最高傑作なのだとわたくしは思ふ。

 

 

ーやがてヴェスターヴェーデでの生活は解散を余儀なくされ、1902年8月にリルケは『ロダン論』執筆のためパリに渡り、9月に初めてオーギュスト・ロダンに会った。また妻クララも娘を自分の実家に預けてパリに渡りロダンに師事したが、しかし貧しさのため夫妻は同居することができず、それぞれ別々に仕事をしながら日曜にだけ会うという生活であった。夫妻が安定した結婚生活を送ることができたのは新婚当時の1年と数ヶ月に過ぎず、これ以後リルケがヨーロッパ各地を転々としたことから一家は離散状態となった。ーライナー・マリア・リルケ #ロダンとの出会いより

 

其のオーギュスト・ロダンと親交のあったのが詩人のリルケである。

ちなみにリルケはわたくしが最も好む詩人である。

其れもどうも世界に対する感じ方其のものが自分と似て居るやうな気がしてならぬからだ。

 

だが上にもあるが如くに詩人の生涯程苦しくさうして不安定なものも無ひ。

何で詩人は生活が安定しなひかと言へばほとんど他ごとばかりを考へて居るからなのだ。

 

つまりみんなのやうにセッセと仕事をやり金を儲けやうだとか町内会でみんなの為にイヤな仕事も引き受けやってやらうだとかそんなことは無論のことまるで考へては居らぬ。

あくまで考へて居るのはゲージツ上の課題や問題ばかりで其の癖欲は強くあるー愛に対する情熱に飢へて居るーので金が無ひのにつひケッコンなどして仕舞ふのだ。

 

だから其処には必然的に地獄の状態が出現しやう。

金の無ひ地獄、即ちひもじひ地獄、また金のあるゲージツ家の場合は大抵の場合他の女に手を出し謂はば「火宅の人」となるのである。

 

嗚呼、地獄、其の藝術が招く地獄の様。

だから藝術家が見詰めて居るものとはむしろほんたうの地獄の様なのだ。

 

皆様のやうに真面目にお金を儲けず考へて居ることがみんなお空の上のこと、兎に角限りなひ宇宙へと夢を追ふお話ばかり。

だがそんな詩人を支へる妻こそがまさに神に仕へる巫女のやうなものではなひか。

 

さうして神と相対し呻吟するリルケを其の巫女が助けずしてどうする?

さうして色其のものと格闘するルドンを其の巫女が助けずしてどうする?

 

 

Per me si va ne la città dolente,
per me si va ne l'etterno dolore,
per me si va tra la perduta gente.
Giustizia mosse il mio alto fattore;
fecemi la divina podestate,
la somma sapïenza e 'l primo amore.
Dinanzi a me non fuor cose create
se non etterne, e io etterno duro.
Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate.'

 

我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠の苦患あり、
我を過ぐれば滅亡の民あり
義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる威力、比類なき智慧
第一の愛、我を造れり
永遠の物のほか物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ

 

神曲』地獄篇第3歌の冒頭山川丙三郎訳より

 

 

地獄の門(ロダン作)(国立西洋美術館)

 

 

今になってはじめて、
すべての慣習的な造形美術の概念が、
彼にとって無価値となったのである。
姿勢というものもなければ、
群像というものもなく、
また構成というものもなかった。
あるものはただ無数の生動する面であった。
あるものはただ生命であった。
そして彼の見出した表現手段は、
まともにこの生命に向かって行ったのである

ロダン

 

彼はその当人に何事もしゃべらせない。
彼は自分の目で見るもの以外には
何物をも知ろうとしない。
だが彼はすべてを見るのである

ロダン

 

 

人間から人間への愛、
これはおそらく私たちに課せられた
最も困難なこと、究極のことであり、
最高の試練、最後の試験です

リルケの手紙』

 

 

かくてリルケはかの造形の巨人をかう評価した。

だが今わたくしにとり気になるのはリルケの手紙にかって書かれた此の言葉である。

 

さうまさに其の人間から人間への愛、其れこそが最も困難なことなのだらう。

但し詩人にとり画家にとって其れは常に困難なのだ。

 

或は宗教家にとって其れは困難なのだ。

 

だが皆様にとりおそらく其れは困難などでは無ひ。

人間を愛することはみんなにとっておそらく困難なことでは無ひ。

 

つまり精神の高みに登ると其れが困難なこととなるのだ。

精神と云ふ巨大なる階梯を一歩づつ登り高みへと到達した者はもはや其の人間への愛を信ずることが出来ぬのだ。

 

だから其れが地獄だ、地獄。

地獄の門でありまさに地獄の責め苦の有様だ。

 

 

尚以下はかってわたくしが懸命に書ひた「地獄と極楽」の物語ー浄土教解釈ーの部分です。

ちょっと読んでみたところ相変はらず滅茶苦茶を言って居りますがなかなか面白ひです。

 

当時は時間が無く文も練られて居らず適当ですが兎に角なかなか勉強になりました。

エッ、自分で書ひたのに其の内容を覚へてなひの?

 

ほとんど覚へて居りません。

 

兎に角大乗佛法を総論的に網羅しつつ語ったものなのです。

即ち其処には佛法の上でのエッセンスが須らく詰め込まれて居るのだ。

 

 

化け物屋敷としての浄土宗と浄土真宗

 

地獄と極楽(天国)ー壱ー

地獄と極楽ー般若(大乗)の智慧ー

 

地獄と極楽ー直観による無分別智の構築ー

地獄と極楽ー社会(内面)の地獄から逃れる法ー

 

地獄と極楽ー無常と云う地獄ー

地獄と極楽ー自業自得の因果かなー

 

地獄と極楽ー神滅神不滅論争ー

地獄と極楽ー観念地獄から脱する法ー

 

地獄と極楽ー唯識無境 壱ー

地獄と極楽ー唯識無境 弐ー

 

地獄と極楽ー唯識無境 死んだらどうなる? 中道の論理からー

地獄と極楽ー唯識無境 仏法としてのギリギリの闘いー

 

地獄と極楽ー何か分からぬものとしての母ちゃんの腹の中=大乗仏法ー

地獄と極楽 ー唯識無境 無意識と云う不思議ー

 

佛教とキリスト教の相違

 

 

尚じぶんでもって読み返してみますと其の内容としての本質は佛法的にとても難しひのだが其処をあへて低次元化し分かり易く書かれて居り其処はまさに自分でも勉強になります。

何せ時間が無かったので言ひたひことの全てを語れた訳では無ひのだが本職の御坊様方による説法とはまた異なる文人としての佛法解釈が其処には確かに為されて居りませう。

 

「佛教とキリスト教の相違」と云ふ作品は今年の初めに書ひたものですがなかなか面白く或は傑作なのかもしれません。

兎に角此の「地獄と極楽」こそが長く佛法を學んで来た挙句に辿り着ひたわたくしの大乗佛教へのスタンス其れ自体を総括的に述べたものだ。

 

他方でリルケの語るところでの其の「人間への愛」の困難さにつきまた何かを書ひてみたひと云ふ思ひが今御座ります。

また原始佛法のことなどもかうして包括的且つ網羅的に書ひておくべきなのだとも思ふのですが事實上は生活に追ひまくられ其れどころでは無ひと云ふのが實情だ。

 

なのでわたくしの場合は其の「生活」が「藝術」を常に阻害するので兎に角其処が頭に来ておりますのです。

「生活」其れ自体が楽しひんじゃなく「藝術」の方が遥かに楽しく実際かうして価値あるものが生み出せるのだと云ふのに其の「生活」が「藝術」の邪魔をするので落ち着ひて書きたひものが書けやあせぬ。

 

 

人間から人間への愛、
これはおそらく私たちに課せられた
最も困難なこと、究極のことであり、
最高の試練、最後の試験です

 

重要なことはリルケがかうした感じ方を常にして居る藝術家だったと云ふことです。

きっとリルケはクソ真面目な完全主義者だったことでせう。

 

より多くの人々にとり人間に対する愛とはむしろ当たり前のことなのです。

パートナーへの愛、子への愛、帰属する共同体への愛、日本への愛、と云ふやうに。

 

ですが藝術家にとっては其の愛が当たり前のことではなくなって仕舞ふ。

より深く広く其れを見詰めし場合には其れは其のやうにむしろ逆の姿ー醜ひ姿ーを晒して仕舞ふ。

 

藝術家は常にそんな深淵をこそ見詰め続けて行く。

藝術が分かるとはさうした意味ででのことで其れは外面的な恰好良さだの心地良さだのさうしたことでは無ひ。

 

藝術家とは其れを感じ取らざるを得ぬ目を持つもののことだ。

まさに其の眼差しを持つもののことだ。

 

其の眼差しをこそ今愛と名付けやう。

藝術家の愛とは其の愛による構築と破壊を同時に見詰め続けること其のものなのだらう。