目覚めよ!

文明批判と心の探求と

もはや事実としての温暖化

 

インドで気温50度超え。深刻化する水不足問題の実態

 

其の水不足と云ふのは水資源には恵まれた此処日本ではなかなか考へにくひことで事実我我には日本国内での水不足などは実感されて居なひ。

但し其の50度を超える気温と云ふことはまさに脅威に値することです。

 

事実今年の夏、其れも晴天の日が続ひた八月は随分体に堪へました。

 

わたくしは夏生まれでもって元々暑ひ夏が好きでセ氏35度位までならば大きくは気にならない方なのですが矢張り蒸し暑くしかも気温が高い日には其処で大きく体力を奪われて仕舞ひます。

 

どうも其の暑さの質がかってとは異なるやうに思へてならぬ。

 

特に此の九月に至っても37度もあるやうではまさに異常だ。ーまさにむわーっとした熱波が押し寄せて来て居るやうな感じだー

 

此の様は明らかに地球規模での温度上昇の様を実感として示して居り正直此の二、三日で初めてさうした事実を確認した次第である。

 

 

だが我我還暦世代が子供の頃には八月でもせいぜい32、3度までしか上がらずしかも八月も終わり頃になると決まって其の暑さが和らひだものだった。

 

 

さうした自然な夏の様を経験出来たと云ふことはむしろどんな体験よりも幸せなことだったやうにも思ふ。

 

尤もこんな風に地球の夏自体、地球の気候自体が滅茶苦茶にならうとは当時まるで思ってもみませんでした。

 

気候と云ふ現象はむしろ一番変わりやうの無ひものであり、其れよりも何よりも個別に訪れることだらう運命または宿命のやうなものに翻弄されることこそが恐怖でありまさに其処からこそ身を守るべきものであった。

 

 

然し温暖化は現実のものとしてまさに今猛威をふるひつつあります。

 

其処で一番問題なのは一部に温暖化を否定して捉へる向きさへあると云ふことだ。

 

ですが温暖化はあくまで事実です。

 

日本の場合は今年の九月の今の時点で其の事はもはや自明としての事実です。

 

 

問題はむしろ其のやうに人間の思考、意見には両極端の領域が必ずや含まれて居ると云ふことです。

ものの考へ方、感じ方には其のやうに大きく差があります。

 

其処には其れこそ楽観主義もあれば悲観主義もあります。

 

ですが、今此処に至ればおかしな楽観主義が蔓延る余地などもはや無ひとさへ言へることでせう。

 

後は其の事実としての温暖化をどう捉へていくかと云ふことのみ。

 

其の点に関してわたくしはおそらく悲観に傾ひて居ることだらう。

 

ですが方向転換ー思想的転回ーは出来ぬ訳では無ひ、とさう捉へても居ります。

 

其の最後の望みの部分に関してのみむしろ楽観としての余地を残してある。

 

 

其れは最終的に個としての選択と云ふこととなりませう。

勿論社会が変われば其れに越したことは無ひが、とは言へ多方面より雁字搦めとされた社会がさうさうカンタンに変わるとは思へませぬ。

 

なのであくまで個としての選択の余地が残されて居るばかりでのことです。

 

個としての選択を可能とするのは認識上の価値観の問題です。

 

其の価値観がどう構築されて居るのかと云ふことこそが最も大事です。

 

 

価値観の問題には触れないで頂きたひ、とおそらく多くの人はさう思われることでせうが其の触れないで欲しひ価値観のことが本来ならばむしろ一番大事です。

 

どだい此の世には宗教や政治的信条、また女性に対する批判などタブーとされて居ることが多々ある訳ですが其処をあへて論じて来たのがわたくしのヘソ曲がり精神其のものなのであり逆に言へば其れ等を論じなひわたくしには何の価値も無ひ、と云ふこととなりませう。

 

 

わたくしは其の個としての認識に一縷の望みを託し此処でかうして論じて来て居ります。

 

人間には良心を持って居る人もまた居られやう筈。

 

皆が皆鬼なのではなくまさに菩薩の如き心の持ち主も必ずや居られやう筈。

 

事実わたくしの極めて狭い世界での経験の中でもまさにさうした人々に屡出遭って来ました。

 

 

但し問題は逆に鬼のやうな輩も其れと同じ位は居た、と云った事実の方です。

 

さう、まずは菩薩と同数程其れは居ましたね。

 

但し大多数はどちらとも言へぬ人畜無害な人々の群れだったのでしたが。

 

 

かようにわたくしは今温暖化や自然破壊などの環境破壊の問題を人間の心根の部分と結びつけ考へて来て居る。

 

心と環境は不即不離である、とする所謂仏法で言われるところでの依正不二の原理を視野に入れ思考して来て居る。

 

と云ふことは矢張りと云ふべきか心つまり考へて居ることが悪ひと環境は即悪化する。

 

考へて居ることが逆に善くなると環境は次第に元に戻る。

 

 

なのではあるが、すでに手遅れだとする説もすでに浮上して居ります。

 

「最悪の場合はあと12年」と国連が警鐘を鳴らす、気候温暖化その恐るべき実態

 

地球温暖化対策が必ず手遅れになる10の理由

 

個人的には温暖化は地球と云ふか現生種を絶滅へ追ひ込むことかとは思われますが地球は壊れることが無ひとさう思って居ます。

 

たとへ現生種が絶滅しやうがどうしやうがおそらく地球は生き抜ひていくことでせう。

 

ただしこのままでは人間は滅ぶ、と云ふか文明を維持することが不可能となりませう。

 

其の維持の不可能さにまず直面するのは2050年辺りとさう考へます。

 

 

尚温暖化の問題に関しては信頼される情報を選んで其処から學ぶことが最も大事なことです。

 

悲観論にせよ楽観論にせよレヴェルの高ひ情報を個として選んでいくことこそが大事なこととなる。

 

 

地球温暖化はもう手遅れか?(はたまたミニ氷河期到来か)

 

尚江守 正多氏は現在、国立環境研究所 地球環境研究センター 副センター長を務められて居りまさに信頼出来る學者の方で温暖化研究の第一人者でもある。

わたくしも以前は様々に温暖化につき學び此の方の著作物を何冊も読んだ覚へが御座ひます。

 

「現在の高いCO2濃度と、それが人間活動の慣性によりさらに増加中であること、気候変化のスピードが過去に例がないほど速いことなどから、現在の温暖化がある臨界点を超えると、中新世中期(Mid-Miocene、15~17百万年前)に近い状態に移行するまで安定化しないだろうと結論している。中新世中期は、CO2濃度が300-500ppm(現在のCO2濃度は400ppm)、世界平均気温は産業革命前と比べて4~5℃高く、海面水位は10~60m高かったと考えられている。これがホットハウス・アースのモデルとなる。」ー以上より引用ー

「ところが、この論文では、世界平均気温上昇を2℃前後に抑えたとしても、ホットハウス・アースへの移行が始まってしまう可能性があるというのだ。パリ協定の目標を達成したとしても温暖化が止められないのだとしたら、人類にとって温暖化は手遅れだということではないか。これは破滅的な予言といえるかもしれない。」ー以上より引用ー

 

いや、ちょっと待て、コレはヤバひでせう。

 

其の「ホットハウス・アース」となると、一体地球はどうなるのだ?

 

『そして、おそらくこの論文の肝となるのは、ドミノ倒しのように、これらのフィードバックのスイッチが連鎖的に入る可能性を指摘した点だろう。これらのフィードバックの多くは、気温上昇(あるいはその速さ)がある大きさ(臨界点=ティッピングポイント)を超えると、不連続的に進行する、もしくは進行が止まらなくなる性質を持った「ティッピング要素」であると考えられる。』ー以上より引用ー

 

『最後に、このように対策オプションを並べられると、科学者が検討をして、こうすべきだ、ああすべきだと、社会に「上から」指示を出そうとしているように思われるかもしれない。しかし、この論文の著者らが重要な役割を果たしている国際研究プラットフォームである「Future Earth」では、地球の課題をいかに解決するかはもちろんのこと、そのためにどんな研究が必要かさえも、科学者は社会の様々な立場の人たちと一緒に考え、一緒に研究を進めていこうという姿勢が強調されている。』 ー以上より引用ー

 

確かに自然科学は様々に客観的データを積み上げ自然現象を解明することが出来やうが其の科学自体には常に限界があらう。

其れは自然科学者自身が生身の身体を持つ単なる人間であることと切っても切れぬ関係にある。

 

自然科学者は人間なので過ちも犯すが其の過ちが社会の直接の駆動力にも及ぶ為人文の方面での誤りのやうに大きく問題が生じぬ訳では無くむしろ常に大問題を抱へることだらうリスクを抱へてもいやう。

よってまずは自然科学者がむしろ一番謙虚でなくてはならず、其れも些か遅きに失した感もなくはなひが確かに地球規模での大問題はもはや科学者のみでは解決出来ぬ。

 

 

確かに心の問題として環境の問題を捉へていく其の前に事実としての暑さが、其の暑さによる不快さが日々我我を襲ひむしろ思考停止の状態で居ることを余儀なくされたりもする。

 

気候変動の影響は、私たちのメンタル面にも――人々をむしばむ「エコ不安症」とは?

 

尚個人的には温暖化などしては居なひと信じ込むよりは温暖化を心配し過ぎて鬱状態に陥って居ることの方がずっとまともだとさう考へて来ても居る。

 

人間が何か悪ひことをなして世界の秩序を乱すことに対し鬱傾向のある人の精神構造は大抵は正確に其れを予見して居ることが多ひ。

 

ただし絶望に陥るのではなくして一縷の希は残されて居ると捉へる方がまだしも心理的に未来に通じて居られやう。

 

 

環境維持に於ける大問題は急に全部がダメ、なのではなくおそらくは徐々にあらゆるものの劣化が始まりある時点で其れがドーンと来る。

 

其れでも人間が真の恐怖に向き合わされるのはおそらくはまだまだ先のことだ。

 

繰り返しとはなりますが、2050年辺りがまずもって危なひのだが、果たしてあと三十年生きられるかどうかと云へば勿論還暦世代は其の時にはもうすでに世を去って居り地球上には居なひ。

 

だから我我の子孫の世代に其のツケを回して仕舞ふのだと言へなくも無ひ。

 

 

『現在のペースで温室効果ガスが排出された場合、「早ければ2030年にも気温は1.5度上昇する可能性がある」というものだ。

1.5度までに抑えられなければ、自然災害のリスクはさらに高まると警告している。これだけで十分ショッキングな内容だが、メディアは「あと12年で生態系は崩壊する」などと書き立て、さらに恐怖感をあおる。』ー以上より引用ー

 

確かに温暖化は急速に進む虞さへもが大きくある。

 

おそらく急激な温度上昇は我我の心身のあり方を維持し切れぬことだらう。

 

だが、其の時になったら其のやうなものに心身を晒していく他は無ひと言ふ他は無し。

大雑把に言へば気候変動の問題は所詮社会の問題なので一個人として背負ふ必要の無ひ問題だ。

 

勿論個としての選択を為していくことは重要なことだが、温暖化自体を引き起こした責任は大きく社会の側文明の側にこそ存する。

 

 

但し其の社会の一員としての一種の全体責任を個もある程度は負ふべき。

 

だがあくまで地球の破壊犯としての責任は近代以降の社会を推進させて来し社会の枢要な立場を担ふメンバー達にこそ存して居やう。

 

だから安心して良ひ。

 

我我文明の構成員一人一人は其の破壊責任に限り其れを全的に背負ふ必要など無ひ。

 

 

但し今後肉体に与へられやう物理的に齎される苦は誰しも甘んじて受けて行かざるを得ぬ。

 

兎に角今は其のやうな状態にあるので、なるべく大きな欲望は捨て個として何とか生き延びる方策を是非探していくべきだ。

 

常に自身と👪の危機管理を行ひ文明の現実につき學んでおく。

 

其のやうに常に危機に備へ財産の維持やら立派な墓やら家の存続やらさうした些事には心を寄せることなく常に文明に対し批判的な眼を持ちしかと未来を見据へていくべき。