目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

永遠なるルドン -Ⅳ ルドンを観る-


ルドンの絵画にはまた完全性があります。

几帳面乃至は真面目の極としての其の完全性です。

表現する対象を的確にいや的確過ぎる程に捉へ其れを極めて高いレヴェルにて絵画と成して居る。


其処では線又は面の造作が人間技では無ひ程に洗練されて居やう。

其の完全性も畢竟彼ルドンの内面から齎されたものでありませう。

然しどんな言葉でもって其れを讃へたにせよあくまで其れは後付けでの作業となる。


故に理窟からではなく其の完全なる美の世界を感じてみませう。

幸ひになかなか良ひところが見つかり、其れは昨年の夏に箱根で開かれたルドンの絵画展の模様です。

丁度岐阜県美術館が休館した手前、様々な美術館へと其の所蔵作品が貸し出されて居たやうです。



ではじっくりと其の絵画展を鑑賞していくこととしてみませう。





彼ルドンが孤独でしかも内向的であったのは言ふまでもなく其の通りのことですが其の性質の対極にさうではなひ面も抱へて居たからこそ彼の絵が万人の鑑賞に耐へ得る美しきものともならう。

と云ふことをわたくしは前回述べた。

即ち表現とは其の分離の幅のことですので、彼は相当に大きな幅を持った精神又は感性の持ち主であっただらうことは其処に疑ふべくも無ひ。


また其の大きな幅が完全指向にも連なっていく訳です。

完全指向即ち幻想としての幅広さと深さです。


勿論幻想だけでは此の世界へ戻っては来られぬ。

イって仕舞へばもうイって仕舞ふだけでそんなのはおそらくたまにはあることだらう。

たとへイっても戻るのが藝術ですのでまた其の戻る分の振幅が大きひ分其処には完全性が生じて参りませう。

振幅が狭ひと絵など描けやしないのだし詩を書ける筈もなく作曲なんてとても出来はせぬ。



其の部分に於ける完全性としての展開を彼ルドンの絵から明らかに感ずることが出来る。


「《Ⅱ.沼の花、悲しげな人間の顔》1885年 岐阜県美術館」
「『起源』より《表紙=扉絵》1883年 岐阜県美術館」


確かに怪しげな「色無し」での作品群ですがわたくしには其処に描かれし線や面の完璧さだけが際立って見へて参ります。

線自体又は面自体の構成乃至は表現が余りにも洗練されて居る=一種完璧だ、と云ふことです。

遊びがほとんど無ひので、もうコレは完璧主義者の手になるものでせう。


「《Ⅰ.眼は奇妙な気球のように無限に向かう》1882年 岐阜県美術館」

世紀末と云ふ時代の風潮がルドンの絵画に大きく影響を与へて居ただらうことは疑ふべくも無ひ。

世紀末とはまさに近代の世紀末としての19世紀後半のことだったのであり、其処に示されし科学的思考と文學的な幻想との相剋と相即の様がまさに時代の風潮として描かれるに至った。

其処ではまたジュール・ヴェルヌによりSF小説の分野が確立されまさに科学が幻想化された訳でもある。

其のジュール・ヴェルヌに大きく影響を与へて居たのが詩人エドガー・アラン・ポーでした。



エドガー・アラン・ポーには『大鴉』と云ふ有名な詩が御座ります。


大鴉  日夏耿之介


 むかし荒涼たる夜半なりけり、いたづき羸れ黙座しつも
 忘卻の古学の蠧巻の奇古なるを繁に披きて
 黄奶のおろねぶりしつ交睫めば 忽然叩叩の欵門あり、
 この房室の扉をほとほとと ひとありて剥喙の声あるごとく。
 儂呟きぬ「賓客のこの房室の扉をほとほとと叩けるのみぞ。
    さは然のみ あだごとならじ。」

 憶ひぞいづれ鮮かに あはれ師走の厳冬なり。
 燼頭の火影ちろりと 怪の物影を床上に描きぬ。
 黎明のせちに遅たれつ――逝んぬ黎梛亜を哀しびて
 その胸憂を排さばやと黄巻にむかへどあだなれや。
 嬋娟しの稀世の姣女
 天人は黎梛亜とよべど
     とことはに 稀世の名むなし。

 紫丹の帳、 綺窓かけの縵繪ふとありて惆しげに小揺ぐとみて慄然たり。
 世にためしなく畸恠なる悚懼に身内わななきて。
 偖いまはとて 小胸の動悸しづめばやと儂彳みて言挙げす。
 「稀人この房室の扉を入らばやと さこそ呼ばうてあるならめ。
 小夜更けてこの房室の扉をまれ人の入らばやとこそなすならし。
     さこそよ いかでことのあらむ。」




其れにつけても兎に角漢字が難しひ。

だが時代の雰囲気が其処に彷彿とされて来るのであります。

西洋でもまた日本でもかように格調高き時代の精神と云ふものがかってはあった。

ちなみに英文学者でもあった加島 祥造先生が90年代に『大鴉』の現代語訳を試みられて居ますがむしろこちらでの格調高き訳の方が個人的にはずっと好きです。

さうコレはコレで言葉の構築の上での一種の完全性を目指したものであったのやもしれぬ。



そんな訳で昔の人は洋の東西を問わず完全主義でもって美の何たるかと云ふことを良く知って居りました。

言ふまでもなく美は其れも真の美は藝術による表現から生まれ得やう。

故にルドンの絵画もむしろ此の位の大仰な地点からこそ本来ならば眺められて居なければならぬ画家だ。



「その作品は当初は本国よりもむしろヨーロッパで評価され、特にボードレールによるポーの翻訳はフランス象徴派の文学観形成に大きく寄与した。」エドガー・アラン・ポーより

ちなみにポオやボオドレエルのことはかの芥川 龍之介の作品中にも屡語られて居ります。

ポオやボオドレエルもまた病的と言へば病的な感度の高さの中にあるのだが其れもまた彼等の活躍した世紀末と云ふ時代の一つの風潮を示す鏡でもまたあったことでせう。

故に藝術もまた社会と連動し即ち時代と相剋し且つ又相即するものでもまたある訳だ。


確かに今からすればまさに大時代的なアナクロニズムとしての頽廃の様なのですが、個人的にはむしろ其の種の世界を好む故ルドンもポオもボオドレエルも全てひっくるめて此の古き良き世紀末藝術の範疇に放り込んであります。

其処からしても確かにルドンの絵画に於ける時代の感性と云ふ視点は大きく意味を持たされて居たことだらう。

即ちルドンの抱きし幻想とは其の内面の分離の振幅の激しさであると共に時代自体と相剋し且つ又相即するものでもまたあった。

しかしながらあくまで本質としてルドンの完全性は彼の内面の葛藤より齎されしものであった。

さうして其の完全性とは何より幅である訳です。


分離としての其の振幅の幅広さのことです。



「《ブルターニュの風景》 ポーラ美術館 右:オディロン・ルドン 《風景》 岐阜県美術館」


面白ひことに此処にはモネの絵画とルドンの絵画を比較した部分が出て来る。

尚個人的にはモネの絵画とルドンの絵画は全く違ふものだと思ひます。

モネの描く線や面にはルドンに見られるが如き完全性が見受けられぬ。

と云ふことは心のあり方がそも其処で異なる訳です。

左様にルドンの場合はある意味で厳し過ぎる線描をなし面を構成して居やう。

つまりは心の余裕など元より無ひ。

元より無ひのですが、変化はします。


どう変化するかと云ふに、結婚したことを機に一挙に色彩の画家となるのです。

要するに二元分離としてのもう一方の極へと向かひます。
ー補色がメインに使われて居るが何故か其れが溶け合ひ極めて上品な絵となって居るー

だがモネの場合にはどうも其処までの劇的な心理としての転換は無かったやうだ。


ゴッホの場合は確かにイって仕舞って居るが彼の心理は生の救ひ難き苦悩の方へとシフトされて居りルドンのやうに結婚するー俗化するーことなどとても出来なかった。

故にイって仕舞ひながらー分裂ー其のままにイって仕舞ったー自決ー。

其れにしてもこんなルドンのやうに並外れた内向性が嫁を迎へ入れたなんてのはほとんど奇跡に近ひことだ。

また良くもルドンは女を迎へ入れたものだ。



ルドンの最初の子はすぐに死にますが次男は生き延びました。

かように何処かしら腺病質な子ですが矢張りと云ふべきか其の後従軍中に行方不明となります。

齢七十を過ぎたルドンは老体にムチ打ち其の消息を尋ね歩きますがまさに其のことが体に負担をかけ結局風邪をこじらせ亡くなります。


故にルドンの後半生とはまさに其の表現者としての俗化過程だったのであります。

だが其の俗化をして誰も嗤ふことなど出来ぬ。

ルドンの心は元々完璧に近く分離されて居りました。


故に彼の描く全てに余裕ー遊びーなど見当たらぬ。

されど其の完璧なる闇の諧調の中にただひとつの灯が点ったのだ。

其の灯とは家族愛、まあ俗でもってして一種臭ひ言葉ではありませうがそんなこれまでとは逆方向での価値なのでした。


究極としての孤独や闇の世界はかように人並みの世界とも実は通じて居ります。

ただし究極としての孤独や闇の世界がかのゴッホでのやうに破滅に繋がらぬとも限らん。


ルドンの心に点りし灯は即様々な色彩の調和と化し彼の作品を彩るやうになる。

故に其の色彩こそが命の光です。

さう其れが命の輝きとしての光であり色彩だ。


命はただ其処にあれば輝くと云ふものではなく命の闇の側面をもうイヤと云ふ程に見詰めてこそ輝かう。

ただし其処で完璧さは崩されませう。

完全なる心の内向は徐々に崩されていかう。


其れでも其れを指向せざるを得ぬ程に彼ルドンの内面は完全に分かたれて居たのだった。

「《アポロンの戦車》1906-1907年頃 岐阜県美術館」「《アポロンの二輪馬車》1907年 ポーラ美術館」


尚神話を題材とする作品はルドンの絵画としては白眉のものです。

他に誰もかうした雰囲気を醸し出すことは出来なかったと云ふ意味での傑作の数々です。

「《ダンテとベアトリーチェ》1914年頃 上原美術館

矢張りと言ふべきかかのダンテもまた出て参ります。


ところでルドンとモローの絵画の差は一体何処にあるのでせうか?
まあ理屈を捏ねれば幾らでも批評することは出来ませうが其処をあへて一言で言へばルドンの絵の方が優しひと云ふかより穏やかです。

より東洋的なのだと言って良ひのやもしれぬ。


モローの幻想には西洋流の二元分離の血が脈々と流れて居りますが彼ルドンの場合には単なる二元分離ではなく相即する部分が感じ取れるからこそ何かしら優しひのではないか。

特にルドンの描く自然は人間の内面とも相即するものであるやうに感ぜられる。


「《青い花瓶の花々》1904年頃 岐阜県美術館 」


かようにルドンには花々を描ひた作品が多くあります。
さうして其処での色の要素はほとんど完全に調和して居ります。

ただし人によっては「つまらない絵」だとする見方もまたあります。
確かに「つまらない絵」に近づいて居ることだらう花を描ひた作品もまたある。

ですが、此の絵の場合は精神性が感じられる良ひ作品です。

ルドンの花の絵がズラリと並んだのを以前に岐阜県美術館で観たことがありましたが実は其の色の洪水に酔ふ程のものでもなかった。

ルドンの花の絵も其の根の方は静かなものですのでたとへ沢山集まっても決してウルサくはならない訳です。

左様にルドンの描く花は自然其のものなので其れがお花畑となったにせよ嫌味が生ずることは無ひ。



「《オリヴィエ・サンセールの屏風》1903年 岐阜県美術館」
 

モネを始めとして当時仏蘭西の画家には日本趣味が昂じて居ましたので此のやうな屏風画をもルドンは描いて居り此れなども実物は大層美しひものです。

が、あへて色調を抑へ描かれて居るやうで其処は流石と云ふべきだ。


「《瞳をとじて》1900年以降 岐阜県美術館」


瞳をとじて》はルドンの代表作です。
 

何故目を閉じて居るのかと言へば元々ルドンが内向した人間でむしろ目を閉じた側をそれまでずっと見詰めて来たからでせう。

目に見へるものと見へぬもの、其の対義的ー両義的ーな価値が相剋且つ相即する中で彼はあへて目に見へぬものの価値を幻想として表していく。

また其れは近代の奉ずる価値とは逆向きでの価値です。

ただし世紀末の藝術家達は概ね其の価値に寄り掛かり其の独自の観念性ー幻想ーを追求していったのだと申せませう。

ポオ然りボオドレエルにせよまた然り。


なのでしたが、20世紀に入ると其の世紀末としての時代の精神は死に絶へて仕舞ふ。

科学技術文明がまた大衆化された社会が其の大事な価値である両義性を悉く葬り去っていく。

科学技術至上主義や近代主義の全的な展開が幻想としての両義性を悉く葬り去っていく。


故に現代自体が実は美しくは無ひ。

全てが薄っぺらで要するに底が浅ひ。

藝術もまた其の流れを食ひ止めることなど出来なかった。


本来両義的であるべき筈の精神としての根の方が幅広く張って居るか否か。

其れが問題だ、まさに根本の問題なのだ。

其の両義性をこそ時代の精神と共に彼ルドンはしかと見詰めて居た訳です。