目覚めよ!

文明批判と心の探求と

夏休みの石の祭典ー壱ー


さて石マニアの祭典である鉱物ショーに行って参りました。

ちなみにわたくしは精神的にはあくまで詩人と云う事にして居りますが物質的にはむしろ俗物ですのでコレクター即ちマニアとしての側面を強く持って居りとりあえずはそちらの方面でも色々と活躍して来て居ります。

が、最終的にはマニアであることなど下賤な営みであるとさう精神が決定を下して居ります。


なのでいつまでこんなことをやって居るのだか知れません。

究極的には精神のみで生きたひのですが精神のみで生きると殉教もしくは絶望死することが避けられず其れでは予定にはちと早いので逆に俗化することを旨とし此の二十年ばかりを過ごして参りました。


尤も精神的には三十台の半ば位ですでに完成されて居たので其の後は逆に下品に徹し生きて来たのだと申せませう。

むしろ当時の方が精神的なレヴェルは高く其の後は謂わば遊んで生きて来ただけのことです。


まあ其処で遊ぶのが楽しいと云う事だけは分かりました。

ただし真面目人間ゆえ酒と女とギャンブルに限り縁が御座いません。


わたくしのメインの趣味はゴルフと筆記具ー万年筆ーの収集ですね。

筆記具の趣味の方はおそらく皆さんには分からないことでせう。


しかも両方とも金のかかる趣味です。

ところがコレだけではなく宝石鉱物収集の趣味がいまひとつ控えて居ります。

だから趣味が皆金のかかる趣味です。



ですので常に金はありません。

だだい人間はどうせ死ぬのですから必要以上に金を貯め込んで居たって意味がありません。

とは言え計画性を持って老後の為に貯蓄すると云う価値を否定はしません。


だがまあ楽しくやった方が良いんじゃないでせうか。

其れが精神的に地獄をも見詰めて来た詩人としての結論です。


ですが其処では常に緻密に趣味を履行して来て居ります。

此の時期に此の類のペンを買えだの此の石を買え、或いは猛練習してスウィングを完成させろだの必ず何処からか指示がありますので其れに従いやって来たばかりだ。


収集家もある意味では腹を括った上でやらないとそも出来ないことです。

家庭を持って社会に迎合してなんてやって居るとそも出来なひので逆に遊びまくって社会を貶しつつやって来たことである。



さて今年の鉱物ショーではまさに色々とありました。

もうあり過ぎて大変であり何より疲れた。

詩人は体が弱い、のではなく体は強く心が繊細過ぎて弱いので何かがあるとすぐに疲れ切って仕舞ふ。


第一考えて居ることが皆様とは次元の異なることなので一日普通にして居るだけですでに疲労の度が甚だしい。

其れに加えて現実上の何かが加わるともはや寝込んで仕舞ふ。


のでもないが兎に角疲れて仕舞ふ。



そんな風に疲れては居るが是非石は見に行きたひ。

土曜日…十時半より十五時半まで

日曜日…十二時より十四時まで


と此の度二日連続で行って参りました。


1.土曜日の方が混んで居た。ゴルフの練習場でもさうだが昔と異なり朝早くに何でもが混むやうになった。おそらくは気温の上昇が影響して居ることだらう。
2.所謂鉱物女子と云われる若い女共が大挙してこんな朝早うから押し寄せて来るのに驚いた。しかも県外からも大勢来て居るらしい。女のマニア化は女性の男性化の一種と考えて良いことだらう。
3.日曜日には普段は絶対にお目にかかれない一級品の鉱物標本を多く見ることが出来た。
4.最終的に標本を4点購入。計一万円程で今回は浪費をして居ない。



昨年は五万程も使ったので今回は出費を抑えて置いた。

ただどんなに頑張っても十万円が限界である。

ところが、良品は、即ちこれぞと言えるやうな標本は普通一点十万前後はするのである。

だからまさに本気でやるなら予算が百万でもってようやく一級品の鉱物標本を六、七点入手することが出来ると云うところだ。

それも二十万クラスの標本であるなら五点あるかないかである。


さて皆様はたかが石ごときに一日で百万をつぎ込む馬鹿のことを認められるだらうか。

無論百万あれば息子や娘の大學の費用に充てることも出来やう。

だがわたくしには息子や娘は居ない。

要らないのである。

其れは合理主義と云うよりも生自体が罪深いものだから元々要らないのである。



かと言って流石のわたくしも石に百万をつぎ込むことは出来なひ。

予算は其の百分の一である。

其れでも一万は大きひだらう。

女房、子供が居る人にとっては結構其れは大きい。


ちなみにかっては屡一度に十万程石につぎ込んだことがあった。



このやうに物質的世界での趣味は兎に角金がかかる。

金を使う程良いものが手に入り満足出来やう。

其れも百億もって居らずとも一億程あれば死ぬまで贅沢に良い物に囲まれて生きていける。


だから皆まずは一億を欲しがるのだ。

だが金ばかりでもない。

実は予算一万円でも充分に楽しめるのだ。

いやたとへ千円でも楽しめるのだ。



第一飲む訳でもなく打つ訳でもなく買う訳でもない。

鉱物の趣味は石の色や形を愉しむ品の良い趣味である。

元々は西洋の貴族階級が好んで行って居た趣味の分野だ。


其れが大衆化されたのが現在の鉱物ショーなのだ。

即ち現代では大衆レヴェルに於いても貴族的な趣味が成り立つやうになった。


ちなみにわたくしの行う三つの趣味は全てが其の貴族的なものだ。

即ちゴルフとペンと宝石である。


ただし磨いた宝石にはほとんど興味がない。

磨いたもの=人為的な加工が施されたものでありさうしたものはたとへ一億円して居るにせよわたくしにとってはタダのクズ石である。


わたくしは至極自然的な感覚の持ち主なので自然そのものの営為を愛で常に其処から様々なインスピレーションを得たひのである。

おそらくさういう部分はなかなか分かって頂けないことかとは思うのだがさてどうだらうか。

然し近年に至り庶民=大衆の感覚にも変化が生じて来て居るやうだ。

即ち自然に興味がある人々が増えて居るやうにも思ふ。



其れは良いのだが、兎に角ウルサい。

鉱物展の会場へ入るともうまるで若い女だらけだ。

いや、若い兄ちゃんや中年のオッサンやオバサン、はたまた爺、婆も居り兎に角人の数が多いので鬱陶しい限りだ。


其れでもってまず石が見られない。

石の周りに人垣が出来て居て遠くからしか見られぬので結構な時間を待って居なければならぬ。

其れが兎に角面倒臭い。

何でこんなマニアックな趣味の処へ人が大挙して押し寄せるやうになったのか?



1.自然志向の高まり
2.鉱物女子の増加
3.キラキラモノへの本能的嗜好の高まり


其処では結局本能的に惹きつけられて居る可能性が高い。

それで其の若い姉ちゃん達は、ケースの中に飾ってある高い標本を買うのではなく其の前の箱の中に無造作に投げ込まれて居る千円とか二千円のクズ石を買っていくのである。

ただし其れが悪いと言って居るのではない。

確かに鉱物にもピンからキリまであるが自然は其れを差別して行って居る訳ではない。

其のピンキリの価値観は人間が勝手に決めて居るもので自然にとっては或は物理的にはまるで同じ石であるに過ぎない。

が、人間の眼にはあくまでピンキリとして映って仕舞ふ。



要するに姉ちゃん達は石に関してはほぼ素人なのだがアクセサリーとしてのキラキラモノに興味があるばかりなのだ。

対して真の意味での鉱物の愛好家、年季の入った石のコレクターや石に関しての専門的知識を持つ層は逆にむしろ減って居るのではないか。

かく言うわたくしの鉱物趣味にしてからもが特に専門的ではなくまた本腰を入れてやって来た訳でもない。


ただしわたくしは共感覚者で色に対する感度だけは常に人よりも敏感である。

だからなのか石の花、或いは石の華としての宝石鉱物の世界にもう長く捉えられて来て居るのだ。

勿論花の方も好きだが花の命は決まって短くすぐに萎れて仕舞う。

また美人は何処でも確かに居るが皆決まっていずれは婆さん化していくものだ。


其処からすると石は其の老死を超越して居りゆえに腐らないし感情さえなく決まっていつも同じ姿をして御座る。

むしろさういう部分にこそ癒されるのである。

確かに冷たいと言えば冷たいのだけれど、いざ其の冷たいのに慣れると全然気にならなくなりむしろ其の色や形の持つ饒舌さに吸い込まれていく。


石は地球の内臓でありかつ子そのものでもあり、其の子たちがキラキラと輝く様は其処でまさに地球の内部との対話を、地球と云う自然が生み出したものそのものとの出遭いの瞬間を象徴するものだ。

ただし、もう長く石の趣味をして居るとごくたまに何も喋らぬ石に対して素っ気なさのやうなものを感じない訳でもない。

だが先にも述べたやうに石は死なないし老いることもない。

また植物のやうに水をやらねば枯死する訳でもない。

また犬や猫のやうに何かと世話がかかる訳でもない。



左様に石は合理的産物である。

化学式でもって全部が規定されて御座る感じだ。

なのに多様でしかも美しいのは詩的ですらある。

また感情移入することさえもが可能だ。


どだい結婚指輪と言うものは元々さういうものだ。

だから極めて合理的にも、そして其の逆方向へも振れるものが石なのである。

おそらくはあくまで自然による産物なので其の事が可能なのだらう。

かように冷たくも華やかでしかも癒される石の世界は此の世に於けるひとつの美の楽園だらう。