わたくしの場合は、数字に色を感じ易い。文字や音に色が見える【共感覚の世界】
其れも数字に色が付いて見えるのではなく、あくまで色が感じられるのである。
たとへば、
1=白、2=赤、3=黄、4=黒、5=青其れも薄い青
と云うように感ぜられる。
さらに6=黄土色または茶で、7=深い青、8=緑で、9は紫だ。
ところが10以上になるともはや色が感じられない。
試しに漢数字の方でいってみると、
一=白、二=赤、三=黄、四=黒、五=青其れも薄い青、六=黄土色、七=深い青、八=緑、九=紫となり矢張り同じ結果が出た。
ところがこちらの方も十以上になるともう色が感じられない。
おそらくわたくしの共感覚は弱いものなのかもしれない。
ところが結果はあくまで強い共感覚の保持者とのことであった。
とのことだった。
それで実験にご協力頂く為にメルアドを教えて下さいなどとも出て来たがそんなのは無論面倒臭い。
然し共感覚は圧倒的に女性に多いことを此処で知った。
嗚呼、嫌だなあ、矢張り我はどこか女性的なんだろうな。
実は物凄く細やかで優しいところがあるので、小さい子や爺さん、婆さんには受けが良いと云うか好かれることが多い。
逆に同世代の男性や女性、特に女性からは攻撃をくらうことが多い。
還暦前でもまるで可愛い少年のやうにも見えるのでバカにされ易いのではなかろうか。
だが女共よ、其れはそうではない。
年寄りなのにワシの顔には皺がなくほっぺがプリプリなのは、まさに両性具有であるわたくしの証、わたくしの本質が両刀でいけると云うことを指し示して居る。
何せわたくしは特別なので普通の人々とは違う、まるで違うのだ。
なんとなればわたくしには男の心と共に女の心が分かる。
あくまで文化的な意味での其れが見通せる。
ただし我には子宮がないゆえ女の気持ちのほんたうのところは良く分からない。
ほんたうのところで女を見通せる訳ではない。
然しあくまでだいたいのところは分かる。
なのでわたくしの心には男の面と女の面が多分半々になり入り混じって居る。
其れが気持ち悪い。
のではなくして、天与のものだと言って居るのだ。
其れから、論理的に考えられる割には直観が働く。
文學や論文が好きなのに、他方ではもうまるで絵画や音楽などが大好きだ。
まさに論理と感覚、感性がどちらもいけるクチである。
そもそも右脳と左脳が分かれて居ないのではないかと思われる程に反対のものをそれぞれに理解する能力がある。
其処がわたくしの隠れた才能なのかなと思わない訳でもない。
そうは云っても、確かに今は女性蔑視とも受け取られそうな発言を繰り返して居るが其れは思想の方から来て居ることでほんたうに女の全てが嫌いな訳では無い。
第一わたくしの半分位は女性的なものなので其れを否定した途端にわたくしは自分の約半分を否定しなければならないのだから。
だから所謂メス的な生の諸に対する細やかさが元々好きであるし平和主義なのも実感的にそう望んでやまぬことだ。
そして兎に角文化人だ。
従って京都や奈良のお寺巡りやお買い物、はたまた美術館巡りや美味しいものに対しての興味が大きくある。
そういうところへ行くと大抵は女だらけなのだが別にわたくし自身には違和感はない。
何故ならわたくしの半分が女だからなのだ、女。
ただしあくまで精神的な意味合いで。
ーわたくしが女の馬鹿さ加減をこうまで批判するのはひょっとしてわたくし自身のメス的な馬鹿さ加減のことをトコトン批判してやりたいからなのかもしれない。ー
が、同時に其のメス的な生活至上主義を否定したとへばゴルフ道に邁進しスパルタ猛特訓を我が身に課すやうなオトコ気なところがある。
またはかの武藏のやうに武士道に生き或はかの三島先生のやうに自らの信念を貫き自決したいとさえをも思う。
このやうに正反対のものがぶつかり合いながらも何故かスンナリと纏まって仕舞って居る部分こそがわたくしの心理上の特殊性なのやもしれぬ。
そして左翼のことも分かるのだし右翼のことも分からぬでもない。
一体何でこうなったのか分らぬのだが、このやうに兎に角反対の要素が次第にわたくしの中に蓄積されしかも其処で反目し合うことなく融合して居るのである。
と云う事は矢張り天才か?
ズバリ天才なのか?
うんにゃ、違うだよ。
おみゃーはただ変わっとるだけだ。
おみゃーは兎に角変人だまたは変態だ。
タダの変態なので普通とは違って見えるだけのことだ。
しっかし何せS判定だぞよ、S判定。
タダの変態だなんてそんな人をバカにするな、バカに。
ははは、こうして怒り易い癖に大人しくて妙に静かなところがあるのも矢張り変わったところですね。
優しいのに時に激しく怒り、文化人なのに実は居合でもやりたく思って居て、おまけに基本女々しいのに妙に威張ってみたりで。
もう何やってるのだかまるで分かりませんことよ。
まあ兎に角我は変わって居るな。
自分で自分がそう見えるので人から見たらおそらく其れ以上に変わって見えるのでしょうな。
ちなみに共感覚とは、実際は私たちが誰でも持っている正常な脳機能なのだが、その働きが意識に上る人が一握りしか居ないのだそうな。
- 共感覚の発生原因
- 論1
共感覚は、実際は私たちが誰でも持っている正常な脳機能なのだが、その働きが意識に上る人が一握りしかいない。共感覚者は共感覚のとき、通常は意識に上らないプロセスが意識に剥き出しになるので、自分に共感覚があることを知るのだが、通常の人はそれを知らないだけである。 - 論2
新生児の脳は生後3ヶ月ほどまで皆、共感覚を有している。それは新生児の脳の五感は未分化であるためと考えられる。しかし、経年と共に次第に分化が進み、各感覚野をつなぐ経路は遮断され、共感覚を失う。しかし、共感覚者においては分化され遮断されるはずの経路が保持されることによって、共感覚を知覚し続けることになる。 - 論3
幻肢の理論である交差配線(クロス配線)を共感覚に応用したものである。交差配線とは、脳の隣接する部位間において混線が生じて起こる現象である。つまり、色と数字を処理する部位が隣接しているとき、その二つの間で混線が起こることで共感覚が生じるとしたものである。そして、それを発展させた交差活性化は、隣接していない離れた領域間でも起こりえるので、交差配線では起こりえない共感覚をも説明できるとしたものである。
即ち未分化と云うか未発達な五感の持ち主が共感覚者だと云う事になりそうだ。
或いは此処にもあるやうに認識上の混線が其の原因となって知るのかもしれない。
いずれにせよ共感覚者は矢張り一般的な世界のものではなく特殊な世界を垣間見つつ生きて居るのだろう。
ただしわたくしの共感覚に限れば其れはそう変なものではなくただ数字や文字を眺めて居ると其の色合いがハッキリと見えて来ると云う程のものに過ぎない。
ところで未分化、未発達=赤子のことだ。
たとえ還暦前でも其の赤子なのだ。
矢張り詩人は其の位でないと務まらないのではないかとほんたうにそう思う。