目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

「マーレン マティス限定万年筆」の再生と「露草の群落」の美とー「美」とは主に認識のあり方が紡ぎ出すものであるー

 

 

「マーレン マティス限定万年筆」の再生と「露草の群落」の美とー「美」とは主に認識のあり方が紡ぎ出すものであるー

 

 

 

 

アラン・ドロンと「平和な」スイスとの複雑な関係 - SWI swissinf

 

誰しもまあ「金と名声」さえあればさう「平和」で「豊か」な國でもって生涯を送りたくも思うことでせう。

ソノ瑞西がイイのかどうかは分からんがでも最終的にはソノ瑞西もまた温暖化はするのである。

 

左様に地球温暖化により現代文明はやがて滅ぶことはすでに分かって居るので後は如何に自己を律しつつソノ文明からなるべく遠ざかるかと云うことのみだらう。

ソノ文明からなるべく遠ざかるとは言っても我我大衆はすでに文明のドレイだから實質的には逃げられるトコなどはドコにも有りはせん。

 

まあ壱つには「宗教的」に逃げる手などが有るのだらう。

又は「藝術的」に逃げる手などもまたあるのやもしれん。

 

ワタシはと言えば謂わば「両極ニンゲン」であり不徹底なので「宗教的」に且つ「藝術的」に逃げ回る人生のことであるやうにどうも思われる。

ですがある意味では文明による「洗脳」からはすでに脱して居るので何でも自分の頭や感覚を使い「今」を生きるダケのこととなる。

 

 

さて使い始めた「マーレン マティス限定万年筆」をまずは使えるやうに致しました。

 

1.ED化ーeye dropper化ーした

2.ED化することによりスラスラ書けるー絶不調→絶好調ー

3.結果むしろソノ「書き心地」にハマる

 

とのことでまさに「ウソ」みたいな結末となりました。

では絶不調の最大の問題点は果たしてドコに有ったのか?

 

ソレはズバリ金ペン先とペン芯とのセッティングの惡さによりちゃんとインクが出なかったことだ。

故にソレをキングダムノートに売ることが出來なんだ訳です。

 

ではさうした場合に🖊の愛好家はどうするのか?

ソレは普通「調整」をすることになる。

 

但し厳密に言えば「調整」することで「書き心地」もまた變化せざるを得ぬ。

ワタシは飛び切りに敏感な万年筆の使い手なのでなるべくさう云うのをむしろ避けたい。

 

4.ED化に最も向いたエボナイト

5.尻軸部が尾部と壱體型でインクが漏れる虞が無い

6.あえて「調整」をせずにインクの流量を増すことにより不具合を直す

 

尚ワタシは80~90年代のプラチナ万年筆などでも屡コノ手を使う。

要するにカートリッジ式から直接軸へインクを入れるeye dropper式へと變更するのである。

 

ソレもイザeye dropper式とすると、

 

7.インクの流れが劇的に改善される

8.故に書き易くなる

9.使えない🖋が生き返る

 

こととなる場合が多い。

但しED化することが不可能な🖋も有り例えば木製軸の🖋は須らく無理となる。

 

實際にワタシはコノ方法にて何本もの使えない🖋を再生させて來て居る。

だけれども、

 

10.世間的にED化は邪道扱い

11.壱度ED化した🖋はもはや売れぬ

12.みんなー筆記大衆ーが怖がる

 

だからワタシが壱番分からんのがソノ12.の案件となる。

みんなは何でソレが怖いのか?

 

まずはソノことが永遠に分からない。

また10.の案件もまたワタシに取りほぼ理解不能となる。

 

邪道ってアンタ市民革命や社會主義革命はそも邪道なんだ。

でもちゃんと市民革命や社會主義革命を経て近代國家をやってる國が世界には澤山有る。

 

だから万世壱系の皇統なんてむしろ世界的に観れば物凄く變わった體制なのだ。

なのでソコに余りコダワってはイカンのです。

 

オレ様は🗾人だしまさか奴のやうに調子の惡い🖋をまさかED化したりはせぬ。

オレ様は🗾人だしまさか奴のやうに常識から外れては居らずしかと天皇制やジミントー政治を信じてる。

 

御前のやうなバカが居るからこそコノ🗾國がこんなサイテーの國になっちまったんだ。

なので別に市民革命や社會主義革命は邪道には非ず。

 

だがED化は怖い。

さう死ぬまで怖がってろ!

 

では早速ED化を果たした「マーレン マティス限定万年筆」でもって書いてみやう。

 

US $1,500.00 Marlen Henri Matisse Limited Edition Fountain Pen

 

13.インクの流れが良く書き易い

14.「書き心地」が独特に軟らかくつまりはクセになる味わいが有る

15.特に軸内のインクが半減するとインクがドバドバとなる

 

そんな訳で死んで居た「マーレン マティス限定万年筆」をコノ度甦らせることに成功せり。

逆にコノ🖋が無いと生きて行かれぬやうな感じともなりつつある。

 

何でもさうであるが要は「考え方」壱つでもって「事象」は好転することがある。

しかもあれこれと弄ることも無く「事象」を好転させることは可能である。

 

特にモノの世界に於いてソレが可能となる。

但し🗾社會が直るとはなかなか考えにくい。

 

 

先程も経営科学出版のお知らせメールの方で「戦後🗾人はマス・メディアによる操作により米國贔屓となるやうに洗脳されて居た」とのアノ藤井教授の考えの方を講座でやるから受講しなさいとの動画などを視て居りましたがまあソノことはむしろ「ほんたう」のことでせう。

 

さう戦後🗾の民は☻と笑いつつ先進文明國である米國の価値観を押し付けられて來た。

ソレをやったのがまさにCIAでありソノCIAのエージェントだった正力 松太郎である。

 

また戦後🗾の民は☻と笑いつつアノ1970年のオオサカ万博を観に行ったが當の岡本 太郎氏は「人類の進歩と調和」などと云うスローガンはどう考えても變でむしろ「人類の進歩と破壊」との観点からアノ「太陽の塔」を造りソレを🗾の大衆に観せたのです。

 

ですが誰もソノ「太陽の塔」に込められた「思想」を到底理解出來ぬ。

 

16.邪道は嫌い

17.売れるかどうか

18.怖く無いのがイイ

 

だから普通大衆はさう意思決定するもんだ。

なのでボク以外に「マーレン マティス限定万年筆」をED化するニンゲンが此の世には居ない。ーおそらくはそんな世界で独りダケの試みー

 

イザED化されし「マーレン マティス限定万年筆」がこんなに寶となって居るのにみんなはソレも知らずタダ「邪道」だの「革命」だのが怖いダケなのだ。

いや確かにワタシのやることは壱種怖い。

 

だがソレはまさに怖い程に藝術的でありさらに美をしゃぶりつくす程の徹底であるとのことよ。

だが普通大衆はソノ「徹底」こそがやれぬ。

 

だからこそ「徹底」する岡本 太郎氏や筆記詩人のことがおおまさに理解されぬのだ。

なのでみんなで☻としつつそんな「亡國への道」を歩んで行かざるを得ない。

 

そんな訳で以上では🖋の話と🗾の戦後史の部分とを絡めつつ書いてみました積もりです。

 

 

さてですが本日話したいのは「マーレン マティス限定万年筆」の再生のことでは無く単に「露草の群落」程美しい光景は他に此の世に無いとのことである。

昨日スギ薬局へ行く折にそんな「露草の群落」を観たがソレが最高に美しかった。

 

家の近辺では畑や空き地などにソノ「露草の群落」が生じることが多い。

 

ツユクサ (yurinoki.main.jp)

 

ツユクサ(露草)の図鑑 | いきもの全力図鑑 (fullpower-encyclopedia.net)

蒼写真 (slib.net)

 

丁度こんな画像を混ぜて割ったやうな感じでもって「露草の群落」が生じて居たものだった。

ところが今日も観に行くと曇りの日なのでソノ靑い🌸は壱様に萎んで居る。

 

全くに器用な🌸だ。

尚個人的に還暦以降は主に「靑い🌸」が好みとなりつつある。

 

特に緑色の叢の中に靑いものが点点として居るとソノ様がまさに藝術的に美しい。

今ワタシは「藝術」とはそんな色の對比であり且つ饗宴のことだとさう考えるに至った。

 

または音の對比であり且つ饗宴のことだ。

さうワタシは文學者の割りに所謂「感度」の方が利くのである。

 

そんな「感度」の方が利くのは専ら小説の類では無く詩なのだよ。

 

19.「露草の群落」などつまらん

20.なんだ思想だ革命だと言いつつそんな「露草の群落」のことか

21.「露草の群落」など壱文にもならん

 

さう云う君等の頭の中身こそがつまらんわ。

だからナゼ君等はソコに有るものをソノ侭に美だとさう感じられぬのか?

 

ソコにさう有るものがソノ侭に美であると云うにナゼ君等はすぐに価値観を社會化しつまりは文明の尺度に合わせた上でコノ現象界を観やうとするのであらう。

そんなもんは☻としつつみんなで歩む認識世界での「洗脳」のことだらう。

 

なのでそんなもんでは無くタダ美しいものはソコに有り美しい。

 

 

でも中國人や露西亜人が相變わらず「お騒がせ」をして居るやうですが。

はい、確かに中國人や露西亜人はソノ行動が不穏でありつまりはマズくてそのうちに第参次世界大戦にでもなりさうな雲行きです。

 

ならば何でアンタはそんな中國からあえて物を買うの?

また何でアノトルストイの思想を継続的に調べ上げたりもして居るの?

 

いやもう止めました、其れ等のことを。

ワタシはむしろ「マティスの藝術」と共に生きて行くのです。

 

また現代史では無く現代詩の方をこそ読み返すのだ。

現代詩で御好きなのは例えばダレの詩ですか?

 

いえ好きなものは無く影響を受けたのが強いて言えば矢張りと言うべきか加島 祥造先生の思想詩の方だ。

いずれにせよ詩の世界に「イデオロギー」は無い筈なのに加島 祥造先生の「求めない」詩の数数は多分に「イデオロギー」的です。

 

とりあえずはさう「藝術」や「宗教」の場にて語る方が現代社會での様様に振り回されて生きるよりはずっと「まとも」で居られるのではないかしら。