目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

「マーレン マティス」と「ロザリオ礼拝堂」と「イカロス失墜」とー色彩の魔術としてのマティスの藝術ー

 

 

「マーレン マティス」と「ロザリオ礼拝堂」と「イカロス失墜」とー色彩の魔術としてのマティスの藝術ー

 

 

 

 

さて本日は☔降りだ。

ソレは台風の影響でさうなる。

 

ワタシはそんな「何もやれぬ」日が他方では好きだ。

だが他方では「☀が大好き」なニンゲンでもある。

 

兎に角さう物理的に限定される限りは兎に角「何もやれぬ」訳なので壱種沈潜した精神世界のうちに日を過ごす他は無し。

さう云う時は「文學」の方の成果も期待されるがワタシは別に作家では無いのでそんなものはむしろどうでも宜しい。

 

だが現在養老 孟司先生と安部 公房氏との関係性をトコトン追求中なのだ。

どう考えても養老先生の文明論は安部氏の文明論の延長線上に有りまあ何せそんなほとんどノーベル文學賞級での人文學としての御仕事の引継ぎのことなのだからソレは矢張りしかと見据えて置くべきものなのではなからうか。

 

だがソレもまた別にどうでも宜しい。

昨今はかうして「生きる上でのギラギラ」に對する「弱さ」=パワー不足のやうなものが露呈するに至りつまりは若い頃のあんな「誤魔化し」が効かずにスッカリアノ宮澤 賢治や中原 中也の晩年の生き様の如くに「詩」に對し壱種「ピュアー」にもなって居りソレが肉體的に危ないと言えば危ない。

 

だからそんな気分でもって雨音を聴きつつたった今かう作文して居るのです。

 

尚昨日は「カインズ」及び「ダイソー」へ行きイイ硝子瓶を得て來たのだった。

要するにソレは「我が筆モノ筆記具」がしかと収まる背の高い蓋付きの硝子瓶だ。

 

ソレに「我が筆モノ筆記具」を入れつつ同時に筆モノ筆記具には何が有るのかを調べて居た。

 

1.細身の「Wahl pen」(1920年代製 )

2.緑軸のdip pen(1950~60年代製)

3.印度Rangaのdip pen(現代物)

 

等の不可思議な🖊が次次と発見される。

さう實はワタシの机上の周りソノモノが文房具屋になって居りおおまさにソコからまたどんなモノでも出て來る。

 

4.マーレン マティス(現代の限定万年筆)

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コレなどもまた整理箱から出て來た。

ナゼこんな貴重な品が箱から出て來るかと云うに「キングダムノート」に売らうとして結果文句を付けられ売れなんだのでソコに捨て置いてあったのだった。

 

だがコレは知る人ぞ知る「名作限定万年筆」となる。

だから上のところでも売れているだらう。

 

でもコレを知って居る現代のニンゲンは極めて少ないぞ。

多分ココ🗾人ではワタシを含め拾人位のものか。

 

では「マーレン マティス」を本日初めて使ってみやう。

 

ちなみにコノ🖋は弐千年頃に千葉の巨大ショッピングモール内の🖋専門店から取り寄せた貴重な品となる。

確か七萬円程もする高価な万年筆だったのだ。

 

いやでも万年筆の良し惡しは「値段」などでは無い。

即ちイイ🖊は例え千円であれイイものだ。

 

ではペン先をインク瓶に浸さう。

では書くぞ。

 

うーん、流石にイイ書き味だな。

ですが現代の万年筆の書き心地は基本的に何でも同じだな。

 

いやでもコノ🖊は特に軸がイイぞ。

でもナゼだ?

 

おおコノ🖋はエボナイト製だった。

ソレも黑と朱のエボナイトを使った史上初の🖋なのだ。

 

ううーん、参った、コレは渋い。

もうコレ以上の現代の🖋はドコにも無い。

 

ソレにコノデザインが…。

コノ🖋を観て居るダケでアノアンリ・マティスの繪画が髣髴とされて來るではないか。

 

そんなマティスだぞ、マティス

 

正直申せばワタシはマティスの繪画が大好きだった。

アンリ・マティスとは?「色彩の魔術師」と呼ばれた画家の生涯と代表作品について分かりやすく解説! | thisismedia (thisisgallery.com)

 

ー晩年、南仏ヴァンスドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂の内装デザイン、上祭服のデザインを担当。この礼拝堂はマティス芸術の集大成とされ[4]、切り紙絵をモチーフにしたステンドグラスや、白タイルに黒の単純かつ大胆な線で描かれた聖母子像などは、20世紀キリスト教美術の代表作と目される。

また、緑好きが高じて一風変わったアトリエを作った。テーブルの上に所狭しと並べられた多様な花や、身の丈を越す巨大な観葉植物など、植物園のようであった。さらに大好きな鳥を多い時には300羽も飼っていたと云われている。草花が満ち溢れ、鳥たちが憩うアトリエから数々の傑作を生み出した。巨匠が晩年辿りついた癒しに満ちた世界。名画誕生の舞台となった緑いっぱいのアトリエであった。ーアンリ・マティス #生涯- Wikipediaより

 

マティスはさうクリスト教も大事にして居たのだしまた「緑」が好きだったとされている。

さう言えばワタシもまた「緑」が大好きなんですが。

 

ワタシはもう緑色の家の中で暮らし且つ緑色の惑星にこそ住みたい。ー左様に偏執的な迄の「グリーン」の愛好家なのだー

さうか、どうも似た者通しであり故に基本的に波長が合うのだらう。

 

アンリ・マティスが“生涯の傑作”と自ら評した「ロザリオ礼拝堂」(ヴァンス) (kateigaho.com)

マティスを旅する。生涯の最高傑作「ヴァンス・ロザリオ礼拝堂」を訪ねて (kateigaho.com)

マティスの最高傑作と名高い「ロザリオ礼拝堂」を4Kで体感。東京都美術館「マティス展」で撮り下ろし映像が公開|Tokyo Art Beat

 

マティスと言えばソノ「ロザリオ礼拝堂」の内装を手掛けたことで有名である。

個人的には「ロザリオ礼拝堂」の「聖なる」色使いのことが理屈抜きに理解され且つ好きである。

 

ボードレール「或るイカルスの嘆き」

かの娼婦らが、いやしき情夫も、
満ち足りて、朗らかなるに。
このわれや、雲追うわざに、
つかれたり。

天空の奥深く、かがやけるもの、
譬えんにものもなき、かの星々にやけただれ、
わが眼、見ずなりぬ、
太陽の思い出以外。

空しくもわれ試みき、
天空の心と果しを、さぐらんと。
火の如き、眼の光に、
今わが翼、くだけ散る。

美に、あこがるる心ゆえ、身の焼かるるよ、
やがて、わが墓たるべき、この淵に、
わが名あとうる、せめてもの
名誉さえ、与えられずて。

 

-マティス「イカロス」 - 足立区綾瀬美術館 annex (fc2.com)より

 

かって芥川 龍之介は人工の翼でもって天界ー美の世界ーを駆け巡らんとして失墜した「イカロス」のことを多分に自らの立場と重ね合わせた上で論じて居る。

芥川 龍之介もまたソノ類稀なる見識にて美の世界を駆け巡らんと欲した壱藝術至上主義者だったことであらう。

 

ところがかのボオドレエルが述べた如くに「美の世界は危ない」のでありよって美に殉ぜんと欲すれば逆に身が灼かれ翼も砕けあれよあれよと云う間に落ちて行くのである、まさにソノ地べたの方へと。

ソノボオドレエルは何よりも「美の世界」のこととまたソノ「美の世界」が得られない汚れた現實世界との間をこそ生きた詩人だったのでむしろソノことを我が身のこととしてつまりは實感として知るのである。

 

 

“色は、それ自体が世界である”

La couleur est un monde en soi.

──Henri Matisse

 

“空に、木に、花に、歓びを見つけよう”

Trouver la joie dans le ciel, dans les
arbres, dans les fleurs.
──Henri Matisse

フランス特別取材。歓びを描いた画家の人生を辿る「アンリ・マティス 希望の色と光」 (kateigaho.com)より

 

何やら彼マティスと同じやうなことをコノワタシも思うのです。

だから「色」こそが「世界」なのだ。

 

また歓びが自然界に有るではないか。

さうソレはソコに有る。

 

無いのでは無くソレが有る。

なのにみんなはそも何でソレを見ないのか?

 

ワタシの疑問はまさにソコにこそ有りだから藝術が難解なのでは無くむしろみんなの感じ方や考えの方こそが難解なんだ。

うーん、さうは言えイザ社會生活を営むとなれば君のやうな螽斯の生き方では生きては行かれないものなのだ。

 

だからさうしてすぐにそんな螽斯を卑しめ🐜を褒めるそんなアナタ方の感覚の方こそが大問題です。

まあいずれにせよ君は常識人では無いからソレが分からず逆にマティスだのゴッホだのまたボオドレエルだのはたまたランボオだのそんなハチャメチャな美的人生の方をこそつい理解して仕舞うのだらうよ。

 

じゃあ私が「變」で君等が「まとも」なのか?

いえ「變」だとは言いませんがでも御困りでせう?

 

別に困っては居ません君等の感覚が低級なダケだ。

ほらさうしてすぐにムキになる。

 

さうムキになるのは損ですよ、出來たら「大人」になりなさい。

ワシはあんな「アソー」や「トランプ」のやうな惡い大人には金輪際なりたくは無いぞ。

 

兎に角理屈抜きに分かるのがソノマティスの色彩観であり「聖なる」色使いの方なのだからこそ。

 

 

尚ワタシはかって「3M」の画家が好きでソレが「ミロ」であり「モネ」であり「マティス」だった。

マティス」には廿代の頃特に興味を持ち主に晩年の「切り繪」の世界に深く傾倒して居たものである。

マティスの「ジャズ」シリーズ全20作品を紹介!ジャズ音楽のような自由で即興的な作品に込められた思いとは? - アートをめぐるおもち (omochi-art.com)

 

ソレでもって廿年程部屋ー白塗りの部屋ーに「イカロス」と云う切り繪のポスターを貼って居たのである。

 

切り絵に行き着いたマティスが落ちない「イカロス」に何を見たか アートの読み方(第7回) | JBpress autograph (ismedia.jp)

ヘンリー・マティス『落下するイカルス (大)』を特別価格で販売【アート静美洞】 (seibidou.com)

 

尚「イカロス」には落ちる方もまた有ります。

 

鼓動する魂も
ほとばしる躍動も
たったひとりの重力を
虚空で支える
力にはならなかった

「ジャズ」より《イカロス》 アンリ・マティス|一史 kazushi (note.com)より

 

いやあ凄い言葉です。

成程逆様の「イカロス」ですか。

 

するとかうなりますね。

 

逆様のイカロス

R.f7acb60cad9405f0705d2d3e3260465f (365×550) (bing.com)より

 

コレぞ眞の意味での「イカロス失墜」ですがソノ色彩はでも常に美しいのだと言える。