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文明批判と美と心の探求と

文明ー人類ーの滅亡に就いて2ー+「たった今ココを生きんが為」のニンゲンの知恵のことー

文明ー人類ーの滅亡に就いて2ー+「たった今ココを生きんが為」のニンゲンの知恵のことー

 

 

 

 

そもそも「仕事ができる人」は学歴をひけらかさない…「高学歴なのに仕事ができない人」の残念な共通点 (msn.com)

 

其の高学歴であったり高知能者であったりすることは即仕事がやれる=現實的に成果を出せるとのこととは違って居る可能性が高くあらう。

尤も高学歴であっても馬鹿はまた居るものでまた普通に高卒であれ天才級の知性が此の世には確かに居られるものだ。

 

わたくしなどもかって志望大学に全部落ちて地元の樂に行ける大学しか出て居ませんのですが其処での成績は流石に頗る良かったものでした。

が、もしもアノ早稲田大学にでも受かって居ればもっともっと勉強はしたのかもしれません。

 

何せ周りのレヴェルが高いので其れに負けまいとして。

 

でも我が「御勉強」とは「世の中に役立つ」ことでは無くむしろ「世の中を貶さんが為」の「御勉強」なのでした。

そもそも所謂文哲方面ー人文科学方面ーの見識とはさうした意味での壱種社會の向きとは逆方向での言わば「屈折する」ものともまたなり易い。

 

ですが個人的にはまさにソコが人文科学方面の価値であり眞骨頂としての部分なのではないかと思う。

要するに世の中の向きと正反對のことをそも述べたがるので所謂「協調性」に欠け壱種「ウザい」奴等なのですがでもかのショーペンハウアーにせよまたニーチェにせよさらにレヴィ・ストロースにせよちゃんと變人哲学者として人文科学史に名が刻まれる天才達です。

 

また梅原 猛先生や岡本 太郎氏などもまた變人ですが大思想家であり大藝術家として世に立って居られやう。

おまけにかのマルクスエンゲルスなども相當な變人でせうが社會思想の上での壱つの極を形成する體制論を組み上げた天才でせう。

 

 

要するに所謂「高知能者」の方方はむしろソコにこそ其の知性力を発揮すべきなのではないか。

だから其れをあくまで「現世利益」的に使うのでは無くむしろ「非現世利益的」に使い其れも其れこそ死ぬる迄世の趨勢とは「逆」のことばかりを述べ続けた方が良くまさに其れが彼の「仕事」なのです。

 

さて其の「文明ー人類ー滅亡論」に関しては世界を代表する知性が様様なことを述べられて居ます。

 

「最悪の事態はまだ来ていない」エマニュエル・トッドが本当に恐れる未来とそうでない未来とは (msn.com)

ジャレド・ダイアモンドに聞く 「危機と人類」10の質問:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)

ジャレド・ダイアモンドに聞く 「危機と人類」10の質問:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)

J・ダイアモンドに聞く(8)世界が直面する最も深刻な危機は?:日経ビジネス電子版 (nikkei.com)

「日本の人口減少は喜ぶべき」少子高齢化の克服法をジャレド・ダイアモンドUCLA教授が語る | Business Insider Japan

 

ですが概ね其の未來予測は「悲観的」なものとならざるを得ない。

其れは壱つには所謂西洋型の知のあり方に「限界」が突き付けられて居るからなのだらう。

 

さう現代文明は其の大元の部分で誤って居る可能性がむしろ高くありでも其のことを西洋の知性が普通認められずよってどうのかうのと其の打開策としての「本質的論議」に至ることが無くむしろ堂堂巡りをして居るかの如くとなる。

其処であえて梅原 猛先生の本をたった今再読して居りますが其の梅原 猛先生って意外と敵が多くアノ人の論は「變」だと言われる割に至極スッキリする形でもって現代文明での問題点が明確化されるやうに個人的には思われた。

 

梅原 猛先生は半分愛知県人でありそりゃあ「變」だと云えば「變」で特にわたくしなども半分はナゴヤ人なのでまあ確かに「變」ですが其れもほんたうは「變」ばかりでも無いのである。

かうして多分「高知能」なのでもまたあるんだよ。

 

でもってネット上でも以下の「In Deep」さんなどは相當な悲観論を展開されておりまさにソコは此の意外と能天気なわたくしでさえ「絶望」させられるやうな素晴らしいところなのす。

 

「2040年頃に人類の文明は終焉する」 : 米マサチューセッツ工科大学のコンピュータが弾き出した人類文明の崩壊と終焉……そしてその状況を最も現実化しているのはおそらく「日本」 - In Deep

世界の「34億人」が脳卒中、認知症を含む神経疾患を持つか亡くなっている世界で「愛と正義と誠実によって悪を地球に広める人間たち」への対処を再び思う - In Deep

 

まあコレを書いて居られる方などもまたまさしく「天才的」な方なのだらう。

 

すでに私たちの文明は終わりを迎えている① 「偉大な文明や国家はなぜ忽然とその姿を消した理由」|Atlasマンツーマン英会話,札幌,横浜,名古屋,大阪 (peters.jp)

すでに私たちの文明は終わりを迎えている② 「自衛隊が宇宙防衛に乗り出す(NHKニュース)」|Atlasマンツーマン英会話,札幌,横浜,名古屋,大阪 (peters.jp)

 

また意外と好きなのがこちらでの滅亡論です。

かうしてガイジンの塾の先生が書かれて居るところです。

 

兎に角梅原先生の「文明論」はまた梅雨以降にでも連載の形にて逐次論じて行きたいテキストとなる。

 

「今の世界は簡単に滅亡する」学者が明かす怖すぎる理由【書籍オンライン編集部セレクション】 | 上流思考 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

21世紀中に文明が滅亡するリスクは6分の1:人類の未来研究所が問う自滅と存続のシナリオ | WIRED.jp

【文庫】文明崩壊(下) | 草思社 (soshisha.com)

『文明崩壊 下: 滅亡と存続の命運を分けるもの』|感想・レビュー - 読書メーター (bookmeter.com)

 

かうして此の種の論はまだまだ幾らでも出て來ます。

問題はまず此のやうに学者の方方がたった今考える文明の上でのリスクが大衆レヴェルではまず認識されては居ないことなのだらう。

 

つまるところ「御勉強」が嫌いであるか又はやりたく無い大衆レヴェルでの認識とかうして益益追い込まれて行きつつある知識人による考察との間に大きくギャップが生じて居ることなのだ。

ところが「大衆レヴェル」であれまた「知識層レヴェル」であれ意識のあり方には「高低」がありまさに其れが壱流大学を出て居ても「意識の低い」輩も居れば普通の人なんですが物凄く「意識の高い」人などもまた居られるのです。

 

其の「意識」や「見識」の高さは要するに自立的な「御勉強」をして「自己の認識世界」を高めて居るかどうかにかかって居るのでせう。

逆に投資だの蓄財だのに奔走するであらう「成功者層」はそんな「御勉強」に對しむしろマイナスですので結果「地獄」へ堕ちるより他は無い。

 

なので彼等には是非「寄付」を御勧めしたい。

其れも地元の空想詩人やエッセンシャル・ワーカーやまた貧乏寺や貧乏教會さらに貧乏モスクなどへの御寄付をこそどうかどうか御願いしたい。

 

 

さて當代壱の歴史学者であるハラリ氏の認識論へと是非立ち戻ってみませう。

ー※注意!以下のリンク先を開くとセキュリティ警告が出される場合がありますー

 

ーこの本の根幹をなすのは、「ホモ・サピエンスが、ネアンデルタール人などの他のヒトの仲間を差し置いて地上を支配するようになったのは、共通の『虚構』を信じる能力を有するから」という主張だ。宗教、国家、貨幣はすべて大勢の人間の協力と組織化を可能にした人類の虚構の産物なのだとハラリは言う。ー

『サピエンス全史』の著者に17の質問! | クーリエ・ジャポン (courrier.jp)

 

ハラリ氏の認識論での根幹部とは其の「虚構性に基づく進歩」を我我ホモ・サピエンスがずっと続けて來て居た、との部分でせう。

其の「虚構」=「抽象的価値」のことでありまたつまりは「文明」とは「虚構性に基づく価値の實現過程」のこととならう。

『サピエンス全史』著者ユヴァル・ノア・ハラリ「人類の繁栄とは“虚構”の上にあるのです」 | クーリエ・ジャポン (courrier.jp)

 

尚勘の良い方ならば或は御気付きかもしれぬが此の論理は養老 孟司先生が説かれる「唯脳論」での論理とほぼ同じものでせう。

其れは要するに我我人類ー文明ーが「抽象的な価値領域」をほぼ全面的に歩み始めたとのことなのです。

 

さう「抽象的な価値領域」としての「脳化」された世界なり世界観なりでもってしかもはや事象を認識し得ぬ状態へと至ったとのことです。

逆に申せば其処では其の「脳化」された世界なり世界観なりでもって認識し得る価値こそが「自然」が齎す価値などよりも常に上位となります。

 

自然<文明

まさにこんな状態です。

 

また其れは非常に簡単な御話です。

人類はすでにそんな状態にこそ「洗脳」され切って居る。ーわたくしの言い方で其のことを言えばまさにさうなるー

 

例えば企業であれ学校であれ共同體であれ何であれ現代人は其の「抽象的な発展」なるものを金科玉条の如くに信奉し且つ其れが成ることをこそ喜ぶ。

逆にそんなもんは屁みたいなもんでむしろ無い方が良くつまりは「自然」こそがサイコーの価値なのでむしろそちらの方をこそ優先せよとかの養老先生やまたグレタ氏や愛知県産の環境詩人が述べますが誰も其の「心の叫び」を聞いては居ない。

 

むしろあいつ等が居るから世の中が落ち着かんのだ。

むしろあいつ等が居るから「共産党壱党独裁政権」が蔓延したりもまたするのだ。

 

じゃああいつ等を縛り首にでもした方が良くはないか。

 

…涙。

は?なんだ其のウソ泣きは。

 

ウソ泣きなんかじゃないわ!

コレは御釈迦様とイイエス様が流された其の涙のことぞ!!

 

 

さて其の「宗教的価値」もまた「抽象的価値」=「虚構」としての価値なのだ。

「宗教的価値」も故に最終的には「価値對立」を引き起こし逆に「破壊」を生じさせる原因とも化すことがある。

 

但しイイエス様による「普遍的な愛」と御釈迦様による「放棄」の思想にはそも其の「破壊」を生じさせる原因其のものが放逐されても居やう。

 

さて以前にわたくしは其の「宗教」をも含めたところでの「抽象的価値」とは「社會的価値」であることを述べて居た筈である。

ホモ・サピエンスネアンデルタール人に種として勝ちかうして地球上で繁榮したのはまさに其の「社會的価値」を築くことに長けたホモ・サピエンスの性質=癖の部分なのだらう。

 

ところがまさに其の「社會的価値」こそが「自己矛盾」するに至るのである。

まさに怖ろしい話ではありますが其のことは眞實です。

 

社會的価値⇔個的価値

故に最終的に其の「個的な価値」=「實存的価値」の方をより重視すべきだと云うのがわたくしの哲學上の結論となる。

 

尤も🗾社會は伝統的にむしろ、

 

個的価値<社會的価値

とさうなるであらう所謂「和の社會」を築いて來て居る。

 

だがわたくしは其れを続ければ続ける程に「破壊」=「綻び」が生じて來るとさうも述べて居た筈だ。

さうしたらついにたった今ジミントーが組織として沈没しかかって居る。

 

故に逆に、

 

社會的価値<個的価値

 

とする位で丁度良くなんとなれば🗾人は「結局社會が壱番大事でもってみんなでもってなんでもやらう」的な人人なのであるが故に。

なので兎に角「宗教」は大事ですが其れもまた「個」を疎かにするやうな「邪教」の類のものであっては決してならない。

 

またさう云う結論こそがまさに「哲學的」に導き出されるものとなり所謂「信仰」の御話などではまるで無いのである。

 

 

尚虚構としての観念的価値の究極の目的とは其れこそ「SF」の世界ではないのですが「人間が神化すること」=「神人間化の過程」其のものとなる。

また其のことを主に外側に虚構化する形で成し遂げやうとして居る。

 

より具體的にはAI開発や宇宙開発などが其の「虚構化」の極としての例となる。

またニンゲンの「不老不死化」なども其の「虚構化」の極としての例となる。

 

だが其のいずれもが「自然」が許容するだらう「限定的な現在性」の部分をすでに無視して居る。

「限定的な現在性」を無視するからこそさうして「文明」を築けホモ・サピエンスの周りを「人工化」することが可能となる。

 

自然<文明

 

此の場合にもまた其の逆として、

 

文明<自然

位に認識して置く方がよりバランスの取れた認識となり同時に文明による価値上の「洗脳」を解くことが其処に可能とならう。

 

 

Q10 あなたは、『サピエンス全史』で家畜の飼育を始めたことが人類の最悪の罪だと言いました。それをやめるためには何をすべきだと思いますか?
ジェシー・リース、「ガーディアン」紙読者の投稿)

ハラリ 特定の細胞を培養することで農産物や肉を生産する、「細胞農業」や「培養肉」という技術があります。

ステーキが食べたければ、細胞からステーキを育てるだけです。雌牛を育てる必要はありません。

SFの世界の話のように聞こえるかもしれませんが、もうこの技術は現実のものになっています。3年前、細胞から初めてハンバーガーが作られました。30万ドルという巨額の費用がかかりましたが、それぐらいの出費は新技術にはつきものです。ー「人類は10年後には細胞肉を食べ、100年後には消えるでしょう」 | クーリエ・ジャポン (courrier.jp)より

 

其の「家畜」とは人類に取っての「奴隷」であり其の「奴隷」は食われても良い。

まさに其れが我我ホモ・サピエンスに取っての常識ながら實は其れこそがまずはオカシイ。

 

だから正しくはあくまでモスバーガービッグマックを好んで食う食欲詩人の認識はオカシイ。

オカシイが何せ僕は高知能者でもって常に體が弱めなのよ。

 

いや體は存外丈夫だが精神的にはあくまで脆い。

だからイヤでも其の精の付く「ビッグマック」を食わねばならんのよ。

 

ちなみに幼い頃自分はむしろ「生まれついてのヴィーガン」であり肉や卵の類は壱切食えませんでしたのです。

さう生まれつきに高貴なニンゲンですのでみんなと壱緒にして貰ってはまさに困るな。

 

 

ー脳内の何十億ものニューロンが特定のパターンの電荷を生じたとき、それがどのように、愛や怒り、痛み、喜びの精神的、もしくは主観的な経験を作り出すのでしょうか? 我々には、何もわからないのです。ラスコーやアルタミラの洞窟の壁画を描いた後期旧石器時代の人々は、今日の人間と同じ精神を持っていたと我々は想定しています。その一方で、ネアンデルタール人はいまの人類よりも大きな脳を持っていたにもかかわらず、別の種類の精神を持っていたと我々は考えています。しかし現時点では、真実は我々の理解をはるかに超えたところにあります。

 

アンドリュー・アンソニー(この記事の筆者、以下アンソニー 国家や貨幣、宗教といった「虚構」を作り出す能力を持っていたから、我々ホモ・サピエンスが他の種を差し置いて地上を支配しているのだとあなたは言いました。では、我々が宗教的な虚構を捨てるのと、イスラエルパレスチナ紛争が解決するのと、どちらが先だと思いますか?

ハラリ 現状からすると、イスラエルパレスチナに和平が訪れるよりも先に、ホモ・サピエンスがいなくなると思います。

いまのホモ・サピエンスは、おそらくあと1世紀ほどで消えると私は考えています。それは殺人ロボットなどに破壊されるという意味ではなく、遺伝子工学やAI(人工知能)によって、何か別のものに変化、もしくは進化するということです。時間的な尺度はたぶん1世紀くらいでしょう。パレスチナ人とイスラエル人の紛争は、それまでに解決しない可能性が高いと思います。ー「人類は10年後には細胞肉を食べ、100年後には消えるでしょう」 | クーリエ・ジャポン (courrier.jp)より

 

但しあくまで「宗教」が要らない訳なのでは無い。

「宗教」はむしろ「ニンゲンを如何に救済するか」とのことを「精神的な」尺度でもって見詰めるものである。

 

其れと壱つ考えて置かねばならぬことがあり其れは「科学による暴走」の部分はむしろ「虚構化」の極としての流れのものでありまさに「抽象的な価値」としての履行の最前線でさえあることなのです。

其の「科学による暴走」を齎すのは結果としてホモ・サピエンスとしての「社會化」すると云う認識上の癖のことなのです。

 

其の「ホモ・サピエンス」は進化を遂げて全てを「進歩」させた。

でも其の御陰でむしろ「自然」との関係をより惡くさせて居ます。

 

また「ホモ・サピエンス」は生物学上の進化を捨てやがて抽象的領域での「進歩」をニンゲンとしての「種」其れ自體に施して行くことだらう。

でも個人的にはおそらく其のことは間に合わず其れこそ大地震地球温暖化や種の絶滅に関連することだらう「大災害」にて彼等は滅ぶ可能性が高く有るとさう見て居ります。

 

が、現在わたくしが見詰め尚且つ考えるのは其の種の「滅亡」に関してでは無くニンゲンが如何にして此の不穏な時代を「自己實現」しつつ生き抜いて行けるのかと云うことに限られます。

要するに「滅亡」が避けられぬものを無理に避けることはむしろ至極難しいこととなる。

 

では後はどう「精神の健康」を保ちつつ此の間違った「近代世界」を生き抜くのか?との問いの部分のみが其処に残る。

其の問いへの壱つの回答として、

 

1.蜂起か又は放棄すること

2.職人技に生きること

3.創造的ー藝術的ー自我を生きること

 

との結論を導き出すに及んだ。

 

1.での其の社會的な意味での「蜂起」と「放棄」は社會への否定の弐側面です。

其のどちらでも良い。

 

ですが大多数のニンゲンはむしろ其のことをやれぬ訳です。

 

ならば3.はどうかと言えば其れがあくまで自分向きな気はしますのですが其れがやれたにせよ「自称」となることはまず否めません。

まあ其の「自称」であれ何であれ「社會の暴走」への距離の取り方として常に其れは理想的です。

 

ですが「藝術」には「感度」が要り其れは誰にでも備わるものではまた無い。

であれば2.の方がよりやり易くつまりは其れでもって生きて行き易いものとなる。

 

 

例えば本日わたくしは「探検ファクトリー」と云う番組をNHKの方でもって視て居た。

ソコにはカレンダーを作る工場での職人さん達の「技」が描き出されて居る。

 

またつまりは🗾の物作りがそんな工場での職人さん達の「技」により實質的に支えられて居る。

其れは大企業のさらなる儲けだの銀行の儲けだのそんなものでは無く庶民のでもなくてはならぬ「技」の集積としての価値なのだ。

 

何よりもさうした意味での「現實的」な「技」こそがココ🗾國には溢れて居ることだらう。

またパンを焼いたり米を作ったりさらに🐟を獲って來ることもまた🐄や🐖や🐔を育て上げることなども全てが其の「技」に支えられしことなのだ。

 

大企業や大銀行による所謂「資本としての利潤」でもってココ🗾はまた世界は成り立つのでは無くまさにそんな中小企業としての具象的な努力であり庶民としての技術的な努力によりニンゲンの生活は其の根本より支えられて居るのです。

 

故に日銀の職員や國會議員やさらに裁判官や官僚や大企業の社員は幾ら儲けるにせよ其れ等の働きが無くば飯が食えません。

だから御前等の其の高い給料を是非減らしてむしろソッチへと其れも半分以上は是非回すべきであらう。

 

さらにこんな素晴らしいことを述べて下さる愛知県産の革命詩人さんに是非壱社辺り拾萬円程で良いからカネを「寄付」すべきです。

ダンダン寄付の金額が下がって來てますね!

 

さうなんです、まあ余り強欲なこともさう言えぬので此の際ハードルを下げさせて頂きました。

ところで僕はたった今『タイガーマスク』を視聴中です。

 

でもって實は涙が出て仕方がありません。

どうも此の『タイガーマスク』にはクリスト教に於ける「寄付」の精神がしかと刻まれて居りよって金持ちのプロレスラーは常に孤児院などの恵まれぬ立場のニンゲンに「御布施」をしなければなりません。

 

まさに其の意味でも「社會の變革」の第壱歩とは「富める者が資材を擲ち行う寄付」でなくてはならぬ。

もしやアンタまた金持ちのTSUGEさんの家へ行きなんぞ貰って來ることなどを考えては居ませんか?

 

正直考えて居ります。

何故なら自分には「所有」の観念が余り無くつまりは「自分の物は人の物」であり「人の物は自分の物」でもまたあり得るのです。

 

ふーん、すると物質的に「強欲」なばかりでは無く同時に「気前」の方が案外良いんだ。

さうなんです。

 

だからついこないだ東京の惡徳業者に大事な腕時計を掠め取られたのであります。

でもソレは其れを弐束参文でもって売った君が惡い。

 

はい、其の通りです。

其れはわたくしに「自制心」と「計画性」とが欠けて居たが為にさうなりました。

 

とりあえずは其の「技」、其れも生活の上での「生きる上での技」のやうなものが實は「文明の滅亡」などよりもずっと大事なことなのだ。

また其の意味では「観念の上」での未來予測などはほぼ役に立たずそんな根本的な意味での「生活力」のやうなものこそが「たった今ココを生きんが為」の知恵と化すのである。