目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

再再度四角氏の「ミニマル主義」を論じるー「目覚め」と其のことにより拓かれる新たな生き方(価値観)に就いてー

再再度四角氏の「ミニマル主義」を論じるー「目覚め」と其のことにより拓かれる新たな生き方(価値観)に就いてー

 

 

 

 

さても本日は雨天にて成海祭りの山車巡行は中止。

よって以下にてまた現代文明のあり方其のものに就き考える。

 

ー「①ちゃんと食べる②ちゃんと体を動かす③ちゃんと休む④ちゃんと寝る⑤思いっきり遊ぶ」──これはずっと聞かされてきた母の口癖である。

 

 端的に言うと、「母の5つの教え」は当たり前すぎて人の注目を集められないし、そもそもお金がかからない。

 だからビジネスにならず、誰もマーケティングなんて仕掛けない。9割以上が広告に依存する日本のメディアでは、記事や番組にならないから、我々の目に届かず話題にものぼらない。

 平和活動がお金にならず、軍需産業が莫大な利益を生み出しているのと同じ構造といえば伝わるだろうか。

母から学んだシンプルな生活習慣「5つの教え」 | 超ミニマル・ライフ | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)より

 

ではそも其の「ビジネス」とは何か?

大枠で言えば其れが「自然を搾取することで得られる便益」のことである。

 

ところがあくまで其れは「人間に取っての便益」とのことであり逆に自然に取っての無価値なる「改變」のことに他ならない。

故にこそ近代が成熟するに至ったたった今まさに其のことが大問題として噴出して來て居る訳だ。

 

だが其処には人間の欲望に関するとある「原理」がしかと鎮座ましまして御座る。

其れはズバリ申して「抽象的な欲望には歯止めが効かぬ」ことである。

 

つまり生存欲としての食欲や物欲には常に限りがある。

さらに性欲などにもまた限りはあらう。

 

されど所謂征服欲や金銭欲に至っては其の対象物がそも抽象的な領域のものであるが故に常に「限定」し得ぬ欲望とならざるを得ない。

其の抽象的な領域のものとして「自然と云う価値」を捉える限り人類の自然に對する欲望には基本的に歯止めが効かぬ。

 

 

ビジネスとはまさに其の征服欲や金銭欲と直結するであらう抽象的行為領域のことだ。

故にまずは其れを「胡散臭い人間の欲望の領域」として見る観方こそが「聖なる認識」に近い方での認識とならう。

 

其の「資本主義」との経済體制は基本的に「自然と云う価値」を所謂資源として略取し其処に所謂「消費財」なるものの価値を創造せんとする試みのことである。

即ちまさに自然から掠め取った価値にて古來より人間は生きて來てさらに近現代の資本構築體制に置いて其れを最大限に効率化ー合理化ーして参ったとのことである。

 

問題は其の抽象的な進歩のスピード其れ自體が「自然の内部」に有るものでは無く「人間の内部」に有るものとのまさに抜本的な意味での矛盾関係を抱えて居ることなのだ。

但し其のことは「順序立てて」御勉強を重ねて行けば分かることながらより多くの人にはなかなか分かるものではないと云うこともまた事實である。

 

 

ーレコード会社時代はヒットメーカーとして、ミリオンヒット10回を記録するなどトレンドの最先端を疾走した著者は、仕事の絶頂期だった39歳の時に退社してニュージーランドに移住。

 現地の湖畔で、環境負荷を最小限に抑えるサステナブルな自給自足ライフを営みながら、世界を旅しながら働く移動生活を送り、グローバルノマドの第一人者と称される。

 2012年のベストセラー『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』は、次世代のミニマリストたちのバイブルにもなった。昨今の日本を賑わせる「二拠点居住」「地方・海外移住」「リモート・在宅勤務」「自給自足」「オーガニック」「アウトドアブーム」といった文脈においても先駆者と言われるが、本人はただ心に従って生きてきただけという。ー母から学んだシンプルな生活習慣「5つの教え」 | 超ミニマル・ライフ | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)より

 

さて昨夜自分はほとんど視ることもない民放のTV番組を母と共に視て居た。

其れは奥三河の自給自足生活ライフを主に取り上げたところの「愛知あたりまえワールド☆」と云う番組である。

 

千原ジュニアの愛知あたりまえワールド☆~あなたの街に新仰天!~(2023年10月7日放送) - Locipo(ロキポ) 無料テレビ動画・見逃しネット配信サービス

 

其処に登場する「移住して目立って居る」奥三河の住人のほぼ全てが名古屋や東京などの大都會からの移住者であり且つ藝術関連の仕事をかってして居た人である。

では何でまた大都會の人はワザワザこんな田舎に集まるのか?

 

とさう田舎の方方は御思いであらうが其れは要するに「都會に蔓延する価値其れ自體が虚的且つ狂的なもの」であるからに過ぎぬからなのだ。

まさに其の「虚的且つ狂的な価値観の部分」にドップリ浸かり初めて都會での生活は成立し要するに労働者として給料を貰うことが出來るのである。

 

なのでまずは其のこと自體が「精神的に且つ時間的に齎される搾取形態」であるに他ならない。

ですが山深いクソ田舎から都會へ出さうして給料が貰えるやうにイザなれば田舎の畑などで肥え桶を担いだりまた水を汲みに裏山へ出向いたりすること無く蛇口を捻ればすぐに水道は出るわまた街には小綺麗な姐御ちゃんらが群れをなし歩いて居るわでさらに酒は其の世界各國より取り寄せられた酒がしかも最近は千円~弐千円位で何処でも売って居る。

 

尚其れに就きまずは大きく疑問がある。

まずは煙草を値下げし酒へ重税をかけ倍程の値段にすれば宜しい。

 

煙草が普及すると知的な人間が増えやうが酒飲みが増えるとズバリ犯罪が増えることだらう。

 

其れにまず何より都會には「歓樂街」があり其処にて「御触りサーヴィス」などが常に行われて居やう。

故に田舎者はまず其処にこそ目を奪われて仕舞う。

 

 

ちなみに🗾の近代化は明治新政府による體制にて進められた訳であるが其の明治新政府とはズバリ田舎者の集まりであった。

すると田舎者はまず西洋近代が齎すであらう「酒池肉林」の様に目を奪われ其処でもう壱刻も早う祖國🗾を「近代化」せねばならぬとさう思うのだ。

 

だが其の前の徳川幕藩體制はまさかそんなことは思わず其れ即ち信長公→秀吉公→家康公との理性の流れをまずは重視し最終的に田舎者だけれども特に理性的だった家康公により🗾の統治がしかと行われておったのだった。

だから愛知県人による其の🗾國の統治こそが「理想の政治」の流れであることはまず間違いなからう。

 

其れを薩摩だ長州だまた土佐だなんだとそんな辺境の田舎者が、其れも綺麗なネエちゃんを壱人も見たことが無いやうな田舎者が西洋近代との其の壱見豪華且つ煌びやかに観ゆる「文明」に騙くらかされさうして祖國🗾をとんでもない國に仕立て上げて行ったのだ。

 

馬鹿者めが!!

 

今すぐに幕藩體制へと戻れ!いいや秀吉公や信長公による🗾統壱統治へと戻るのだ!

全くそんな田舎者等めが。

 

だからそんなもんは所詮「虚」であり「狂」としての価値なのだ。

其のやうな惡趣に染まる位ならばむしろ田舎でもって肥え桶担ぎでも生涯やっておれ!

 

其の「サステイナブル」な生活とはまさに其の「虚的」で且つ「狂的」な略取を許さぬとの気構えにて行う所謂「地球に優しい」生活のこととなる。

 

ならばまずは其の「文明」がたった今行いつつある「略取」だの「搾取」の様を直視しなければならんこととなる。

また其の「直視の方法」には弐種がある。

 

1.感覚的目覚め

2.論理的目覚め

 

とのこととなる。

 

藝術方面の出身者には元元直感力があり1.が可能であることが多い。

また人文學に強い人などはまさに哲學的、宗教的にも「目覚め」が可能となるのである。

 

尚自分の場合は結果両方イケるものとさう思われる。

即ち「理論化」することも出來其れ以前に感覚的に悟ることなどもまた可能だ。

 

また四角氏の御意見などもまさに其の両面から攻めて居られるやうに見受けられる。

 

 

ー超ミニマル・ライフとは――「どうでもいいことに注ぐ労力・お金・時間を最小化して、あなたの可能性を最大化する」ための合理的な人生戦略のことである。ー

母から学んだシンプルな生活習慣「5つの教え」 | 超ミニマル・ライフ | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)より

 

普通所謂「世間」では人生其のもので「どうでもいいことに勞力、御金、時間」を費やして居るとは思われて居ない。

其れは「文明」や「世間」としての営為が「正しい」とさう信じ込んで居るのでそも其処に疑問の余地が生じないことによる。

 

だがイザ「目覚めた」彼等にはむしろ其の営為こそが「どうでもいいこと」に見えて仕舞う。

其の彼等には自分もまた入って居ますがむしろ自分はそんな「目覚め」などはどーでもエエから早う山奥へでも逃げて行きたいタイプです。

 

しかしながら事を眞理方面に寄った上で捉える場合にはむしろそちらでの認識の方が「正しく」なるであらう可能性が高い。

何故なら「文明」と「自然」がまさに今火花を散らしつつぶつかり合って居ることはまずは事實である。

 

其れはゲージツ家の妄想であるとかそんなことではなしにまさに「ほんたうの御話」なのである。

 

では壱體何がそんな切羽詰まった状況へと文明や文化を運んだのかと言えば其のことがズバリ「人間の欲望」である。

よって「人間の欲望」其のものを対象として幅広く其れを分析し其の結果を基に「欲望が暴走」せぬやうに歯止めをかけるべく「制限」して行く他は無い。

 

なのにまた其のことがやれない。

何故なら近現代社會其のものがむしろ「無制限」化した世界其のものだからなのだ。

 

さう「近代」と云う価値観其のものが言わば「無制限」化した世界のものである。

故に必然としてあくまで「社會的」には「制限」がかからなくなる。

 

實際に此の現代社會では「やらぬ」より「やる」価値が信奉され且つ「デカい価値」は「ちっこい価値」よりも常に偉いとされる。

 

やらぬ<やる

ちっこい<デカい

 

つまるところ其れは全的に「プラス」での価値に染め上げられて居るのである。

だが元來人間もまた自然の壱部故に「マイナス」の価値をしかと有して居る。

 

ところが所謂「学校教育」にてそんな「マイナス」の価値を観ないことがまずは叩き込まれる。

即ち「学校教育」とは基本的にそんな人間の精神の「洗脳過程」其のものなのだ。

 

ですが教育が全的に惡いとは自分に限り考えて居ない。

なんとなれば「洗脳過程」以外での學びや気付きの部分へと導かんが為の學問であり御勉強の役割がまた其処にある筈なのだから。

 

しかしながら基本的に「現代社會」とはそんな惡の価値観を推進するであらう巨大なる惡の巣窟である、位に思って置く方が個の認識は正しく導かれることであらう。

 

 

四角大輔 | 著者ページ | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

 

尚おそらくは細かいところで自分の考えとかの四角氏の考えはまた異なることかと思う。

但し以上に述べた如くに大元の部分ではまさに同じやうに認識をして居る訳なのだ。

 

【山口周×四角大輔】確実に人生が変わる超カンタンな方法 | 超ミニマル主義 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

 

かうした對談の内容などもまた参考となる。

但し🗾人は「近代奴隷」として謂わば「社畜化」されて來て居るのでなかなかこんな「意識、見識が高くある系」での考えには馴染めないことかと思う。

 

要するに「定年して何をやれば分からない」との所謂精神的な意味での奴隷制國家である。

自分などは逆に稼いで居ない今の方が忙しく且つ充實して居る。

 

勿論其れでも其処に問題がありさらに欠乏もある。

でも自分のやりたいことが半分位は出來るやうになった気がいつもして居る。

 

 

「意識、見識が高くある系」の人はまた其れなりに反文明的、反世間ヒエラルキー的な世界を其れ其れに構築なさって來て居ることが此の対談などからも良く分かる。

だけれども本質的に個を規定するのはむしろ「経済力を伴う才能」の有無であらう。

 

要するにかうした世に出た人人は其の意見なりを金に変換する能力を持って居る訳だ。

まあかの百田氏などもまたさうであるが確かに其の能力を持って居られる。

 

だがむしろ圧倒的大多数の個は其れをまず持ち合わせて居ないことだらう。

たとえ「意識、見識が高くある系」の人であれ例えばわたくしの如くに其の能力を金に換えられぬ場合をも含めて。

 

況や大衆的な認識に留まる場合にはまずは其れ以前での認識上の壁が立ちはだかる訳なのだ。

つまりはこと此の分野に関しても其のやうな「格差」がどうしても生じて仕舞うのである。

 

 

【山口周×四角大輔】日本のビジネスパーソンは「呪い」にかかっている | 超ミニマル主義 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

 

まずは其の「呪い」ですが、近代其のものが「呪い」だとの本が實は出て居ります。近代の呪い - 平凡社 (heibonsha.co.jp)

尚此れは「少しでも文明のあり方に疑問を持つ方」には是非御勧めの本です。

 

ところで「呪い」とはそも信ずることにより生まれるものでせう。

逆に申せば「信じない」のであればつまりは信ぜずでもって「呪い」など生じやうが無い。

 

また個人的にわたくしは「近代其のもの」をほぼ信じて居ない。

即ち「近代」=✖だと其ればかりを思って居るので其の認識が世間のものと異なるのはむしろ当たり前のことです。

 

だから「壱流大學を出て壱流企業に勤め定年し優雅に余生を過ごす」こと自體にそも価値を認めて居ない。

でも其れが羨ましいとは思います。

 

其れもあくまで物質的な面に於いてのことですが。

 

また「壱流大學を出て壱流企業に勤め定年し優雅に余生を過ごす」ことをやれば逆に精神的にはとても豊かにはなれない感じがどうしても致します。

 

 

ー山口 その捨てっぷりもすごいよね。普通の人は、なかなか梯子から下りられない。

四角 確かに、周りは「もっともっと」とひたすら上を目指していました。でも、その「上」は結局、誰かと比べての基準だから、いくら梯子を登っても満たされず不安が増大するだけ。逆に、「自分は最低限これさえあれば大丈夫」というミニマルな境地は、精神的なセーフティネットとなって安心をもたらします。

 僕の場合それは、テントでの自給自足ライフですから(笑)。服は古着で家具は中古だったので、周りからは「大手レコード会社の社員なのに質素だね」なんて言われてましたが、僕にしたら当時の暮らしはもう充分に贅沢で。ー【山口周×四角大輔】日本のビジネスパーソンは「呪い」にかかっている | 超ミニマル主義 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)より

 

近代とは個を近代的な原理の奴隷とする過程のことでせう。ー國民國家の奴隷であり所謂社畜奴隷としてのー

何せ「奴隷」ですので其のこと自體に逆らうことなどは普通出來ない。

 

ですが其処で感度の鋭い人やまた余程に理性的な人などが「目覚め」て行くことでせう。

だがイザ「目覚め」ますと逆に苦しくもなる。

 

何せ其処にて世間とは正反對の価値観が醸成されるのでさうして常に苦しいのですが他面で「世としての眞實や眞相」を掴んだとの感覚が生ずる。

故に其の「目覚め」とは「社會の實相に對する目覚め」のこととなる。

 

でもって「社會の實相に對する目覚め」がイザ成るとむしろ「社會を捨てたれ」との御話とならざるを得ぬ。

つまり其の社會的価値観とは逆方向でのヒエラルキーがむしろ形成されまさに其の「もっともっと」と上を目指す生き方を否定的に扱うやうになる。

 

だけれども近代的な価値とは「もっともっと」と制限しない=無制限化して行く社會的な流れのことなのであり其れは「止める」だの「小さくする」だの「大人しくする」のとは逆にむしろ24時間ギンギンに突っ走ろうとすることです。

ですが故に何でもが壊れて行く。

 

まさに其れが事の摂理だとのことである。

だから何が惡いのだと云ってまさに其の「近代」と云う文明上の社會體制其のものが惡くつまりは✖なのだ。

 

また其の「上」とは最終的に文明が仮定する神=科学技術としての神を頂点とするところでのまさに上下関係での価値ヒエラルキーの流れでせう。

あれ、考えてみれば其の🗾の封建的精神秩序體制はまさに其の近代的な上下ヒエラルキーにこそピタリと合って居るぞ!

 

ああさうかだから🗾人は近代其のものに對しかうして従順なのだ。

 

尚人間は「神」とはまるで別物の単なる「肥え桶担ぎ」のやうなものでせう。

又は🐜。

 

アレには實際可成に似て居ります。

又はスズメバチ

 

だからこそ其のヤバい巣は是非駆除されてしかるべきものでせう。

 

ー四角 で、自ら降格を申し出て、また現場に戻って、そこで出会ったのがシンガーソングライターの絢香なんです。彼女で再びミリオンヒットを出して、その後に出会ったのがSuperfly。つまり、世間的にいいとされることでも、自分に合わないとか重荷すぎると感じるなら、思い切ってそれを手放した方がいい――身軽になって自分らしく働いた方が、もっともっと価値のあることを実現できる。そんなことを、骨の髄まで身に付けていたんです。

山口 面白いなあ。

四角 ここで先ほどの周さんからの、「手放すのは勇気がいったんじゃないか」という質問に戻るんですが、勇気というよりは、「これさえあれば大丈夫」というミニマル思考、つまり精神的なセーフネットを確保していたからできた。やはり、それに尽きるなと。

 そしてこれって、一つの「思考の技術」だなと。この技術の習得法を体系化したのが、今回の『超ミニマル主義』です。

山口 思考の技術、ですか。

四角 これまでの著書では説明不足で、「わかってはいるけど手放す勇気なんて持てない。四角さんだからできたんだ」と言われることが多かった。だから、半生を振り返りながら「なぜ僕はやれたのか」「どうやってやったのか」を徹底的に分析し、誰もが再現できる技法に落とし込もうと必死に書いていたら、1000ページ超えてたっていう(笑)。ー【山口周×四角大輔】日本のビジネスパーソンは「呪い」にかかっている | 超ミニマル主義 | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)より

 

つまるところ我我個を本質的に規定するのがまさに其の「勞働」であり「経済」です。

現代社會は其の「勞働」を義務化しさらに其処から報酬を得ることを権利化した訳だ。

 

其れは其れで「合理化」として意味のあることなのだらうが其れも所謂資本主義化することにより諸矛盾が其処に生ずるが故に完全な「合理化」はあくまで出來なんだ。

其の諸矛盾に對する回答の壱つが「マルクス主義」であったが残念ながら其の「マルクス主義」其れ自體にも矛盾が含まれて居たのだと言えやう。

 

まさに其のことが「共産党による壱党独裁」とのこととなり其れが屡「覇権主義」を成立させて行くが故に所謂「東西冷戦」の状況を招いて仕舞う。

其の「東西冷戦」は終わってなどは居ず本質的に其のことが激化して行くのはむしろこれからのことでせう。

 

全く怖ろしい話である。

所謂「ハルマゲドン」とはそんな「本能」と「理性」の大闘争のことなのやもしれません。

 

尚其の「ミニマルライフ」は凄い生き方だとは思うが矢張りと言うべきか万人向けのものでは無いやうに思う。

其処は丁度所謂「藝術」の世界が万人向けのものでは無いことに本質的には似ているのではなからうか。

 

しかしながら其の「逆方向」での認識の流れ其のものは所謂「眞理レヴェルでの認識」であることにまず違いないものと個人的には思う。

また人間の認識の流れを變えるのは「思考の技術」とのことですが其れはまさに其の通りでのものです。

 

人間は自ら「思考」することにより認識上の様様な結節点に突き当たり且つ其処にて自己に取っての「思考上の道程」を選択することでこそ其の精神を完成させて行くことが可能となる。

逆に何も考えずに「仕事」へ行って居れば良いだとかまた「結婚」したから良いとかさらに「孫が出來た」から良いとかさうしたことでは無いんです。

 

そんなもんは全部追い出して「眞理追求」の為にあえて「逆向き思考」を積み重ねて行くのはむしろ余人にはなかなか出來ぬ「アッパレな思考」其のものでせう。

故に社會的な意味での「洗脳」ダケはむしろ積極的に解いて置くべきだらう。

 

まさに其のことは社會的な意味での「洗脳」を解けばまた新たなる「思考の地平」であり「認識であり価値観の新たなる地平」が其処に拓かれるとのことである。