常に筆記具の世界で感ずるモノの樂園のことーまさに今此処に有る物の樂園の御話ー
【出口学長・特別講義】マルクスの主張がこんなにも時代を超えて読み継がれる理由 (msn.com)
其の「マルクス主義」が正しいかどうかは別として知性派として今此の世を生きる限りは其の位のことは当然に勉強して置かねばならない。
だが其の「マルクス主義」壱つを勉強するだけでも最低壱年はかからうものである。
だから👪主義をやって居るとなかなかそんな「御勉強」の時間は取れぬ。
「御勉強」とはさうした意味での「心を👹にしてやり遂げるだらう理性に取っての茨の道」其のものなのだ。
さうして「御勉強」を積みかねた上で最終的に自分の「論」をどんな形であれ発表し得ればもう其の人はひとかどの知識人なのであらう。
さて常日頃使う筆記具の種類が其れこそ、
1.万年筆ー1950年代~1990年代ー
2.萬年筆ー1890~1950年代ー
3.芯ホルダー及びシャープペンシル
4.ボールペン
と広範囲且つ多岐に亘る自分の場合は要するに日日筆記具に囲まれつつ暮らして居ります。
勿論筆記具など無くとも本を読めば「御勉強」することは出來るが其れもメモを取ったりこと自分の考えを紙に書き付けるにはまたどうしても筆記具が必要となる。
其の筆記具とは大げさに言えば理性に取っての刀であり文人のタマシイのやうなものだ。
さうして文人では無くとも壱般人以上に筆記具が好きな方などもまた世には居られます。
尤も文人の場合は筆記具に凝るやうな人の場合はロクな作品が書けぬものとさう相場が決まって居るかのやうだ。
ですが筆記具に凝るやうな人は所詮モノバカであり何だかんだと言いつつ其処に精神性の方が弱くなりがちである。
さて其の筆記具に凝るやうなモノバカは教師である可能性が80パーセント位の確率でもって御座ります。
事實以前筆記具掲示板の分室で書いて居た頃の知り合いは80パーセント位の確率でもって教師ばかりでしたのです。
また教師は大抵の場合「理性の使い途」に長けて居る人が多く勿論僕などもまずはソコを心得て居ります。
其の教師は大抵の場合図書館だの筆記具だのまた植物園だのが何故か大變好き♡なものです。
逆に飲み屋街だのピンサロ街だのパチンコだのカジノだのにはほぼ縁が無いのです。
縁が無いと申しますかもうそんなところを想像するダケでむしろ吐き気がして参ります。
でもって本日語りますのは、3.の芯ホルダー及びシャープペンシルのことです。
と申しますのも文明はかうして確かに科学技術に支えられてかまさに日進月歩にて進んで行きます。
ところが實は1.と2.の筆記具のタイプはほぼ進んで居らず逆に「本格性」の面では退化して來て居ると言っても過言では無い。
何故其の退化が引き起こされたのかと云うに其れはひとえに「万年筆其れ自體が過去の筆記具である」ことに由来するものです。
即ち万年筆はすでに筆記具の主流では無くむしろ其の過去の榮光としての足跡を懐かしむであらう「懐古趣味のカルトな筆記具愛好家」にてほぼ独占されて來て居る。
また其の「懐古趣味のカルトな筆記具愛好家」は優越感を常に伴って居ます。
其れも其れこそ教師や医師の如くに所謂聖域としての職種に抱くことであらう「優越感」にも似た壱種の「勘違いされた威張り」の世界に自ら籠って居るのである。
まあですがとりあえずは其のことも決して直りゃあせぬことなのです。
此の世での出來事はさうして眞の意味での理性的段階へと進むものには非ず。
要するに勘違いの羅列であり間違いの巣窟こそが此の世での實相である。
でもって自分のやうに理性的な人間ですらさうしてつい「威張る」訳だ。
俺は万年筆が良く分かった人間でありしかも其れでもってかうして日日御勉強するのが大好きだ。
だから君等のやうな低級な人間とはそも理性としての出來が違うのさ。
などと言うのが其の「懐古趣味のカルトな筆記具愛好家」の論理なのですがまあしかしながら其れも🚞マニアや🏰マニアが其の知識を振り翳す如きものでありさう目くじらを立てるやうなものなのでは無いのでせう。
さて其の御寺巡りの折りに行きましたのが堀田のダイソーのショップでした。
其処にて便箋×5ー日本製とはなりましたがブラジルから輸入したと云うやうなことが何故か書かれて居るーと筆万年筆を収容する為の300円商品の大瓶を求めついでに「2mm シャープ鉛筆」を求めた。
其の「2mm シャープ鉛筆」は110円である。
まさに其の「2mm シャープ鉛筆」の出來が大變良い。
【100均検証】ダイソーの「2mmシャーペンセット」のコスパが心配になるほどハンパない | ロケットニュース24 (rocketnews24.com)
ダイソーの2mmシャープペンが超優秀。【建設業の人向け】 | 彩りらいふ (s-ytk.com)
かうして概ね評価の方が良いやうだ。
私個人の感想としてはまずはこんなペンが110円で手に入ることが可成に不思議である。
さて丁度其の3.の領域では此の6、7月の収集でもって念願だった「hi-uniの芯ホルダー」を弐本求めたところである。
其の品は拾年來探し求めて來し「hi-uniの芯ホルダー」である。
だが其の値段は弐本でもって110円の百倍程もして居る。
「芯ホルダー」は「シャープペンシル」とは違いむしろ専門的に製図などで使われたものである。
其の「芯ホルダー」をまた筆記具マニアは好んで使ったりもする。
其れもどちらかと言えば万年筆のマニアなどが好んで使ったりもする。
さても其れは何故か?
「芯ホルダー」は2B以上の「軟らかい芯」が使えるので所謂柔らかい良い筆記感が樂しめる訳だ。
だが個人的にはボールペンの方もまた好きですので「ボールペンなど絶對に使わぬ」とさう仰る何処かの🖋の愛好家様のやうに偏屈では無いつもりである。
ちなみにわたくしは「芯ホルダー」に6Bや8Bなどの極軟らかいつまりは黑鉛量の多い芯を好んで使う。
また芯も削らずに書くことが多い。ーむしろ書きながら芯を尖らせたりもするー
例えば直観された哲學的内容や詩のフレーズなどを便箋に書き留める場合などに其れはややこしい万年筆などよりも書き易かったりもする。
筆記具は常にさうして「多義的」に使い是非其れ其れの良さを発揮させてあげるべきである。
筆記具は最終的に爪などをインクに浸しても其れがまさにペンとなる。
筆記具はドレが偉いまた偉く無いとのことでは無くまさにドレであれ例えば其れが「眞理」を表す言葉を紡ぐ道具となったりもまたするものなのだ。
故に其処に「価値ヒエラルキー」を設定すべきでは無い。
其の「価値ヒエラルキー」こそが「資本の論理」によるまたあらゆる世俗的な意味=しがらみによる妄想であらう。
だけれども其れでも猶「価値ヒエラルキー」は生ずる。
あくまで其れは「無い」のでは無く「有る」。
故にたとえ其れが「有る」にせよ其れに全的に凭れ掛からぬ認識こそを成就すること。
まさに其のことが我我現存在の貧しい認識を豊かにせんが為の手立ての壱つなのだ。
そんな安物なのか、所詮コレは?
いいや安物は安物でも例えば拾年前の安物とはモノが違う。
以前の百円ショップ物の筆記具は確かに半年位で壊れる物が多かったやうに思う。
だがどうも此れは違う、明らかに違うのだ。
まさに其れはアノJinHaoの廉価万年筆と同じであり作りの方が良くなりどうもすぐには壊れさうにない。
であるから故に筆記具マニアや筆記具を使うプロがかうして其れを褒めるのである。
褒めると云うことはそも其れが「良い」から褒めるのでありもしも其れが「安からう、惡からう」なのであれば無論のこと褒める必要などは何処にも無いこととなる。
さらに此の「2mm シャープ鉛筆」はとても軽く仕上がって居る。
筆記全長151mmー芯の長さを含めー
重量8グラム
バランス6對4
尚筆記の上級者はむしろ軽い軸の筆記具をこそ選ぶものだ。
例えば150年程前の西洋の羽根ペンなどは5グラムとかおそらくはそんなものであらう。
軽いと云うことは「チープ」ともまた受け取れないこともないがとりあえずは妙に重い筆記具よりも価値が上だとさう捉えて置くべきだらう。
例えば中國や日本の筆は値段が高くてもまた安くても同様に皆軽い。
故に其の「軽さ」は低級と云うことでは無いのだ。
さらに言えば現代人は「重いモノは高価で且つ高級だ」とさう思い込み易い。
だが其のことは百年以上前の所謂アンティークの萬年筆を蒐集すれば「間違い」であることが明らかとなる。
ちなみに「芯ホルダー」の場合は軸の前部に金属部があり其れでもって低重心のペンと必然としてなる。
つまりはバランスが4對6ーペンの長さに對する比率ー位となるのである。
だが「2mm シャープ鉛筆」は其れとは違い要するに六角形の鉛筆を使う感じに近いものである。
また鉛筆とは違い芯はノックすれば壱mm位づつ出るが故其の点は至極樂である。
100均セリアの2mmシャープペンは書き心地抜群!鉛筆のような滑らかさ! (zakkalife100.com)
2㎜芯シャープペンシルは100均が最強! | ときめきアトリエ (tokimeki-atelier.net)
さて其のセリアの「2mm シャープペン」の方が至極気になる。
かうして文房具もまたキリがないのですが百円、千円の単位での物であれば😣しなければならぬと云う物なのでも無し。
尚こちらはグリップ部が参角であることなどがまた魅力的であり或は「2mm シャープ鉛筆」以上の使い心地ともなりさうな物だ。
3.芯ホルダー及びシャープペンシル
4.ボールペン
戦後圧倒的に進歩を遂げたのがまさに此の分野である。
またさらに付け加えるとすれば、
5.サインペン
と云うこととなる。
でもって21世紀に入り劇的に良くなったのが「ボールペン」だが同じ位に良くなったのが「シャープペンシル」なのだ。
でもって我我還暦世代が小学生、中学生の頃に使った「シャープペンシル」は兎に角0.5mmの芯が良く折れたものだった。
以降芯は改良され折れにくくなったとは言え2.0mm芯はまず折れやうが無くまた實は筆記上の表現性が豊かである。
故に其の頃学校の先生は「シャープペンシル」を使わず「鉛筆」を使いなさいと大抵はさう言われたものであるが其れは「鉛筆」を使った方が表現豊かな🗾の文字が書けるからなのだった。
其のやうに「シャープペンシル」とは筆記上の「合理化」としての産物なのだ。
其れでもって筆記自體をより合理化すると筆記具は消え「キーボード」に化けるのである。
其の「キーボード」もより合理化すれば音声認識か何かにてPCが何かを書いたり或はAIが勝手に作文したりするやうになるのであらう。
だけれども「シャープペンシル」は結局そんなアナログ筆記具のことなのだ。
そんなアナログ筆記具の良さはどうも多義的と云うか多様性と云うか選択と用途の幅が広くあるやうに思えてならない。
故にセリアの「2mm シャープペン」の方に嵌まり直してもまた良いのである。
まさに其の意味では自分はそんなアナログ筆記具の謂わば専門家である。
勿論腕時計などもアナログが好きなのだがだが手巻きや自動巻きは余り時間が合わないので買うのはむしろチープ・カシオばかりである。
尚チープ・カシオを買う時に気を付けた方が良いのはズバリ電池の寿命である。
何故なら電池の寿命が弐、参年ではまたすぐにチープ・カシオやまたチープ・シチズンなどを買う羽目となる。
ところがチープ・カシオには何と拾年電池モデルがあるのだ。
どうも其れも拾年は使えぬやうではあるがだがどんなに苛酷に扱ってもおそらく五年は動き続けることであらう。
其れも弐、参箇月に壱度程5分程狂った時間を合わせるだけなのでありさう云う物は我我がまだ30歳位だった1980年代の後半にはまだ何処にも無かったのである。
ちなみに其のチープ・カシオはアマゾンなどで幾らでも売って居るのであるが自分が愛用するのは旧型のモデルである。
Amazon.co.jp: 【並行輸入品】CASIO BASIC ANALOGUE MENS カシオ ベーシック アナログ メンズ MW-600F-2A : ファッション
此れですね、つまりはコレだ。
コレは安くてしかも拾気圧防水でしかも拾年電池です。
まさにコレなどは参拾年前には何処にも無かった御品である。
またつまりは現行の資本主義社會が可能としたものとはまさに其の「安くてしかも良い御品」の充實振りのことである。
さらに言えば其のやうな物の充實振りの部分は如何に🗾社會が本質的に失敗して居やうが居まいがたった今🗾人に取り享受される壱つの大きな価値其のものなのだ。
逆に本質論を持ち出せば「マルクス主義」の方が無論のこと正しいことであらう。
だけれども其の正しいと目される「マルクス主義」ではおそらく「2mm シャープ鉛筆」や「チープ・カシオ」は得られなんだ可能性がまた高くある。
そんな訳で何故か最終的には「マルクス主義」を選ぶか其れとも「安くてしかも良い御品」を選ぶかと云うことになって仕舞いましたのですがどうも現状は、其の3.4.5.に於いてまさに「樂園」とさう申しても良いやうに思われるのです。
其れ即ち「マルクス主義」はあくまでイデオロギー上の選択の御話であり實は其れを選択しつつも他方では「安くてしかも良い御品」をニヤニヤ笑いつつ買い込んで居たって良いのであります。
どだい欲はアカンと言ったって🗾の御坊様方には大抵の場合妻もまた子も居りませう。
欲はアカンと言ったって🗾の御坊様方でも🚙位は持って居られませう。
だが其れ等の無い筆記詩人が「安くてしかも良い御品」を選ぶことに耽溺して居るのだとしても其処にどんな大罪が生じませう?
そんなものはアンタまるで幼稚園児の欲望のやうに可愛いものではありませぬか?
あああー、どうもたった今此処はそんな樂園だな。
其れもあくまで「物に取っての樂園」であり「精神に取っての樂園」なのではまさか無いのでせう。
だけれどもまた其の価値も「有」るとして見なければ「無」いことと同じになって仕舞う訳です。
故に其の「有」の哲學とは正反對の概念もまた同時に許容しむしろ其れを樂しんで置く心の余裕をこそ指して言う言葉なのだ。
だが今君はモノでもって放蕩をした御陰でスッカリ金欠なのだらう?
いえまた東京のショップへペンを売りますのですし。
其れに蒐集はほぼ完全に終えて居ります。
さうかでは其の盆踊りに精を出し参加するのですね?
いえ「盆踊り」などはしません。
只其れを観に行くだけの話だ。
逆に「マルクス主義」の視点より其れを見詰めて來たいところではある。
また御寺へも行くのですね?
はい、もう殺人的に暑いですが🚲にて行って來ます。
草刈りはどうなったか?
嗚呼また其れもやらねばならない。
其れと夜の🐱の散歩もやらねばならずで。
ですが夜🐈を連れ西八幡社ー家から150メートル東の神社ーへ行くともう広場にある参本の楠の大木が神秘的に美しくて。
また夜景なども毎日観られます。
但し本当は🐶の散歩が禁止となって居りますのです。
ですが其処にて夜中に🐱の散歩をして居る奴のこと迄は想定されて居ない訳です。
兎に角此の世にはむしろさうして何でも有る。
「何でも有る」ことを成り立たせたのが「資本の論理」であり本質的に其れは間違って居ますが理性ある人は努めて其れを受け容れつまりは「惡を忍受」して行く他は御座らぬ。
尤も其れでも理想的な社會のあり方が此の世には矢張りと云うべきか「有る」。
だから其れが「有る」と云うことを述べて後は素知らぬ顔をして此の惡どい世の有様と同化して居れば良いのです。
ですがイザ立つ時には立つ。
なんですが自分に限りもう立つ気などは御座りません。
まあかうして筆記具と戯れ飯を食い🐈を散歩に連れて行くのが精壱杯である。
だけれども🐈を散歩に連れて行くのが實際毎日樂しみなのだ。
さても何でそんなに🐱に好かれるのですか?
其れはズバリ🐱人間だからでせう。
サア今夜はこれから飯を食いまた町内の見回りを兼ねて散歩です。
其のやうに町内に危険な芽が兆して居ないかと云うことを巡回により発見する。
さうして神社仏閣の暗がりにて不純なる異性交遊などをしておる中学生などを是非更生させる役目を果たさねばならぬ。
また場合により警察にも通報致します。
もしやお前が怪しがられ通報されるんではないか!
そんな何匹も🐈を引き連れた変態オヤジの夜の散歩が。
いえわたくしは単に「🐈の散歩を兼ねた夏休みの町内の見回り」をあくまでして居るだけのことなので御座ります。
おおっ、今アマゾンより良い物が届いた!
果たして何ですか、其れは?
其れはJET STREAMの金属製の替え芯です。
矢張りと云うべきかとある銘木ボールペンにピタリと嵌まりました。
流石は三菱鉛筆です。
兎に角さうして「此の世には何でもあり筆記具位なら誰にでも収集は出來る」とのことである。
いやあ素晴らしいですね此の銘木ボールペンと其のJET STREAMの替え芯との組み合わせが。
ですが其のことに就いてはまた是非後日に語らせて頂きます。