目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

「蓬莱郷」であり「寶來郷」でもある其の棚山のことー映画『夢』より読み解く眞の意味での「自然」の価値ー

「蓬莱郷」であり「寶來郷」でもある其の棚山のことー映画『夢』より読み解く眞の意味での「自然」の価値ー

 

 

 

 

全く不思議なことながら、先週から此の週末迄こちらではずっと天気の良い日が続き其れでもってほぼ毎日🐈と共に日向ぼっこをする毎日であった。

尤も天気の良い日は布団や毛布の丸洗いやらまた其れを干すことで大層勞力がかかりまさに其の点ではそんな優雅な様でも何でも無い。

 

つまりは其の家事とて所詮は「格闘」だから兎に角全てが謂わば實存的闘争である。

けだし其のやうな折に壱、弐時間の時間を見つけては「鉱物観賞」の世界に浸り切るのがまさに自分流での現代文明との離反の時でありむしろ何も考えずに過ごせる秘密の儀式の如きものなのだ。

 

壱般に現代人には其の「秘密の儀式」こそが欠けて居やう。

其の「秘密の儀式」とは「火遊び」だとか「大酒飲み」だとかさうしたことでは無くつまりは内なる飢えた魂の解放のことである。

 

其の「内なる飢えた魂」とは食欲や性欲などとは余り関係の無い謂わば精神的な次元での御話である。

何?「内なる飢えた魂」など何処にも持ち合わせては居ない?

 

だから現代人はダメなのだ。

現代人は「詩」を忘れ「自然」を忘れ価値を全體主義化し其れに熱狂することにのみシャカリキとなって御座るが其れは概ね間違いだらう。

 

 

正しくは彼自称の詩人の如くに「諄い程の自由人」でこそ是非あるべきなのだ。

尚自称の詩人はすでに活動のシーズンに入って居りよって暫くまた休むからかうしてあえて今纏めて何かを書いて居る。ー自称詩人としての野外活動のシーズン=四月と五月ー

 

 

さてさうして日日陽の光に翳しつつ石を観て居るとまるで分からん石が何故か出て來る。

 

ヤフオク! - 国産鉱物0103 棚山の大きな赤色の入った松脂岩 (yahoo.co.jp)

 

かうしてかのSHIBATA氏がかってこんな石を出されて居りつまりは其れが松脂岩なのだった。

其れでもって今回初めて自分に取っての謎の石が此の種の緑色の松脂岩であることが分かった。

 

尤も其れはもっと平べったくさらに茶褐色の錆のやうなものが全面に付いた石である。

ところが中身の方が「ガラス質」の石に見え其れが画像よりももっと綺麗な緑色なのだ。

 

「松脂岩」とは其のやうに💎質の物にもなり得る石なのだ。

此の石の錆の部分をこそげ落とせばまさに「棚山の💎」となり得る可能性を秘めし緑の石だ。

 

尚其の石の比重は軽めである。

尤もパイロクスマンガン鉱などのマンガン鉱物や翡翠などは比重が大きくあり重いが其れと比せば兎に角軽めである。

 

 

鉱物の色について | The Key of Gaia 出張所 (ameblo.jp)

石って堅い?割れる?…というお話|The Key of Gaia 出張所 (ameblo.jp)

 

鉱物の色や硬さ、また堅さなどに就いては色色と参考になる部分がかうしてネット上に出て居る。

石の場合は何せ元元生きては居ない物であり従って其の色だの硬さ、堅さなどの部分が所謂石の個性を指し示して居るのである。

 

其の石の個性とは人間で云う性格のやうなものなのであらう。

人間の性格が人其れ其れであるやうに石の性格もまた石其れ其れとなるのである。

 

さて棚山の麓に川売と云う集落があり此処を横切り棚山の山中ー林道ーへと向かうのである。

奇岩の🐵ケ岩と云うのは其の川売の集落を抜けた棚山側の方にある。

 

さうして鳳來寺~棚山の辺りは其の奇岩としての火山岩である松脂岩により壱種の絶景的な地形が形作られて居る。

だから所謂「蓬莱郷」であり「寶來郷」なのだ。

 

 

川売の梅花まつり | 愛知県観光協会の公式サイト【あいち観光ナビ】 (aichinavi.jp)

23日から川売梅花まつり | 東日新聞 (tonichi.net)

 

川売では毎年「梅花まつり」が行われる。

だが其れに特に興味がある訳ではないので訪れたことなどは無いがそんな山奥の村でひそやかに行われる祭りは我我都會人に取りまるで夢の如き光景にも感ぜられる筈だ。

 

 

川売の梅園



Amazon.co.jp: 夢を観る | Prime Video

 

夢、さう、まさに其の夢。

そんな「夢の世界」の出来事をかの黒澤 明監督がかって「映画」に仕立て上げて居る。

 

Dreams (夢, Yume ) Akira Kurosawa 1990 - YouTubeー英語の字幕付きー

 

例えばこちらの12分50秒~25分40秒迄に第弐話として「桃畑」の御話が映像化されて居る。

 

映画『夢』ネタバレあらすじ結末と感想|映画ウォッチ (eiga-watch.com)

 

こちらにも其の「桃畑」の御話のあらすじが書かれて居り要するに其れは黒澤 明監督流の環境破壊に對する藝術の側からの抗議としての御話なのだらう。

「桃」の木をさうして伐り倒せば「自然」は即失われる。

 

 

「自然」とはまずはさうして「木と云う物」なのだ。

其の「木と云う物」を伐ればもはや其処には「自然」は生じず。

 

だが其のことが分からぬ人間はー其れも主に社會的な有益性の面から価値判断をし常にかうして木と云う木を伐り倒して行くのだ。

左様に人間は庭師だらうが行政側だらうが兎に角皆経済的有益性に立脚した考えでもって木と云う木を伐り倒して行く。

 

だけれどもむしろ其のことから、其の「切る」との意思決定故に自分等が自然から切られて御仕舞いとなるのである。

嗚呼でもなんて怖い御話なのだらう。

 

でも少年は、其の「桃の木」が好きだと云う少年だけは其のことの全てを即ち其の蛮行としての木を伐る様を涙しつつ見詰めて居るのだ。

ところが「経済的有益性」だの「進歩思想」だのに頭が凝り固まった大人達には即ち心が汚れた人間共にはむしろそんなことはまるで分からない。

 

人類のまた文明の滅亡とはとどのつまりそんなカラクリにて粛粛と進んで行く出来事なのだらう。

 

 

でもって其の川売の梅園を観るにつけわたくしは其の「桃畑」のことを常に思い出さずには居られなかった。

尤も90年代に『夢』をヴィデオに撮り繰り返し視た時には仰々しい其の桃の木の化身達の踊りの意味などはまるで分からなかった。

 

かってはさうして分からなかったが今はしかと分かる気がして居る。

其れは「木を伐るな」と云うことを自然の中から體感的に學んだからなのだ。

 

さて其の「蓬莱郷」であり「寶來郷」である棚山の地を初めて感じたのは丁度弐年前のことだった。

其処には🌸🌸が咲き集いさうして何より空気が清しく感ぜられて居た。

 

其の🌸や木や空気の良さの方が明らかに「経済的有益性」だの「進歩思想」だのよりも大事なことである。

だけれども其の川売でもおそらくは過疎化や高齢化の問題が生じて居ることだらう。

 

 

嗚呼何たる矛盾の様か!

即ち「蓬莱郷」であり「寶來郷」である棚山には🏔や石はあっても所謂「近代的合理性」こそが欠けて居るのである。

 

さても其の『夢』は良い映画だから視て置いても損は無いことだらう。

其れがある種詩的な部分を含む映画なのでもまたあり。

 

リメイク版『生きる』が完璧なイギリス映画になった理由 (msn.com)

 

かうして英國版の『生きる』などもまた制作されて居るやうです。