目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

食うことと出すことは動物に取り最重要での生命維持の為の要件だ

ー主に💩と日本食の良さの御話ー

 

 

 

サイエンスZERO アニマル腸能力!腸内細菌が絶滅危惧種ライチョウを救う!?

 

其のライチョウのヒナが親鳥の💩を食べて居て其処から腸内細菌をまさに吸収して居るのです。

此れはまさに驚くべき自然界に於ける精妙な仕組みです。

 

であるからむしろ其の💩こそが生命體に取り至極大事なものです。

逆に💩をむしろあらゆるところから遠ざけなるべく排除して行かんとする近現代の壱種の潔癖主義こそが異常なものだ。

 

要するにソコに潔癖になるべきでは無く逆に自然界に對する汚染にこそ気を配り其れが「決してしてはならないこと」として認識されて居なければならない。

ですが現存在の社會では大都會なるものを拵えさらに其の中を兎に角クリーンに保たうとする。

 

ですので都會の便所は何処でもそれなりに綺麗に掃除されて居たりもする。

なんだけれども山の中は常に💩ダラケかと言えばさうでは無くむしろ我が経験上ではごくたまにしか動物の糞には出遭えませんでした。

 

 

では其れがどうなって居るかと云うに要するに其処には常に自然界の自浄作用が働き其の💩は常に風雨に晒され且つ様様な分解作用を受け消えて行くつまりは逆に自然界での養分となってさえ居る。

まずは其のことをこそ理解して置く必要があらう。

 

其の理解とは観念的に理解した上で且つ實感的にも其のことが「分からねば」なりません。

ですが現存在のほぼ8割方の人人はおそらく其れを實感として認識する機會には常に欠けて居ることでせう。

 

であるからこそ倉本 聰先生は自然界の営為の見事さを文學的に表現され且つ養老 孟司先生は「特に都會人は『参勤交代』の如くに田舎ー自然の中ーへと定期的に戻るべきだ」とさう述べられて居るのです。

 

左様に💩はむしろ現存在に取り非常に大事なものです。

なのだが現代人は其の💩を毛嫌いし其れは「臭い」し「汚い」つまりは「汚物」であるに過ぎないとさう判断します。

 

自分は其の判断其れ自體に大きく疑問を持ちだから此れ迄にも此処にてあえてウンコ、ウンコとさう連呼して来た。

故に傍からは変質者だとさう見られやうが其れはあくまで現代人の其の変な認識を正さんが為にあえてさうして来たのである。

 

また自分はかって便所は要らず野原にて爽快に大小便をして居れば宜しいなどと云うまさに狂人並みのことさえをも述べて居りましたが其の時皆様は正直自称詩人のことを「変態野郎」だとさう思ったことだったらう。

 

ですが自称でもあくまで詩人の認識はまた皆様方とは違います。

即ち詩人は常にもっともっと大きく此の世界の事象を捉え其処に於いて深く思考を巡らせて来て居るのだから。

 

なので其の哲學的な認識を得意とする自然派詩人に取りあくまで其の💩こそが大事なものなのだ。

 

 

さて🐈の多頭飼いをする家の庭は今💩まみれですがでも🐈は潔癖な動物ですので土を掘り其処に💩をし後にまた土を盛るので實はほんたうに💩まみれと云う訳ではありません。

ですが我が子供の頃ー昭和四拾年代前半ーは屡道路の片隅などに🐶の💩などが良く落ちて居たりしました。

 

また当時は家の便所も所謂汲み取り式で従ってまさに何処までも臭く汚い便所でしたし屡便所の壁などに蛆が涌いたりもまたしたものでした。

其の頃は家の前の道もまだ舗装されて居らず何処の家でも皆家の前にドラム缶式の焼却機を出し其処にて家から出るゴミを燃やして居たりもした。

 

さらにそんな道には雨が降ると澤山のミミズが這い出て来て中には可成にデカい奴も居てそんなものを女の子達がキャーキャー言って怖がるのです。

ですが今思えば其のキャーキャー言う女の子共の方がウルサイと申しますかバカと申しますか兎に角過剰反応して居るのでした。

 

其の女性の自然への親和力の無さはあえて今此処にて記憶して置かれるが宜しからう。

また🚺共はキャンプなどへ行き其処で大蛇が出たりまた大蜘蛛、大ゲジゲジなどが出たりすると矢張り同じやうにキャーキャー言って決まって怖がるのです。

 

だから其れは大蛇や大蜘蛛、大ゲジゲジの方が気持ち悪いのでは無くお前等の感覚の方こそがむしろ気持ち悪いんだ。

即ち女のバカはむしろ真實なのですよ。

 

 

ですが此れ以上言うとまた左翼🚺にでも全否定されかねぬのでもう此処らで止めて置きませう。

なのだが其の左翼🚺は自然愛好者であることがまた多いので大蛇や大蜘蛛、大ゲジゲジなんてむしろ可愛がるべきなのではなからうか。

 

まあそんな「意識が高くある系での左翼🚺」ならば逆に尊敬させて頂いても宜しゅう御座る。

そんな訳でほんの半世紀程前には今では考えられないやうな「自然」の部分がまさに生活の壱部としてさうして日本中に残って居たのでした。

 

ですがそんな「古き良き思い出」としての自然的生活も所謂「高度経済成長」と共に失われて行かざるを得なかった。

やがて小学生の高学年から中学時代へと社會インフラの面で近代化されて行くと共に確かに生活其れ自體がより「スマート」なものとなって行く。

 

従ってそんなボットン便所だの家庭単位でのゴミの焼却も無くなり生活はまさにより「便利」で「清潔」なものへと移り変わって行った。

また当時我我ー小学生と其の親ーにはまさに其のことが「至上の価値」として認識されて居たのだった。

 

ですが半世紀後の今むしろ其のことは果たして正しかったのかと言う恐るべき問いが文明に對し突き付けられて居るのです。

 

勿論もう長きに亘り其の部分に就き我も考えては来たが現在其れは「誤りであった可能性」が高くあるものとして個人的には認識して来て居ります。

ですのであくまで其れはむしろ「高度経済成長」への否定的見解であり所謂脱文明的な自然回帰の流れを重視するものとならざるを得ない訳です。

 

 

逆に申せばすでに其の「進歩主義」の諸矛盾による「破壊」が次次と顕在化して来てすら居ます。

其れもかっては取り沙汰されることの無かった部分や規模にて其の恐るべき「破壊」の實態が浮かび上がりつつもある。

 

此の我がブログでは此れ迄主に其の「文明による破壊」の側面を論じて参りました。

其の破壊には弐種があり、

 

1.物理的ー物質的ーな面での破壊

2.心理的ー精神的ーな面での破壊

 

でせう。

 

でもってして其の「破壊」には「💩の破壊」もまた入って居るのではないかと我などはまた思うのだ。

 

 

サイエンスZERO「睡眠・持久力・肥満まで!腸内細菌がもたらす驚異のパワー」 - NHKプラス

 

でもってしてこちらなどを本日TVにて視ましたがまさに其の内容に驚愕しつつ其れを視て居りましたものです。

 

要するに其の腸内細菌 - Wikipediaが果たす役割が動物の生存の機能として非常に大きかったと云う部分での御話です。

 

ーヒトの場合、腸内細菌には主に5つの働きがある[3]

 

其の腸内細菌が何とこんなに大きな働きをして居る訳です。

おまけにヴィタミン類をもかうして生成して呉れるのだった。

 

ですので、つまりは💩さんがむしろ壱番大事だと言うこととなる。

 

逆に申せば壱週間程前に酷い下痢を體験した我はおそらく其の腸内細菌の環境のバランスを崩して居たものと考えられやう。

でもって丁度今は野菜を澤山頂いたので其れ等を調理し毎日食うことをして居り其れによってか昨日辺りより可成に回復して参ったが自分の場合には生來の神経質から来る胃や腸の不調もまたあるのでまた其処は何とも申せません。

 

しからば、

 

💩さん、今日もありがたう。

 

と是非其のやうに思わねばなりますまい。

 

だから💩を邪険に扱って居ては決してならぬ。

むしろ日日💩まみれになる程に💩と御友達で居ることこそが長生きの秘訣であらう。

 

 

其れと番組中で長生きの人が多いとされる京丹後市 - Wikipediaのことが取り上げられて居た。

其処でもって食事の風景などが写されて居たがまさに非常にバランスの取れた野菜や豆類中心の膳にて正直「何て贅沢な食事なのだらう」とさう思わされた。

 

ところがおそらく其れは其の京丹後市の恵まれた環境によるところが大きいものと思われる。

左様に自然環境が良いと食材が良くなるので御飯の内容が至って贅沢なものとまたなるのであらう。

 

但し其れは金力にあかせて高級料理ばかりを食うアホの金持ち連中の食事の内容とはまた別での贅沢さを持ち合わせるものなのだ。

ああああああー、美味さうだ!!!

 

果たしてドッチが?

勿論京丹後市の御飯の方が。

 

 

またどうも京都の近辺は所謂京野菜と云うのか兎に角野菜類が素晴らしいやうに思う。

愛知県にも野菜はかうして澤山あるがどうも違うやうに思う。

 

其れと京丹後市日本海に面して居るので新鮮な魚などもまた入手し易い訳だ。

 

だが壱つだけ文句を言わせて頂くと我の大好きな京都産の千枚漬けは如何にも観光料金にて其の値段がクソ高い。

ちなみに昨年末京都から出稼ぎに来て居た灯油販売のオッサンに其れを告げると「そんなもんを京都人は食わんのよ」と言われ嗚呼、ヤッパリねとさう思ったのだったが其の後に「すぐき」すぐき - Wikipediaだったか其れを食うと確か言って居た。

 

さてでは京都産の千枚漬けの値段を是非調べて置かうか。

京つけもの 千枚漬発祥の老舗 千枚漬本家 大藤です。 (senmaiduke.com)

 

うーん、此処のオンラインショップで調べてみたが安い物があるにせよ量の方が良く分からない。

でもおそらくは概して高いことでせう。

 

ちなみに母は以前京都へは茶會などで屡訪れて居たので何かと関係があり確か其の千枚漬けを良く頂いて来たりもして居たのである。

尚其の千枚漬けはもう死ぬる程に美味いぞ。

 

もう幾らでも食えると云った感じである。

其処は矢張り関東や中部よりは食文化の面が壱枚上手だな。

 

あああー、其の「千枚漬け」を今すぐに食いたい!

 

 

ちなみに我の好物の壱つに洋風の所謂「ピクルス」があるが其れも何故か此処弐年ばかりは食して居ない。

其の酢漬けのものはむしろ壱番食わねばならぬと云うのに湖池屋のポテトチップスだとかそんな油物の菓子ばかりを食ってるのできっとこんなんなっちまったのだ。

 

さうか、ではまずは其の「ピクルス」と仏蘭西パンを買いおまけに🥒とハムを挟んでマヨネーズをしこたまかけて食ってみるか。

まあ其れも悪くはないか、あくまで洋風だが野菜が多いので。

 

さあ腹が減ったからまた何かを食おう。

左様に食うことと出すことは動物に取り最重要での生命維持の為の要件なのだ。