『宗教消滅』の危機に就き考えるー 壱 精神の世界も今やかうして金次第だったー
「キリスト教系は5万人増、仏教系は4000万人減」この30年間に起きた宗教離れの意味 日本は「宗教消滅」に向かっている | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
此の程此れを読み愕然と致しました。
個人的には佛教が廃れれば日本人はもうダメになるものとさう思う。
何故なら佛教は今後の日本人にはむしろ最重要の宗教でせう。
左様に日本は以降良くなると言うことは無い。
即ち経済的にまた文化的に没落して行くことだらう。
だから幾ら野球やサッカーで頑張るにせよそんなもんはたかが遊びのやうなものに過ぎない。
重要なのはむしろ日本の國としての哲學でありさうして宗教です。
故に逆に其の大事なものが壊れて行くのです。
其の原因としての最大因が「日本人の精神の合理化」=「現世利益化」のことだらう。
要するに日本人は所謂會社組織や経済體制などからの現實主義に心が汚染されて居りつまりは其れに洗脳、家畜化されて居り宗教のことや哲學のやうな「深い思考の世界」を自ら放棄して仕舞ってすら居る。
だから日本人は結局宗教や哲學の分野のことが壱番苦手である。
對してキリスト教の場合は何と微増したさうですが其のキリスト教の場合にも欧羅巴諸地域での没落の度がまた酷いものとされて居る。
要するにそも毎週教會へ行くのが面倒だし其れに教會の為の税金を払うのが大変なのでもう止めちゃえと云うことなのだと思われる。
ですが其れもまた要するに「合理化」の流れでのことでせう。
何ですが其処でもって現存在は壱つ個として良く良く考えて置く必要が御座ります。
其れは今後「現代文明が滅亡へと向かう」ことはほぼ必定だと言うことです。
また其のことは宗教的な解釈からまた文學的にさう判断されるのでは無くむしろ最先端の科学的知見からさう言わざるを得ない訳だ。
であるのだとすればさても其の暗黑の未來に對し我我の心を落ち着かせ救って下さるのは果たして會社だの國家だのそんな社會的な組織であらう筈が無いのです。
其の科學的な知見からの未來予測からしても其のみんなの信ずる會社だの國家だのはむしろ2050年辺りから崩壊して行く可能性の方が高くありませう。
其のやうな時に何故自らの心を救って下さる可能性のあるものからあえて遠ざかるのでせうか?
まずわたくしには其の意思決定のあり方こそが分からんのです。
では宗教詩人は個人として御寺若しくは教會または特定の宗教団體に對ししかと御布施をして居るかと言えばさうでは無く實は壱銭も出しては居りません。
ですがもうこんだけ宗教のことを論じて来たのでまさに其れが宗教詩人としての御布施なのだとさうも思って居ります。
で元來は壱回分で拾萬程の原稿料を貰うところを其れも貰わずにかうして宗教の為にこそ奉仕して来たのでおそらくは御釈迦様もまたイエス様も共に大喜びされて居るものとさう思わざるを得ぬ。
あああああーもうどんだけかうして御布施をして来たことか。
其の所謂「精神の合理化」の流れはしかしながら最も恐ろしいことのやうに思われる。
1.大衆的認識による其のややこしい宗教の毛嫌い
2.宗教が絡む社會的な事件への拒否感
3.資本による搾取がより酷くなることでの収入減
まさに此の参点が密接に絡み合い宗教的な場の存続が危ぶまれて来て居ると見て置いた方が良いことだらう。
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おそらく壱部の金満寺を除き全體的に寺が疲弊しつまりは回らなくなって居ることでせう。
でもって庶民の収入減もまたキツイものがありますが寺は兎に角維持費が大きくかさんでかかるので其れどころでは無いことでせう。
また葬儀はより簡素化され金がかからぬやうになっても居るので其処に坊主は要らんと言えば要らず只読経専門の派遣の坊主であれば其れで良いんです。
要するに江戸期に確立された檀家制度其れ自體がすでに限界を迎えつつある。
かうして現代社会は物余りである癖に他方で搾取が酷くありよって宗教にさえ金を使えないと云う要するにそんな政治のあり方其のものに大きく問題がある。
故に其の政治が変わらぬ限りは「國や行政レヴェルでの」寺院消滅の回避は難しくなるものかと思う。
4.政教分離の原則
5.國による全體主義
ところで今儲けに儲けて来て居るのが政府なのださうだ。
さうして庶民を食うや食わずの状態へと追い込みつつ平気で國の方はむしろしこたま儲けて来て居る訳だ。
ところが日本人は大人しくて何にでも従う「良い人人」なのでごく壱部の學者や社會科詩人位しか其れを指摘し「いっそ革命したろか!」とは言わないんだな。
だからみんなはさうしておバカにハイハイと何でも御遊戯なのだった。
此の馬鹿野郎!!
自民党員なんぞは全員断頭だ!
だから其の「全體主義」をむしろ日本國民のみんなが自分から進んでやっちゃってると云うのにもはやみんなは誰も其れに気付いて居ない。
なので理想を言えば「政教分離の原則」の部分を憲法改正し少なくとも貧乏寺や貧乏神社は國が補助する形で維持して行かないと「日本の精神體制」が今後崩壊に至る可能性が高くあらう。
但しキリスト教徒が微増して居ることなどはむしろ惡いことでは無い。
宗教は左様に正教に限れば其れを信仰することは惡いことには非ず。
だが其のキリスト教もまた世界的にはイスラーム教徒の増大に戦戦恐恐として居るものらしい。ヨーロッパを覆う「イスラム化」という恐怖(SBCr Online)
まあ其のイスラーム教もまた男尊女卑の教えの部分は個人的に理解されるから邪教と即判断する訳では無いがでも日本の場合は兎に角佛教の衰退だけは如何にもマズいぞよ。
要するに今のやうな政治のあり方では佛教を救うことなどはとても出来んと云うことである。
またキリスト教と佛教はおそらくは共存が可能であらうがイスラーム教と佛教の共存はおそらくはより難しくなることだらう。
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尚個人的に其のTOYOTAによる未來型都市計画には基本的に懐疑的である。
何でかと申すとTOYOTAは所詮壱大企業でしか無いからである。
其れが何で此処まで威張れるかと言えば只「しこたま儲けた」からである。
だが其の莫大なる儲けの額の中にはTOYOTAにてこき使われ自殺した社員の血の涙や怨念が籠って居るのである。
また其の「カイゼン」方式だがつまりは其れは「合理化」方式でしか無い。
我は昔TOYOTA系の企業に参箇月だけ居たことがあり其の折に鞍ヶ池トヨタ鞍ヶ池記念館 (toyota.co.jp)も訪れて居るが確かに其処は夢の場ー壱企業としての理想を實現せんが為の夢の巣窟ーではあれ他方で「儲けさえすれば都市をも創れる」と云うのは果たしてどうなのだらう?
きっとTOYOTAにこき使われさうして自ら命を絶った社員達はそんなTOYOTA王國の成就をおそらく決して喜んでは居らぬことだらう。
即ち現存在ー人間ーはな、まさにほどほどにして置くべきなのだ。
其れもかの家康公の如くに「限定」して置くことこそがより望ましい訳だ。
ところで壱つ相談ですが大TOYOTAは國民壱人当たり拾萬を出す財力があるのでせう?
ならば何で其れをやらんのですか?
此の際其れを是非やってちょー(やって呉れ)。
さうしてみんなに金をバラ撒きみんなの窮状を壱刻も早う救おうではないか!!
資本主義は宗教と心中する―迫り来る『宗教消滅』の時代―(SBCr Online)
兎に角其の『宗教消滅』のことに関してはこちらにて學べるので興味のある方方は是非御勉強して置いて頂きたい。
新宗教の信者激減 10年後に消滅する教団も|NEWSポストセブン (news-postseven.com)
其の新宗教の淘汰に関しては其れもまた如何ともし難いことなのではなからうか。
但し其の「生き残る可能性の高い」創価學會ーを母體とする公明党ーであるが壱つ懸念されることがあり其れは「政治権力を得んが為の宗教政党」に堕しては此れ迄のどんな宗教的努力も無に帰すると云う部分である。
なので公明党の此処最近のやり方は如何にも手緩くむしろ自民党と刺し違えたる位の宗教的精神力でもって困って居るみんなに是非「拾萬円」を給付するやうにおおまさに其れをやらねばダメだぞよ。
尤も我の場合には其の拾萬のうち半分はまた翡翠だとかパイマン標本だとか或いは万年筆代とかにやがて化けることだらうが其れでも尚宗教の力こそが其れをやらねばあんなキシダではもはや壱銭も我等の懐には金が入りませんのです。
さうだ、其の金であさくまのステーキ🍱なども食えさうだ。
うわあー、まさにこんな薔薇色の年末ではないか。
でも何処からも金が入って来ては居ません。
さうでしたか、矢張り精神世界に取っても貧乏程辛いものはまた無いんですね。
公明党!
兎に角死ぬ気でやれい!!
危ない!やばい宗教団体ランキング!日本の入ってはいけない怖い宗教とは? | 女性がキラキラ輝くために役立つ情報メディア (kirari-media.net)
まあこちらにもありますやうに創価學會は邪教臭い部分などもまたあるがでも政権与党として何かをやる力がある訳ですので是非其れを使いもう自爆する積もりで自民党を動かせばむしろ信者数は倍増するのではないかしら。
なので要するに今や世界中が宗教上の教義云云では無くまさにそんな金次第の状態なのだ。
また其のことは「精神の場」として機能する筈の伝統教団に於いてもまんま其の金次第なのだった。ーさうして精神領域が合理化領域に何時の間にか引き摺り込まれて居るー
従って其の部分をこそ「資本が宗教を喰い尽くす」とさう島田先生は御考えになられて居るのであらう。
尚其の部分に関して個人的にはまさに大衆の側にも大きく責任があるとさう考えて来て居る。
所謂「宗教の世俗化」の部分が其のことに大きく関わって居るものと我は見て来て居る。
またつまりは「世俗化した宗教」程捨て易いものとなる訳だ。
故に宗教は簡単に其の教義の方を変更、改変などして行ってはならないのだ。
其の宗教上の組織が腐るのはあくまで其れは組織上の問題であり其の教義の方に問題がある訳ではないのだから。