目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

大晦日にあえて考える人とは違うことー+年忘れの御挨拶ー

 

世界に逆行する日本「20年で国内の街路樹50万本を伐採」、日本人が知らされない衝撃の事実「樹冠被覆率が30%を切ると死亡者数が増える」

 

さてでは何でそも文明は街路樹を伐るべきではないのか?

ソレは街路樹を伐るとさうニンゲンも死んじゃうからなのだ。

 

でもココのところ🗾の文明は逆に街路樹を伐りまくって居る。

ソレは街路樹が有ると道がそも汚れるからなのです。

 

だがソノ汚れこそがむしろ自然界の摂理であり同時に神の意図でもある。

だけれども頭が惡い文明の推進側にはまさかソノことは伝わりますまい。

 

政治や行政の頭が惡い=EQ値が30台⇔自然派詩人のEQ値が現在77

 

 

東大卒・山口真由が「ハードル高い」と感じた、課金と管理が必要な「都会の自然体験」

 

さてコノ記事にはまさに同感です。

現在コノやうに自然が須らく「文明化」されるに及んで居る。

 

つまりは「カネのかかる壱種の高級趣味」化して居る訳だ。

逆に言えばカネがそも無いとアウトドアライフなんぞやれぬ。

 

ナゼナラ自然の濃い処へ行くには馬力の有る四駆の🚙や多くのガソリンや高速代が必要となる。

さらにテント場やらテント宿やらの費用がまた結構高い。

 

おまけにテントは最低5~10萬はかからう。

また調理などやるにはさらに5~10萬をかけ器具を揃えねばならん。

 

さうかうしていると實は壱千萬位は要るのである。

 

先日もストーヴを買いに行くと新品のアウトドアストーヴが各種置いて有りしかもソレ等が皆5~10萬もして居る。

つまりはソレでもって儲けたいのである、企業側は。

 

だがさう云うのの全てにバカヤロウ!とさう叫んで置きたし。

自分などは元カブスカウトであり山登りや野営の経験などを多く持つが今は🏔が怖いので夕方になると家に戻って居る。

 

だから🏔へ行くのに高価な品は元より必要無い。

アアさう言えばデカいリュックがまだ家には有るぞよ。

 

さう小学6年生の頃に自分がソレを背負い🏔へと登った思い出の品だ。

 

即ち「昭和」の頃のアウトドアとはまさにさうした素朴な装備でもって行うものであった。

だからワタシは今でも🏔へ行く時にボロ着のなりをして行く。

 

つまりは人の目などはまるで関係無し。

また飯は握り飯を持って行くかまたはペットボトルに入れた茶のみ。

 

ソレと遭難した場合には重要な食料となるのでチョコレートだけは持参する。

いやたとえ都會の🏔であれ遭難する場合がある。

 

たとえば崖から落ち足が折れたりもまたする。

また穴に落ち足が折れたりもまたする。

 

さらに高齢者ともなれば腰が抜けたり目が見えなくなったりとナニが起きるものか分からん。

 

要するにさう想定外の場であることが眞の意味での自然の場となる。

ところが現代人がやりたいのはそんな自然體験とは異なる単なる流行りの高級趣味としてのアウトドアライフなのだ。

 

だがわたくしの場合「自然」とは異世界との交流の場であり基本的に學びの場である。

故にソコでタダ遊んで居るのでは無く半分位は修行の場となるのである。

 

故に半分位は常に「死」を意識しつつソレと対峙する。

ソノやうな緊張感の有るアウトドアライフなのでまるで👪主義では無く常に己壱人と自然界との對決の場なのだ。

 

だから野営地にストーヴはそも要らん。

いいやテントも要らん🏔の斜面に直に寝よ。

 

また滝が有らば是非ソレに打たれよ。

ソノ冷たい滝に打たれ現代人の無知蒙昧を直さずしてどうする?

 

今日はまたまるで行者のやうなことを申されますな。

ソレも大晦日だと云うのにまたカルトな話題でまるで世間並みでは無い。

 

普通はコレカラ年越しの蕎麦を食いベートーヴェンの第九を聴くのです。

ソノ蕎麦は昨日、今日ともう食いました。

 

また第九はオンデマンドにてまた明日にでも聴きます。

 

ところでナイフはやっぱりマタギ用の鉈ですか?

はいマタギ用の鉈が欲しいのだがソレも高いので参拾年前に買った単なるランボーのレプリカナイフですが充分にコレでもヤクザと闘えまた🐗なども仕留められる。

 

また正月はむしろ🏔の中で迎える方が宜しからう。

寒い寒い🏔の中で三が日を過ごし社會へと弐度と戻って來るな。

 

 

猶コノ冬休みには世界を代表する知性としてのトッド氏の御意見に今改めて耳を傾けてみても良いのではないか。

 

〈トランプの保護主義は正しい。しかし…〉トッドが語る米国産業が復活できない理由「優秀で勤勉な労働者の不足はすでに手遅れ」

 

日本は欧米とともに衰退するのか | 成田 悠輔 | 文藝春秋 電子版

 

エマニュエル・トッド氏「日本はウクライナ戦争から抜け出せ」:日経ビジネス電子版

 

《E・トッドが明言》“老人支配国家”日本は韓国よりマシだが、中国と同じくらいやばい | 文春オンライン

 

但しトッド氏の御意見は言ってみれば相當に左派です。

どだい仏蘭西と云うところは最終的に「革命」を目指さずには居られなくなるのか。

 

逆にどんな「革命」とも無縁なのがココ🗾國です。

 

 

だがココ🗾國で大事なのは「職人技」なのだ。

ソノ職人は體制の如何に関わらず良い仕事をする。

 

故に實は職人こそが親方=マイスターでありソレは所謂天皇制とは別箇での価値となる。

まあ「職人技」が発揮された戦前の萬年筆程良い物は無い、ソレもココ🗾の物も兎に角良い。

 

ソノ職人こそがココ🗾のモノ創りの基本であり最終目的となる。

さうだ職人にこそなるのだ!

 

でも手の動かない人は職人以下の人か又は文人にでもなれば良いのである。

ところでワタシはたった今考えたのだが職人の中には高齢者もまた多い筈です。

 

ならばこと「職人技」に限り死ぬる迄親方であり続けられるのはまさに素晴らしいことでせう。

またたとえ若くとも職人技の持ち主は親方とさう呼ばれやう。

 

ココ🗾國はむしろソノ「職人技」を壱部の高級な価値に留めず普遍化して行けば良いのではないか、家具だの家電だの🚙だのナニの物造りに於いても。

さすればココ🗾の商品は世界最高の技術を発揮するものともならう。

 

問題はソノ世界最高の技術を日常レヴェルへも落とし込むことである。

伝統的なソノ技をあえて大量生産品などにも使ってみればおそらく中華製品に負けぬ何かが生み出せることだらう。

 

さう中華製品からの洗脳に気付き始めましたところです。

されど相變わらず廉価万年筆では中國の独壇場です。

 

さてワタシは戦後の物ですがプラチナ社のイイ萬年筆を手に入れたところです。

イイ萬年筆にはおそらく多かれ少なかれ「職人技」が入って居る。

 

故にたとえ70年位経ってもソレ等は良い。

 

ですがソノ職人技でココ🗾は救われるにせよ世界を救うことは無理だ。

世界を救うには君やボクが根性を叩き直して😣しなければならぬ。

 

さうだストーヴは要らないとさう固く決意しこんな今日のやうな極寒い部屋で尚負けやせんと老骨に鞭打ち寒さと闘う詩人の精神の力をこそ見よ!!

でもおお寒い。

 

故に壱時間置きに茶を温め飲んで居る。

ああー、極樂だ。

 

🐱も寒いことだらうが奴等は茶を飲まぬので余計に寒い。

そんな訳でちらりと心境の變化の部分を述べて置いた積もりです。

 

矢張り物は🗾の物こそが最高なのやもしれません。

ですがソレ等を高いカネを出し求め自然の最中で文明生活をやるのはむしろソレは自然との交歓どころかタダの屋外文明生活であるに過ぎぬ。

 

よって自然に對する職人は飲み水や食料をむしろ現地にて調達する。

また鉈壱本のみを持ち其れにて全てを造って仕舞う。

 

そんな生活をこそ我もまた目指してみたし。

ですが今夜はプラチナ萬年筆の様子を調べつつ大人しく寝ます。

 

ナゼナラ余りにも寒いのでまさか初詣などはやれませんので…。(酒がふるまわれるさうであるがソコへ行くのがそも辛い)

それでは皆様良い御年を。

 

兎に角ワタシに取っては物集め以外は滅茶苦茶な壱年ー社會がーでしたがもしや來年はもっと酷くなるのやもしれません。