観念に於ける「理想」の形式とは?ー1.そんな「無し無し」地獄へと堕ちぬ為の認識とは?ーー2.文明の持続可能性を高めんが為の認識とは?ー
おそらくはヒエラルキー序列を組むことでこそコノ文明社會は滅ぶ。
だがソノ理を知るのは人類の人口の壱パーセントにもならぬことだらう。
つまりは地球灼熱化にせよ富裕層による膨大な炭素排出量によりソレが起きて居ることはもはや明らかなのだ。
また無論のこと発展途上の國が地球を壊したのでは無く主に先進國としての所謂壱等國の側こそがソレをやった訳だ。
なので實はソレは「みんな」のせいでは無い。
むしろ壱部の強欲の側即ち資本の論理としての「強欲」やそんな壱等國としての「思い上がり」こそが地球世界を蹂躙するに及んだのだ。
だから今更「社會」に對し何を言おうが通りはしない。
つまるところ「社會」は馬鹿だから全ては馬の耳に念佛であり且つ暖簾に腕押し、なのだから。
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「みんな」は結局ソノごく壱部のニンゲンーズバリ言えば富裕層ーの強欲の為にまともな生活を奪われ今後地球灼熱地獄だのまた大飢餓地獄だのそれから肥溜め地獄だの兎に角そんな地獄の様バカリを渡り歩いて行く他は無い。
もうみんなは此の際滝の上からでも飛び降りた方が良くはないか?
いやソレは言い過ぎた。
此の際もうみんなは文明に對しストライキをやり明日からは仕事もまた学校も行きませんとさう宣言し是非ハンストへと突入すべきだ。
もう兎に角御前等文明側にはビタ壱文払わんぞ。
御前等文明側こそが憲法第廿五条に定められし「生存権」をしかと守らねばならずしかしながらワシはソノ税金にて「生存権」を圧迫されて居るが故にソノ税金ー固定資産税ーこそが憲法違反だらう。
だからワシはまさにソノことをこそ最高裁まで是非争う積もりだ。
とのことで最近税金に對し可成に疑問が増して來て居る。
まあ社會への文句はコノやうに幾らでもありますのでソレを逐壱語りますれば其れにて我が生涯が終わって仕舞う。
故にまさにソレは「無意味」なこととなる。
ですがソノ社會の理不尽さに對し「否」を突き付けて行く所謂反體制側の批判に對してはこのところ同情的でありつまりは親和的です。
でもってコノところ文學熱が高まって居ますのでまずは今朝自分が考えメモしたことの内容をまずは以下に記す。
物は記憶であり
記憶は嘘をつかない
生命は嘘をつくが
物質は嘘がつけぬ
長い時が彼等をしてそう正直にさせた
そんな時の流れにこそ磨かれ
光沢を増す彼等のいじましさと潔さ
そんな物理としての最終段階が
どんな物にもまた宿る
そこに埋め込まれ且つ放置され
有るのに無く無いのに有るからそう放置され
だが記憶ゆえにそこに時間が流れ
その時の流れを通じてのみわたしたちは通じ合うことが出来る
そんな物の中に流れる時こそがいつしかわたくしをして正気に戻す
ひょっとすれば物質こそが意識の流れを超越する何かである可能性などがまた無いでは無い。
さて我我ニンゲンは主に、
物質<意識
とのある種のヒエラルキー概念を設定するのだがおそらくソノことは間違って居る。
物質⇔意識
との「縁起的」関係こそがむしろ實相である。
さらに言えば無論のこと、
意識<物質
なのでも無い。
さう「縁起関係」は等価である。
さてかのアインスタイン博士の「相對性理論」には「等価原理」なるものが出て來ますがまさにソノことと同じくして眞理とはまさに「同じ」=「平等」なのだ。
ソノ「同じ」=「平等」である筈の物自體ーかのカントが言ったところでの物自體ーが現象化すると「同じ」=「平等」では無くなる。
故にコノ世界ソレも文明社會に於いて必然的に序列が形成されることとなる。
また共産党壱党独裁の體制に於いてもソレはさうなる。
ナゼナラ現實の上での共産党壱党独裁はマルクス主義の純粋な履行だとは言い難いが故に。
すると「同じ」=「平等」では無い現象界ソノモノがある種の劣化世界であるとの結論に至らざるを得ぬ。
ソノ「同じ」=「平等」とのことを主に右の思想ーヒエラルキー主義ーは否定するに至る。
左の思想ーヒエラルキー解體主義ーは逆に肯定的に扱い最終的にはまさにソレを「理想」として掲げる。
問題はソノ「理想」が現象世界に通じるかどうかですが個人的にはソノことが可成に難しいことだとさう考えて居ります。
つまるところ現象世界とはそんな壱種の非理想世界のことでむしろ理想世界ーユートピア世界ーどころかディストピア的な要素が蔓延する処なのでもある。
故に自分の場合は「理想」はむしろ外側には無いとさう考える。
「理想」はむしろ内側に有りよってソレは内面的な道程の如きものでしか無い。
ソノ内面的な道程=外的な無知との格闘の道程こそがさうソレのみが「有無の差異」として此の世に遺る。
尚ソコでは、
「有」=主に自律的な精神の格闘
「無」=主に洗脳されし格闘しない精神
との「区別」が有りソコには「洗脳」されて終わる人生もまた有ればわたくしのやうに「格闘」して終える人生もまた有る。
うわお「有」った、確かに有ったぞそんな格闘が…。
そんな格闘よりも妻と子と孫こそが大事だらう…。
いえソレすらもが實は「等価」ですのでむしろドチラがよりエライとは言い難い。
ゆえにボーサットゥはさう全ての現象を等しく観る。
また天使ー👼ーはさう全ての現象を等しく観る。
ところでそんな大罪人である富裕層のニンゲン共は死んでから皆地獄へ堕ちますか?
いや奴等はすでに「無し無し」地獄へと堕ちて居やう。
何ですかソノ「無し無し」地獄とは?
「無し無し」地獄とは「持ってるのに無い」と云う形での地獄のことよ。
ですが我我庶民は「持って無いのに有る」のだよ。
ええっ、すると「持って無い」方がむしろ有者ー救いの機縁を持つ者ーなのか。
でもアナタはあくまで持って居ますね?
いえまるで持ってないですね、何せカネは全部物に變わって居るので。
ソレと持ってるものがそもちっこくてしかも単価が安いので奴等富裕層のやうに自家用のジェット機を持つとかまた自宅にプールが有るとかさうしたことではまるで無い。
さらに世界中から美女を集めソレを妻や妾にしたりさらに高価な高級酒を夜浴びるやうに飲む訳ではまるで御座らぬ。
さうかあ、さう云うことをやるからこそ富裕層はドコ迄も「罪深い」のか。
さうズバリ申してコノ地球は富裕層にこそ食いモノとされておる。
よって富裕層はそろそろ月や火星へ逃げまさにソコにて酒池肉林の宴をずっと続けやうとさえもしておる。
うーん、惡どい奴等だ許せないぞそんな惡の権化共を!!
さう思うでせう?
でも世間の思いはまたソレとは違うところにある。
例えばジミントーの富裕層のアソーがいまだに権力を握って居る。
またアノMr.トランプも超金持ちですが何とまた大統領をやるのです。
ソノやうに此の世ではまさにカネの有るところにこそ力が集中致します。
でもそんなんではダメだと金使いの荒いビンボー詩人さんは闘ったのでせう?
はいだからワタシの人生は「有った」のです。
なる程、さうして社會と闘うからこそ「有り」逆に社會から洗脳された侭だと「無い」生涯を送る羽目となるのか。
やっと分かりましたか。
なので要するに何億円持って居やうが社會から洗脳された侭だと「無い」生涯を送る羽目となるのです。
するとアナタはさう「惡」と闘い良い人生を送ったとさう言い切れるので?
外なる惡⇔内なる善
ソノ闘いが「良い」かどうかはまた別としてワタシにはナゼかうなって居るのかと云うことがそもまるで分からなんだ。
そもナゼ惡は世に蔓延り逆に慈悲心や「愛」の思いは内心にしか留まらぬのか。
そもナゼ元來無所有で且つ平等な筈のニンゲン界がむしろガチガチにヒエラルキー化するのか。
故にむしろソレは社會學としての問題であり且つ同時にニンゲンの認識のあり方としての問題となる。
ニンゲンの認識のあり方としてまず気付いたのが所謂「社會的洗脳」=「全體主義」のこととなる。
人は個個としてはむしろ善良であれ國単位での行動を伴う場合ソノ行いの多くが往往にして全體主義化する。
またニンゲンの認識のあり方と云うものはむしろソノ半分位がいや八割方程が所謂社會的常識に従うことで醸成されるものとなる。
ソノやうに最終的には、
個⇔社會
との問題へと認識上の問題が収斂して行く。
ところが、
個<社會
實際にはかうなって居る。
ナゼナラ個個のニンゲンはちっこくてしかも弱い。
ですがまあソコも藝術家や學者ともなれば、
個=社會
位での感じでもって社會に對し接し提言したりすることは可能となる。
個<社會
ソレでも現實にはコノ関係性からは抜け切れない。
でもだからこそ左翼思想が「革命」を通じて、
個=社會
となるやうに頑張る訳だ。ーさう「理想論」ではあるがとりあえず頑張るー
個⇔社會
でもほんたうの理想とはむしろコチラでせう。
ですのでイザココに於いては「ヒエラルキー形成」が解體されるに及ぶ。
またズバリ申して「地球灼熱化」地獄を此の世に齎したのは資本主義社會による強欲な「資本の論理」の暴走です。
だったら何でまたみんなはアノグレタ氏のやうに怒らないのだらう?
尚個人的にはグレタ氏が学校へ行かないストライキをする以前より自分は思想的にまさに「ストライキ」をして居ました。
ソレは主にココでもってクドクドと色んなことを述べコノ社會はもう肥溜めに落ちてるぞ、もう救われはせんぞ後はソノ肥溜めの中で藻掻くばかりよ。
などと言いましたがソレが次第に村八分的にされおまけに耄碌が重なりさらに體が言うことを聞かなくなった。
でもそんな世に蔓延る「惡」が居る限りこんな社會に潔癖な詩人はドコ迄をも闘うのだ!!!
そんな訳でおそらくは他の誰も言わぬことかとは思いますがどうも「人類社會」=「文明社會」ソノモノにまずは問題が有りソノ部分がソレこそ「自己矛盾」するので文明は次第に劣化し且つ「破壊」が進むことでこそ大問題が生じて居るのです。
故に最終的にニンゲンの問題は「文明論」こそが扱うだらう大問題とならざるを得ず。
されどソノ「文明論」のむしろ根っこの部分には「権力」が往往にして「私物化」され「理想」としての「社會形成」をむしろ阻害するとの壱種ニンゲン的な大問題が拡がって居る。
故にソコでもまた「ニンゲンの利己主義」のやうなものがまずは問題とされるのだ。
コノやうに個⇔社會の領域をむしろ行ったり來たりすることでこそ社會関係での大問題がむしろ平準化されて來たりもまたしやう。
さらに、
平等⇔不平等
社會主義⇔資本主義
などの對立概念に於いても、
對立関係自體をむしろ行ったり來たりすることで大問題がむしろ平準化されて來たりもまたしやう。
観念的にあくまでわたくしが結論的に申せることとはさう壱つの概念に凝り固まることでの弊害のことです。
さう壱つの概念に凝り固まることでこそむしろ「ヒエラルキー形成」が促進され「破壊」は推し進められやう。
さう観念に於ける「理想」とは對立概念に於ける差異を其れ其れに認め且つ「敵を否定」しないことである。
まさにソレがやれれば人類の滅亡が少しは先延ばしとなるのやもしれずでもコノ侭に「自分こそが正しい」バカリではなかなか2100年迄は持たぬことだらう。
ですが現状でコノ文明社會が「破壊」を抑えることはおそらく並大抵のことではありますまい。