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文明批判と美と心の探求と

そんな「教育」と「思想」のあり方とは?ー威張るスパルタ的教育と威張る現代社會への違和感ー

そんな「教育」と「思想」のあり方とは?ー威張るスパルタ的教育と威張る現代社會への違和感ー

 

 

 

 

「女子生徒の服の下に手を」「“原爆頭”と呼ばれ殴られた」戸塚ヨットスクール元生徒が語る“地獄の日々”“復活への憤り” (msn.com)

 

この種の教育が良いのではないかとかって地元愛知県では親達が考えて居たこともまた有りました。戸塚ヨットスクール - Wikipedia

特にわたくしなどは高校生の頃主に文學の影響でもってヘロヘロのニンゲンでしたので「戸塚ヨットスクール」でもって鍛えたらどうかと母や父から勧められたものだった。戸塚宏 - Wikipedia

 

が、ソノヘロヘロなのはニンゲン存在ソノモノに對し懊悩した結果でありつまりは壱インテリゲンチャとして「ニンゲンをさう悩まねばならぬ立場」に有ったからなのでありまさかソレ以下での低次元な御話ではなかったのでした。ーつまりはそんな作家級の悩みでしたー

ですが普通ソノコトは周りには伝わらずよってそんな文學に侵された自分は志望大學は全滅でもってでも浪人をすることは止めて兎に角大學へ行き遊ぶことに致しましたのです。

 

でもって實際に大分遊んで仕舞ったやうに思う。

ですがソレは酒池肉林のことでは無く確かアニメだとかまた🚙だとかさらに✈だとかおおまさにソレ等の研究にこそ打ち込んでおったものだ。

 

よって當然ながら成績はガタ落ちです。

でもってこんなバカ大ならバカ大でむしろ壱番にならうと突如思いソノ時点からの成績は教練(體育)を除き全優でした。

 

でもって元元社會がキライな自分は大學を出てから家庭教師をして居ましたのです。

ソノ折りに主に登校拒否児の専属の家庭教師を致しました。

 

でもって小学生と中学生の子を学校へと復学させた。

ですがソノ折りの自分の教育方針とは「自由放任主義」でありですが壱つだけ彼等にあえて見せて居たのが「先生」の弱さであった。

 

「先生」はむしろこんなにダメニンゲンですよ、といつも彼等と對等に付き合いけれどもイザ御勉強の時間となればむしろとても厳しい。

よって今でもそんなバランス感覚こそが壱番良いのではないかと時折思うのです。

 

 

またコノ種の右翼的教育とは別にヤマギシ幸福会ヤマギシ会 - Wikipediaと云うのが有り👨‍👧‍👧でもって三重県へ旅行をした時にソノヤマギシ會の施設と云うものを昔観た覚えが有る。

ですのでコチラの方はソノ原始共産主義的なユートピア社會を目指す閉鎖的な共同體なのだ。

 

つまりは「世界革命」を目指す「左翼的」な意味でのスパルタ的教育の場なのだらう。

ですが、ソノスパルタ的教育ソノモノが自分の場合は特に疑問です。

 

でもって家庭教師から塾講師となる折りに「ヤルキー学園」とか云う塾へ面接に行きましたら「即先生をやって下さい」とさう塾頭より言われでもって教場へ出向くとなんと生徒さん方が皆鉢巻をして居られる。

でもってまずはソノ雰囲気が怖くて授業はやらずにすぐにソコから逃げた。

 

ですので「スパルタ的教育」は自分の場合兎に角キライです。

 

さて要するに「絶對的権威」として小中学生の前に立つことなどワタシには出來ない。

ソノ意味ではまさに左翼的で且つアノ大宰的な弱さが元來わたくしには有るのやもしれん。

 

でもって個人的にクリスト教とは相性が良いのもまたソノ弱さを容認する宗教だからこそでせう。

 

「権威や権力」を振り翳すことでニンゲンを屈服させること。

まずはコノコトこそが大問題だ。

 

逆にセンセーにはどんな「権威、権力」も無い。

さう何にも無いのだコノ情けないオトコには。

 

でも勉強だけはちゃんとやらう。

ちゃんと及第点が取れれば君はもう人からバカにはされぬ。

 

さう言いながらセンセーは後にそんな教育の世界から逃げて行ったがソレはどう考えても間違いだったと今は思う。

他ならぬワタシがかって太宰 治の文學から學んだのはまさにそんな「ニンゲンは誰も威張れない」との壱種の平等観であり且つ社會への不信感だったのかもしれません。

 

社會はさう常に威張るがでも君等のやることは常に正しいのか?

いえ實は全然正しくは無い。

 

政治家や企業家はさう常に威張るがでも君等のやることは常に正しいのか?

いえこちらも實は全然正しくは無い。

 

そんなものなのだそもコノ世界の實相は。

 

でもって最終的に思想は右でも左でもさう「全體主義」化する。

ソノ理にハタと気付きましたのが五拾歳頃のことでしたか。

 

ならば右でも左でも無い何らかの思考をむしろ自ら探し求めて行く他は無くなる。

ですので現在わたくしは左翼的なことを屡言いますがソレもまた本質的には右でも左でも無い「平等主義」のことに就き語るのです。

 

 

ージャーナリストの米本和広によると、幸福会ヤマギシ会は世界を「<無所有一体>の理想社会に塗り替え、世界中の人を幸福にしたい」という目的を有している[26]近藤衛によると、幸福会ヤマギシ会は「あと200年後には世界中が地上の楽園〈ヤマギシズム社会〉に革命される」と主張している[27]幸福会ヤマギシ会は、自分たちが起こす世界革命を「急進Z革命」(Zは、人類最後の革命であることを意味する)と称し、その内容を「ヤマギシズムによる……人間の観念に変革をもたらす頭脳革命であり、全人に真の幸福をもたらす」であるとしている[28]

 

ー特講がマインドコントロールであり、洗脳であり、危険であるとする主張に対し、特講を受講した杉本厚夫京都教育大学教授(当時、現・関西大学人間健康学部教授)は、既存の固定化された常識から開放され、その常識自体を再考してみるという点において、近代の社会科学に立脚しているとした上で、「ヤマギシズム特別講習研鑽会は、人の観念を外発的に誘導し、固定するマインドコントロールではありません。逆に、マインドコントロールされている自分に気づき、そこから自分を解放する機能を持っているといったほうがいい」と述べている[87]

 

さてワタシは現在思想とはまさに「洗脳」なのだとさう考えるに至った。

故に「資本主義社會」もまた「社會主義社會」もむしろ大いに「洗脳」なのだらう。

 

重要なことはニンゲン(ホモ・サピエンス)がむしろソノ「洗脳」無しには生きられぬ点にこそ有る。

要するにまさにソレがホモ・サピエンスの心理上のクセなのだから。

 

故に我我ニンゲンは何も第弐次世界大戦の時ダケ「全體主義」に洗脳されて居たのでは無くむしろ今まさにソノ「全體主義」による近代的洗脳としての世界観をこそ生きて御座る。

ソノ近代的洗脳としての世界観が我我ニンゲンに齎すのは主に「破壊」となる。

 

我に限れば五年以上前よりソノカラクリを見抜いて居た。

故に何とかソノ「洗脳」をば解かねばならんとさう思いつつこんなブログを始め主にそんな社會のあり方を批判しても來た。

 

ですがイザそんな「洗脳」を解かうとすればまさにソレは容易なことでは無い。

要するに「村八分」となり且つみんなが嫌がるやうなことを言わないとソノことはもはや決して伝わらぬ。

 

だから壱つにはそんな「洗脳」状態であることがむしろ樂で従って誰が好き好んでほんたうのことを言うものか。

アアまるでかっての戦時中の如くに「戦争反對!」とさう叫べば牢へブチ込まれ挙句には殺されて仕舞う。

 

では「文明反對!」と言ってもボクはまだ捕まったりしては居ない。

おおイイ時代やねえ。

 

さうか何を言ってもイイ時代なのか。

でも例えば中國や北朝鮮でもって「文明反對!」と叫ぶと即體制の反逆者として見做され強制収容所送りとならう。

 

だから最終的に「社會」は常にヤバい。

なんとなれば人類の社會は常に自己中心的であり即ち自分等の組織こそが正解なのだから。

 

とさう固く頑なに信じ込んで御座る。

でも實際には「近代」ですらもが間違って居た可能性が無いとは言えぬ。

 

さう「正解」などはむしろドコにも無いと云うのに何故かみんなは人類の社會が正しいとさう信じ込んで御座る。

うーん、困ったぞ、ではどう考えるべきなのか、ソノ人類の社會の評価のことを。

 

おおまさにソレこそ👽などに壱度聞いてみたいものです、ソレもズバリ人類の社會が正しいのかどうかを。

いやむしろソレが間違って居る可能性の方が高くあるぞ、ソレも大體77パーセント程は間違ってる。

 

でもそんなことをイザ言えばみんなが明日から元気に働けない。

いやもう文明なんぞは此の際止めちゃおう。

 

ソレを止めてみんなで是非「仙人」をやらうではないか!

さう結論付けたところへまた丁度加島先生の「タオ」に関する本が届きました。

 

ソノ本は結果として美本であり本へのダメージが無い訳では無いがほぼ読まれて居ない感じでの本であった。

尚かってワタシは古本屋巡りが趣味でしたので古本にはウルサイ方なのですがまさにソノほぼ読まれて居ない感じでの本こそが上等の本なのだとさう思います。

 

求めない

すると社會が消える

 

求めない

すると思想も消える

 

求めない

すると「タオ」の本が届く

 

求めない

でもヤフオクでは求めまくる

 

求めない

でも半分は求め続ける

 

求めない

本を読む前からすでに大きく求めない