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文明批判と美と心の探求と

「意識が高い」系での映像作品とタイ國の民人の微笑みとー文明のあり方には様様が有り必ずしもココ🗾が良い訳ではないのではないかー

「意識が高い」系での映像作品とタイ國の民人の微笑みとー文明のあり方には様様が有り必ずしもココ🗾が良い訳ではないのではないかー

 

 

アラン・ドロン最大の特徴は“二重性”だった 日本で愛された理由を映画評論家に聞く (msn.com)

 

まさに仰る通りでソノ弐重性又は弐面性が彼アラン・ドロンの魅力であったやうに思う。

要するに完璧な容姿ー外見ーと充たされない欠乏の如きものが常に彼の中に相剋しつつ有ったやうに思われる。

 

アラン・ドロン - Wikipedia

 

實際に彼の生い立ちは可成に複雑且つ厄介であり要するに人並みの幸福とは縁の無い少年時代、青年時代を送って居たものと思われる。

自分はそんな彼の壱種翳りのある部分に惹かれ要するに半世紀位に亘り彼のファンでした。

 

中学生の頃に映画を観に行きソレが「さらば友よ」と云う自分に取り印象深い作品となる。

尚わたくしは所謂「美男俳優」が大好きです。

 

むしろ「美女俳優」よりもソチラの方により惹かれて仕舞う。

果たしてソレはナゼなのかしら。

 

adieu i'ami (1/5) - YouTube

adieu l'ami (3/5) (youtube.com)

 

ソレはこんな「金庫破り」の映画であった。

 

 

現場にブレーキ痕なし…5歳と7歳の女児死亡事故 シートベルトの締め付けによる腹部出血が死因か 母運転の軽乗用車がバスに正面衝突 福岡市 (msn.com)

 

さてこのやうに「常識的価値」と云うものがむしろ逆目に出ることが此の世では屡起こり得ます。

ですので我我文人系のニンゲンはまさにコノ部分に迄認識の幅を拡げ物事に就き考えるのです。

 

但しコノ世の価値の全てを疑ってかかるとむしろ精神に異常をきたすことがありますのでソコが危ないと言えば危なくもなる。

故に「紙壱重」と申すか「綱渡り」と申すか兎に角そんなところでの価値認識の世界に生きることこそが藝術家の使命であり運命なのだ。

 

でもワタシはそんなのはむしろイヤです。

ワタシは単なる物欲主義者ですので世間のことがどうあらうが知ったことでは無い。

 

ちなみに中國か何処かで赤ん坊弐人が矢張り🚙事故にて高速道路上に投げ出され即ち道路を這っておったとのニュースをつい先日ネット上に発見した。

コレなどはもしも助かれば奇跡的にイイことです。

 

また彼等は要するに「シートベルト」をして居ないからさう命拾いをしたこととなる。

此の世の価値と云うものは左様に何が良くて何が惡いかと云うことを厳密には決め切れないものだ。

 

だからソコがまさに怖いところなのだ。

でも藝術や文學はむしろソコんトコにこそ切り込んで価値を論ずる場ともならう。

 

 

では早速にそんな「意識が高い」系での御話をあえてさせて頂きます。

 

Amazon.co.jp: 最後にして最初の人類を観る | Prime Video

 

例えばココは兎に角ソノ「意識が高い」系での映像作品となる。

でもまあ何を言って居るのだか實はほとんど分かりませんのですが…。

 

でもあえて理屈をこねればどうとでも解説することが出來ますがソレもまた空しいやうなことともなりますのでかう云うものだと思いつつ視ればむしろソレで良いのやもしれません。

 

Amazon.co.jp: 摂氏2度 人類滅亡のカウントダウンを観る | Prime Video

 

さてソノ「意識が高い」系での映像作品にはかうした「破滅系」でのものが有るものと思われる。

 

ちなみにNHKのオンデマンドの方で「人類滅亡」と入れて検索致しますと結果は零でした。

でもプライム・ヴィデオの方で同じく「人類滅亡」と入れて検索致しますとむしろ多くのドキュメンタリー番組や映画などが出て來る。

 

でもってコノ番組を壱昨日わたくしは視た。

ソレでもってほんたうに怖かったのです。

 

だから「怪談」=👻の話などよりもずっと怖かった。

またコノ番組は間違い無く「怖さNo.1」でのドキュメンタリー作品です。

 

だからコレを視る奴はハッキリ申せば「變態」の類でのニンゲンでせう。

まあワタシもまたそんな變態の壱人ですのでハッキリ申してしかと視た訳ですが。

 

でもって視て居ると特に終盤の方では余りに文明が被る地獄の様が酷くなるのでこんなわたくしでさえもうイヤだとさう思いましたものでした。

よってコレこそが兎に角何かとても怖いものを観たい今のアナタにこそお勧めしたいまさに恐怖のドキュメンタリー作品なのです。

 

 

Amazon.co.jp: 人類遺産を観る | Prime Video

映画「人類遺産」公式サイト (espace-sarou.com)

 

他方でもう少し藝術的なものを是非紹介させて頂きたい。

こちらは要するに「廃墟」をタダ映したダケの作品となる。

 

ですが昨日コレを視てある意味では衝撃を受けた。

尤もコチラは「人類滅亡」を予測しソレに就き具體的に語る作品には非ず。

 

故に怖くは無いのです。

ところが實は怖いのです。

 

ソレもよーく視、且つよーく考えてみますとむしろコノ映像作品の方が「怖い」のだ。

 

コノ映像作品には、

 

1.文明への不信感

2.人類は何時「滅亡」してもおかしくはないこと

3.圧倒的なスケールで迫る「無為」の世界

 

を示すものだと思われる。

 

逆を申せば文明とはソレ即ち「有為」での世界観のことだ。

ところがソノ「有為」での世界観は正(+)と負(-)の両側面を持つ。

 

丁度「常識」ではシートベルト着用が正しいのに現實としてソレが絶對の価値だとは言えぬことのやうに。

要するにさう正と負の価値は相剋し且つ相即する。

 

正⇔負

聖⇔邪

神⇔惡魔

佛⇔魔

神⇔佛

 

故に認識上壱つの価値概念に凝り固まることは「誤り」です。

またおそらくは「神」や「佛」のソノどちらかを信仰することでさえ「誤り」なのでせう。

 

個人的にドチラも信仰すればイイのではないかとさうも思うのですがソレを實際にやりますと心の中で「神」と「佛」とが混じり合いもう何を信じて良いのか次第に分からなくもなる。

 

ソノ宗教談義はひとまず脇に置くとして兎に角「文明的営為」には「滅び」が元來含まれて居ることをまずは御承知置き下さい。

ですのでむしろソチラの方が正しい認識なのであり「文明的営為」には「前進」しか無いとさう考えることは「誤り」であり且つ「洗脳」です。

 

實際に歴史上「文明」はほぼ例外無く滅びて居ります。

ですが近現代人は主に社會的洗脳により「コノ文明は滅びない」とさう思わされて來て居るがむしろソレは「大間違い」だらう。

 

ですので實際にはむしろ「文明は何時滅んでもイイ」位なのだ。

でもって「滅べ、滅べコノ文明!」などとイザ叫び始めるとすでにアナタはキチ外かまたは教祖です。

 

いやでも文人はそんなことを言わずタダソノ滅びの時を静かに見詰めつつ「詩」でも書くのだから。

 

 

『人類遺産』ニコラウス・ゲイハルター監督インタビュー | ムビコレ | 映画・エンタメ情報サイト (moviecollection.jp)

 

ココには「人類の歴史を批判的に振り返る」との言葉が語られて居る。

要するにコノ作品の大元の部分には「人類の歴史を批判的に振り返る」だけのソレこそ藝術的な視点が有る訳です。

 

ですのでまさにタダの廃墟が我我に取り藝術作品のやうにさえ視える。

つまりはソレが美しくしかも何らかの価値ソノモノであるかのやうにさえ視える。

 

しかしながら結果としてソレは歴史が生んだ「破壊」の側面のものでしかない。

だから次第にソノ「破壊」に對する「ナゼ?」との思いが強く継起されやうがさう考えるヒマも与えずソノ「廃墟」はむしろドコ迄も「破壊の痕跡」として保存されるばかりなり。

 

近現代の文明に於いてニンゲンは壱體何を思い何を欲したのか?

まずはソノことこそがココに鮮やかに描き出されて居るのではなからうか。

 

但しソノ思いや欲望とはまさに裏腹にソノ「廃墟」には風が吹き渡り雑草が生えまた🐸だの🐍だの虫達の巣窟としての「自然」がまさにソコに描き出されるばかりなのだ。

さう確かに「文明の営為」が終わればソコには「自然の営為」こそが復活する。

 

文明⇔自然

 

つまりはさうしたこととならう。

「自然の営為」とはしかしながら文明の「有為」に對し相對的に「無為」となる。

 

「自然の営為」はあれこれとやるやうで居て實は何もせずタダ風であり草であり🐸であり虫達である。

ニンゲンの「有為」性には常に弐面が有りソレが即ち「創造」と「破壊」である。

 

ニンゲンは諸価値を「創造」するがまた同時に「破壊」する。

まずはソノコトこそがニンゲン共のビョーキの部分なのではなからうか。

 

 

OUTSIDE IN TOKYO / ニコラス・ゲイハルター『眠れぬ夜の仕事図鑑』オフィシャル・インタビュー

映画「いのちの食べかた」-食品生産現場を追うドキュメンタリー - シブヤ経済新聞 (shibukei.com)

 

自分にはこんなゲイハルター氏の表現手法が分からぬでもまたない。

思うに彼は「文明の諸価値」とはまさに逆方向を向き且つソレを「外側」より見詰め此れ等の作品を生み出して居るのである。

 

さう「文明の諸価値」とは眞逆の方向を向かぬ限り「文明」が求める価値の眞の輪郭が顕わにはならない。

だからこそこんな「廃墟」であり「疎外される食」であり「夜に行われる文明としての儀式」の方をこそあえて彼は向くのであらう。

 

ドキュメンタリー映画の使命とは、人が無意識のうちに見ないようにしていることに目を向けることだと考えています。 どうしたら解決できるのかは私にもわかりません。ですが、人が否定しようのない真実を示したいと思っています。この映画は、社会制度や観客にその責任を問うものではありません。もし何らかの審判が下(くだ)るとすれば、それは観客の頭の中で起きているんです。

私たちの生活形態について、全般に悲観的な見方をしています。いま、何が起きているのかをみたとき、非常に長い間、もう何も起きていません。私は本来、ありえないほどの楽天家なんです。歴史の流れをみると、高度に成長した文化はどれも凋落し、それでも地球は回り続ける。我々の時代以降も、回り続けてほしいと思います。誰もが少しずつ気づいているように、弓はもうきちきちに張られていて、どこを問わず、もうそれ以上は無理というところに来ている。それはどんなところにいても感じられます。それを否定する人は、本当の世間知らずです。私は別に、大いなる災難を予言しようとしているわけではありません。ですが、私たちは考えなければいけないということは確信しています。これは悲観主義ではなく、現実主義です。ーOUTSIDE IN TOKYO / ニコラス・ゲイハルター『眠れぬ夜の仕事図鑑』オフィシャル・インタビューより

 

人が見ないやうにして居ることにあえて目を向けることこそが藝術であり且つ眞實の追求でせう。

みんなはコノ侭でイケるとさう信じさせられて居るがでもソレではオカシイ、ほんたうはこんなキチキチでもってすでに限界です。

 

文明はコレ以上やるともう持たないですよと藝術家には常にさう感じられるのですがさう言っても誰も信じて呉れず逆にキチ外扱いです。

 

だから「廃墟」だとか「夜勤」だとか「食のあり方」だとかさう云うものの方にこそむしろ現行型文明の突破口が有るのです。

尚個人的に自分は近現代文明を否定的に見詰めて居ます。

 

確かにソレは事實だ。

こんな文明のあり方はマズいとさう思って居るのです。

 

ですが、ソノ文明のあり方は欧羅巴文明であり且つ欧米社會のあり方のものですね。

でも東洋にはまたソレとは違う文明のあり方がちゃんと有るのです。

 

例えば自分は次の番組をプライム・ヴィデオでもって視てもうサイコーに感動致しました!

 

地球絶景紀行 #42|BS-TBS

 

4.タイの民人の笑顔

5.旧式の普通の暮らし

6.訪れたい寺などが多いこと

 

尚タイの佛教は上座部系であり中國由来の大乗佛教のココ🗾とはまた別系統での佛法となる。

だがソレー宗教のあり方ー以前にタイの民には優しい笑顔が溢れて居る。

 

對して今我が國にはそんな「優しい笑顔」などしやうが無い状況へと追い込まれておる。

ソレも高度経済成長以降は國民があんだけこき使われ働いたのに政治家及び官僚の無能によりスッカリ國が壊されちゃった。

 

でもってタイの人人は別に贅沢な暮らしをして居る訳ではない。

むしろ戦前の日本位の合理化以前のある意味で貧しい暮らしなのだがでも自然が豊かで暮らしの全てが普通に有る。

 

兎に角まずはソノ民人の自然なる微笑みのやうなものに眞の意味での佛教國の様を感じたのである。

さらにまた語ることとならうがタイには恐るべき寺が幾つも有るやうなのだ。

 

うーむ、するとココ🗾の寺はドコか間違っては居ないのか?

何時の間にか佛も坊主も金次第、てなことになっとりゃあせんのか?

 

だからドンドン疑問が大きくなって行く…。

ココ🗾はひょっとすると欧米流の合理主義に侵食されもはや危ない精神領域に入りかけて居るとも言えるのではないか。

 

 

【タイ旅行】一生に一度は行きたいタイの観光スポット15選 (youtube.com)

 

すると今度はソノタイへの移住を目指すのですか?

いえヴェトナムへ行きサファイアやルビーの原石を掘りたいのですがでもタイ王國の方もまた捨て難い魅力が有る。

 

ソレにタイでもまた何ぞ石が出さうな気が致しますのです。

うーん、さうですね、東南亜細亜は未知の石が澤山出さうな感じですね。

 

東南亜細亜でもってまず自分が狙いたいのはグリーン・サファイアです。

グリーン・サファイア

 

よりによりまたマニアックな石を。

グリーン・サファイアの原石を採りおまけにタイのカルトな寺を巡ると云うのが今のわたくしの夢なのだ。

 

でもって「廃墟」とソノタイ國とはどう云う関係にあるのでせうか?

そもソノ「廃墟」とは結果として欧米流の近現代文明が生み出す「破壊」としての側面でせう。

 

でもタイ國にもまた廃屋も有ればまたビンボーなども有ることでせう。

ソレはさうですがでも彼等はたとえビンボーでもちゃんと飯を食って居るのです。

 

さうタイにせよヴェトナムにせよちゃんと飯は食えて居るのだ。

だからどうも欧米の家來では無い國の方がほんたうのほんたうは仕合わせなのではないのか。

 

でもアンタみたく石まみれだとタイへ行く旅費すらも捻出出來ない。

…タイへ行く旅費位は何とかなりますわな。

 

でもミカワへ移住するカネはドコにも出ない。

ソノ「近現代文明」はすでに破綻寸前でせうが世界にはさうした枠組みには嵌まり切らない多くの國が有ることもまた確かなことだ。

 

するとココ🗾よりもむしろさうした國をこそ選びソコで暮らすべきなのだと?

まあやれるものなら是非さうしてみたいところではあります。

 

でもソノ前に出來たら奥三河へ移住したい。

 

うーん、さうか。

もはや君に取ってはナゴヤやトーキョーやオーサカは壱番居たくない「不潔な大都會」ソノモノなのか。

 

うん、確かに「不潔」なのですもの。

だがまあイイか、何せモノが手に入るので。

 

でもタイ國の民人の優しい微笑みの様はソノモノに充たされる形での笑顔とはまた違うものでもあることだらう。