目覚めよ!

文明批判と心の探求と

現代人の精神性の解体

 

科学技術が生み出す快適さや便利さの中にずっとひたり続けて居るとどうも人間存在自体がおかしな方向性に向かって飼育されていくのではないだろうかというのが今の私の考えなのである。

然しもしそうではあっても実際には近代以降の人間存在は皆知的水準が高く科学技術の言いなりの人はなかなか存在しないものなのだが、それでも必然として近代以降の人が創った制度、枠組みの中で所謂予測されるべき未来をのみ我我は日々生きていかざるを得ない。

そういうのは必然として脳内願望に沿った未来の実現という構図からは逃れられず、また其の度合いが進んでいけば其の脳内願望の中に人間存在自体が全的に閉じ込められて仕舞う事にもなりかねない。

近代以降の価値観とは畢竟そうした人間存在自身の欲望の実現のことであり、其れは何よりまず自己中心的な欲望の解放であり、同時に唯物論を据えて進む非精神的な即物領域の拡大のことである。


たとえ其のような世の中でも、現代人にはしっかりと心の面はあるのだから全然大丈夫でむしろお前のように時代錯誤な精神論のようなものを振りかざして居るような奴の方が頭がおかしいのだ、第一俺は科学技術の力の方は信じて居るがたとえば科学の思想などというものにはまるで興味が無い。

などと結構多くの人がそう思い込んで居るのではないかと思われるのですが矢張りそりゃ少しおかしいのだぜ。

だからそも其処で科学の思想が分からないのに何で科学技術の発展、進歩の方については信じられるのでしょうか?


他方で科学が進んでも唯物論的にこの世界が規定される訳ではなく、実際には多くの人が心の豊かさ、精神性の方での充実を求めて居るが仕方が無いので其れに従って居るまでだ、という説もネット上には散見されますがどうも其れも私にとっては言い逃れのような気がしないでもない。

何に対しての言い逃れかと云えば己の批判精神の欠如に対するか或は精神性自体の欠落をむしろ正当化する為の言い逃れなのである。


実際現在私の周りには私以外に現代文明ないしは現代科学技術文明を批判して居る人などは居らず、彼らの頭の中では現代文明ないしは現代科学技術文明の行く末などは大きな問題だとは言えず、むしろそれよりも今日の自分、明日の自分、また今日の家族、明日の家族、さらに今日の仕事場、明日の仕事場位までのことしか考えられないのが我我庶民の実際の姿である。

そうした近代生活教の信者で居ることが現代人にとっては一番楽なことでもあるのでそうして居るまでのことなのである。


然し昔から現実に堕してー妥協してー生きるか、それとも理想に殉じて死するか、という選択肢が往々にして人間存在、わけても知識人の中には存在して居た筈だったのである。


また科学が進んでも科学思想の方の理解は全く進んで居らず、其処ではただ単に科学技術が生んださまざまな製品と技術の価値のみを現代人は信奉して居るのだという説もある。

が、果たして人間存在とはそんなに器用に立ち回れるものなのだろうか。


私はむしろ其の一貫性の無さ、現代人が科学に対して観念的に疑義を抱くことに対する諦めの気持ちの部分にこそ現代人の精神性の希薄さをそして精神の衰退の様を感じて仕舞うのである。

だから唯物論的な世界観の浸透により現代人の精神性は限りなく薄められて来て居るのではないかと考えて来て居るのである。


其れがそも薄いから、科学精神、科学思想といったことに対しては興味が無いが自分の生活に直接影響を齎す科学技術の成果の方には結構な関心があるのだ。

と同時に科学とは対極の世界にある宗教に対してもほとんど関心が無い。


だから上記の言い訳はなかなか成り立たず、本当の本当は別に皆が心の豊かさ、精神性の方での充実を求めて居る訳ではなく多少の疑いが生ずるにしてもあくまで便利で快適な生活の方がずっと楽だから其れでも良いと思って居るに過ぎないのだろう。

そして其のようにしてある種器用でもある我我大衆はいつの間にか科学が提供するところでの真の唯物主義的な傾向の中に組み入れられていくのである。


どういうことかと云うと、其れは精神性の解体ということである。

もし人間存在の精神性そのものが解体されつつあるのだとすれば、其処に於いてまず自己中心的な諸の傾向が社会問題として噴出して来ることだろうし、同時に宗教など精神に対するより大きな規範の部分に対する無関心ということが顕著に見られるようになる。

さらに倫理観や道徳観の欠如、刹那的に享楽を求める傾向の増大、思考の幼稚化、陳腐化という傾向も其処に読み取れるようになって来ることだろう。


其れ等の傾向はひょっとすれば社会の現状を上手く言い表して居るのではないだろうか?

其れも世界的にと云うよりはこの日本国に於いてそうした傾向が強く現れ出て来て居るような気がしてならない。ーたとえば国によっては宗教が規定するところでの精神性に大きく寄りかかって居る場合もあるのだが。ー