目覚めよ!

文明批判と心の探求と

プライムヴィデオ鑑賞の日々ー最近のSF映画にも嵌るー

思ふにSF映画と云ふものはひとつの現実としての可能性の開示である。
実現可能な世界の開示そのものが其のSF映画なのだ。

SF映画からインスパイアされることが実は意外と多ひ。
むしろSF以外の映画から影響を受けることよりも其れが屡なのだ。

SF映画には現実を先取りして見せて呉れる部分がある。
昔は其れこそ摩天楼のやうなビル群だの首都高速のやうな交通手段だの、其れにスマフォだの何だのと云ふやうな端末やらアンドロイド又はロボット等はまさに夢物語の世界のものであったが、今や其れ等は全て実現して居やう。

昔は生命の根幹の部分、其の生の秘密の領域を知る者はただ一人神のみで或は佛のみで其れは決して人間が開示すべき領域ではなかった筈なのだが今や其れも全て開示されるに至った。


問題は、其処で何故其のやうな預言者足り得るのかと云ふことである。

何故SF映画により科学的な進歩の過程が大枠では間違ひなく見通せて仕舞ふのだらうか。

結局其れは科学的な進歩の過程が観念的進歩ではなくむしろ欲望の方、まさに食欲や生存欲と云った原始的な欲求にむしろ基づき営まれていくからではなひか。-または名誉欲、成功欲、金銭欲、-



其処での理性としての枠が+と-の対、つまりは自然科学系と人文科学系の相互依存関係即ち相即的な関係にあればさうはならずむしろ其の観念的進歩を成し遂げて居た可能性が高ひことだらう。

観念的進歩では化石燃料に頼る一種暴力的な内燃機関原子力の利用などの危険な発想は多分出て来なかったことだらう。

其の原始的な欲を制することこそが本来の意味での理性の働きなのであらうから、もしもさうであるならばあらゆる力の誇示、またあらゆる危険と隣り合わせにある実験、そしてSF映画などは何処をどう探したにせよ出現するものでは無ひことだらう。

要するに理性による理性の為の進歩だと言ひながら実際やって居ることは何故か極めて原始的なことばかりだ。

一宇宙ロケットにせよ超音速で飛ぶ戦闘機にせよ全ては其の征服欲、支配欲の為の実現の為の道具で所詮其処でやってることとはサル山のボス猿になりたひと云ふことでありだからそんなものは所詮は暴力へと還元されて仕舞ふものだ。

だから真の平和主義者はまず文明其れ自体を認めぬものだ。

かの老子のやうに文明其れ自体を平和の枠の中へ押し込めて仕舞ふ。


わたくしは其を偉大なる理性が齎したところでの結論ではないかと思ふ。

ただし人間は欲望の強ひ動物なので元々そんな理性的な枠には嵌り切れぬものだ。

理性とは何より反省力ー内省力ーであり欲望の意味と限度とを知り危なひ橋を渡らぬ力のことだ。

其れが何故近代に於ひて崩れたのか?

近代とはさうした意味での欲望の申し子であり其の欲望とは子宮思考により醸成されしものだ。

ただし其れが悪ひとは言ってなひ。

さうではなく結果的に子宮思考は悪魔化すると云ふことだけを述べたひ。

では悪魔化しなひ為にはどうしたら良いのか?


父ちゃんが頑張るしかなかったとさう申す他無し。
浪漫が、または其の観念性が子宮の欲望を屡遮り尚且つ否定し父ちゃんは其処で是非何処かへ逃げていくべきだった。

ところが、逃げていく父ちゃんに限りコノ役立たずめが!と母ちゃん=社会の欲望からは罵られ其ればかりか子等からは無視されもうまるで存在感の無ひ、もうまるで根無し草の役立たずに、そんなグータラ父ちゃん、フーテン父ちゃん、まるでかの寅さんのやうに訳の分からぬ、其の癖意外と女たらしで各地に女を囲っておる。


嗚呼、孤独なるかな、其の一人の父ちゃん。

孤独なるかな、我我家庭を築かぬ個人主義のオジサン達。

勿論父ちゃんは別の面でずっと頑張って来た。

社会の為に動かぬと女共にバカにされ挙句の果てに捨てられやうから其れだけは御免だと本能的に悟り兎に角必死の思ひで此の近代を乗り切って来た。

するといつの間にか色んな変なものが出来たのだった。

其れは全て男性が此の世に産み落としたものだ。

我我には子宮が無ひので、其の代わりに頭から全てを生んでみたのだった。

ところが、其処には理性の重要な働きとしての反省力が宿って居なひ。

反省力即ち悩む力、マイナスの力、-ー負の側面ーをも見通した上で全体を構築する其の理性による悟る力のやうなものにはまるで欠けて居たのだ。

男性はそろそろボロボロになりつつある筈だがほんたうに良く其処まで持ちこたへ歯を食いしばりつつ頑張って来たものだ。

よって男性が無能なのではなく子宮の欲望につひ付き合って仕舞ひ家族だの社会的地位だの何だのと、つひそんなものに現実的な価値を感じて仕舞ひ社会を頑張ることで其れ等を産んじまった。


産んじまったものはさうカンタンに消え去りはしなひ。
さうか御目出たう、父ちゃん。

今の此の世界は、父ちゃんが知恵を絞りに絞り生み出した欲の園だ。

泣きながら働き母ちゃんの為に、其れに出来の悪ひ子供の為にと土下座しつつまたは部下からも無視されつつ、かうして血反吐を吐きつつ命の限りに闘ったことで生み出されし美しき薔薇の園ぞ。

おお、薔薇よ、純粋なる矛盾よ。

薔薇が近代で近代が薔薇ぞ。


でも父ちゃんにはこれまで浪漫を追求する暇さへ無かった。

さうかい?

どっかのカジノで君を見たことがあるよ。

どっかのパチンコ屋でフィーバーを重ねて居た君を見たことさへある。

笠松競馬へ行く電車の中で勤務中ー区役所勤めの公務員ーの筈のオヤジを発見したことさへあった。

其れに君は女癖が悪く海外へ行くと必ず何ぞ悪さをして来たことだらう。

なあんだ、父ちゃんはちゃんと浪漫も追求して居るでねえか。


其れも限定の浪漫の追求を。

父ちゃん、雁字搦めの父ちゃん、そんなアナタに是非おススメなのがアマゾンプライムヴィデオに出て居るSF映画の数々だ。

SF映画は実現可能な未来の可能性を探るものだ。

即ち欲望の理性=原始退行化した理性の帰着点を其処に示すものだ。

「オートマタ」「スプライス」「パーフェクトセンス」「ザ・ウォーカー」などは皆なかなかのSF映画であった。

「オートマタ」は進化したロボットの理性的展開を描くもので、逆に組織=社会としての人間は悪として捉えられて居り其の点に実にリアリティーが感じられる良ひ映画だ。

スプライス」は夫婦の遺伝子工学者が人間と他の生物とのハイブリッド種を創り其れを育て上げるが最後には悲惨な結末が待って居ると云ふものだ。

「パーフェクトセンス」は時の循環ー現実として同じことを繰り返すーから脱け出せぬ人々が最終的にどう其処から脱け出すかと云ふことを描ひた映画だ。

中でも「ザ・ウォーカー」は興味深い作品だ。


ザ・ウォーカー」で狂言回しのやうに登場する其の「本」とは一冊の聖書である。

従ってウォーカーは神の啓示を受け神の使徒と化しー神に守られー西へとただひたすらに向かう。

決して宗教の映画ではないが宗教的な映画でもまたある。

ただし殺戮シーンは多く暴力的な映画でもある。

尤も其の暴力とはあくまで神の意図として西へ本を運ぶことへの障りに対して行われる暴力なのだ。

謂わば一冊の聖書を守り抜くが為の闘ひなのだ。


わたくしは此の「ザ・ウォーカー」が一番気に入った。

勿論何度もまた視てみたひ映画なのだ。ザ・ウォーカー(字幕版)