ぎゃあー。
またもやえらいことが起こってしもうた。
個人的に薬師寺は好きな寺の一番手でしたのでまことに残念だと申しますか其の事実内容に呆れかえって居ります。
ですが、この際感情は抜きにして此の件につきトコトン考えてみましょう。
あくまで社会問題として捉え解決の為の方策を見出さねばならない。
まず、僧侶だろうが何だろうが強い性欲が存して居ると云うことを理解せねばならない。
即ち男性は八十歳位までは常に女に興味があります。
然し普通は多分七十歳程度でリタイアとなります。
人生を航海して来た上での疲労が蓄積し尚且つ病気が様々に出て参りますので女に手を出すことなどもはや物理的に難しくなって来やう。
つまりはもう其処までの元気は無いのが普通です。
しかしながら御坊様に限れば何故か元気です。
何故なら修行に勤しんで来た分、まさに其の分の心身に於ける鍛錬により功徳が積まれて居る分もうまるでピンピコピンです。
ピンピコピンな御坊様は無論のこと悪魔=女にもいたく興味が御座います。
たとへばホステスなどの小悪魔などにも興味が御座り、其処でつひ其の悪魔をば口説いて仕舞ふ。
其れもそんな地位の人がまさかそんなことをと誰しもが思う其の常識の隙をつき偉い御坊様がそこまでして仕舞うのである。
故に男性の下半身は何人たりとも制御出来ないものなのです。
勿論御坊様でも其れは無理といふものです。
ですが、其れだからこそ南伝の仏教、即ち小乗仏教の流れでは厳しく其の性欲を律しまず絶対にそんな不倫などしないやうにして御座る。
だから兎に角小乗仏教は性的に厳しい。
けれど大乗仏教は其の戒めが実にユルい。
戒が緩いと下半身の方も当然にユルくならう。
だからつひ先日申しましたばかりです。
大乗仏教がもう少し確りして居たならば、日本国の女子学生の股の締まりはもっともっと確りして居った筈。
なのに大乗仏教は世俗にまみれつまりは金まみれ、女まみれ、破戒まみれでもってもはや滅亡寸前である。
いや、幾らなんでも其れは言い過ぎた。
大乗仏教が存続して呉れないと大層困る、まさに大弱りだ。
だが日本人の精神が須らく悪魔化されまさに汚物まみれになることをコレ以上見過ごしておく訳にはいかない。
なのでこの際小乗仏教の方へ宗旨替えしやう。
尚ピンピコピンといふことは悪いことではない、あくまで人間が生きると云う意味の上では。
出来ればピンピコピンでは無い管主の方が社会通念上また仏法の存続の上からもより望ましいことであることだらう。
ピンピコピンに生きることはエネルギーだけは高いのでフニャフニャに生きて居ることよりもより望ましいことであるとさうすぐに俗人は考えがちなのであるが、然しあへて印度の行者様などみるにつけ、其処でまさに苦行に次ぐ苦行でもってして徹底的に自らの体を痛めつける。
そしてまともに飯さへ食わない。
すると余分な生のエネルギーが抜けたとへフニャフニャでも精神のみがピンピコピンとなる。
もはや光っておらう、其の精神のみが。
まさにピカピカピカー、とな。
ですからピンピコピンと云う価値の話はあくまで俗世間の価値観での話だ。
ピンピコピンは悟りへと至る道ではなくましてや余分にカネがかかる道でもまたある。
事実其のホステスには全部でとんでもない額の金が支払われて居た可能性が高い。
「私が勤めているお店にやってきて1回で7万~8万円は使ってくれました」上記より引用
ところで何でそんなに金があるのだ。
今や金が無くて無くて困り果てて居る寺が日本国中にあらうといふのに。
一体何でそんな金がピピッと出ていくのか。
ひょっとして全部で500万位は軽くいっているのではないか。
そして其の女の処へ何遍行ったのだ、正確に数を数え今すぐに仏に報告せよ。
兎に角わたくしがつひこないだ言ったばかりである。
男性は十代だろうが八十代だろうがオオカミである。
ただし八十代ではもはや役に立たぬゆえ七十代までである。
其れも七十代前半までである。
然し我我は六十五まで持つかどうか分からぬ。
事実もはや死んじまっただあのヒデキはたった六十三で。
だから人間は生きて居るうちが花だ、蝶だ、蜂だ、ハエだ。
其のハエのやうに女にたかるのだ。
でも女は一人でなくてはならない。
間違っても複数の女に手を出すべきではない。
だが、先に述べたが如くに兎に角やり逃げがしたい。
其れもなるべく見ず知らずの女を触ってみたい。
其のやうな強欲があらゆる持戒を、そして学識を、即ち理性といふ理性を須らく粉砕する。
さらに地位、名誉、積み上げて来し長年に亘る努力の全てを粉砕する。
逆に言うと其のやり逃げといふ今、其の今にこそサイコーの快感が存して居る。
だが駄目だ、そんなことしていちゃダメだ。
もっと真面目におなりなさい、即ち真人間として生きやう。
第一袈裟を纏いつつそんなことして居るのは最悪だ、嗚呼、君はもはや地獄へ堕ちた。
いや、坊主一人が地獄へ堕ちた位はさして大事ではない。
されど天下の薬師寺だ。
しかしながら不倫、此の不倫の連鎖は、まさに止めどなく続く不倫の連鎖は一体全体何でこんなことになって居るのでせう?
確かに其の発生の原理についてはこれまでに屡言及して来たつもりです。
ひとつには日本国には宗教的に性的な逸脱を止める手段がないと云う事でした。
さらにストレスフルな社会が性的な逸脱に捌け口を求めて居ると云った現実がある。
つまるところもはや性のみが現実的な欲望の捌け口として機能して居る。
と云うのも、もはや物は飽和状態であり、其れと比例する形で精神は限りなく貧しくなって来て居る。
其の構造の部分が最大限に噴出したのが今回の高僧による性的逸脱の事案である。
だから全部がわたくしが予言した通りではないですか。
もうまるで予言者の我が見通した通りのことでせう。
ちなみに此の仏教と性と云うテーマはいつか取り上げてみなければならないことだったのです。
其れはむしろ仏教の本質に類する話なのです。
要するに生=性だと云う話です。
さらに其れと対になる形で死=性なしと云うお話です。
ですがより正確には死=性でもまたある。
其の対概念としての涅槃=仏=性なし=性の超越と云うお話です。
生は性なのですから生きていく限り性は必要悪です。
女が必要悪である善なる悪魔なのと同じで性もまた必要悪である善なる悪魔なのです。
ただし不倫は矢張り認められるべきではない。
不倫は謂わば過剰な性だ。
ですが何度も述べて居りますやうにやり逃げしたいのこそが男性の本性です。
袈裟を纏っていやうが制服を着ていやうが教壇に立っていやうが関係なくやり逃げしたいのが男性の常です。
要するに種をバラ撒くだけばら撒いて置いて宇宙へ逃げていきたいのです。
宇宙と云うか異界へ逃げていきたいものです。
謂わば集団的無意識のやうなものがあるとの見解に立って居る。
ですが、其れと、此の度の僧侶の不倫の問題とはまた別問題です。
ですからそんなのは、まさに宗教が腐って来て居ると言われても仕方のないことです。
一番いけないのは、青少年に対する教育の問題でそれこそまさに示しがつかなくなる虞がある。
だからそんな、偉い御坊様や教師やら警察官などが不倫などして居てどうする?
つひ不倫が良いことだと思って仕舞うではないか、此の子等が。
それで挙句の果てに輪姦だの乱交だの、もう酷い性的秩序が現出して日本国の精神は地に落ちる。
いや、すでに地に落ちて居やう。
ついでに是非一言述べておきますが、最近の学生、つまりは中学生、高校生、大学生のいずれもがもうひどい有様です。
何が酷いってもう兎に角道を空けて呉れません。
其れも自転車が通ると云うのに、歩道一杯に群がり通らせて呉れないのであります。
其れでもってわたくしの場合は決まって怒って来ます。
ちゃんと道を空けなさい!と言って来ますが其処は多少リスクがあろうと仕方のない部分です。
ちゃんと早起きをしなさい。
ちゃんとご飯を食べなさい。
ちゃんと勉強しなさい。
ちゃんと不倫を阻止しなさい。
もうそれだけしか此の世の中に対しては申せません。
要するに幼稚園児に対する教育しかすることが出来ない。
また大乗仏教に対してもただ一言だけしか言えません。
即ち金輪際不倫などしてはならない。