目覚めよ!

文明批判と心の探求と

教師だけに与えられる宝石としての思い出



このやうな未成年者による犯罪行為は、何も今に始まったことではなく、我我昭和三十年代生まれの世代にとっても、かっては荒れる学校だの何だのと云われ一部の非行の巣窟の学校にて、まさに教師がボコボコにされつつ其れでも何とか現実の一部としてうっちゃり済ませて来て居たのであった。


が、我我が中高生の頃には先生の方にも権威があり、事実悪いことをした生徒は教室の後ろの方でデカい教師に蹴られて居たものだった。


其の教師はわたくしの担任であったが、兎に角体がデカいので逆らおうにも逆らえず、けれども当時より文化人でもって大人しい我は、そも悪いことなどやる気力がないので其の教師に蹴りを入れられることなどなく無事中学の一年を終えたのだった。


ところが最近わたくしの職場に其の中学の後輩が配属され、此の印象深い教師のことを話してみたところ、嗚呼、あのM先生ばかりはほんたうに怖かった。


ボク等はH中でグレていたからまさに良く覚えて居ります。


Mは学校へ来る前に通学路の見回りをして居ました。


それでもって悪い奴等の家の近辺では良く張り込みをして居り、其処で札付きの悪共が凶器を持って居たり不純な異性交遊をして居ないかと云う事を兎に角毎日チェックして居るのです。



で、悪い奴等はボク等を含め良くビンタを張られたり蹴りを入れられたりしていたものです。


けれど、不思議とM先生のことを悪く云う奴は居ませんでした。



つまるところ悪は悪なりに先生の真心を悟って居たのであろう。


其の後わたくしは中学三年の折に京大出の社会科の先生が担任となりこの人の影響からだろうが、いつのまにやら社会科とは縁が切れない人となり、其れでもって実は高校で一番出来たのも社会科なのだった。



彼は変わって居てグレては居たがH中はむしろ市内では上の部類の学校で所謂荒れた学校とは程遠い何かと勉強をする環境に恵まれたところである。


結局彼も当時の学校群の進学校に進んだが有名大學へは進めなかった。



然し久し振りに彼とH中学校の話が出来大変嬉しかったのである。


嬉しいと云うか兎に角無性に懐かしいのである。



体のデカいM先生や京大出のI先生、其れから良く背広の背中にチョークで落書きされて居たR先生などはまさに変人の数学の先生であった。


然し我我は少なくともこうして楽しい、或いは懐かしい思い出として学生時代を振り返ることが出来る。



勿論今の子等もそうでなくてはならないことだろう。


学校での思い出が、こうした教師への犯罪行為であるとか、或いはそれこそ不純なる異性交遊に終始していたとか、そんなものでは元よりどう考えてもおかしいのである。


少なくともかの金八先生のドラマの頃までは、まだそうした古き良き思い出としての学校での生活が成り立って居た筈である。




でも今はもう分からない。


わたくし自身が教科書に触れなくなってからすでに三十年が経過して居る。


だからわたくしの中の塾生達の思い出は、皆昔の、そして真面目な良い子たちばかりの思い出で此処にあるやうな犯罪行為を平気で犯すやうな罪人共の巣窟などではない。



わたくしは今あの頃は良かったと臆面も無くそう思うのである。


熱血漢の教師が居て、時に鉄拳制裁はあったものの其れは怒りによるものではなく真心からのものであった。


そして謂わば其れこそが躾だった。



でも教育は一体何処で何を間違えたと云うのだろう。


十年程前からだろうか、わたくしは地下鉄の車両内で強い違和感を抱くようになった。


其処に居る中学生や高校生の行動が余りに傍若無人で自己本位のものだったので。


其れは時に見て居て気分が悪くなる程のものであった。



わたくしは其の折に今の教育は何かが根本から崩されつつあるとそう直感した。



案の定其の頃から援助交際と云う言葉が流行し出したりもした。


無論我我が学生の頃には考えられなかったことだ。



わたくしは何かが間違って居ると思い考え始めた。


昔のことを思い出しつつ、一人一人の生徒さんの顔や性格を思い返しつつ考え込んだのである。



其の結果、あくまで人間が悪いのではなく社会が悪い、其のやうなふしだらな風潮を、乃至は利己的で他人を敬わない心を生み出したのはまず教育であり社会に責任がある。



そして正直なところ、其の頃から教師に対する同情の念が湧き起こり同時に教師にならなくて良かったとそう思うやうにもなった。


然し、たとえそうではあっても教育と云うものは常に素晴らしい何かであり続けることだろう。



何故なら三十年経っても、わたくしはわたくしの教え子達のことを鮮明に覚えて居るのだから。


そして今はどんな生活をしているのだろうかとそんなことを繰り返し思うのである。


尤もあのK先生がこんな滅亡ブログを書いて居るなどとは誰一人として思わないことだろうが其れは其れで仕方がないことだ。


先生はあれから考え過ぎたのだ。



君達の子供位の子たちが、余りにだらしがないなりをして居るのでコレはもう社会が悪い、社会が悪過ぎて人間を破壊し始めて居る。


そのことは近代主義の履行の必然なので、君たちのせいではなくしかも君達を教えたわたくしのせいではない。


とそう言いたかったのだ。



教え教えられる関係は何より宝物のやうな人としての記憶を遺して呉れる。


実は其れが教師だけに与えられる宝石としての思い出である。