目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

「ヒンドゥー=スワラージ」より思う事




「ガンディーの主張は、表面的なイギリス統治の批判ではなく、近代文明そのものへの批判に向かっており、インドにとって真の文明とは物質的な繁栄を求めるのではなく個人が自らの精神を統御することにある、という。そのよりどころはヒンドゥー教イスラーム教、ゾロアスター教などの宗教の違いを超えた真理にある。それこそが「インドの自治」(スワラージは自治の意味)であると説く。」


とのことです。

即ちガンディーの思想に於いては宗教の超克すらもが成って居るのです。

第一宗教とは名辞による精神の限定ですので、其処では普遍性があるようで居て普遍そのものではない。


キリスト教だの仏教だの、ヒンドゥー教だのイスラーム教だの、宗教や宗派が異なればそれぞれに教義も異なり普遍的精神としてなかなか一元化されない訳です。

精神は元々そのやうに一元化され得ないものなのです。ー現世に於いてはー

ですが良く考えてみれば宗教や宗派が異なっても共通した教えの内容が含まれていたりもする。


たとへば淫蕩なSEXを禁じるのは何も仏教だけなのではなくキリスト教でもイスラーム教でも元々云われて居ることです。
兎に角左様に宗教の段階では過激な快楽の追求は否定される。




さてガンディーが著した「ヒンドゥー=スワラージ」には、近代工業文明そのものへの批判が織り込まれて居る。

ここからしてもガンディーの思想は実は過激なものです。

昔から極左集団のことを過激派などとも申しますが実はそんなものより余程に過激なのがガンディーの思想です。




「ガンディーの思想の特徴は、人間の内面変革とそれに密接に結び付いた社会改革であり、それが達成されることによって、自ずと政治的変革即ちイギリスからの独立は実現するというものである。その構造を図形的に表現すれば、同心円的多重構造の一番内側に第一の内面変革があり、その外側に二番目の社会改革、そしてさらにその外側に三番目の政治的変革即ちイギリスからの独立が来るといったように捉えることができよう。また、そのような考え方が近代文明批判と関連していることも特徴である。」
   
「ガンディーの近代文明批判の特徴は、人間が精神と情欲を支配できなくなったために近代文明が生まれたものであるとしていることに表れているように、人間の内面を問題にしていることである。逆に、人間が精神と情欲を支配できるように自分自身の内面を変革することによって、真の文明が訪れるとし、そのような内面変革とそれに密接に結び付いた社会の改革をガンディーは目指した。そして、そのような真の文明をもたらすことによって、イギリスのインド支配は自然と終わるものであると、またそのような形での独立こそが我々の望むものであるとした。」
   

ともありますように、ガンディーは内面変革と社会改革を同時に行うべきものとして考えて居たのであり其の点ではまさにわたくしの考えと同質のものです。

また内面変革と社会改革の達成には必然的に近代批判が不可避のものとなるという点でも全く同じだということです。



要するに人間を、特に近代以降の人間を根本的に変える為には、或は戻すー人間が精神と情欲を支配するようー為にはまずは近代を否定しておかなければ埒が明かないということだ。

「新しい社会」を創る為にはどうしても近代を乗り越えるべく構築されし思想が必要となる。



然しポスト・モダンは近代を乗り越えることが出来なかった。

また左派思想も然り。


何故なら唯物論で近代を乗り越えることは出来ないからなのである。




第一皆様は地球温暖化により齎されることだろう将来の災厄に対し一体どう考えて居られますか?

勿論そんなものはどうしょうもないことでしょうが。

今と同じことをやって居て、しかも其れを二十年も三十年も四十年も五十年も、果たして続けていけるものなのでしょうか。

じゃ六十年はどうだと言われますが、そんなものは無い、無いよ、もう無いのだよ。

其の頃すでに地球は生態系が破壊され我我の腹に入れるものなどもはや無いから人類は滅亡しかっての楽園としての地球に戻りつつあります。



つまりはあと五十年の命だ、我我は。

いや、文明は。

だが近代は滅ぶにせよガンディーの思想は滅びはしない。




左様に人間の内面つまりは精神の変革が成らざれば人間は道を誤ることだろう。

尚「人間が精神と情欲を支配できなくなったために近代文明が生まれたものであるとしていること」については其処に東洋の叡智が多分に含まれてもいよう。

東洋の叡智は古来より精神と欲とのバランスにつき考え続けて来た。



言うまでもなく其の帰結としては、「人間が精神と情欲を支配できるように自分自身の内面を変革することによってこそ真の文明が訪れる」のである。

そのような内面変革とそれに密接に結び付いた社会の改革をこそガンディーは目指した。




さて近代という時代の特質として挙げられるのが分解であり分離である。

近代は様々なものを切り刻み解体することで個という自我領域を拡張させて来た。

或は解体することであらゆる特殊性ー多様性ーを排し普遍化ー画一的ーの方向へ向かうのである。


然し其の解体はやがて人間の心ー精神ーそのものへと向かうのである。

解体することで、逆に普遍化し統一しようとするのだが其れが実はバラバラになるばかりでつまりは虚の構築を為すばかりだ。

或は破壊を齎すばかりなのである。


其の虚の構築を止め破壊衝動を個々の精神の枠内に閉じ込めることが大事だとそう考えられる。

何故なら近代人という普遍的人間に許される精神とは理性と情動がバラバラに絡み合う疎外されし精神なのだから。

其の過去と現在、情動と知のバランスが取られることなくあえて時代は進んでいったからなのである。