こんな風に男女共性欲は元々抑えるのが難しい。
何故なら此の世界に生命を生み出す大元の力が其の性欲にこそあるからなのだ。
然し健全な性欲のあり方とふしだらな性欲のあり方は違う。
ふしだらな精神のあり方と健全な精神のあり方とは違う。
性欲は元来自己矛盾なので、ストレートに其れを吐き出せば破壊的なものとなる。
即ち破壊的衝動を含んだものとならざるを得ない。
従って、愛とは建設であると同時に破壊なのだ。
少なくとも人間の場合には其処に理性を働かせることがなくば愛の名の元に其れは堕するのである。
愛は人間の保全であり創造であり何か温かいものであるように見えて、他方で利己的かつ無慈悲で結果として破壊としての顔を持つ。
愛を象徴することだろう女達には元々此の二面が、其の命の母と滅びの母としての性質がしかと鋳込まれて居る。
つまり、メスには元々二面があるのである。
優しいものの究極としての面と、恐ろしきもの、無慈悲なものの究極としての面を持つ。
まさに鬼子母神か、菩薩ー聖母ーか、である。
第一女は平気で男を振る。
振られた男は決まってもう死んで仕舞いたくなるというのに。
詩人がお前の為なら何でもやると言って居るというのに決まってバカ女は耳を貸さないものなのだ。
詩人が高尚かつ熱烈なラヴレターをわざわざ書いてやって居るといふのにそんなものには目もくれず力のある男、つまりは鈍感な男の方に決まって摺り寄るのだ。
嗚呼、我ならば中也の嫁にでも是非なりたい。
わたくしは毛深くて女好きの男は嫌いなのでもうまるですぐにでも壊れて仕舞いそうな詩人肌で変人の男こそが好き♡
或は宗教に一途で女など金輪際触れたこともないやうなまっさらな男こそが好き♡
尤も女も嫌いではないが女は莫迦が多いのでなかなか我がお眼鏡にかなう者が居ない。
女の二面性は生の自己矛盾を形作る。
女は貞淑な振りをしつつ実は淫蕩な本性を宿して居る。
だから女は男とは違いまことに罪深い。
罪深いので、生命を此の世に生み出す。
第一女の性ほど罪深いものはない。
特に女の下半身はもうこれは絶対に見てはならないものだ。
また触れてもいけない。
いけないのだぞよ。
嗚呼、もう本当に罪深い。
女の下半身程罪深いものは他に無い。
然し、精神もまた自己矛盾である。
精神はストレスがかかるとつひ女の下半身の方を向きがちである。
然し其れは建設の愛ではない。
畢竟其れはタダの自己矛盾であり、破壊である。
其れは鬼子母神としての女の負の側面に確りコミットして仕舞うことでしかない。
ゆえに女とは魔物である。
魔物としての矛盾こそが女の本質だ。
されど生を成り立たせる為に、其の矛盾こそが必須なのだ。
さて本質として男は独りでは生きていけない。
何故なら彼は魔物としての矛盾を持ち合わせて居ないからなのである。
生来彼はとても清浄で、真っ直ぐなの。
真っ直ぐだからこそ其の女のグチャグチャが恋しくもなる。
兎に角もう、あの、グチャグチャの女を。
矛盾の極としての、破壊の極としての女を。
いや、建設の極としての女を。
でも淫行は建設の極としての女を求めることではない。
逆に淫蕩な破壊の極としての女を求めることなのだ。
従って淫行は単なる淫行で、謂わば其処で生きる力を与えられることではない。
生来詩人は弱いので、生きる力を他に求めたくなる。
放っておくとたったの三十年程で死んで仕舞うので、兎に角何でも良いから誰かに縋りたくなる。
無論詩の上で縋るのではなく、生きる上でこそ何かに縋りたい。
其のやうに破壊ではなく矛盾ではない、建設としての愛をこそ女には求める。
ーなので詩人は淫行をしない。してみると淫行をする教師は矢張り次元が低い。ただしわたくしの場合は次元が高過ぎてむしろ困って居る。其の破壊の極としての女を求めることの代わりに。ー