目覚めよ!

文明批判と心の探求と

我々の未来が危ない!だからこそ山へ逃げます。


さて、今ここで取り上げる問題は、

重症化する子どもの便秘 http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2015/07/0731.html



とのことである。


実際このゆとりの無い現代社会に於いては様々な歪が発生して来ることだろう。

かっては其れが自然を痛めつける公害であったりしたのだったが、現在ではその歪が人間自身へ向けられようとして居る。


たかが子供の便秘と云うこと勿れ、実はこれこそが文明の病の部分が端的に現れた箇所なのである。

第一貴方、つまり五十代以上の我々若爺様若婆様にとってはこんなことがもうまるで嘘のようなこと、まさに青天の霹靂であるかの如き出来事なのである。


何故なら我々が子供の頃にはこんなことは起こり得なかったからなのである。

我々五十代の人間は大体昭和四十年位までにこの世に生を受けて来て居る。

私の場合は昭和三十年代の半ば少し前に生を受け、従ってあの高度成長の時代を少年期に経験して来たということになる。


もっとも今の私の彼女などは昭和三十年生まれで私よりは少しばかり古い人間なのだがまあ大体に於いて同世代、同年代だと考えて間違いはないことだろう。

然し昭和二十年代生まれの人たち、即ち今六十代の方々は色んな面で我々五十代とは異なる面を持ち合わせて居るように見受けられる。


私は其の部分がおそらくは良い部分なのであり、対して我々五十代の人間の持って居るモノは何ぞ悪いものであるかのようにずっと考えて来て居たのだった。

然し最近になり其の考えが少しづつ変わって来て居り、今の六十代の社会に対する危機感の無さはかなりに問題があるとそう考えるようにさえなって来た。


逆に五十代への評価が少しだけ浮上して来て居り、五十代は確かにノンポリでスケベでまさに社会的にはごくつぶしなのだけれど少なくとも合理精神だけは持って居り其の合理精神をうまいこと活用すればこの世の中を現実的に良い方向へ向かわせることさえ可能なのではないかとそう考え始めたのである。

合理精神と神、仏の世界とは確かに逆向きの世界なのではあろうが、私は最近宗教の世界の上での潔癖性、合目的な精神とある種の合理性というものは排斥し合わずうまく纏まるのではなかろうかとそうも思い始めたのである。


我々五十代にはすでに無く六十代以上の世代の方々にあるものとは戦後世界に於ける豊かさの実現に対する信仰のようなものなのであろう。

我々五十代はもはや其の信仰を受け容れがたくなって来て居り、然しながら其れでもまだ若い頃に経験した物まみれ、金まみれでの生活への未練は捨て切れずに居るというところだろうか。


ところが
六十代以上の世代の方々では其の事が不感症にさえなって来て居 り、従っていまだに成長だの発展だの未来だのといった幻想に寄りかかって生きて居る人が或は多いのではなかろうか。

第一あの年金にしたって彼らは普通にしこたま貰って居り、其れでもって普通に楽しく毎日暮らしていけるのであるから其処に何ら問題は無い筈である。


しかも其の状態であと十年位は確実に続けていけるのであろうから未来も約束されて居よう筈。

其の後国家が経済的に破綻しようがどうしようがどうということもない。

何故なら其の時にはもう自分が此の世には居ないからである。


だが其処でよーく見てみよう。

貴方のお孫さん自身がすでに壊れて来て居るのだ。

貴方が一生をかけて築き上げて来た何かが
お孫さんの世代には伝わらないのである。


何故なら
お孫さんの世代はすでに幼少期より現代文明にこっぴどく痛めつけられて来て居る。

この様にそんな年端もいかぬ頃からすでに老人のようだ。


昨日職場でこの件につき話して居たところ、あの思想的に過激なKUMAさんなどは現代文明の余命はあと二十年だ、其れもあと五年程で子供を親が介護しなければならない時代が来る、とそうのたまって居たものだった。


然し五十年後にはおそらく本当にそんなことになっていくのかもしれない。


現代文明とはおそらく人間の制御能力をはるかに超えた何者かなのであろう。

だから人間自身にはもはやブレーキをかけることが出来ないのである。




さて私はこうした問題につき学校は一体何をやって来て居るのだろうと感じて仕舞うのですが、其処で結局
「祝便体操」 を歌うことしか出来ないなんて全く情けない限りではないか。


日教組はインテリ集団なのだろうから其処はもう少し考え社会を良い方向へ変える気概を見せて欲しいのに其れが出来て居ない。


組織というものはすべからく其の様なもので一旦組み上がったものからは抜け出すことが出来ず其処で次第に慢性化、マンネリ化、陳腐化し問題への対処能力を失うのである。



が、あのゆとり教育というのは確かに正しい考えだったのだ。


何故なら人間にはゆとりが必要である。

が、世界が
ゆとり教育を行わない限り其れをやれば日本人だけ学力が落ち取り残されて仕舞うのである。


さて其のゆとりとは何だろうということを最近私は屡考えて居る。


実は私もここ数年は特にゆとりの感じられない生活を送って来て居り、其の結果胃腸に問題が出てずっと薬を飲んでいるような状態なのだ。


一体何がこんなに人間の生活を圧迫して来て居るのだろうか。


其れは一言で云えば現代文明の掲げる倒錯思想が我々個々人の自然な思考を圧迫し精神ばかりか体の状態までも狂わせて来て居るのである。




1.
ゆったりした時間を過ごせない


現代社会は進歩概念を含んだ倒錯思想により我々に対して社会的な服従を常に強いて居る。

だから我々は其の多くが会社の方へ行かなければならず其処で与えられる凄まじいストレスに耐えていかねばならない。


其れを我慢して居るとそのうちに病気になり早死にするがそんなことは社会の側はお構いなしである。


だから我々は不安定であることを覚悟した上で是非自営業で生きていくことをまず志すべきである。

第一私の知り合いの宝石の行商人などは女房を働かせ自分は適当にゆったりと仕事をし確かに金は無いが子供と一緒に野球をしたりで其処はゆとりとやらで一杯である。


ところがこちとら朝も早からこきつかわれ尚且つ夜中まで飼育し管理され本当にもう死んじゃうぞ、一体日本人は何でこんなに働くのが好きなんだ、全くアホなのか、てめえらは。


第一休みも無いじゃないか。

夏休みが無いなんて俺の職場だけだぞ。


ふざけるな、ヨーロッパなんて労働者でも一か月のバカンスでもって其処で本質的に解放されるのだ。

日本人は天皇と国家と企業の為に滅私奉公して其れで終わりなのであるか。



確かに近代が我々に与えし人権は本質的には虚の権利なのである。

が、この際休みのーゆとりを持つー権利だけは仏様や神様から保障されているものであるとそうはっきりと述べておこう。


従って其の権利とはまさに天啓であり天恵であり天与のものである。

だから俺はこの八月前半に休みを取った。

もうすぐ夏休みだからこんなバカもよして山の方へ行き是非座禅を組んで来たい。



2.食生活の変化


食生活なんぞ欧米化する必要はそも何処にも無い。

あの頭の良い官僚組織の面々が何故其のことを見抜けなかったのか。


元々コメとミソと漬物ばかり食って来た日本人が急速に欧米化した食事を摂れば其れはそも合わないので其処に色々と問題が生じて来よう筈だ。


それこそ大腸癌は増えるわ、肥満の問題が出て来るわでもうロクなことがない。

第一日本人は日本人として顔の抑揚なく手足が短く背が低いのが一番である。


其の様な神の民族としての日本人の身体的特徴を是非大事にしていかねばならぬ。

顔の抑揚がない、手足が短い、背が低いなどの特徴を欧米の身体的特徴に比しむしろ優れたものであるとして教育していかねばならぬ。


         
3.活動量が少なく、必要な筋力がない

現代文明は我々から生きる意志、意欲を奪い去りのみならず未来への希望さえも奪いがちである。

特に昨今はそうである。


若者からは未来を奪い、女性からはささやかで幸せな家庭を奪い、老後からは安定した生活を奪い、我々五十代からは普通の収入を奪い、そして金持ちだけが金まみれの金融経済を推進 し、かつ地球を悉くに破壊し尽くすであろう科学技術による自然破壊を推進し、其の進歩への異常な執念、成長や進化への倒錯度の高い洗脳を生み出しつつ歩んでいく現代文明。

足ることを知らぬ現在に於いて、これら悪夢の展開のみが延々と繰り広げられていく。


もはや子供たちはブロイラー化され、おまけに皆ケータイやスマフォを持たされて、其れでもって過激なエッチ動画や他人の悪口などというやらなくても良いことばかりをやらされ、其れでもう本当に一体何処に学校や教育の意義があるというのだろうか。

おまけに塾では夜の十一時まで缶詰とな り、毎日毎日模試だ補習だのとやらされて、其れで一体どこに人間が人間として自然に生きる意味が担保されて居るというのだ。


おまけに今の子供は全く外で運動して居ないので筋力がなくたとへば物を投げることも出来ずあの反復横跳びなども全く出来ずである。

一体誰がそんな風に子供の体力をダメに して仕舞ったのか。

勿論其れはこの現代文明が自ら進んで子供の体をダメにしていったのである。



だから教師に限らず子を持つ親、或は孫を持つ爺であるならばまず其の辺りの事を確りと考えてみよう。

ところが我々五十代は日々の暮らしに追われがちで考える時間がそも無いと来て居る。

六十代は六十代で其の年金でもってどう暮らしていくかということを、勿論其の年金がタンマリ貰える層は余った金で今度はどこへ旅行にいこうとかそういうことばかりを考えて生きて居る。



嗚呼、全くひでえや、全く嘆かわしい世となった。

だから我は世を捨てて暫しの間自然と戯れて来ることとする。



実際お前さん等にはもう付き合い切れないから我は暫くの間仙人化して其の山の峰々、雲上の世界へと姿を変えつつ逍遥して来ることとしてみる。


人間界はまさに強欲の限りを尽くし其れでもって自分の首を絞め続けて居るかの如しだ。

だから我は暫しこの人としての絆を断ち切り山の不思議と対峙することで失われし活力を取り戻すのだ。


お前さん方の馬鹿馬鹿しさにはもはや付き合い切れぬのでな、実際もう本当に。