目覚めよ!

文明批判と心の探求と

現代人に必要な精神と自由

現代社会では屡大と小、虚と実といった大きな価値の相互変換、入れ替わりのようなことが行われている。

或いは聖と俗、貴と賎といった価値観が屡入れ替わったりもする。

ただし、次なる大の方の価値だけは入れ替わったりすることはない。


即ち科学技術の価値の分野と経済的な価値の分野である。

近代というのは、この二本の柱を中心に据え展開されて来たところでの何かである。


然し其の二柱は本来据えてはならなかった柱なのでこうしたものの力に頼ったところで人間の幸福は実現され得ない。

それらの逆を本来ならば据えて置かなければならなかった。


其れは精神と自由とである。

精神とは合理精神でもなく復古精神でもない、自分自身を律し自分自身を批判することの出来る精神力ということである。


現代という時代はこの自己批判力に何より欠けて居る時代なのだと云えよう。

自分で自分が見えないので、自分が何をやっているのだか皆目分からない。


だから我々は皆めしいて居る。

我々は皆盲目である。


いつの間にか、其の様になって仕舞った。


そうとは言え、皆こんな風に日々を普通に暮らして居る。

別に世界の終りがすぐに来るというものでもないのだし。

毎日はこんなに楽しいし女房は綺麗だし子供も皆頭が良い。

完璧だ、完璧な人生だ、この素晴らしい人生に乾杯!


まあ其れはお目出とう御座います。

然し資本主義の限界も自然科学の暴走ももはや明らかなことです。

それによって温暖化が加速され人類滅亡の時が迫って居ることももはや明らかなことです。

なのにいつまで自身の強欲を貪り続けようとしていなさるのか?


何度も言って居るように、存在とは自己矛盾性に繋がれし牢獄ですから貴方も私も所詮は業の奴隷です。

特に人間は其の自己矛盾性が社会レヴェルに拡大された上で色々と悪さを行います。


其の部分が人間と他の存在を分け隔てている部分です。

なので人間には元来大きな負債性、瑕疵性があり其れを制御しておく必要が是非あったのです。


だからこそ宗教というものもまた生まれる必要があった。

ところが近代に至り其の宗教の死が予告され、また実際に宗教は堕落腐敗しつつあることもまた明らかだ。

勿論全部が全部そうという訳ではない。

然しどうもこの近代病のひとつとしての価値の変換癖、価値観の浮動性というものが関係して居るのではなかろうか。


宗教の実質的後退に其の性質が関わって居るような気がしてならない。


いずれにせよ、近代という時代は中心と周辺を絶えず生み出しながら進んで来て居ります。

たとえばかっては先進国が中心で、開発途上国は周辺だったのです。

今は逆に新興国が中心に見えなくもなく、中心であった筈の欧米圏の支配力、影響力が弱まって来て居ます。


謂わば弱きもの、中心を外れたものを食いものにすることで近代そのものが発展して来たのである。

其のかっての周辺のものが今や中心を脅かす程にもなって来ています。

だからこそ先進国の面々は俺こそが世界の中心なんだ、などとはとても威張っては居られない状況になって来て居る。


ゆえにヘゲモニーの交代は起こり得ることだろう。


近代社会とはそうした心なき剥奪原理により営まれる社会である。

周辺を搾取し隷属させることで中心が肥え太るという意味での心なき社会のことだ。


だから基本的に近代が個人に齎す快楽、満足は他を犠牲にすることで得られる罪な快楽であり満足である訳なのである。

其処を分からずしてトコトン近代生活を楽しもうと考えることは相当に空しい。


然し私の様に分かり過ぎて仕舞うこともかえって空しい。

と言っても私の生活は空しいばかりでもないが其処だけは矢張り空しい。



現代の価値観の転換というよりも、価値観自体が不安定であるのかもしれない。

事の本質を問わないでー見るべきものを見ずー、見なくても良いようなものばかりを見て求めなくても良いようなものばかりを追い求めるー科学技術上の成果と経済上の利益とをー。


事の本質とは何かということを問う力が次第に減退し、其処で求めるものが天の摂理に背くようなものばかりなので、やがてはグチャグチャ、滅茶苦茶となりドロドロに溶かされてハイ、お前らもう終わりだよ。

其れで宗教上の座標軸がつい狂って神父の多くが小児性愛を追求し捕まったりもして仕舞う。


また僧侶にも犯罪者が結構居るのだし、教育者に至っては矢張りというべきか性犯罪などが多い。


そういうことはすべて近代の思想の支柱がそもそもネジ曲がって居ることから生じて居る。

人間にとって本質的に大事な価値を支柱として置いて居ない時代だからこそそのようなことに必然としてならざるを得ない。


だから精神と自由の方に時代の支柱をシフトしていくべきである。

そして其処で自立性をもった精神を磨いていった方が良いのである。


ー現代人、特に戦後世界に於ける人類の精神性は限りなく貧しくされて来つつある。何でも与えられ、どんな病でも治して貰い、自由であり平等でもあるので逆に限りなく時代に飼育されていって仕舞う。謂わば洗脳され切って居る状態にある。だが本当は其の精神の自立性から齎されるところでの真の精神の自由を確立していった方が良い。ー

この辺り、自由には与えられた自由と自ら選び取る自由との大きな差があるので気を付けておいた方が良いことだろう。