目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

今やまさにキリスト教で云う終末論の世界なのか?


先日エホバの証人の信者の方と話す機会があり、其の折に私は宗教には共通した良い部分がありそうしたものにつき意見を発信していきたいと考えて居る旨を伝えさせて頂いた。

が元々キリスト教ーとキリスト教系の新興宗教団体ーのことには疎い私にはキリスト教の教義的なものを深く掘り下げて議論する程の知識が無い。

ただひとつ、前々から疑問に思って居たところでの、キリスト教の終末論に於ける千年王国のことについて伺ってみた。

千年王国と云う概念は全てのキリスト教系の宗派乃至は団体に共通して認められて居るものなのですか?


というのが其の時の問いの内容である。

するとエホバの証人の信者の方はそうですと仰ったのであったが、果たしてカトリックだのプロテスタントといった正統派の宗派間にもこの概念が本当に信じられて居るのだろうか。

其れも詳しく調べていないので分からんのではありますが、どうもキリスト教の教義の根幹の部分にこの終末論的な世界観が横たわって居るような気がしてならない。


キリスト教といっても私の場合は深い接点などはなく、ただ父がミッション系の大学の出身者だったことと、それでなのか幼い頃私は教会へ英会話を習いにいかされていたこと位なのである。

それにしては英会話は全くダメで英語力は限りなくゼロに近い。

ただし英検三級だけは受かった。ー勿論誰でも受かる三級程度では何の自慢にもならないのですが。


それと二十歳前後の頃、家から一キロ位離れた閑静な住宅街の中にあるとある公園に聖書一式が捨ててあったので其れを拾って来て真面目に読んでみたということはあった。




Wikipedia-千年王国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%B9%B4%E7%8E%8B%E5%9B%BD


終末の日が近づき、が直接地上を支配する千年王国(至福千年期)が間近になったと説く。千年王国に入るための条件である「悔い改め」を強調する。また、至福の1000年間の終わりには、サタンとの最終戦争を経て最後の審判が待っているとされる。千年王国に直接言及する聖書の箇所は、ヨハネの黙示録20章4節から7節。-以上より抜粋-


「地上での人間の歴史が進む中でキリスト教化が進み霊的な祝福期間(1000年)に入り、その終わりにキリストが再臨し、最後の審判が行われ、サタンが滅ぼされる」-以上より抜粋-


要するに、これは非常にSF的な世界観なのである。ーちなみに私はかってSF小説のマニアだったことがある。二十代の頃である。ー

と云うことはキリスト教というのは元々SF宗教なのではないだろうか。


ただし、SFというものは決して馬鹿にしたりすることは出来ないものなのである。

事実今、現代文明はかってのSF小説が描き出したところでの世界そのものになって来つつある。

本当に、全く今はSFの時代になって仕舞って居るのだ。

あらゆるものがSF化し、従って我々の迎える明日というものはSFそのものの時代なのである。


そのうちに家庭に人型のロボットが入るわ、アマゾンが例のドローンで色々と配達をして来るわ、男も女もパートナーをアンドロイドでもって選べて仕舞うわ、居ないと困る赤ちゃんは自分のクローンで充分間に合うわ、病気が怖くても再生医療の発達で悪い所の自分の部品をすぐに替えられるわでもう何も怖いものが無くなる。

死だけが怖いものとして残るにしてもだ、兎に角そういうあらゆる生の場面に物理的なまた生化学的な技術が導入され人間は諸の前近代的な苦痛から解放されることだろう。

でも逆にそういうのは気持ちが悪いのだしまたそれ以前に何やらアホらしくて必要ないことばかりであるようにも見受けられる。


合理主義から離れた思考の立場からすれば、そういうのは何やら非常に異常なものばかりであるように見える。

ちなみに私は以前SFマニアだったからこそSFの世界が生じさせる様々な害毒や矛盾の部分について熟知して居るつもりです。


ではありますが、現代文明は明らかにこのSF的な滅びへの道を突き進んで居るのであります。

自ら進んでSFマニアとなり行ってはいけない領域に飛び込んでいく現代文明。

まあ其の様や自ら進んで火の中に飛び込む蛾のようなものなのでしょう。


バカなので、進んで自ら飛び込んでいく訳ですな。

まるで蛾のようにバカ。

状況が何も分かってませーーん。



ま、それはそれでよいとして、兎に角キリスト教ではイエス様が復活される為にまず世が滅びる必要があります。

世が滅びる為には世が悪いということが前提となるのでありましょう。

するとあれ、今は本当に世が悪い、しかも物凄く悪くなって来て居るような気が致しますがこれは単なる気のせいなのでしょうか。


いやいや、矢張りどう考えても悪い、誰がどう見ても悪い、滅茶苦茶に悪い。

ですから私はもう何年も前から事実必ずそうなることだろうよ、などと口を酸っぱくして言って来て居るではありませんか。


悪いから、滅ぶ。

終末の日は近い。

と言えばまるでどこかの怪しげな宗教団体の教義の如くですが其れが次第に真実味を帯びて来て居ることもまた確かなことなのである。



これぞ神の怒りじゃー、悔い改めよ。

ただし其の悔い改めるのは悪い世を直すためではないようです。

悔い改め神を信じた人々だけが破滅から救済され、またそこで神の祝福を受け千年王国という神の統治システムの中に組み込まれていくものとされて居る。




Wikipedia-終末論
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E6%9C%AB%E8%AB%96


ここにもあるように終末論とは、一神教に特有の世界観だろうと思われます。

仏教は厳密には無神論ですが大乗仏教の方に限れば多神教的な要素も入って来て居る。


然し末法思想というのは、以前私が調べ上げた限りでは信憑性の低い概念であるに過ぎなかった。

ここからも仏教は終末論的な世界観のものではないと考えた方がより自然なことであるように思われる。


だから仏教徒は基本的に終末論的な世界観を信ずる者ではないのですが、其れでも尚大丈夫だろうかと思って仕舞う程に事実世界はドロドロに悪くなって来て仕舞って居る。


ひょっとすると、これは全て神の計画に基づいて行われて居ることなのかもしれません。

どだい近代合理主義、即ち近代を推進させて来たところでの科学技術の発展は当然のことながら近代科学の成立により成し遂げられて来たことである。

然しこの近代科学は、当初神の御業を調べる哲学として発生したものであった。


近代科学とは神の忠実な僕たれという精神のもとに展開されて来た宗教儀礼のようなものでもあったのだ。

だから近代科学と神とは無関係ではなく、この近代資本主義と神もまた無関係ではないのです。


最終的には神が人間の原罪を許容して下さり千年間?だけ人間は神の王国に生きられるのであるが、勿論ソコは神を信ずる者のみが暮らすはらいそーパラダイスーということになる。

では仏教徒は一体どうなるのだ?

どうすればよいのだ?


一体何をどうすればこの苦境難局から逃れられ、あの仏のおはす極楽浄土へと再生出来るのであろう。


キリスト教徒曰く、

仏教徒のことなんぞは知らん。

それぞれをそれぞれ勝手にやって呉れていれば其れで良い。


どうせ世の中は滅ぶ。

其れが神の計画である。

其の方舟に乗れるように、貴方様も是非キリスト教に改宗なさって、其れでもってドンブラコ、ドンブラコッコと揺られておいき、そしてやがて水が引き緑の地が地上に現れたら、神を信じる敬虔な貴方様は地に降り立ち新たなる人類の祖となるであろう。


地に満てよ、産めよ増えよ。

すでに近代は終わりの日を迎え神の世紀が始まる。

神の時代の到来、あの忌むべき合理主義が終焉しここに新たな日々が始まる。


うーむ、何やらこの私も其の箱舟とやらに乗りたくなって来て仕舞った。

いやいや、其れは、其れだけはイカン。

我は仏を信ずる者、この信仰こそが私の生を支えて来て居る。


それでは私はこの業火と大洪水にのまれていくこととしよう。

自ら進んで飛び込んでいきまーす。

ハイ、では、我、今行きまーす。


とまさに捨て身の信仰を貫きし我はふと気付くと極楽の世界を彷徨う者となって居た。

極楽には阿弥陀如来という立派な仏様がおはす筈であるが、生前浄土宗を軽んじて居た我に其のお姿はどうしても見えなかった。