目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

目覚めよ!19-亜細亜主義に就いて

 
先日以下の特別展をみて参りました。


名古屋市博物館 特別展 中国王朝の至宝
http://china-ocho.jp/

東京、神戸、名古屋、福岡で開かれる特別展のようですが、今は丁度此処名古屋で行われて居ます。

この催しは兎に角素晴らしいものです。

私にとって、そして中国文明に興味のある人々にとっては。


然し、世の風潮に流されてか行かないという人も中には居るようです。

中国の古代文明には少し興味はあるが、今両国の関係が悪いので行かない、であるとか。

無論のことその決断自体は自由なことですが、大変もったいないことだと個人的には思います。


なぜなら東洋の文明というものは、中国の文明の流れそのもののことだからです。

日本の文化、文物なんていうものは、元を辿ればほとんどが中国経由で齎されたものです。


日本人は何故その事実に真剣に向き合おうとしないのでしょうか?


人から色々話を聞いてみますと、まずは現在の中国共産党による一党独裁体制が嫌いだという人が多いようです。

それも共産主義をまともに理解したことも無い癖にそのように感じて居るだけなのです。

そこは典型的な現代の日本人の精神の傾向性ですね。


その場での雰囲気に流されているということです。自らの頭では考えないということです。


と言っても私は共産主義の擁護者ではなく、この春先だったか、あの日本共産党への意見としてのアンケート用紙に様々な批判を述べ立てたものを書いてみましたが、結局それはまだポストへ投函して居りません。


いずれにせよ、東洋の文明世界にとって一番大事であることが中国文明に於ける流れのことです。


そこで何故東洋ということにこだわるのか?

今日本はむしろ欧米側の国家に近い。

米国の子分で、しかも主要な先進国の一員でこれからはあのTPPにも参加していくことだろう国際的な国だ。


ですが最終的には世界は民族的な、或いは文化的な対立構造に陥るのだろうと思います。

または宗教的な対立構造へと集約されていきます。

そのように述べて居る学者なども実際に居ます。


国際的な経済や条約の上での利害関係などというものは所詮は表面的な絆であるに過ぎません。

ですが文化的な絆、歴史上の絆、或いは血の絆は厳然とした事実としてあるもので結局はそれが将来敵味方の区別をつけるものになっていくだろう筈です。


日本人はそのほとんどが神道や仏教の方を信じて居り思想として根の部分が違うキリスト教などは理解することが出来ません。

その仏教は中国から輸入したものだったのですし、いまだに日本社会の底部に流れる常識観を提供しただろう道教儒教の思想などもそうして入って来たものです。


昔東洋の結束、つまりはアジア主義を標榜し昭和維新を目指した人が居ましたが、その人がかの東京裁判で東条 英機被告の頭を後ろの席から叩いたという大川 周明被告です。

その大川の『米英東亜侵略史』という本は面白そうです。


もっとも私は右翼だからこれが読みたいという訳ではないのですね。

私は厳密には左寄りのアナーキストですが最終的には多様な地域性ということを一番大事なものとして考えて居る人間であるからこそ欧米諸国によるかっての世界侵略の様を見過ごす訳にはいきません。


Wikipedia-大川 周明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%91%A8%E6%98%8E

覚え書:「書評:大川周明 アジア独立の夢―志を継いだ青年たちの物語 [著]玉居子精宏 [評者]中島岳志」、『朝日新聞』2012年 10月14日 (日)付。
http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20121018/p2


大川 周明の思想とその思想の実践はむしろ平和主義だと言え、明らかにそれはアジア独立の一助となるように行動せられたものでもあった。

確かに大川の思想は大東亜共栄圏の構想を掲げる軍部に利用されたが、 本来は決して危険なものではなく平等かつ対等な立場でのアジア諸国の自主自立を訴えかけるものであった。


夢破れて晩年はコーランの研究に勤しんだ大川でしたが思うに彼はどう考えても所謂全体論者の一人だったのではないかと思われます。




尚大川 周明の『米英東亜侵略史』にはいかに長期に、そして悪辣に欧米諸国が中国やインドやアジア諸国、いや世界を侵略して来たかということが語られているそうです。

『「日本が支那の領土保全を不動の国是として来たのは、その奥深き根柢を、日本人の真心に有しております。支那の文明は黄河揚子江の流域に起り、 その文明は我が日本の生命と生活とのうちに、今なお溌剌として生きておるのであります。」
「かつては東亜の国々をあれほど豊かにした支那文化は、巧みに支那の統一を破る術を心得ている欧羅巴帝国主義的諸国、就中イギリスの侵入と共に、 内的にも外的にも弱められて、ついに偉大なる過去の、単なる影と成り下らんとしております。」』
(一部を現代漢字かな使いに変えています)


支那の文明は黄河揚子江の流域に起り、その文明は我が日本の生命と生活とのうちに、今なお溌剌として生きておるのであります。」

「かつては東亜の国々をあれほど豊かにした支那文化は、内的にも外的にも弱められて、ついに偉大なる過去の、単なる影と成り下らんとしております。」


そりゃあ日本にとって支那の文明は大事でしょう。

日本は欧米とは全く異なる道筋で文化、文物を発展させて来て居り、其れはほとんどが中国がお手本、或いはあの韓国がお手本だった訳です。

つまり日本の文化、文物は元々欧米諸国の文化、文物とは縁遠いものであり、逆に今仲の悪い中国や韓国は先生であり身内でもあった訳です。


だからその基本構造がおかしいところに誰もが気付く筈なのです。

中国は本来同朋であり身内でなければならないのに今はまるで敵であるかの如くです。


で、この傾向が進んでいくと、つまり将来に於いて地球的な規模での気候変動による食糧危機や水不足等が引き起こされると、日本という国はもう誰も頼りに出来ない、そこで米国が親分だから助けて呉れるかと言えば何せ人種も違うのだし宗教も違うのだしで其れもあてには出来ません。

おそらくは日本という国家がそこで一番困るだろうという未来図が予測されて来るのであります。

無論中国にも米国にも様々な問題が現在進行形で生じて来て居ります。

ですが、文化的、宗教的な意味での問題ということに限れば、私はこの日本国こそが一番根深い問題をそこに孕んでいるのではないかと見て居るのです。


ここ日本という国は自然が豊かで、しかも国民性が穏やかで世界的にも稀に見る良き国である。

それはその通りです。

然し自然災害の多い地震国でもあり特に近代以降は東洋人としてのアイデンティティを曖昧にして来た国なのでもある。


おそらくはそうした傾向がこれからの日本人を苦しめていくこととなろう筈です。


ところでつい先程、ちらりとだけですがNHKの総合TVでアフリカ諸国の近代化の様をやって居りましたが、いや、それもまた凄まじい限りでのものでした。

中国や印度やブラジルの近代化でさえ地球環境の維持に疑問符が付くことだというのに、それに東南アジアの諸国や、はたまたアフリカの国々が皆先進国となることを目指して頑張って行くのだとすれば、これはもう即ちそこで万事休すだ、まあ五十年後、百年後の文明世界の苦しみの様などはすでに目に見えて居ります。


ですがそうした様は欧米起源での近代化を押し広めることにより見えて来る未来に過ぎないのであり、東洋の考え方、東洋の思想、東洋の宗教などから得られる知恵によって文明を形作っていくことも当然ながら一方には考えられるものと思われます。

かっては大日本帝国がその東洋の盟主たらんと欲して欧米諸国に戦いを挑んだ訳でありましたが、そこではあえなく欧米の強大な力の前に屈することとなりました。

だからあの戦争は単なる日本の勇み足という構図だけではなく東洋対西洋の最初の戦いであったということでもある。

この東洋対西洋という構図は、或いはキリスト教で言われるところのあのハルマゲドンの戦いのことなのかもしれませんね。


勿論今はグローバリズムの時代で東洋対西洋なんていう古臭い対立構造は流行らないのかもしれません。


然し、文明の状況が何らかの理由で悪化すればそうした根本的な部分での対立が幾らでも引き起こされても来よう筈です。


ちなみに私自身は、元々佛教や老荘思想など、それから書などの東洋の文化や宗教、思想が好きです。

青年期には西洋かぶれになり仏蘭西の世紀末文学や絵画、また仏蘭西現代思想、はたまた音楽の方はベートーヴェンとまさに西洋一辺倒でしたがその後佛教の方に帰依し、また敬愛する詩人の加島 祥造先生が老子の思想に深く共鳴されて居ることもあって現在はむしろ東洋の文学や絵画、思想に大きく影響を受けるようになって来て居ります。


そのような流れの中で中国文明について学ぶということは私にとってごく自然なことなのです。

だから世相がどうあろうと中国の文明については多くを学びかつ考えていかなくてはなりません。



Wikipedia-アジア主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E4%B8%BB%E7%BE%A9

欧米中心の価値観が存在するのであれば、その一方ではアジア中心の価値観があってしかるべきなのであります。
人類はアフリカで誕生したがその後の出アフリカを経て世界中に広まっていった。
元々祖先は皆アフリカ人なのだから文字通り人類は皆兄弟で、どこの民族が他の民族に比べ優等であるなどとは言えない。


Wikipedia-東アジア共同体
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93

大国主導の国際秩序の変革と西欧的価値観の相対化
独協大学の金子芳樹教授は、EAEC構想に関して、「大国主導の国際秩序、西欧的価値観の普遍視、価値やライフスタイルなどについて欧米が上でアジアが下という暗黙の評価基準といった、現在の国際社会の価値体系を一気にブレークスルーしたいという意図がEAEC構想の中には含まれていたのではないか」』

現代では文化相対主義の概念が定着しているにも関わらず、いまだに西欧的価値観が幅を利かせて居る時代である。
それは世界がすべからく近代化の波に染まりつつあるからのことで、近代化という現象を生み出したのはほかならぬ西欧的価値観によるものであるから、そこには確かに欧米諸国に一日の長がありそれがさも文明のお手本のように見えるからこそ西欧的価値観が世界を席巻して来て居るのである。
然し急速な近代化を部分的に否定するか意識的に避けるということは実は可能なことで、たとえばかのブータン王国などはまさにそうした独自の国家の歩み方を続けているのだと言える。