「ソラリスの陽のもとに」と云えばSf文學としてのレムの古典的名作です。ソラリスの陽のもとに
タルコフスキー監督と云えば、映画通の人々にとってはなかなかの監督さんですね。
であるからこそ論じ甲斐があるというものですが、実はそればかりではなく「惑星ソラリス」と云うのが実は究極の恋愛映画であり其れも愛とは何かと云う古くて新しい問いに答える為の一つの方向性を指し示したものであるからです。
ですので、「惑星ソラリス」のことを甘く見ないで頂きたい。
此の映画をDVDで視て居て眠くなる人が若い人には居るそうですがそういうのは此の映画に込められた愛の本質的意味への理解が至極乏しいか極端に頭が悪いかのどちらかであろう筈です。
1972年に封切られたソヴィエト時代の映画である此の作品は確かに今からすれば昔の映画です。
ですがまさにとんでもない映画です。
かってはSFファンの一人だった私なども此の映画こそが本当の意味で凄いSF映画なのだとそう信じてやまない。
これまでにSF映画を沢山観て参りましたが他のどんな映画よりも心に残る作品です。
特に女性の方、十代だろうが八十代だろうが女であるならば是非此の作品に触れ其処で真の愛とは何かと云う事を学んでおくべきだ。
「惑星ソラリス」は原作者のレムの意図に反して恋愛を主とした人間心理のドラマに仕立て上げられて居ます。
ですが深いところではあくまで人間という実存の意味を其処に問うている。
其れでもって原作者であるレムはタルコフスキーの解釈には納得出来ず結局喧嘩別れして仕舞うのです。
なのですが、兎に角究極の恋愛映画でありSF映画なのだとわたくしは考えます。
と申しますのも、人間と云うものは結局宇宙や神仏にでは無く愛に縛られて生きて居る存在であるとも言える。
愛こそが人間にとっての究極のテーマであり過去であり現在であり未来でもある。
事実愛は生であり死であり詩であり矛盾そのものである。
苦であり楽であり極楽であり地獄でもある。
愛こそが我我を生じせしめ、また愛こそが我我を滅ぼすに至る。
さて貴女は其の愛の意味をどう考えられて居られますか?
愛の意味では無く愛の現実器官としての股の間のことや男の器量のことばかりに気を取られて居ませんですか?
だから股の間のことや男の金力のことはこの際脇に置いておいてタルコフスキーの映画を是非視られるべきです。
何せ今ならいつでもDVDで視られるのです。