あえて縁起の理より衰退しつつあるクリスト教を助けてあげるーさう「イヤイヤながら付き合う」との眞理とは?ー
「こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありません この世のすべての問題を解く鍵は愛です 愛があれば戦争なんか起こりません」 美輪 明宏
美輪明宏さん死去、91歳 最後に残した「ありがとう」と“愛があれば戦争なんか起こりません”の願い|cutplazaより
さてこの「愛」なる言葉ないしは概念ですがズバリ申しまして曲者です。
確かに「愛」は重要なのですがソレが普遍化されぬ限りはむしろコノ世に破壊を齎す惡趣と化す。
故に「愛」を語る宗教であるクリスト教ではあくまで神の愛(アガぺー)を説き實は現世的な愛(エロース)を否定的に見詰める。(よって司祭は妻帯を許されず)
また純粋な佛法やジャイナ教に於いて「愛」はほぼ否定的に扱われる。
ところが庶民の感情的生活(=理性的では無い暮らし)に於いてそんな家族愛や郷土愛、また國家への愛こそがむしろ普遍化される。
なのでソコでむしろ「愛」が腐り矛盾化するのではないか。
「愛」有り⇔「愛」無し
さてもドチラが正しいのか?
ソノ答えは、「愛」有りと「愛」無しとの概念には縁起関係が生じよってドチラも相手を否定し得ぬ、です。
また所謂プラトニック・ラヴと肉欲にも同様に縁起関係が生じる。
よってあくまで現象(ショオぺンハウエルによれば表象)レヴェルでの「愛」の超克は不可能と化す。
平たく言えば我我現象してる凡夫(凡人)に取り「愛」を全否定し生きることは不可能なのだ。
でもってして實はインテリさんでもソコをカン違いしておられ「どうだオレのこんな國家愛は上等品ぞ!アンナ中國人なんぞはみな殺しだ!!」などといきまいて居られやうが僕はソンナ御意見に對し「クソ=💩」ヤラウとしか思えません。
さう💩が多い、うわあー多過ぎる、即ち肥溜めなんぞ。
愛の詩人さん、でも「愛が有ればコノ世は救われる」のでせう?
いやオレはまさか「愛の詩人」なんかじゃねえ。
オイラはむしろ愛を貶し愛を否定したった独りで世界と闘う「愛の戦士」ぞ。
ええっ「愛の戦士」ってむしろ愛を貶し愛を否定するの?
さうアガぺー以外の愛は即ち肥溜めぞ。
でも御釈迦様はアガぺーなんて認めて居られまいが…。
御釈迦様はな、ズバリ言って特別なニンゲンだ。
アノ愛を説かれしイエス様と同じ程にいやもっとヘンタイだらうな。
じゃあヘンタイの方がむしろ良いので?
ボクラのコノ凡なる愛の認識の方コソがオカシイので?
さう全然オカシイ。
正しくはエロースや社會愛を否定するからこそむしろアガぺーが生じ解脱にも至るのさ。
じゃあ何だ、結局は凡人批判であり常識的な社會の価値観への批判なのだろ。
…マタ良くぞソコが御分りになられました。
さて彼美輪 明宏氏は類稀なる教養人でありおそらくはソノ「愛」との概念に関しても深く堀り下げ考えられた上であえて「愛が全て」とさう述べられたのではなかったか。
ソノ「愛」なる言葉ないしは概念にはしかしながら矛盾がそも含まれて居やう。
なので普遍化するか又は逆に全否定することでしか「愛」を存立させることが出來ん。
さう「愛」とは究極的に曲者なんだ。
また多神教の宗教の多くと神道は「愛」を普遍化すること無く超越的存在(神神)に「愛」をも委ねるのだらう。
さすればとりあえず現世利益的に「愛」は尊くもならう。
だがクリスト教と佛法は現世利益的に成立する「愛」を共に否定する。
要するにそれでは「愛」に必ずや惡魔(利己的な愛)が混じるのでソコに浸り活動すれば全てが破壊に導かれまるで良くはならん。
まずはソコんトコだけは押さえて置いてちょう。
【美輪明宏さん追悼・復刻連載】“こんな日本”責任は国民にあり! 無知が招いた危機
實際に美輪氏はこんなことまで述べて居られた。
美輪氏は言わば「精神の貴族」の方なので「無知」や「無明」と云うことをおそらくは嫌ったのだらう。
だからこんなことは「精神」がまともであれば誰にでも分る。
でもすでに社會に洗脳されし大衆にはまず分らんことじゃらう。
尚自分が「大衆」の壱人であるかどうかは常に調べて置かないといけません。
だってワタシは誰がどう見ても「大衆」では無いよ。
さう言うことがソモズレとるのだし…。
また趣味が至ってカルトなんだし…。
かう誰がどう見ても「大衆」では無いワタシは「詩人」であるより他は無し。
おお「詩人」は常にさう語る「目覚めよ!」と。
ああまるでドコかの教祖の如くに。
[追悼]美輪明宏さん「不完全は見せない」貫いた美学と幸運を呼んだ庭先のレモン
ソノ「美學」への潔癖さこそが所謂藝術者としての資質でせう。
ところが庶民は違うのです。
そんな藝術者なんかでは無い庶民はむしろエロース壱筋に生きまた郷土愛、また國家への愛壱筋に生きるのだった。
だからソコではむしろ「洗脳」が極めてやり易い。
ほうりゃほりゃおめえはよ、ソノ母ちゃんと子、またマゴとよ。
さらにムラ、市町村都道府県、ならびに日本國政府とよ。
おおまさに其が為に身命を賭してガンバレ!!
はいボクはもう死んでもガンバリソレをやり抜くぞー。
ほうかじゃあ即特攻隊員だ。
おめえは御國の為にまずはさう散華せい!
いえでもナゼカ中國が大好きですが…。
さうかじゃあ君はもお中國人だぜ。
ええっヤッパリさうだったか!
どうしてワシだけがかう中國好きなのかと思いましたが元元中國人だったのですねコノワタシは…。
さうだ貴様は御國の為に中國人となりスパイ活動にコソ励め。
だがイザ詩人は「洗脳」されんので郷土や國家の役にはまるでもって立たず。
ー「美學」への潔癖さー
何を隠さう自分もまたソノ「美學」にコソ拘ります。
「美學」に拘るのはむしろオカマの人が多いがでもワタシはオカマじゃない。
だが指輪などが大好きです。
また男らしい俳優さんが大好きです。
いま壱度言うがワシは決してオカマじゃない。
オカマじゃないがソノ心はメス的に常に細かい。
また「愛」の意味をしかと分っとる。
愛、愛、ソノ無償の愛の意味を。
愛は惜しみなく全てを与え同時に全てを奪う。
逆説的に申せばコノ世の全ての問題を生じさせるのがむしろ「愛」だ。
故に「愛」が有るから戦争も起きる。
伹しちっこい愛ですとさうならざるを得ぬ。
ソノちっこい愛をでっかい愛に転換するのがクリストの教えであり逆に佛陀は愛ソレ自體を徹底的に放棄する。
最終的に「愛」の思想は「有」の哲理を形成し「愛」の放棄の思想は「無」の哲理を形成す。
有⇔無
とどのつまりがコノ命題へと収斂致さう。
ですが問題はコレが縁起関係なので互いに互いを全否定し得ぬ理にコソ有る。
要するに「相剋し宜つ相即する」関係性なのでつまりが「イヤイヤながら付き合う」より他は無い。
普通の人⇔オカマ
コノ場合にもまた「相剋し宜つ相即する」関係性なのでつまりが「イヤイヤながら付き合う」より他は無い。
佛教⇔クリスト教
コノ場合にもまた「相剋し宜つ相即する」関係性なのでつまりが「イヤイヤながら付き合う」より他は無い。
愛⇔憎しみ
コノ場合にもまた「相剋し宜つ相即する」関係性なのでつまりが「イヤイヤながら付き合う」より他は無い。
國家愛⇔自称詩人
コノ場合にもまた「相剋し宜つ相即する」関係性なのでつまりが「イヤイヤながら付き合う」より他は無い。
でもそんなんはイヤだわ。
ソノ國枠主義にコソ反對するんだわ。
いえソノ國枠主義から逃れることはなりません。
またアノサナエの発する妖氣より逃れる術などは無い。
ですが壱つだけ方法が有る。
ソレはコノ際アナタが美輪 明宏氏化することだな。
どだい君もまた明ちゃんでねえか。
ひゃあーーーエラいコトになっちまったわ。
よりによりコノ机上にパラダイスを感ずるアスぺルガーの明ちゃんが舞台に立って唄うのかえ?
いやでも確かにワタシは唄えば上手い。
だが實際に純綿製の中國のシャツしか持っとらんがまさかソレでもエエのかい?
いや音樂は魂でもってやるものぞ。
そんな服の見榮えとかそんなもんじゃねえ。
服でも地位でも名誉でもましてや金の有無じゃねえ。
汝が愛をおおたった今君が感ずる処での「愛の讃歌」をアノ凡暗共に見せつけてやれい!
とおーちゃんの為ならーエーンヤコーラー。
宗教哲學詩人さん、でもそんな「家族主義の愛」はダメなんでせう?
神の愛⇔家族主義の愛
ココをあえて「縁起」的に理解し「相剋し宜つ相即する」関係性と見る。
即ちまさに其が佛法とクリスト教の教義の融合のことだ。
でもイザ「神の國」へ入ればまさか「縁起」関係は成り立ちますまい。
さう「神の國」でもまた「梵我壱如」でもさらにジャイナ教的な自決の奨励でもまさか「縁起」関係は成り立ちますまい。
そも「縁起」関係とは現象界(表象世界)を規定スルだらう因果関係説のことですな。
さうかすると「縁起」関係に於いて始めてアガぺーとエロースがさう「イヤイヤながら付き合う」のだね。
さうコノ世のコトの全てはむしろ違うもの同士が「イヤイヤながら付き合う」のさ。
だからクリスト敎はイスラーム教を受容せねばならず、
また日本國は中國をば受容せねばならん。
またソノコトを壱言で云えば、
「汝の敵を愛せ」
とのコトだよ。
ちなみにわたくし明ちゃんは人混みを好まずよって所謂コンサートやミュージカルの類にはほぼ無縁です。
ですが四半世紀程前のことでしたか、當時名古屋市の公會堂と言われて居た処で美輪 明宏氏のリサイタルを母と共に観ました。
席が遠く美輪氏の相貌は良く観えなんだが開演より閉幕迄終始圧倒的な迫力のやうなものが感ぜられて居た。
今思えばまさに其れこそが美輪氏の持つ「藝術の力」だった。
さう「藝術」には何より精神的な意味での力が宿る。
またソノ力は「現世利益」を求めぬ類いでの確たる力なのだ。
「藝術」が分らぬ人やまた「👪主義」の人人はそんな精神的な意味での力にこそ欠けるのです。
さてコノ言葉は彼美輪 明宏氏になった積もりで述べてみた。
私はかって加子母村の霊媒師のオバちゃんに「紫色のオーラ」が出とるとさう言われて居る。(参拾年程前のことだ)
其の後美輪 明宏氏の「紫の履歴書」と云う著作を読み「もしやドコぞで関係しとるのかも」とさう思った。
でもワタシはオカマでは無く今やアノショオぺンハウエルのやうな髪型をした單なるクソジジイなのであーる。