「大日如來像」の全身を初めて観るーさううるせえクソ婆共への激しい怒りをナントカ😣すー
さて先日の四月八日に八事山興正寺へと出向き「大日堂大祭」に参加して参りました。
尚私がソノ「大日堂大祭」なるものに参加致しますのは今回が初めてです。
ですが祭りの内容は大體に於いて予想通りのものとなりました。
それは、
1.「大日堂」の御開帳
2.弐名の僧侶による読経
3.護摩木や幟の奉納と僧侶による講話
とのことです。
さう「大日堂」が開かれ堂の前に椅子が廿脚程置かれ参加者はそれに腰かける。
どうも感じでは常連の方方が多いやうで初参加の自分は緊張氣味でしたがでも御堂の中では無く外ですので意外と解放感は有る。
この辺りは所謂八事の杜のさ中であり興正寺の東の端となり中京大學に面したところとなる。
故にとても空氣が良く元元開放感の有る処です。
まずは「大日如來像」に御挨拶申し上げる。
それも早く席に着きましたのでまだ弐、参人しか來て居りません。
うーん、おおコレはデカい像だな。
思ったよりは大きな如來像でしかも黑光りして居ります。(普段は堂の中が薄暗く如来像が良く観えぬ)
如來像に手を合わせますが余分なことは祈らず自分と母のことのみを祈る。
が本來は密教の場合國やら文明の行く末のことなどを祈ってもおそらくは良いのだらう。
尚釈迦の佛法に限れば國やら文明の行く末のことなどを祈ることは無くさらに自分や家族のことを祈るのでも無い。
さう釈迦の佛法は徹底的に自己の内面と向き合いソコから煩悩(魔障)を退けるとのことでありますので別に自分の外側に向け祈るのではありません。
さらに言えば如來像即ち佛像なども壱切認められませぬ。
要するに御釈迦様はまさに究極的に潔癖な方であらせられソレが世俗の常識とはかけ離れて居るが故に我我凡人には理解されないのでアル。
まあでもボクは半分位ですが所謂縁覚系の人ですのでソコがまるで理解されぬ訳ではないのですがしかしながらハッキリ申せば半分位しか分からないのでありますね。
どだい「祈る」と云う行為ソレ自體が釈迦の佛法とは相容れぬものだらう。
だが我が國に広まった大乗佛法(中國経由の)はむしろ祈るのです。
さう祈るのでむしろクリスト教やイスラーム教にも近いのではないのかしら。
まあですが無論のことそんな難しい話はまたどうでも宜しいことなのだ。
さうたったイマココで「大日堂大祭」に参加すること自體が大事なことなのですぞ。
あれ?でも何でまた元日蓮正宗徒のワシがこんな眞言宗の行事に参加しとるのだらう?
いやさう観念では無く言わばフィーリングの世界でせう。
まさかフィーリングの世界?
フィーリングの世界と言えばほぼ藝術の世界のことか?
まあそんな壱種のゲージツ世界ですな。
即ち胎蔵界の「大日如來像」でせうからほぼ感覚の所産のものだらう。
さう密教世界って兎に角弐元に分裂する感じですか?
即ち胎蔵界に金剛界、さらにアートマンにブラフマンとの。
でもってしてソレを祈る=自己放棄することで逆に統壱していくのではないのかしら。
まあ自分の密教解釈はあくまで自己流なんですがでも實は密教関連の本を兎に角多く持ちます。
即ちワタシが廿~参拾代の頃に良く読んで居たのが實は密教関連の本でしたとさ。
さらに参拾代の頃には所謂山岳修行のことなどにも興味が有りよって役小角 - Wikipediaの足跡を辿り三重県の方へも良く通っても居た。
まあでもそんな想念とはほぼ関係無く「大日堂大祭」は進行して参ります。
ペラペラ、ペラペラ。
うわっなんだコノバーサン達は!
何だか知らんがウルサイ婆の壱団がよりにより來たぞよ。
するとあらうことかソノ婆達がワタシの横に座ったのです。
でも眞横ではありません。
ナゼナラ眞横にはしかとリュックを置いてあります。
兎に角變な奴が來るとワタシに取って初めての「大日堂大祭」が台無しだー。
…ペラペラ、ペラペラ。
うるせーぞばばあ共!!
ソレももう御坊様が読経しとると云うにそもナニの為の「大日堂大祭」なんじゃ?
さう早くも我がココロが乱れに乱れる。
ソレもボクはココロ静かに「眞理」と向き合う積もりであるのにクソったれのばばあ共があえてさうケモノをやる。
うーん、もはや😣がならぬ。
さうだ、紙に書いて渡してあげてはどうか。
「ボクは元僧ですのであえて言いますが御坊様の読経の間位はゼヒ静かにしてね!」
が、ソコでよーく考えてみたところナニもさう目くじらを立てることでは無く第壱こんな晴天に恵まれサイコーの祭りをやっとるのだからむしろおんみの方がココロを鎮めおお心頭滅却すれば火もまた涼し、てなもんでさう兎に角現状の苦に拘らぬことこそがもしや「大日如來様」の教えなのではなからうか?
そりゃエライ!!
偉いぞ君はさう😣をしたのであったか!!!
はい耐え難き状況をさう耐え抜きました。
すると、です。
すると實は「奇跡」が起きたのであります。
ええっ?ソレはどんな「奇跡」だったのか?
まあココロがざわついて居るのでなんか法華経が読経されて居るやうに思われたがもしやソレは聴き間違いだったのやもしれませぬ。
ですがソノ後例の「般若心経」が唱えられて行く。
すると何とペラペラ、ペラペラ。とさう喋って居た婆共が急に静かになりあれどうした?と思い横を向くと何と手に「般若心経」の御経を持ちしかもソレを空んずる形で読経をしておったのです、何とソノケモノ染みた婆共が!!!!
はあー、しかもソレがなかなかにエエ声だわ。
ソノ時に即我は悟れり。
さうかかう人により「眞理」への向き合い方は異なる。
また幾らケモノ染みた婆共ではあれむしろちゃんと信仰心は持ち合わせとる。
タダソレの出し方が元僧のボクとはまるで違うダケのことなのだよ。
兎に角ソノ壱件(事件)がコノ日の最大の成果(教え)でした。
それも逆に申せばワシはむしろ観念的宗教者でありつまりがアノ比叡山の最澄様のやうなものぞ。
されど對して空海様はソレとは相容れぬ「何か」を御持ちであった。
ソノ「何か」をあえて頭を低くして空海に求めし最澄さん。
でも空海さんは「君には分からぬ」と突っぱねた訳である。
ありゃワシもまたソノ「何か」をあえて求めたったイマココに來とるのではにゃーか(ないか)。
だからソノ「何か」こそがソノ😣ならんケモノ染みた婆共の御喋りを容認する心の広さのことではなかったか。
本日は天候にも恵まれ無事「大日堂大祭」を行うことが出來良かったです。
ところでワタシは花粉症でしてまた本日も酷い状態なのですが朝より皆様が御越しになる山道の掃除をして居りましたのです。
さうか坊主もまた花粉症なのかい。
でも偉いぞ坊さん、そんな朝早くから起きて僕等の為に掃除をして下さるとは…。
しっかしまたデカい坊さんやねえ。
またもう一人の方がまた妙にちっこいぞ。
私は高野山にて拾年修行をして今年より興正寺へ参りました若輩者ですが今後とも皆様宜しく御願い致します。
なんかパワーの無い僧だがまあ皆坊主がプロレスラーみたいにデカい訳ではにゃー(無い)からなー。
何時の間にかソノデカい方の僧がワタシの後ろに來てポンポンポンと肩を叩いて下さった。
ソノポンポンポン、がとても心地良い。
さう僧に肩を叩いて頂いたのは自分に取り初めての経験なり。
ヤッパリデカい方の御坊様の方がタイプなのかも…。
しかもソノ後に御供えの菓子が参加者に配られた。
家に帰り菓子を食うとソノ菓子のグレードが高くて少し驚きました。
そんなこんなでほぼサイコーの「大日堂大祭」であったことよ。
ついでに言えば弘法様の密教はつまりが庶民的なのではないか。
ところがソレバカリでは無く密教はまた理論の方も凄いのだから…。
…五月には曼陀羅の講座の方が開かれますのでまた興味がおありの方はゼヒ御参加下さい。
ええっ?曼陀羅とな!!
曼陀羅ってアノワタシが若い頃に部屋に飾ってた繪のことだよ。
まあワタシはかう何かと理知的なニンゲンなのでヤッパシ金剛界の方なのか?
でもワタシは両面イクタイプなのでヤッパシ胎蔵界の方もちゃんとやっとかないかんな(やっておかなければならない)。
さて先にも述べましたやうに密教とは純粋な佛法のことには非ず。
しかしながら純粋な佛法が凡夫にはまるで伝わらぬものであるからこそ全能神化したりまた多神化したりしてつまりが分かり易い佛法へと變化するのです。
そんな密教には多分にヒンドゥー教的な要素が有りまた浄土教には多分にクリスト教的な要素が見受けられやう。
ソレは佛法の不純化であると同時に必然としての大衆化の過程なのでもまたある。
ところで丁度本日💩をしに玄関より外へ出たらたまたま寶蔵寺の御住職と出くわしでもこちとらすでに💩をする態勢になっておりますのでとりあえず御挨拶を返すこと位しかやれません。
ソレもまた💩をしてから出くわして居ればまた違った展開にもなったことであらうが…。
いやあしかし寶蔵寺の御住職はいつも笑顔でもっておおまさに御元気でイイですねえ。
いつもしかめっ面でもって不元気な吾輩とは正反對なんだな。
さうかではまた寶蔵寺へも遊びに出向くか。
ソレも寶蔵寺の御庫裡さんー前の御住職のーが兎に角遊びに來いと誘うのでな。
ところでソノ禅宗はまた密教や浄土教とは全然違う。
さらに言えば禅宗にせよ曹洞宗と臨済宗では修行に重きを置く部分がまた異なる。
寶蔵寺の御住職は曹洞宗の方ですが實は自分がより魅力的に感ずるのは臨済禅の方となる。
だけれどもまあ共に禅は禅です。
尚禅は矢張りと云うべきかより潔癖です、ソノ大乗各宗派の中では。
潔癖つまりがアノ御釈迦様の潔癖度により近くもなる。
だけれどもソノ御釈迦様の潔癖度は普通の人=凡夫には理解され難い。
なので禅宗は出家僧を🏔の中の寺に集めてソコにて修行させ悟りへと導かんとする。
ですがソレは根本的に言って庶民の為の佛法では無いので密教や浄土教が成立するのです。
さらに日蓮宗系の國粋主義的な佛法が成立する。
いやそれってでも有り難いのだぜ。
有り難いのだぜ、多分ソノ選択肢の広いのが。
ああああああ有り難やー、有り難や。
す、するともはやアナタ宗教詩人に取り現象界は全て有り難いので?
いえむしろ憎しみと怒りに燃え滾って居りますぞ。
でもね、ホラ例えば密教には憤怒相の神がおわすでせう?
個人的にはそんなヒンドゥー教由来の怖い神が大好きなんだ。
じゃあアノ不動明王 - Wikipediaとかの?
さう不動明王尊が。
だからソノ不動明王は果たして神ですかそれとも佛ですか?
とのことをゼヒ寶蔵寺の御住職に尋ねてみたいのだ。
アンタでもそりゃ止めた方がイイぜ。
だって多分禅宗はヒンドゥー教由来の怖い神なんてまるで認めないのだぜ。
…全くさう禅宗は融通が利かぬのだね。
もうボクなんて最近は釈迦もクリストも最澄も空海も道元も榮西もみんなゴタマゼだよーーー。
だがそりゃアンタダケの話だろ普通じゃネエよそんなのはー!!!
はい分かりました、天にましますイエス様早う私を御救い下され。
わたくしがやってるのはそも正しい宗教的な道なのですか?
いいえアナタがやって御座るのは宗教では無くあくまで宗教の名を借りたところでのパロディー的な作文です。
どうもありがたう、ついにボクはかうして宗教作家になれました!
どうもありがたう、大日如來様。
どうもありがたう、興正寺のデカい御坊様。
どうもありがたう、クリスト様。
どうもありがたう、不動明王様。
どうもありがたう、うるせえクソ婆共。
どうもありがたう、今日もまた神佛が居て下さり良かったー。