目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

結局「藝術」は常に細かいー詩人の内面での藝術的生活とは?ー

かの鴨居 玲が選びし實存的価値のことー「長生き」よりも「繪」を選んだ彼の内面とは?ー



 

 

さて本日は昼より天氣がイイ。

昨日は医者へ通ったが「暖房無し」生活はワシらみたいな老體に良くないよと中學の先輩の先生(名古屋大學医學部卒)にさとされました。


でも運動しつつやるなら良いのかもしれん。

やうしではサッソクにサイクリングだ。


久し振り(弐年振り)に東山莊へ行くこととした。

されど東山莊の近くで道を曲がった途端にナゼか足がもつれ転ぶ。


ソレ以降は自慢の中華自転車よりチェーンがする嫌な音が出てガッカリだ。


東山莊はしょせん大金持ちの元別莊なり。

されど詩人は常に髙感度ゆえソンナ処が意外と好きだ。


ソコの庭の外周路(林の中)をたまに歩いて來るのが好きなのだ。


また本日は光が良いので先程オパールの標本を陽の光にかざし眺めて居た。

尤もいつもオパールの標本を陽の光にかざし眺めるのでは無く日により眺める石の種類が異なる。


なので今日がまさにソノ日なんだ。

 

??????

ソノ断定(独断)は果たしてドコより生じるのか?


だから其は「藝術的感度」がさうもたらすトコロでのものだ。

なので俗物にはそんなもんは元より分らん。


でもそんなもんは元よりメンドウだらう。

さうメンドウなもの。


「藝術」とはまさにそんな「コダワリ」の集積のコトでしかも其が極めて髙感度に行われること。

では所謂「マニア」の連中もさうなので?


いや「マニア」の連中は別に「表現」する訳じゃない。

「マニア」の連中はタダさう集め眺め独り悦に入る。


ではアナタ自身はいったいドチラなので?

うんワタシは两方イケます。


さうワタシは何でも兎に角两方をやる。

だが本質的には表現者でありつまりは詩人なんだ。


ソノ割りにアナタの詩は出て來ませんね。

いやかう散文詩の世界を表現してるつもりなんだ。


でもほとんど「革命」と「石」と「万年筆」の話しか出て來ませんね。

ソレと「食い物」の話だとか。


はいですからまさにソレ等こそが實存を彩る詩としての果實です。

ですので詩人はソレ等を用い散文詩を書く。


じゃあうんこだとか断頭だとか搾取だとかそんなものもまた詩の壱部なのですね。

さう「實存的苦闘」をおおまさにもの語るだらうコトバの数数ですぞ。


そんなゴタゴタとしたイヤらしいものから詩人が目を背けることは決して無い。

丁度アノ天才画家鴨居 玲が見詰めたニンゲン自身=己そのものと同じことなのだ。


うわあうんこだとか断頭だとか搾取だとかそんなものからイキナリアノ鴨居 玲ですか?

まあ何せ詩人ですのでね、コンナ藝術の髙みから世界の肥えだめの部分迄差別することなく書けるのです。


ソノ鴨居 玲の作品って今日鑑定団の再放送でソノ繪に壱千万の値が付いてました。

だからソレを視たからコソかうして藝術のコトを語るのだ。


ソノ鴨居 玲はしかし苦しいよね。

ソノ感度はまさに壱級品だがどうも現實(生活)には負けた。


まあでもそんな藝術家こそが私の好みです。


ええっ?じゃあ君はベートーヴェンだのゴッホだの、また鴨居 玲だの「苦しい藝術家」ダケが大好きなヘンタイ詩人なのか。

まあ芥川や太宰などの「負けた文學者」もまた大好きだよ。


だがそんな負けて自殺する藝術家なんぞはソレコソ不健全だわ。

さう不健全ですがでも彼等は決まって髙感度ぞ。


ではイザニンゲンがサイコーに藝術をやるとむしろさう死んじゃうので?

はい残念ながら壱流の藝術家に限りさう人生のケモノ性に食われ自決に追い込まれる。


じゃあむしろ君みたく弐流の方がイイ?

まあソレも「長生き」するが為には。


實際ワタシは「天才」の筈なのにナゼカかう長生きしとる。

ソレはつまりワシが弐流のゲージツ者に過ぎんと言うコトだな。

 

待てよ、ゴッホ!

ソノ「ゴッホ展」がたった今愛知県美術館で開催中だった!!


またソレはえらいこっちゃ!

どーしても君はソコへ行かずばなるまい。


そんな訳でゲージツ者に取っての大事なコトは往往にして世間の価値感とは異なる。

また宗教家に取っての大事なコトは往往にして世間の価値感とは異なる。


言わばさう異なるエンジンで人生を駆動させるのだからソレを突き詰めればむしろ生きるのが危うくなる。

さうかじゃあかのジョン・レノン氏が早う撃たれて死んだのもアナタとは違い彼がホンモノの表現者だったからなんだ!


コノ馬鹿者!!

ソノ「表現」にそんなヒエラルキーが有るものか!


ええかコノワシは尾張の生んだノブナガ詩人ぞ。

こんなワシに書けぬ話なんぞコノ世ににゃあ。


彼鴨居 玲は晩年に病を得て医者に「命を取るか、それとも繪を取るか。」とさう選択を迫られた。

鴨居は無論のこと繪の方を取った。


「命を取るか、それとも駄文を取るか。」

はいわたくしもまた文學をコソ取りたし。


さう陽光がオパール原石を色とりどりに染め上げる。

ソノ美しさを見詰める眼と文に戀する心とはつまりがまるで同じものなのだ。