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ヒスイ詩人ココに眠る。2025ー08ー16 十かんらん石詩人ココに眠る。2025ー08ー16

ヒスイ詩人ココに眠る。2025ー08ー16 十かんらん石詩人ココに眠る。2025ー08ー16

 

 

 

 

むしろさうしてコノ相對世界に「絶對」と云う価値は求め得ず。

ならば「自分」もまた當然に「絶對」には非ず。

 

故にコソ固執すべき自我などは所詮幻のやうなもの。

つまりがニンゲンの築く価値はほぼソノ幻のやうなもの。

 

だからあらゆる蓄えは「神の國」でこそ可能となる。

即ちコノ世界でやれることとは「學び」且つ「考える」コトのみ。

 

さうしてソノコトのみが實存的価値として永久に保存されるのだ。

では「學び」且つ「考える」コトのキライな所謂低偏差値者などはドウなるので?

 

まあ何も無いソコをぐるぐると回るダケのコトで。

要するにそんな風では「ケモノ」とまるで同じコトで。

 

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じゃあ「ケモノ」はむしろ鉄砲で撃ち殺すべきなのか。

いえソノ考えはズバり間違いぞ。

 

正しくはあくまで「食われてありがたう」なのです。

じゃあニンゲンはみな「食われてありがたう」でもってつまりは間引かれた方がイイので?

 

いやむしろ自ら進んで食われてしかるべきだらう。

食われてコソ初めてニンゲンはみな「痛み」に目覚めおおまさに其こそは神佛による御導きのことぞ。

 

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ソノ川口師の御寺が今話題の映画のロケ地となったのださうな。

ソレもまあどうでもイイ御話ながら…

 

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確かにさう「私は悟れず」。

されど「私は洗脳されず」。

 

さてもワタクシ御勉強詩人が述べるのは「目覚める」コトながらソレは宗教以前での御話なのだ。

だからソレは「現代社會による洗脳より目覚める」コトにコソ尽きる。

 

尚宗教的次元にニンゲンのヒエラルキーは存在せず。

無論のこと神佛以外に貴き価値などは無し。

 

故にむしろ變な社會のヒエラルキーになど惑わされるな。

さう常に現代社會は誤った方向へと進む。

 

だからコノ文明はあと半世紀持つかどうか。

じゃあ早う火星へでも逃げんと…。

 

さうだね、早う火星へでも逃げんとみんなボロボロとなる。

でもソノ前に宗教へ逃げた方がイイのでは?

 

じゃあマタオウム教ですか?

マ夕テロをやり世界を壊すので?

 

まあですが今の所は宇宙人を待つ他はあるまい。

なら宇宙人が出てテロをやり世界を壊すので?

 

うんもはやソレしかにゃあぞ。

でもほんたうに宇宙人が出てテロをやりコンナ世界を壊して下さいますか?

 

うーん、しかしながらソレはまた望み薄か。

ならば革命詩人様、おおまさにアナタが世界を壊しまくって下さいますか?

 

ほい、拾年前ならイザ知らず今や昔の元気が無いのでやりたくてもやれまへん。

いずれにせよ現代社會はソレ自體がまさに大問題でせう。

 

 

【続報】1人でヒスイ拾いに来ていた47歳男性 海に入り深みにはまったか 救助されるも死亡《新潟・糸魚川》

 

ありゃ待てソレはエライこっちゃ。

さうヒスイを採りつつオダブツですか?

 

アアアッタア上物ヒスイが!

イカンつい足が滑った!

 

でもコンナ上物ヒスイダケはしかと握りしめつつ死んでやる!

しかもソレは如何に上物ヒスイとは言え萬には届かぬ品であった。

 

ヒスイ詩人ココに眠る。2025ー08ー16

 

「ゴリラは“即身仏”のように死ぬ」霊長類学者・山極寿一が説く、人生が輝き出す「一期一会」の覚悟とは?

 

ソノ山極氏は自分が尊敬してやまぬ生物學者です。

さう生物學者にはナゼカイイ認識をされて居られる方が多い。

 

おそらく生物學者の方方は自然界と直に触れるが故に自然に優しくなれるのではないか。

 

自分を外から俯瞰して見る視点は、人間に固有の認知能力

 

チンパンジーもゴリラの子どもも、目標を立てて努力することはありません。

 憧れの対象に向かって、学び、努力をするのは人間に固有の行動です。

 言葉を獲得した人間は、「因果関係」で世界をとらえることができます。因果関係は、時間軸に沿って、物事が起こった現象を把握したり、その原因を探ったり、これから起こることを推論する力です。

 

 

 限られた時間軸のなかで死をとらえるからこそ、人は生きる意味を考えます。仮に人が死なない身体だとしたら、なんどでも無限にやり直せるし、いつまでにこれこれを達成しなければならないという必然は何もありません。時間軸のなかで、ゴールに向かって流れとして意味のある物語を作る必要はないわけです。

 つまり、人間は「歴史的存在」であるために、死をゴールにすえた有限の時間のなかでみずからの生に意味を求めて、命を燃やすのです。

 

 日本には「一期一会」という言葉があります。もともとは千利休が茶道の心得として語ったこの言葉は、なにごとも一生に一度かぎりの機会であると思って誠意を尽くして臨む大切さを説いています。

 死は避けられないものです。老年期になったからといって、過度に死を恐れたり、自分がこの世から消えてなくなることを日々鬱々と考えたって仕方がありません。

 人生は有限の時間だからこそ、一期一会という覚悟を持って生きる――。

 そんな思考の構えのなかにこそ、人間の生きる意味は横溢しているのではないでしょうか。

「ゴリラは“即身仏”のように死ぬ」霊長類学者・山極寿一が説く、人生が輝き出す「一期一会」の覚悟とは?より

 

ワタシに取っての生きる意味…ニンゲンの暮らし振りがほぼ誤りであることを世に示すコト

…なんですね!

 

さてソノ客體視する能力コソがニンゲンの超能カでせう。

ですがむしろソノ御蔭で「生きる意味」なるものを求めるややこしい生命體となって仕舞う。

 

故にワタシはむしろニンゲンに對し常に懐疑的でしかも彼等を決して信じず。

要するに「宇宙の厄介者」だ位に思ってる。

 

さて「ー期ー會」と云うのはまさにソノ通りながら、あえてソレとは違うコトを言いませう。

つまるところはあえて「生きる意味」など追い求めずソノ日暮らしをすれば得る物を減らして行くことが可能となる。

 

また社會的な序列構造より離れて初めて人は「自由」との解放感を味わうコトが可能となる。

左様に社會と自分をあえて分けて考える。

 

イザさうすれば「村八分」とはなりませうがより壱層「實存」としての生が輝きを増すことだらう。

ひっきょう「實存」としての生の充實こそがほんたうの意味での「生きる意味」であり「生きる意義」となる。

 

だからヒスイ詩人はたとえ日本海に呑み込まれるにせよさうしてセッセと糸魚川ヒスイを採りまくる。

アアつまりはさう命を賭しヒスイを採りまくる。

 

…仕舞ったあ!

こんな盆の高波が!!

 

 

アレヨと云う間に石詩人は日本海に消えた。

 

さてではさうしてヒスイ原石と共に日本海に呑まれるコトとヒグマに食われることとでは果たしてドチラがヨイのでせうか?

さう北海道の山にはかんらん石もまたしかと有りソレが彼を手招きして待っておる。

 

…うはあコレがペリドットの上物だー。

ところがあいにくソコには子連れのヒグマが…。

 

ばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりっ。

 

うーん、ドッチがより好きなのか?

いやいっそのコト两方イッてみやう。

 

ですから、「生きる意味」なんぞつまりはさうしたものでしかない。

つまりが価値感を社會に合わせる必要など無く自分の好きなコトをトコトン追求するコトでしか無し。

 

またソレをするからコソたとえ死んでも悔いは無し。

 

かんらん石詩人ココに眠る。2025ー08ー16

ソレにさうクマの親子がたらふく肉が食えヨカッタ。

 

でもソノ肉の御味は兎に角クセが強く不味かったのださうな。

 

「クマを殺さないで」と叫ぶ人が知らない、出没地域の“危機的な実情” 専門職員が明かす「現場の緊迫度」

 

眞面目な話「21世紀」の文明が抱えるだらう最大の問題とはソノ自然環境との価値観の上での對立のことだらう。

ソコをあえて逆に言えばすでに文明世界が自然界より「村八分」とされておる。

 

おお怖っ。

まーこりゃ早う死んだ方がより樂なのかも。

 

でも考えてみれば常に自然はソコに有る。

さうかではソコへコソこもるか。

 

そんな訳で彼自然派詩人には文明世界なんぞまるで無価値であり価値の有るのはむしろゴキブリちゃんの方なのでした。

 

古田新太“ベートーヴェン”の様々な姿捉える『ベートーヴェン捏造』場面写真

コノ映画もまたゼヒ観たし。