目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

そんな「眞理」にコソ「目覚めよ!」!ー現代社會が抱える「大問題」とは實は現代人の認識の誤りによる問題ぞー

そんな「眞理」にコソ「目覚めよ!」!ー盆コソは無學な凡夫がソコに上がり目壱杯學ぶが為のステージなんだー

 

 

 

 

 

さて「眞理」とは果たして何か?

おそらくレヴェルの低いものから高いもの迄あれやこれやと語られるのだらう。また宗教や宗派の別やまた學問領域により語られる「眞理」はそれぞれに異る筈ですがわたくしが個人的に辿り着いた「眞理」とはズバリ「相依性」による相對的認識を何如にして脱出するかとのことに尽きて居る。

 

ソノ「相依性」とはズバリ「縁起」としての道理のことです。

「縁起」とはまさにお釈迦様が明らかにされた世の實相を示す原理のことだ。

 

即ちコノ世は必然的に相對予盾が避けられぬ認識上の檻=監獄のやうなものなのだ。

よってまさに矛盾的に人間が生きればやがて「破壊」を引き起こし世界は滅ぶことであらう。

 

但しソコに捉われ誤った価値を追求する限りは。

 

例えば、

 

1.地球均熱化

2.人ロ爆発

3.科学技術万能主義

 

等がまさに誤った価値を追求し正しい認識をしないことにより生ずる監獄状態のことであります。

 

すみませんが文明はさうして大間違いをすでにやらかして來て居りすでに時間(裕余)が無い。

故にこそみんなで早う「洗脳」を解き「目覚め」ないともはやヤバい。

 

さあさ「眞理」にコソ「目覚めよ!」!

 

はい、起きました、では會社へ行くべし。

いや會社なんぞ行かんでイイの。

 

たったイマココでもって考えてみぬか?

いやアナタの説に触れると何やらカブレる。

 

さう邪教にカブれ何かかう地獄界へと堕ちる感じがして怖い。

 

だがコノ際ズバリ言ってコノ文明が助かる確率は10〜20%程しか無い。

だからワシの認識に賭けてみる方がずっと得策なのだ。(凡そ25%程の確率で〇ー正解ーか)

 

 

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」・第十章「相対から絶対へ」

縁起の二面性 | 本願力にあひぬれば

 

さても今回は本職の御坊様よりの説法をゼヒ聞いてみたい。

特に臨済禅の川口師による解説は素晴らしいものだ。

 

ココを読んでみれば日頃ワタシが世界を批判的に述べていることの内容がしかと分らう。

内容的に可成難しい話ながらゼヒしかと読まれたし。

 

釈尊は超インテリ級の方でもあった。

故にまさにコノやうな哲學的内容の論理に就いても精通して居られた訳です。

 

さて浄土の方の御坊様のレポートを読ませて頂くうちに實はワタシの考えが大乗佛法寄りのものであることにしかと気付かされた。

即ちまさにソコが相依相待性の縁起となる。

 

要するにソノ「相依性」とのコトである。

コノ現象界ではそも單立する(自立する)価値など無くまた認識上の分別概念は常に虚妄性を帯び「絶對性」を保つ認識に達することが無い。

 

故にコソ所謂「大問題」を社會が発生させるに至る。

さらにソノ「大問題」は當然ながら解決することが難しい。

 

…でもオカシクはないか?

なんとなればクリスト教世界での絶對的唯壱神がナゼ機能せなんだので?

 

うん、ソコの理由付けがまた難しい。

だが「近代化」に大きく責が有るコトはまず確かなことで…。

 

じゃあ「中世」の方がむしろ良かった?

さう當時は全能の神がまさに絶對的唯壱神だった。

 

だが今やさに非ず。

むしろ今や神が死にかけても居まいか?

 

さうかすでに神佛が死に体なので?

よりにより神佛が合理化され死んじゃうので?

 

いやそりゃ分らぬ。

むしろ今後強力な神佛が現れるのやもしれず。

 

 

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」・第十章「相対から絶対へ」

 

ココには相對概念に固執すれば矛盾に陥るとのソノ道理のことが述べられて居る。

特に「明」と「暗」のことで分り易く「矛盾」の例が語られて居りソノ内容はー種怖いものとなる。

 

またソコは、

「富」と「貧」

「文明」と「自然」

 

などとも置き換え考えることが可能だらう。

いずれにせよ相對分別に基づく虚妄世界を脱出せんが為の佛法の要諦部コソがココに示される。

 

とどのつまり我我ニンゲンの認識はむしろソノママに大きく間違っておる。

さう言えばクリスト教に於いてもソレは常に言われるコトですぞ。

 

ですが文明世界の推進者に限りニンゲンはいつも正しいと常にさうされる。

 

さてコノ「弐項對立」の大問題ですがクリスト教や浄土教では神に祈ることでソノ罪をあがなって頂くのです。

なので別にこんな難しいことを考えずとも良い。

 

ですが禅宗の御蔭でようやく現象世界のカラクリがかうして分かるのでした。

 

さらに哲學の面から述べましても「眞理」とは「弐項對立」の超克であり解消の課題となる。

現代思想」もまた脱構築することで何とか解決を図るがなかなか成功に至らず。

 

尤も観念論の方ではかのガブリエル氏が西田哲学迄をも持ち込み頑張られている。

いずれにせよさう相對的認識が矛盾化するに至ることコソがまずはニンゲンに於ける最大の問題点だらう。

 

 

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」・第三章「時間的縁起・空間的縁起について」

施本「仏教・縁起の理解から学ぶ」・第四章「論理的縁起について」

 

こちらなども仕極面白い。

特に論理的縁起の方は論理の限界に就き言及され面白いがソノ内容は難解です。

 

ソコでは「非有非無」だの「不立文字、教外別伝」だの分かりにくい言葉も語られる。

折有らばまたコチラの解説をゼヒさせて頂きたい。

 

かうして盆は宗教哲學をするが為のサイコーのステージなのです。

またソレは坊様ではむしろ無く無學な凡夫こそがソコに上がり目壱杯學ぶが為のステージなのだ。