ヤフオクでの出品が實は永遠に続くものには非ずーさう消えたり死んだりもするヤフオクの出品者様ー
さう「酒」は基本的に「毒」ですのでズバリ申し飲まない方がイイ。
尤も「🚬」などもまた「毒」ですがコレは神経質で且つアタマが良過ぎる人の精神の慰めにはとりあえずなる。
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まさにコレぞクリスト教での「寄付」の精神だ!
だからたとえ数兆円稼いでもまさかソレを彼の世には持って行けぬとのことである。
だからニンゲンとは實は裸壱貫でしか死ねぬものです。
つまりはソノ「大金」にはまるでもって「本質的」な意味合いは無い。
では本質的に生きやうとしてオレはこんな宗教の専門家だぞ~などと語って居る人人などがネット上には幾らでも居られやうがワタシの場合はまたソレとも違うことだらう。
ワタシのは宗教のみに偏らずむしろ哲學や社會學などの人文分野からの精神的アプローチをしつつより宗教を広範で且つ客観的な視座より見詰めるものとなる。
つまるところはさうして「ゴッタ煮」状態をむしろ創出しソコにて全ての価値を相對化しつつ見詰めて行くのだから。
ですのでワタシの場合は「コレがアナタに取り正教です」とは言いませんのですしまたワタシの考えが「世界壱だ」とはまるで申しません。
大事なことはソノ「ゴッタ煮」状態を続けて行くより他にニンゲンの生きる道は無いとのことであらう。
だってかう基本的にニンゲンとは神にもまた佛にもまさかなれやせぬタダの壱ニンゲンですので結果的にソレが母ちゃんの股の間より常に生まれて参る訳で。
さて結果として本日はまた出て参って居ます。
またココにてナニを言いたいのでせう、彼は?
いいえワタシの言いたいのは人類の認識はオカシイ、とのソノ壱点でせう。
ですがソノオカシイのを説明するダケでモロに数回分の作文を要する訳だ。
なのでソレもやれんことは無いのですがまた實に面倒です。
でもってして結果ナニをやってもまたナニを申さうが壊れるものは壊れまた絶滅するものはさう絶滅する。
とさうイザ達観を致しますとむしろ「愛」の気持ちこそが涌いて参ることかと存ずる。
ソノ「愛」は佛的なものでは無く神的な愛だとの御話を丁度前回御話させて頂いて居る。
ではソノ「愛」に就き本日はゼヒ具象的に語らせて頂く。
1.古い萬年筆への愛
さて昨日は午前中に🖋の「染め」を終えインクの入った小瓶を片付け且つ染め終えた酒井軸の大事な萬年筆を洗い且つ保管へと回した。
でもソノ「染め」って果たしてナニ?
まさにソレがエボナイト素材の黑染めのことである。
エボナイト素材は主に使用による経年變化にて茶色くなることが多い。
ソレを黑化させる最善の方法がまさにソノパイロットのブラックインキに浸け込むことなのだ。
でもって今回の「染め」は弐本をやり即ち古い極太軸と今回得し酒井軸である。
極太軸は壱ヵ月近く浸け込んだがソレでも七割位の染めの出來だった。ーつまりはいまだ胴軸が焦げ茶色であるー
だが天冠部や首軸などの目立つところはすでに眞っ黑となって居る。

さう黑化したエボナイト軸は以前とは印象がガラリと變わりつまりは新たな筆へと生まれ變わる訳だ。
古い萬年筆の弱点がまずはソノ變色による見苦しい外観なのでソレを直して仕舞う技術となる。
ソノ「染め」は「塗り」よりも個性を出し易く上での話のやうに浸ける時間の調節でもってまさに自分の思うやうに浸け込むことが可能となる。
但し浸け込む瓶を幾つも用意し尚且つ細心の注意を払いやらぬと金属部品に影響が出たりまた漆塗りの軸の漆部迄をも黑化させて仕舞うことにもなりかねぬ訳だ。
だからコチラでの作業は「観念」の世界を離れあくまで「現實的、具體的」で且つ緻密にするものとなる。
例えばソノ「現實的、具體的」で且つ緻密なものの最たる例がニンゲンの肉體であらう。
ニンゲンの肉體は哲學などでは無く物理現象なので末期癌などを精神にて治すことなどは無論のこと不可能だ。
ですが精神論でもってイケるものもまた有りたとえばソレは冬場の暖房の😣である。
ソレもまた壱冬に亘り彼寒がり詩人がまた良くぞさう😣したものよのう。
さてソノ大事なオーヴァーサイズの「酒井軸」の黑化が五日程で成った。

ー但しコノ画像は染める前に買った侭でのものとなるー
だが途中で染まってはならぬところが染まりかけたりもしてまさに大騒ぎであったがコレでようやく安心出來るぞよ。
そんな風に現實世界と云うのは至極現金で且つナニが起きるものか予測し難いつまりは半分程悪夢の混じることだらう危険な領域なのだ。
よって實は観念世界よりもソノ現象世界の方がより厄介なのである。
ところがイザ大衆に取り生き易いのがむしろソノゴタゴタで且つ予測が不可能なカオス的人生の方なのさ。
でも詩人や學者やさらに宗教家などは高い知性的能力にて常にソレを俯瞰視するが故に逆に現實が生き辛くもならう。
なのでさう苦しくなったらむしろソノゴタゴタにこそゼヒ飛び込んでみて下され。
またゼヒ♀の股の間のことをあえて想像しつつコノ難局をば乗り切りませう。ー但しコノ部分は高度な知性體にのみ通用する御話なのでしたー
2.アブナイかもしれぬモノへの愛
さてもしや皆様は角材を好んで枕に使う自然派詩人さんのアタマはまた感覚は變だとさう思って居られまいか?
ま、ソレは確かに「普通」だとはなかなか考えにくい。
ですが彼自然派詩人はたったイマソノ榧の角材を愛しに愛す。
また暖房無しにて壱冬を乗り切ったのも實はソノ角材の枕の御陰である。
そんなさむーい冬の夜の日にまずは角材をトコの上に置く。
では早速にソコへ側頭部を乗せてみやう。
あああーなにやらあったかいわー。
さう材木は冬場にあったかくも感ぜられるのだった。
ソレにまたイイ感触だわー。
さうソノやうに榧の角材はソノ感触迄もが最高級なのである。
が、彼が昨年末に得たソノ材は安物でありおそらくは中國産の榧であらう。
またもしも🗾産であれ参級品の材であらう。
いや確かにソレでもまた不足などが有らう筈も無い。
どだい所謂小欲知足でもってして生きる彼自然派詩人に取りそんな物質的な不足が生ずるべくも無いのだ。
でもアレ、こんなところにまた良ささうな材が…。
さうソレはなんと福島県から出されて居る材なのだった。
福島県と言えば先日得たアノデカいエメラルドの結晶標本がソコから來たものであった筈…。
けれども福島県産の榧ってほんたうに大丈夫なのか?
いや何せ原発の事故が有ったではないか、かってアノ民主党政権の折に…。
だがまずはソノ材を出されて居る方が榧狂いの方なのだった。
ああコノ人榧へのコダワリ方がそも異常だわ、むしろボクなどよりもずっと異常なのかもな。


とのことで思い切って得たのがコノ材の中の1番の材だ。
でもってして心配は心配ですのでコノ榧の木の産地を出品者に尋ねたところ「相馬市」とのことである。
うーん、どうもギリギリか。
でも決してヤバくは無いのでせう?
どだいココ愛知県などはまさに🚙社會なのですでにディーゼル🚙などが撒き散らす汚染物質などでほぼ県全體が汚れても居らう。
むしろソレに比ぶれば大したことなど無いのではないか?
ソレにコノ出品者はバザールなどでコノ榧材より作った物を此れ迄に多く売って來て居るものらしい。
と云うことは関東圏の奴等がおそらくソレを多く買ったのだらう。
うん、コレはもう大丈夫だらう。
じゃあ早速寝てみやうではないか。

あ、あああああーとってもイイ寝心地です。
ソレとコノ感触…。
おおまるで👩の柔肌のやうなソノ滑らかな感触…。
しかも色合いが何やら全體に「黄色い」ぞ!ーさう🗾産の榧材は色合いが黄色くもなるー
ま、さうして若干の不安は残るにせよ何せコノ材は歴とした🗾産の榧材だ。
またソレにしては値段が安くたった1800円だ。
ではソノ材を今壱度確かめてみたい。
まずは保管してある洋服箪笥からソレを取り出す。
うーん、とっても綺麗な材だ!!
尚ソノ形状が、
237mm×97mm×93mm
の角材となる。
つまりは小さめの枕となるが例えばもしも今後病院や施設などで使う場合には最も良い大きさの物とならう。ー尤も自分に限りそんなところへはまず行きませんがー
ところが問題はソノ高さでありソレが95mm以上となるとすでに寝にくくもなるのである。
従って85~95mm位が枕としての角材の高さのベストサイズとなる。
やったー、またもやピッタシカンカン。
だがコノ材は無論のこと「枕」として売られて居るのでは無くとりあえず「彫刻材」として出品されて居るのであった。
ですがソノ榧狂いの出品者様はさうですかでは今後ゼヒ「枕」としても使ってみたい、イイことを教えられました、どうも有難うございます、などとも述べて居られるではないか。
また荷が届いた時にソノ荷の方にデカいフォントにて「ありがとうございます」とさう印字されたテープが貼って有るではないか!
さうか確かにそんなもんを買うのはワシのやうなこんな變人しか元より居らぬことだらう。
さう兎に角「記憶に残る」落札品となりし福島県産の榧材である。
尚コノ榧の木は、
ー10m位の樹齢100年位の榧の木でした。地面から1m位の高さで直径80cm位は有りました。ー
とのこととなる。
いずれにせよさうイノチのある木を伐りソコより得られる材となる。
だがソノことは我我ニンゲンが日日口にする食事などもまた全てがさうなる。
我我の日日の糧こそがさう他のイノチなのだ。
まずはソノことを忘れずに深く感謝すべきなのではないか。
またソレはイデオロギーの違いや國の格の違いやそんなものとはまるで無関係なことでもあるのだから故に。
さう神や佛の前での平等とはヒエラルキーの設定を離れ謙虚に己の中の獣性(欲望)と向き合うこと、まさにソノことにこそ有らう。
さらに言えば少しダケ不安は残るにせよ「相馬市」の榧材はかうしてドコ迄も美しくしかも優しい。
優しさとはまさにソノやうに不遇や不安な境遇への共感の力のことをこそ言う。
まさにイイコトばかりでは無くなんぞコトが有るにせよソレを見捨てず逆にイノチ有るもの、また自分と同様に価値有るものとしてソレを観るソノココロの働きの中にこそ生じる力のことなのである。
3.失われ行くモノへの愛
すでに四半世紀に亘りワタシはヤフオクをやり続けて來た。
ソノ長い年月の間にほんたうに様様なことを體験した。
ソコには素晴らしいこともまた余り思い出したくはないことも有る。
だがヤフオクの御陰でさう様様な物とまた人との出合い、出會いが有ったのだった。
故にヤフオクに對しては感謝の思いがまずは先行する。
ナゼナラソレ無くばかうして多くの物をまた人を知ることなどは無かったのだから。
だが長くソレをやり続けることで壱つダケ悲しいことが起こり得る。
ソレは出品を止めて仕舞われる出品者の方が居られることなのだ。
そんな人人をコレ迄に幾人もみて來た。
但しソレは昔の話を蒸し返して居る訳なのでは無く現在の話をして居るのである。
例えば4月になり神戸からの銘木ボールペンが出されなくなった。
ソノことはほんたうに哀しいことで、ナゼナラワタシはソノ作品のコアなファンであったからなのだ。ークラシックの木管樂器の製作者による銘木ボールペンとなるー


だがソレもまた致し方無いことなのだ。
だって幾ら好きでも得られぬモノや人が此の世にはむしろ溢れても居やうから。
さうかうするうちに三重県の野村 収さんの銘木ボールペンがついに出されなくなったやうだ。
大急ぎでもって覗いてみると「杢杢工房」のサイトはすでに閉鎖されて居る。
かってワタシはソノ杢杢工房さんの御得意様であった。
おそらくは参拾本程ココから銘木ボールペンを得て居る筈だ。
つまるところ集めた数ではむしろ壱番多いのが三重の野村さんの作品なのだ。
野村さんの作品、またソノ御弟子さんの作品の中で凄いレアーな材の物などもまた色色と有るがこと印象に残るのは以下のタイプの物となる。
即ち伊勢神宮予備林の伐採木を利用した檜や杉材で作られる八角軸の物である。


コレなどは最終的に参本を求めたがだからと言い使う訳では無くソノ侭に保管し最終的には人にあげたりもするのである。
さうワタシにはさう物を人にプレゼントする癖が有る。
他方で使って居る銘木ボールペンは埼玉県のIIJIMAさんかSAKAMOTOさんの作品でありIIJIMAさんの場合はすでに亡くなられてから久しくつまりは弐度と得られぬモノばかりとなる。
さて丁度壱年程前だったかかの野村 収さんとメールのやり取りをする機會がありソノ折りに妻が亡くなりソノことがほんたうに堪えたが今はまた頑張りやって居ます、との御話であった。
さうニンゲンは限定者ですので何時迄もコノ世に有る訳では無いのである。
また同時にニンゲンは限定者ですのでコノ世にてずっとモノと戯れて居る訳にもいくまい。


ソノ折に得たのがコノ究極としての銘木ボールペンだった。
コレは「黑文字」の材を用いた軸で仄かに良い香りがする。
だが何せ太軸であり存在感が強く有る。
ソノ使用感はコレまた究極的である。
ソレはかって別の個體が杢杢工房のサイトでも売られて居たが萬を超す高価なモデルだった。
だがイザヤフオクに出て來れば常に五千円以下となる。

さてコレ等の壱種究極的な御品を自分は今後使って行く積もりである。
ナゼナラむしろソノ為にこそ物を集めて來て居るのです。
ソレもコレも、
さうして半分死んだ(歳老いた)らそんな凄い品バカリを使おう、愈愈ソコにてソレ等を使い倒してやる!!
とさう固く心に決めておったのですから。
ソノやうに物の世界はまた同時にニンゲンの世界なのだ。
故に物を愛すことは同時に人を愛することなのでもまたありませう。
ところがイザ観念的な価値世界に邪魔をされれば物をまた同時に人を愛する心の余裕などは誰しも無くなるものなのだ。
ですのでむしろ「観念」では無く「モノ」をこそ志向すべきなのだ。
また「理想」としての観念性では無く「モノ」としての具象性でありたったイマココに与えられしソノモノとの機縁をこそゼヒ大事にしたい。
モノ詩人はまさにさう思いつつ今年2025年を生きて居る。
イザさう思いつつ物集めをして居たところもうかうモノに愛されて愛されて…。
そんな訳で石でもペンでも兎に角欲しいモノがドンピシャリにて手に入る。
されど無論のこと欲しいモノの全てが得られる訳には非ず。
無論のことさう得られるモノが「限定」されざるを得ぬことはむしろ當然のことだ。
なんとなれば自分(ニンゲン)の方こそがまずはさう限定されし存在なのだから故に。
よって愛するモノとの蜜月としての時間はまさに儚い壱時の夢のやうなものでしか無い。
だがであるが故にソレは濃密に結ばれ且つ波乱に満ちる壱夜の夢なのだ。