目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

さう神も佛も結果として矛盾化するーむしろ宗教が完全な教えだとは思わない方がイイことーさう赦し難い「罪」を赦すクリスト教と「煩悩」をも相對化する佛法とー

宗教が絶對だとはむしろ思い込まぬ方がイイことーでも至極眞面目な世界のことなのでむしろソレを愛する方がイイことー

 

 

 

 

中国製戦闘機でインド機撃墜か=事実なら空戦で初―パキスタン

 

ソノ宗教大國である筈の印度がかうして戦争を始める。

まさに世も末ながら、ま、政治の世界と云うものはそもそんなものです。

 

ソレに比せば宗教の世界はもっとずっとまともでせう。

でもソノ宗教を絶對視することはむしろ危険です。

 

以下にて壱つソノことの理由を御話致しませう。

 

 

さて宗教的な意味での諸問題に関しては元來高度な哲學的思考が必然としてソコに要求されやう。

だからこそむしろ「自ら考える力」を失いつつある現代人には常にとっつきにくく且つ難解な話となる。

 

故に以下にて展開するワタシの宗教論もまたハッキリ言って難解だらう。

ですが別に變なことを述べて居るのでは無くむしろちゃんとした法話であり神學としての内容なのだ。

 

さて本日は御天気が良く東山へ出向かうかとも思いしがかうして宗教的な意味での課題の数数がおおまさに次次と頭の中に押し寄せて居る手前どうもスッキリと遊べずまたソレを放棄して連休に入るのもどうも気が引けますのでかうしてココへと出て参った所存です。

ところで皆様のアタマの中にはそんな宗教的な課題が山積しておるのでせうか?

 

いやソレは無いか、もうどう考えても無いな。

ま、ソレも中には凄い人がココを覗いて居られる可能性もまた御座りますが故にちゃんと眞面目に書きます。

 

さう明日からまた逃げるのか?

エッ?果たして何のことで?

 

さうまた逃げるのだな、まさにアノ大宰みたくにさうするのだね。

でも違うでせう、ソレは。

 

彼大宰のやうに酒、💊、👩に浸り続け挙句に心中するのでは無く単に彼自然派詩人はさう植物園を歩いて來るダケのことだ。

でもそんなもんでは面白くもないので例えば👩が居ればより面白くなるかとさうも思うのだね。

 

さうも思うのだね、と云うのはあくまでアナタ👿の側での決め付けでありでも善人のワタシはさう自然界と交わるダケでほんにシアワセなのだった。

ふうん、そんな偽善者振った行動なんぞはクソくらえだわな。

 

どだい神が神がと毎回叫びやがってそんなもんは胸糞が惡いのもエエトコだぞよ。

でもそんなアナタの惡いココロをちゃんと神が癒して下さるのだよ。

 

コノやらういっつもそんなイイ子振りやがって!

もう御前なんぞは🚙でもって轢いてやる!

 

ほうか、じゃあやってみい。

えっ?やってイイの?

 

逆におみゃーを🚲で轢いたるわ!

あれえーコイツ善人面して置いてほんたうはコノオレ以上に👿だったー。

 

ですから宗教ライターさんはあくまでライターさんでほんたうの信仰者ではありませんのでまずはソコんトコをゼヒ御忘れなく。

 

 

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ソノ「神の小屋より」と云う映画には個人的にゼヒ最高の評価をこそ与えて置きたい。

 

ですが前回書き洩らして居たことが御座りますのでまずはソレに就きカンタンに書きます。

 

1.主人公の男性は13歳の頃にアル中でしかも暴力をふるう父を毒殺して居る

2.故にソノ尊属殺人に對する罪を描く映画なのでもまたある

3.穿った見方をあえてすれば彼の娘が殺されたのはソノ罪に応じた因果応報での結果か

4.さうまさに「神」を呪いたくなる程の過酷な現實

5.ニンゲンのココロがソノ悲惨さと果たしてどう向き合うか?

6.またクリスト教はどうニンゲンのココロを救うのであるか

 

とまさにソノやうな論点が出て参ります。

でもって最終的に神はつまりクリスト教は「罪」を赦すことでソノ悲惨さに満ちたニンゲンのココロを救うのです。

 

でも尊属殺人自體、また猟奇殺人自體がソコに正當化される訳では無論のこと無い。

當然ながらソレは惡の行いであり忌避されるべきニンゲンの意思決定の過程となる。

 

されどであるからこそクリスト教はソノ赦し難い大罪を赦す。

なんとなればクリスト自身もまた赦し難い屈辱を受けかって死んだからなのだ。

 

では果たしてソコでクリスト自身は神を恨んだでせうか?

はい確かに父である神を恨みました。

 

ナゼナラ彼イイエスは半分ニンゲンだったのですから。

さう半分はニンゲンだから神をウラミ且つ不信すらをもする。

 

ですが彼のタマシイは最終的に神の元へと召される。

だってさうイザ神を冒涜しても「罪」が消えることなどは無いのですから。

 

まさにソノ辺りでの感情即ちココロの動きがそれとなくわたくしには分かるのです。

さうわたくし自身もまた生まれつきに少し右足が弱い。

 

けれどもソレが障碍にはならぬ程度ですのでソノことでどうのかうのと云うことでも無かった。

しかしながら現在はむしろソノ宿痾のやうなものが大きく出つつもある。

 

よって若い頃はソレこそソノことを恨んでも居た。

よりによりナゼワタシばかりがこんな目に遭うのだらう?

 

ですがソノ後はよりデカい問題が人類には兆して居ることが分かりむしろソチラの方に悩まされるやうになりソノ個人的な問題のことはスッカリ忘れて居りましたのです。

でもって現在でもまたソノ問題とはズバリ人類が抱えるであらう「罪」であり「煩悩」のこととなる。

 

故にわたくしはかうして宗教詩人化しソノ問題とかうして常に格闘する。

 

 

最終的にクリスト教はソノ赦し難い「罪」を赦す。

また佛教は「煩悩」を滅す。

 

個人的にはソノドチラでも救済は成立するとさう考える。

でもって以下では少し扱いが難しい宗教的な課題に就き考えてみる。

 

7.神(愛)の普遍化に於ける課題

 

=「有」としての「神」(愛)の絶對性及び権威化の課題

 

確かにさう「愛」は普遍化されるべきです。

 

ナゼナラ「愛」が普遍化されぬからつまりはデカい愛(普遍化されし愛)にならぬ限りちっこい愛(限定されし愛)が對立を深めやがては「破壊」を生じさせる。

だがさうイザ普遍化されし愛には絶對性及び権威化と云う性質がまた常に付加されやう。

 

だからカンタンに申せばさう愛がタダ壱つの価値とされ尚且つソレが威張る訳だ。

 

實際に大航海時代以降西欧國家は世界各地を植民地化し宗教的にも無理やりクリスト教へと改宗させて行った訳です。

もしやソレって拭い去れぬ「罪」ではないのか?

 

尚ソノ普遍化に於ける課題が實は佛法に於いても御座ります。

 

=「無」としての「佛」(解脱)の絶對性及び権威化の課題

 

確かに佛教はクリスト教に比べ布教には消極的でした。

 

ですが何せ非常にカルトな内容の教義ですのでもうソコへ嵌まる奴は滅茶苦茶にハマるものだ。

例えばアノオウム教などもまたそんなハマリ方の壱つの例だったのかも。

 

でもってして本來の佛法は「愛」に関し常に否定的でせう。

ですが大乗教説の場合に限り先祖供養への愛(執着)だのまた墓との家制度への愛(執着)だのまた父母孝養への愛(執着)だのがまた上手いこと入り混じって來るのです。

 

ま、ソレ等もあくまで御釈迦様に取っては全てが要らぬことだらう愛のカタチでせう。

またそも「佛」とはコダワリへの全的な否定過程のことですので無論のことまたソレ等のドコに拘ってもイカンのです。

 

ですがナゼワタシや壱休禅師がさう👩の股の間のことに妙にコダワルのかと言えばそんなもんはコダワルもナニも無論のこと拘ってはイカンのが當然のことでありでも實は「解脱」がやれんのでチョットだけクリスト教化したりもして「愛」の概念の部分にさうシフト(コミット)してもおるのです。

 

またハッキリ申して浄土教密教などの少し毛色の違う後期の佛法でもおそらく色んな形にてさう「愛」の概念化が図られても行くことだらう。

ですがソノことを批判することなどはまさか出來ません。

 

なんとなれば兎に角偏に「解脱」がニンゲン技では無いからなのだ。

但しソノ「愛」の概念の部分にさうシフト(コミット)しておる大乗佛法が惡いと云う訳では無いのである。

 

ナゼナラ「愛」の概念の普遍化過程に於いてもまたニンゲン(人類)の救済は可能となるが故に。

また同時に多分に後期佛法は壱神教化して行ったとまた言えるのではないか。

 

さらにソノことに於いても批判することなどは出來ません。

なんとなれば兎に角偏に「解脱」がニンゲン技では無くソノ壱神教化の過程に於いてもまたニンゲン(人類)の救済は可能となるが故に。

 

 

8.神も佛も結果として矛盾すること

 

さう兎に角「全能の神」との概念はむしろ矛盾ダラケとなる。

ナゼナラ萬人を等しく愛する筈の神がナゼ彼等にあえて不公平な生き様を与えるのか?

 

普通ニンゲンの認識はまさにさう思う。

 

さらに佛はナゼ萬人に對しほぼやれぬことをさう眞理として教え給うのか?

普通ニンゲンの認識はまさにさう思う。

 

が、どうもソレはニンゲンの認識の方が間違って居るのである。

でも神や佛が完全かと言えばどうもさうでは無い。

 

どだいドチラもコノ世から「逃げて」行きソコでこそ成道するのであるから。

但しクリスト教の場合は映画「神の小屋より」でのやうに愛の認識を普遍化する=神の認識に等しくすることにて結果的にアノ世とコノ世の双方でタマシイが救われることとなるのである。

 

だけれどもソコんトコは結果的に佛法に於いても同じであり即ち解脱への道が成れば結果的にアノ世とコノ世の双方でタマシイが救われることとなるのである。

だがソレもまた厳密に言えば原始佛法に於いてアノ世とコノ世が對置して置かれることは無いのであらう。

 

釈尊の中道の論理はさう相對概念の同時否定ですのでほんたうのほんたうは彼岸と此岸の差などは認められて居ない筈なのだ。

えっ?でも浄土教に限ればアノ世にて阿弥陀佛にこそ救われるのですぞ。

 

はいだからなんかクリスト教化してるやうに思われてならんのですが。

なのでソノ阿弥陀佛ってもしや全能神なのでは?

 

うわっ!また酷えことを言ってる。

ソレを聞いたら眞宗の坊様方がもうどんだけ悲しむことか。

 

いや實は密教にもさう言えぬことも無いのですがでも自分はアノ密教の宇宙的世界観と申すか曼荼羅と申すかそんなものが好きですのでソレは止めときます。

また大日如來や不動明王には良く御参りしたりもしますのでさうボロクソに貶しながら御参りするのもなんですしね。

 

兎に角多くの坊主はまず佛は矛盾しないとおそらくさう頑なに信じておる筈だ。

確かにさうで御釈迦様の解脱法に矛盾など無いのだらうがでもソレも社會的にはあくまで矛盾しておりますのです。

 

だから御釈迦様は何せ孤独が御好きな大天才であらせられ多分イイエス様よりも頭の出來はイイのだらう。

でもドチラに親しみが涌くかと言えば矢張り金持ちでも無く王子様でも無いタダの壱勞働者であるクリスト様の方ではないですか。

 

でもアナタの場合はより頭のイイ御釈迦様が好きなのですね?

さう好きなのですね?と言われればついつられてさうですと言って仕舞いさうだ。

 

だったら自称でアタマがイイアナタと矢張りと申すべきかイイコンビなのではあーりませんか?

でもワタシは勞動者の権利を守らんが為にかう闘うのだ!

 

するとズバリ左翼教師でつまりは露西亜だの中國だのまた北朝鮮の手先なのか?

別にそんなスパイだとかそんなもんでは無い。

 

ところで御釈迦様っておそらく右の思想なんですよね、さうして彼は壱國の王子様なのだし。

いいや御釈迦様はもう全部を否定されるのですから、つまりは右と左の区別の同時否定をこそおやりになることだらう。

 

まさかそんなもんがニンゲンかい!!

だから何度も言って居るじゃないか、彼佛陀はすでにニンゲンではありません、と。

 

 

でもどうも論理的に御釈迦様の御考えは兎に角凄い。

ナゼナラ脱論理の領域に迄踏み込まれニンゲンの認識を考えられて居たからなのだ。

 

ソノ「脱論理」ってでもソレこそ無學な庶民に取り非常に分かりにくい。

でも例えば禅宗の坊主の修行を観てみれば何となく分かるのではないか。

 

禅宗ソレも曹洞宗の方での生活のやり方と座禅の組み方の方ですね。

例えば掃除したりまた飯を作ったりすることが全てソノ坐禅にも等しい修行となるのである。

 

臨済宗の方はまた観念の度の方が凄い訳だ。

ではソレがまさに「公案」とのことであらうか?

 

さうだねまさにソノ公案だね、でも何せワタシは物事に對し滅茶苦茶を言うので「公案」なんて至って不得意ですね。

うーんでもソレもまたちゃんとやればむしろ向いてるやうな気がしてならんのですが…。

 

どうでもイイけど話がクリスト教から佛法へと完全に移って居りますよ。

實はさうワザと致してもおるのです。

 

ナゼナラココ🗾國にはクリスト教徒が少なくむしろ大半が佛教徒ですから。

 

兎に角さう宗教も絶對の価値とは成り得ません。

ですが宗教やまた教育の世界は概して眞面目なものです。

 

よって👿みたいな奴が壱定数のさばる娑婆世界に比ぶればソレは明らかにイイ世界です。

 

さてまだまだ続きでの宗教論議が御座ります。

御座りますがソレはまた後日にでもゼヒ纏めてみたい。

 

じゃあココでもってスッカリ逃げるのですね?

なんでまたそんなイヤらしい言い方しか出來ないの?

 

多分また宗教のことを述べんが為にココへと戻ります。

でも何せ忙しいからソレは先のこととなりませう。

 

尤もソノ前に🖋のことを語るが為に戻る予定です。

ナゼナラすでにネタが飽和状態にてはち切れさうなのだから。

 

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ー結局コノ映画は敬虔なクリスト教徒が書き描いた文學作品を映画化したものであるさうなー