神佛への哲學的理解と現代の信仰のあり方ー今後滅びるかもしれないクリスト教と佛教への永遠の賛歌ー
さて本日はズバリ宗教論議をぶちまけます。
ではナゼイマソノ宗教詩人が登場するのかと申せば實は世の中がソレをこそ欲して居るからなのだ。
でも多くの方方にはまるでさうは思われぬことだらう。
だがこんな半天才の考えは常にアナタ方とは違う。
なのでまずは興味半分でイイから半天才作家の発言をゼヒ聞いて頂きたい。
ナニ聞きたくもない、まるでそんなモンは?
馬鹿者!
じゃから御前等ニンゲンはなっとらんのであーる。
ところでアノ「天才」の成田 悠輔と云う御仁が相變わらず「年寄りは老害となる前に集団自決せよ」とさう極論へと走って居るのださうな。
ソノことに就き壱言。
まずはソレも壱理有る。
壱理有るがソノ考えソノモノが若い。
どだい「正教」はそんなことをまさか述べて居らず。
よって成田氏は「正教」の教義に就き是非學ぶべきだ。
ではそも「正教」とは何か?
とりあえず厳密な意味では「ニンゲンを救わんが為」の宗教なのだとさう定義されやう。
ではたったイマニンゲン界=現象世界はどうなって居る?
實はソレがゴタゴタでありしかもメタメタなのだ。
ならばナゼさうなる?
ソレはニンゲンの認識に「限度」が有るからさうなる。
ニンゲンは所詮さう「限定物=限定者」なので多方面(多角的)での認識を同時にやれません。
よってソノ認識には常に「限定性」が生じつまりはソノ壱義的な利己性より脱却し得ずに矛盾や對立にこそ苛まれることとならう。
しかもソノ「矛盾や對立」自體は現實として襲い來ることなのだ。
但し「矛盾や對立」を生じさせんが為の利己的な認識ソノモノは錯誤であり虚偽である。
まあ言ってることが可成に難しいことかと思われますが壱つ😣をしつつ聞いて頂きたい。
自分ー宗教詩人ーもほんたうは野山へでも出てゼヒ仙界の樂しみへと浸りたいところながら程度の低い世間のせいでかうして今日もまた作文だよ。
でもって自分は所謂小説家では無く事象を論評する評論的文人でありつまりはドキュメンタリーライターなのでかうして主に現實としての問題や課題に就き語るのである。
あああソレにつけても上から下迄もうニンゲンの社會はゴタゴタの連続ぞ。
なのでゼヒ合理化したい。
ソレも右翼と左翼ではソノ合理化の手法が異なるが實は共に「合理化」することを目指して御座る。
ところがソノ試みの多くがむしろ「矛盾や對立」を煽り徒労に終わったりもまたするのであった。
左様に政治的に決着される問題とは本質的にニンゲンが抱える課題を解決するものには非ず。
要するにソレは「限定的」な効力しか生み出せぬものとならざるを得ぬ。
ところが過去にはソノニンゲンの抱える本質的な課題に就き變革を齎さんとする試みが有った訳だ。
ソレは主に、
1.解脱思想ー自己救済ー
2.救済思想ー他己救済ー
となる。
また其其の立場の代表者が釈迦牟尼佛陀とイイエス・クリストとなる。
でもってしてまずは皆様が持って居られるだらう宗教への拒否感をむしろ御自分でもって何とか制御しゼヒコノ稿の内容を読んで頂きたい。
なんとなればたったイマニンゲンは可成に危うい立場にこそ立たされておる。
むしろニンゲンはイマホンタウにヤバいとさう言えるのである。
ヤバい⇔ヤバく無い
無論のことヤバく無いとの認識も有り得むしろソレをして居るのがアノトランプ氏などだらう。
いやかのプーチン氏や習 近平氏などもまた似たやうなものであるのやもしれぬ。
さう為政者には正常化バイアスの如きものが強く働くが故にさう認識を誤らざるを得なくなる訳だ。
對してアノ倉本 聰氏を始め養老 孟司氏や五木 寛之氏、さらに故人の梅原 猛氏などは皆「文明はヤバい」と基本的にはさう考えられて居やう。
ところでソノ文明がヤバいところへと追い込まれて行くのはそもナゼか?
ソレは主に認識上の狂いからおそらくはさうなるのだ。
ソノ認識の狂い=「認識上の誤謬」のことに就き思想詩人は凡そ四拾年にも亘り考えて参った。
故にソノことを例えば哲學的に解き明かすこともまた可能ながらあえて本日は宗教的に論じてみたく思いますのです。
と申しますのも以下の記事に触発され宗教的な認識分野のことを是非整理して置きたく思ったからなのだ。
新しい研究によると、宗教を切り替える人は増加傾向にある-01
新しい研究によると、宗教を切り替える人は増加傾向にある-18
まずはコノやうにたった今信仰の世界が大きく變化しつつある。
また以前から言われて居たやうに所謂伝統的とされる宗教や宗派の凋落が目立っても來た。
だがワタシに言わせれば「ニンゲンを救う効力」を持つ宗教は極めて限られて居る。
概ねソレはクリスト教及び佛教となる。
しかもより厳密に申せば、
3.原始クリスト教~カトリシズム迄
4.原始佛法~小乗佛法(上座部)迄
まさにコノ辺り迄がソノ「本気にてニンゲンを救う」が為の教えとならう。
だったら大乗佛法やプロテスタンティズムはさうでは無い?
まあソレ等の効力はイマ壱つであらう。
だが人によっては大きく役に立つので全然ダメだと云うことにはならない。
新しい研究によると、宗教を切り替える人は増加傾向にある-22
新しい研究によると、宗教を切り替える人は増加傾向にある-23
ところが記事にもあるやうにむしろソノクリスト教及び佛教から精神的に離れて仕舞う人がイマまさに増加中なのだ。
例えばクリスト教徒を辞めて佛教徒となったり佛教徒を辞めてクリスト教徒となったりするのはまだイイにせよソコへ例えばイスラーム教やヒンドゥー教などが混ざりさらにさうした特定の宗教を信じない無神論者や無宗教主義者などが増えて居るのである。
ではソコに宗教や宗派の優劣が有るのか?
宗教と云う精神世界にもまたそんなヒエラルキーが有る?
まずはコノ点に就きトコトン考えた。
5.「救い」ソノモノにヒエラルキーは無いが「救い」を前提とする宗教や宗派とさうでは無い宗教や宗派の区別は生ずる
6.現代人は概ね「救い」を期待せずーさうあくまで「現世利益」として宗教を見詰め且つ考えるー
まず現代人はさう精神的に合理化されることにより現世利益にのみ敏感となって居る。
よって現代人の無神論化や無宗教化さらに「現世利益」を謳う宗教や宗派への鞍替えの根拠とはまさにソノ「合理化」とならう。
但し「現世利益」を謳う宗教や宗派は根本的に「ニンゲンを救う」宗教や宗派ではあり得ず。
例えばまさに宗教的に「改革」された大乗佛法やプロテスタンティズムは根本的に「ニンゲンを救う」宗教や宗派だとはなかなか言い難い。
ソレ等は根本的に「ニンゲンを救う」宗教や宗派なのでは無くむしろニンゲンの社會と寄り添い歩むまあある意味ではマイルドな宗教であり宗派なのではないか。
ところが原始クリスト教や原始佛法に於ける開祖イイエス様や御釈迦様の教義は至極過激なものとなる。
もう兎に角社會の常識的価値観とはほぼ正反對の考えなのでもはやソノ後の弟子達がまるでついてはイケぬ教えなのでした。
がヨクヨク考えてみればむしろソノ過激なる教えの内容により初めてニンゲンが救われてイクのであった。
そりゃ當たり前のことでさうマイルドにやって修行もナニもせんでエエとのこととなりゃついソッチの方へと行きたくもなりますわな。
でもってして以上の傾向を端的に纏めるとソレが「世俗化」のこととなり特に現代に於いては宗教や宗派レヴェルに於いてソレが行われるに至りつまりはややこしく且つ辛い教えは現代人に取り要らなくなり逆にマイルド且つ樂な教えの方へと皆が雪崩れ込んで行くのであーる。
だがソノ傾向に對し深く憂慮を示すであらう宗教詩人が壱人こんな極東の🗾國にはおった。
ええっ?ダレですかそんなキビシイ御人は?
ダレってこんなワシに決まって居りますがな。
新しい研究によると、宗教を切り替える人は増加傾向にある-28-「キリスト教の役割」
尚以前より書いて居りますが「純粋なるクリスト教」と「純粋なる佛法」が目指すところはまるで同じでつまりがソレは「ニンゲンの救い」である。
但しソノ方法論はまるで異なる。
7.相對認識(相對分別)により現象界(ニンゲンの認識世界)は劣化(破壊)すること(「矛盾や對立」の増加)が免れぬ
8.劣化(破壊)することを免れんが為の合理的方法論及び非合理的方法論ー合理的方法論⇔非合理的方法論ー
尚宗教的な精神世界は合理的方法論と非合理的方法論の併用ではないかと個人的には考える。
例えばクリストや佛陀の教説は共に至極合理的なものとなるが同時に非合理的なものでもまたあらう。
9.イザ「神」に救済されるとアノ世にて天國へイケるー他力救済ー
10.自分でもって認識を清め最終的には「解脱」し生命現象であることを去るー自力救済ー
尚より観念的でもって且つ有り得ない話がソノ「解脱」の方となる。
なんとなればそんな「解脱」する程に意識の高いニンゲンはかの佛陀以外には居ないのだから。
さうかだとすればソノ「解脱」するのは「解脱したぞ!」とさう述べる新興宗教の教祖以外には御釈迦様バカリぞ。
いやあでもアナタもまたそんなことを言いさうで何だかとても怖いのですが…。
いやワタシは解脱しない、ナゼナラワタシはかうして単なる三文宗教ライターなんです。
なる程するとアナタに取り大事なことは「解脱」では無くもしや「原稿料」の方ですか。
ズバリ申せばソノ「原稿料」が何時迄経っても零円なのがまさに大問題なのか。
さうイヤらしい迄にソコを穿らなくてもイイと思いますのですよ。
でもアンタちゃんとクリスト教と佛教の本質の部分を押さえておいでのやうだが…。
まあ最低限ソコは押さえておきませんと、ナニせもう四拾年程悶え苦しみつつかう宗教の問題を考えて参りましたので…。
尚クリスト教の場合は無論のこと「生命現象」であることを自ら離れる訳では無く「神の國」にて霊的生命へと進化する形でむしろソレを「霊的に」続けるのでせう。
なので最終的にクリスト教は「生命現象」をより高次な階梯へと導くことで「救われる」のであり對して佛教は「生命現象」を自らの認識のレヴェルを高めることにより去ることでまさに「救われる」のである。
とさうあくまで方法論としての解決法がまるで異なる。
自力救済⇔他力救済
とさう異なるのである。
ところが目指すところは結果的にニンゲンを劣化=破壊より救い出さんが為の教えなのだ。
ところが現代人の多くはむしろクリスト教や佛法に對し合理性を認めて居ない。
まずはソノ認識ソノモノが貧しいのだとさう言えやう。
故に結果として現代人はワザワザソノ有り難き「救済」の教えから離れつまりは世俗化(現世利益化)をして行く。
尤も「救済」の要素の薄い教えが邪教だとは決め付けられぬがワタシにしてみればワザワザ「救い」を放棄してかかるのだからソレがまさに茶番にしか見えぬ訳だ。
ではズバリ御尋ねすればクリスト教原理主義やまた佛教原理主義を信じ且つ活動する人人は助かるのですか?
助かるのですかってコノ温暖化や生物種の絶滅がソレにて止まる訳では無いのですよ。
だけれどもおおまさに精神の方向性としてはイイ向きとなってるのやもしれません。
またズバリ御尋ねすればクリスト教原理主義やまた佛教原理主義などに近いとも言えるアナタ御自身は死ぬる迄また死んでも助かりますか?
だからワシは単なる三文宗教ライターなんだって…。
だからワシはクリスト教と佛教こそがたったイマ頑張らねば人類の未來は無いとさう考えますがことワタシのことに限ればソレが単なるライターですのでソレは宗教家でも何でも無いことでつまりは文藝活動の壱環としてかうやってることだ。
故に助かるも何も無くタダコノ御話を読み感動したダレかが原稿料を百萬程積んで呉れぬものかと云う御話ですぞ。
何だ君は現代の大衆以上に現金主義ー現世利益主義ーではないか!
まあ逆に申せば聖人様の認識はまさにソノ現金主義ー現世利益主義ーからはかけ離れて居ます。
また例えば聖人様は子供の頃より矢張り常人とは違って居るものだ。
さうでもタマシイのヒエラルキー化をあえて認めるので?
うん確かにソコが非常に厄介な問題なのだ。
つまりはニンゲンは皆平等な筈なのにクリストと佛陀だけは特別製なのかと云う其のタマシイのヒエラルキー序列の問題なのだ。
さうタマシイのヒエラルキー序列がどうしても残るが故に宗教は唯物論では無く且つ近代的思想にも成り得ず。
でもタマシイって佛教にも有るのですか?
いやより正確にはタマシイの有無は佛法では問題として捉えられず。
佛法はさう形而上の問題を問題として捉えはしない。ー原始仏教や禅宗に於いてはさうなるー
じゃあ佛教徒はタマシイなど無くてもイイの?
いやそもソレが有るか否かは分からないことなのでソコには拘らないものなのだ。
じゃあタマシイが転生して今度はナニナニに生まれ直すとかそんな輪廻転生の思想は果たしてどうなるの?
はいソノ辺のことは多分民間伝承的なものでせうがソコもまたより正確に佛法上言えばソノことを問題として捉えはしない。
だが問題として有るのがまさに相對分別により虚妄世界をニンゲンが築きしかもソレを頑張るものだから歴史が下る毎にむしろ劣化ー破壊ーの度が酷くなることだらう。
じゃあ救済してよ。
救ってよそんなニンゲンを、救済してよ、救済してよ、救済してよ!!
だからソレは何度も申して居りますがむしろ自分等の方から「正教」へと擦り寄り且つ自己に對し😣の気風をなるべく課して行かねばなりますまい。
ソレも丁度かの三文宗教ライター氏が冬に暖房無しで過ごしたこととまるで同じことだな。
じゃあ君はイスラーム教やヒンドゥー教をもしやバカにしてるのか!
だからバカになどした覚えは無い。
無いですが、ソレは自分が目指すところでの精神的な意味での救済とは異なると常に感じて居ります。
じゃあクリスト教原理主義者や佛教原理主義者となり挙句の果てにはクリスト教と佛教が戦争をしクリスト教徒と佛教徒が全滅すればイイのか?
いやだからワタシが述べたことはむしろソレとは反對のことでありこと「救済」と云う面ではクリスト教と佛教は宗教としてむしろ近しい。ーこと宗教的には兎に角さう御仲間ですー
されどどちらも宗教改革以降は可成に組織が乱れておる。
またソノ乱ればかりか今後滅亡する虞が大きく有るのがまさにソノクリスト教と佛教なのだ。
ええっ?じゃあクリスト教と佛教は共に絶滅危惧種なので?
さうなんだ、アアまさに残念ながらさうなのよ。
だからね、ワタシ宗教詩人がかういつも語ることとはまさにソノ絶滅危惧種としてのクリスト教と佛教に於ける救済宗教としての正當性のことなのだ。
逆に申せば今後現代人がクリスト教と佛教を滅ぼすやうではソノ精神世界はほぼ御先が眞っ暗ぞ。
だけどクリスト教と佛教は「神」だ「佛」だとさういつも威張って御座る。
いやまさか威張っては居ないがさうか君等常識人にはさうも観えて仕舞うのか。
なる程ね、さう何時の間にか正教が権威化し過ぎて居たのかな。
だから俺等庶民はもう解脱も天國もナニも無く現世をより良く生きたいのだしだからより現實的なイスラーム教やヒンドゥー教へとまた無神論者や無宗教者へと走るのです。
うーんさうであるか。
でもね、よーく考えて御覧。
おおまさにそんなキビシイ修行や信仰へと走ることの方が明らかに救済の度合いがより高まるであらうことを。
だってイイもん救済なんぞされんでもイイ、ナゼナラコノ社會がね、コノ現代社會コソが救って呉れるのだもうソレも世界中の人人を!!!
おいおい君、コノ現代社會は2050年以降とても持ちませんぜ。
でもさう言ってるのはアノ變人の社會科詩人ダケだ!
そもそんなクリスト教と佛教なんぞそんなややこしい宗教は金輪際嫌いだな。
…もはや彼を救わんが為の手立ては全て絶たれり。
天にましますイイエス様、またドコぞにおわす佛様、コノ哀れなる凡人の認識を是非御救い下され。
いやソコ迄堕ちたものはもはや我等には救えぬ。
故に汝が我等に代わり是非にも彼を救いなされ。
だが哀れなる彼の認識を無明の闇より救い出すことはついに敵わず。
ほれみよおみゃーのせいでワシは成佛出来ずしかも天國へもまるで入れぬ。
コノケモノめが!コノ反クリストめが!コノ👿めが!コノ馬鹿者めが!!
だがワシは幸か不幸かこやつと共に此の世に生まれた。
なのでもはやたとえ地獄に堕ちてもイイ、もうどんな屈辱にも耐えてみせる。
だから共に歩もう、コノ不細工で且つ間違いダラケの出來損ないとドコ迄も共に歩んで行かう。
とさう宗教詩人が決意をしましたところすうっと天から光の途が開け何と👼が下りて参りました。
また地面が弐つに割れソコからなんと地涌のボーサットゥ(菩薩)が現れそんな分からず屋の彼を教化し始めたのです。
ーとさうダメな部分にもしかと情けをかけるのが神であり佛なのであらうー