目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

コノ世をしかと幸せに生きんが為の仙道思想に就いてー人類の教師としての「名無き仙人」氏の動画の内容に寄せてー

さうして「現世利益」を模索することだらう仙道思想に就いてー人類の教師としての「名無き仙人」氏の動画の内容に寄せてー

 

 

 

 

尚其の所謂「スピリチュアル」な面もまた「自己矛盾」致します。

なんとなれば此の世の価値の全てがさう「自己矛盾」するからだ。

 

ソコで「理性」とは其の「自己矛盾」と闘う態度のことをこそ指す。

要するに闘うのが「理性」であり闘わないのが「本能」です。

 

ですが問題は其のドチラも✖である可能性が有りナゼナラ認識論上正しいのは御釈迦様の生んだ佛法とイエス様が唱えられた「神」への帰依のことと常になるからです。

つまりはソレ以外の認識はほぼ全滅=✖✖✖✖なのだ。

 

でもそんな零点では無論のことイカン。

少なくとも75点は欲しい。

 

だが零点から75点迄引き上げるのはむしろ至難の業だ。

だからこそ塾へ行くのだ。

 

ソコにアノ林 修センセイのやうな講師が居てみんなのバカを必ずや直して下さる。

 

さうかー、ではボクは闘うぞー。

其れも自衛隊に入り體を鍛えやがて街宣車に乗り「軍艦マーチ」を🗾中に流すのだ!

 

だからソレは単なる「右翼バカ」じゃろ。

さうでは無く是非弱い者の方を見詰めねばならん。

 

するとアノ大宰なども読むのですか?

勿論読んで下され。

 

さらにそんな理性の闘いに負け死んだかの芥川 龍之介なども是非読みませう。

じゃあ他は読まなくて良いのですか?

 

まあ読んでもまた読まずとも壱諸です。

ところでアナタはまさに其の芥川賞作家にこそなりたいのですね?

 

いえまるでなりたくは無い。

ボクはかうして無冠の詩人にてタダ毎日御🌸と戯れて居たいダケのことですから。

 

兎に角右の思想は必然としてヒエラルキーを形成し其の「ヒエラルキー」こそが搾取の元締めとなる。

なので右の思想のみでは「理想の體制」は築けない。

 

但し左翼思想の方もまた「自己矛盾」致します。

故に、

 

右⇔左

 

とむしろ双方向性的に常に思想を移動しなければならぬ。

 

また先に述べた如くにたとえ「宗教的価値」であれ「スピリチュアル」的な価値であれ全ては「自己矛盾」致します。

其れも釈迦其のものによる教説とイエス様の教説への信仰を除いては。

 

でもそんなに怖いトコなんですか、まさに此の世は。

生まれつきに感度の良い人は其の「怖さ」を良く知るが感度の惡い人には死ぬ迄其のことが分かりはせぬ。ーたとえ死んでも分からずー

 

 

またやれるものならば其の釈迦とキリストとを同時に信じなされ。

だからそんなもんは並みの認識では無いつまりが變態的宗教家の認識ですよ。

 

だから其の變態でイイ。

でも其の變態共が毎日新聞沙汰を引き起こしかうして逮捕されたりもして居ますが…。

 

いやソレはほんたうの犯罪者ですが理性的反抗者はまたソレとは違う精神的道程をこそ歩むものです。

 

右⇔左

上⇔下

 

むしろ其の分離する価値の両方が大事なのです。

故に偏る認識へと陥らぬ為に反對の価値を常に「愛す」必要が生ずる。

 

では果たしてアナタは「バカ」を愛せますか?

うおん、ソレを言われると可成に苦しいぞ…。

 

苦しいがかうして塾の先生は日日闘う。

さう闘いつつ次第に變にもなって行く感じか。

 

だがまさに其の「變」こそが正しいのだ。

さう「變」じゃない奴は其の認識が根底より間違ってる。

 

さうかあ、確かに芥川や太宰の認識は「變」だな。

でせう?

 

だからまずは「變」になるやうな認識にこそ挑まずしてどうする?

「理性」の闘い即ち理性的闘争の本質とはズバリ其の「變への愛」のことぞ。

 

 

尚此の際皆様に申し上げて置くが「上」だけがエライとさう考えて居られる其のアナタの認識は間違い=✖です。

正しくは「上」もまた「下」も融通無碍に行きかい「区別=ヒエラルキー」を解體せしめることこそがまずは「仙人」への道となる。

 

「仙人」への道?

さうまさに其の仙道思想の會得者となる。

 

でも釈迦とキリストの教えを同時に理解且つ信じることでニンゲンの認識はほぼ究極の高みへと到達するのでは?

いや確かにソレをすれば高い精神性の部分へと至ることだらう。

 

でもついでにソレに加えてみたれや。

だってソレダケでもう限界ですのに何でまたソコに負荷を加えたりするのか。

 

そんなものはニンゲンの精神に對しまさに「虐め」ではないか。

だからもうコノ際虐めてみませう。

 

ほうれほれこうしてローソクをアナタの體に垂らしアナタが悶え苦しむのを見つつむしろサイコーに樂しむのだから。

うはあまた本日はコイツサディズムの虜となって御座る。

 

どうもヤバい。

だからもうすぐに逃げられるやうにして置かう。

 

はい、早速に其の蠟燭が用意出來ました。

ではソレに火を点けませう。

 

ぼわあ。

うん、イイ具合に燃えて居るぞ。

 

ではアナタは裸になって下さい。

…なりました。

 

とろーり、とろり。

熱っ!アアでも気持ちがイイ。

 

ソレにしても何でこんなに気持ちが良いのだらう?

ソレは君がマゾヒストだからなのだよ。

 

うわあーもうソノ全部を垂らして呉れい!!

どろーり、どろり。

 

でもこんなことを何時迄書き続けるのですか?

はいもうココでキッパリ終わります。

 

 

其の仙人思想。

つまりは道教思想の流れを汲む教えのことだ。

 

尚わたくしは別にソレの専門家には非ず。

但し参拾代の頃に好んで荘子 - Wikipediaなどを読んで居たことはあった。

 

また四拾代の頃には老子 - Wikipediaの思想に傾倒したことがまたあった。

尤も其れは加島 祥造 - Wikipedia先生の思想の影響からさうなりしものであった。

 

 

四拾代の終わり頃に自分は其の加島先生の墨彩画を観る機會を持った。

其れは當時のナゴヤ丸善の催事場で行われた催しであった。

【アート】加島祥造墨彩画展 『山河に還る』(10月2日~8日・丸善名古屋栄店): 井上リサの臨床美学研究室 (cocolog-nifty.com)

 

まずは其の墨彩画とソコに添えられし讃に深く興味を抱いた。

またソレが都會の価値観とは方向性の違う何かであることをわたくしは敏感に感じ取って居た。

 

當時すでにわたくしには所謂「隠遁文人」の気風さえもが兆して居た。

我はさうして参拾代に東海地方の各地へと出没しー主にアウトドアライフにてー四拾代に石の採集家と化して居た。

 

文明のことは其れこそ廿代の頃より多くを考えたが其れは結局變わりはしないものであることを當時すでに見切って居た。

故にこそ其の加島先生の価値観や生き様に大いに惹かれて行くこととなる。

 

但し「弟子」になるのは間に合わなかった。

ナゼナラ主に五拾代後半の頃は仕事上責任を持たされてヒイヒイ言いつつ其れをこなすばかりでそんな「詩」だの「藝術」どころでは無い。

 

だが先生とネット上で繋がる機會もまた無いではなかったのだ。

だから其の時ほんたうに弟子となっていれば今頃はちゃんとした詩人をやっています。

 

また自作の詩の評価を是非御願いしたくも思って居りしがたうたう先生は死んじゃったのだった。

だからワタシはいまだニンゲンの「社會」が許せないのである。

 

其れもカネさえ有ればちゃんと先生のほんたうの弟子となれたのに…。

ニンゲンは普通兎に角カネがネエからさうして會社へ行かなイカンのだし。

 

 

さて其の「老荘思想」とはまさに今は流行らない東洋思想となる。

そんな「老荘思想」を少しでも齧ったことがある人はおそらくみんなの弐、参割程度の人なのだらう。

 

だが言うまでも無くまさに其の「老荘思想」こそが東洋の叡智であり且つ中華思想としての叡智である。

でもって「御勉強」とは所謂学校での御勉強とは違いさうした意味でのどうしてもやらねばならんほんたうの叡智に就き自ら學ぶことをこそ言う。

 

なのでわたくしはまさにソレをやり続けて來たので「先生」だとさう名乗るのであり別に社會の先生だとかそんなことでは無いのである。

 

尚會社へ行ってもまず良いことなどは有りません。

せいぜいコキ使われおまけに給料は拾五萬でボーナスがせいぜい廿萬程ですか。

 

また当然ながら會社のヒエラルキーの上部の奴等が儲けるダケの話である。

だから會社なんてむしろ何の役にも立たない。

 

でもこんな東洋思想ばかりは違いませう。

例えば老荘思想は我我ニンゲンに對しおおおまさに「認識上の眞理」をこそ語る認識論のことなのだから。

 

さらに言えば此の世の中のヒエラルキー形成などは「認識上の眞理」に對しむしろ全くの無価値でさえある。

要するに零点です。

 

ですがアナタがもしも登校拒否児でありだけれども随分頭が良くて学校の先生にはまるで分からんやうな難解な哲学書などをスラスラと読める場合などがまたあるものです。

だからそんな場合は学校なんぞまるで行かなくて良い。

 

いやむしろ行ってはならん。

アナタのソノ高度な頭脳を世間のバカらしさにまみれさせることなどしては金輪際ならぬ。

 

アナタはもう此の文明世界其のものを全否定してやるべきだ。

全否定した上で是非「教祖」とでもなれば其れでもって宜しい。

 

 

はら美術で加島祥造さんの墨彩画展|ニュース|伊那谷ねっと (ina-dani.net)

 

尚加島 祥造先生は可成に👩好きであったやうなのだ。

だが其の晩年にそれではイカンと思われたのか『求めない』と云う詩集を刊行され其れがベストセラーともなった。

 

求めない | 書籍 | 小学館 (shogakukan.co.jp)

 

其の『求めない』は優れた詩集である。

おそらくは21世紀を代表するだらう詩集である。

 

「求めない」15の最強言葉(加島祥造詩集より抜粋)Expecting nothing in return by Shozo KajimaBing 動画

 

加島先生の詩の内容は所謂タオイズムの影響を強く受けた「認識上の覚醒」を促す内容のものとなる。

つまりは其れが「詩」なのではあれむしろ「思想」を語る点で純文學作品とは言えないものとなる。

 

さう先生は常にさう「思想」を語られたのである。

其れも長野の伊那谷に独居され所謂仙人風に暮らされつつ其の「思想」を深められて行ったのだった。

 

でも独居だとは言え常に身の回りの世話をする若い👩の人に囲まれて居たのであった。

 

さてわたくしが加島先生の精神と常に波長が合う理由とはズバリ其の思想面での共鳴の部分が存して居るからなのだ。

ワタシは結局思想文人なのであり他の何者でも無い。

 

だから思想を常に語るが現代の🗾人はむしろ其の思想や宗教が特に嫌いである。

でも仕方が無いだらう、さうして君等とは逆向きのことしかやれないのだから。

 

 

【既に世界はパラレルワールド】波動「高い人vs低い人」生きる世界の違い (youtube.com)

 

【危険】「起きることは全て必然で意味がある」※洗脳を解く!スピリチャル (youtube.com)

 

【覚醒する方法】※目覚める方法『覚醒者の特徴は〇〇』スピリチャル編 (youtube.com)

 

人生【焦り&不安】消す方法『人生観が変わる話』人生は競争?スピリチャル (youtube.com)

 

こちらは何と社會的洗脳を解くが為の動画なのですと!!

だからコノ人ー名無き仙人氏ーはわたくしとは精神の方向がほぼ同じです。

 

なのでほとんど同じことを言って居られる。

また其の言われて居ることが常に正しい。

 

正しいのですが、其の正しい価値に限り往往にして此の世に通らないものなのだ。

要するにむしろ此の世は惡の巣窟ですのでソコに正論を述べても通じないものなのだ。

 

 

幸せの定義【本当に幸せになる方法】人生のステージを変えたい!スピリチャル編 (youtube.com)

 

だがまさにコノ人ー名無き仙人氏ーは人類に對しての「精神的教師」である。

こんなエライ人がまた居るものだと正直感服するバカリです。

 

さて上の動画には「目覚める」が為の方法論の部分などがまた出て來る。

と云うことは「名無き仙人」氏はすでに目覚められて居ることだらう。

 

そこは、ま、ワタシもハッキリ申せばすでに目覚めて居ます。

ですがさう「目覚める」とむしろ苦しいものです。

 

でもイザ目覚めて居ないと何の為に生きて居るのかまるで分からなくもなりさうだ。

ですがほんたうのほんたうは、目覚めて居ない人はそも悩まないのでシアワセー♡なんだらう。

 

だから宗教の目覚めもまた苦しくさらに仙道の方でもかうして常に苦しいのです。

但し精神の方向性がまた其其に違い佛法やクリスト教の教義では必ずしも現世での幸福を追求するものでは無いが實は「仙道」の方で追求されるのは価値認識を根本から變えることで「たった今」を含め以降の人生の全體をむしろ喜んで生きて行くとのこととならう。

 

つまりは本質的には現世利益としての幸福追求をせんが為の認識論的転換となる。

でもってココ迄御話をすればナゼワタクシがあえて佛陀とクリストの認識に留まらずつまりは参位壱體としてのこんな「仙道思想」=「仙人的な認識の世界」を其れにくっつけて居るのかと云うことがまたしかと御分り頂けるのではあるまいか。

 

また其れがあくまで我が國の「神道」では無く「老荘思想」とならなければならんのです。

さて以上で思想詩人の大事な精神的道程のことを語った積もりですが皆様にもこんな道があったとはなかなか考え難くだから正直僕は可成に特殊な精神的な道程を此の世にて歩ませて頂いたことを正直にたった今感謝致す所存です。

 

まあ其の代わりに得られなんだ人並みのことなどもあれこれとあったことかとさう思いますのですがでもイザコッチの方面では「やり切った」かなとさうハッキリ思うのです。

でもってたとえボクがやり切ったニンゲンであれなかなか周囲には伝わらぬものです、まさにそんな偉業は。

 

だから實は偉業でも何でも無く要するに人に分からんことをあえてやっただけのことであり其のことは人には評価されませんが死んだ後に閻魔様がおみゃーは生きとるウチに果たしてナニをやった?とさう御尋ねになりますので其の折に「ワシはコレをやったぞー、バカ!」とさう言えるだけの御話なのだ。

 

「ワシはコレをやったぞー、コノバカ!」とさう閻魔様に言えば御前は百パーセント地獄行きだな。

別にイイもん。

 

エエッ?果たしてどうしたのだ、君は?

別に…。

 

別にイイもん、かうしてもう仙人なんだから。

さうか、仙人様はむしろ地獄を怖がって居られないのか。

 

いやあ確かに凄い。

もはや教祖様は地獄を怖がって居られぬ。

 

怖ろしい、確かに怖ろしいことだが反面有り難いことでもまたある。

有り難や、有り難や、アナタの御陰で有り難やー。

 

さうか、新教団の名がたった今決まったぞ!!!

果たして其れはどんな名で?

 

ズバリソレが「有り難や教」のことだ。

有り難や、有り難や、アナタの御陰で有り難やー。

 

いや案外イイかもしれんぞ其の新教団こそが。