目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

大→小で國→個への認識上の転換こそが核戦争の危機より地球を救うことの要点である

大→小で國→個への認識上の転換こそが核戦争の危機より地球を救うことの要点である

 

 

 

日本が標的になるかも?…プーチンの“最後の切り札”、悪魔の核兵器「サルマト」のヤバすぎる正体 (msn.com)

一発で広島の200倍…ロシアの核兵器「サルマト」が引き起こす最悪の未来(週刊現代) | マネー現代 | 講談社 (gendai.media)

 

此のやうな壱種究極的な事實としての危惧を突き付けられると誰もが露西亜又は北朝鮮のやうな所謂きちがい國家こそが人類の敵でソコさえ無くなれば文明は安泰だとさう思うのやもしれぬがまさに其の種の認識こそが所謂「右翼馬鹿」の認識にて誤ったものである可能性が高くある。

 

正しくは露西亜やまた中國の所謂覇権主義に對しても理解を示した上で意思決定をなし行動することこそが「自國」を守ることに繋がる。

どだい自由民主主義=善=〇であり對する不自由な共産主義=惡=✖だとする価値観こそがまずは間違って居る。

 

またより正しくは其のイデオロギー對立を國単位にて成立させて仕舞うこと自體が誤りなのだ。

どう云うことかと言えばイデオロギー對立を國単位にて成立させて仕舞う「近代」と云う社會システム其れ自體に大きく無理があるのだから。

 

また資本主義なるもの自體が其の「無理の押し通し」としての経済體制ですので其処を参百年もやればまず地球は壊れて來ませう。

故に共産主義陣営が生まれたのは思想史の上での必然でありまさに右翼バカの意見として其れが「無ければ良い」として済ませられるやうなものでは無い。

 

 

個人的には其の露西亜や中國とは良好な関係を保つ「外交的努力」を是非すべきことかと思う。

中國は元元日本の「親國」のやうなもので露西亜もまた文學の方などが特に優れて居る國だ。

 

だから露西亜や中國を足蹴にする限りは今後日本は潰される可能性が高くなりませう。

逆に米國は豊かな資本主義國であり物が溢れて居りますのでそこそこに仲良くし兎に角其処から積極的に物を集めませう。

 

だからそんな體制の形に拘るやうでは眞の意味での理性派だとは申せません。

眞の意味での理性派は其の意味で別に日本のことなど心配しては居ない。

 

そんなものはなるやうにしかならんものなので出来れば余計なイデオロギー對立を避け共産圏の諸國ともそこそこ仲良くして置いた方が良い。

要するに所謂「八方美人」で良く故に米國の傘下オンリーにはならない方がむしろ「國防」にも繋がる。

 

左様にデカい部分での価値認識はむしろ其の抽象性の高さ故に「虚的」となり易いとの政治思想上の眞理に気付き逆に何処にでも行けるやうな外交姿勢を貫く方が今後日本國の利益となることでせう。

 

ですが其のことを述べたにせよおそらく多くの人人にはまるで分からんことでせう。

何故なら其の多くの人人の頭の中身がすでに「全體主義」としての「洗脳」を受けて居るからなのだ。

 

 

其の「洗脳」は理性的になることで解けますが理性的であることが必ずしも正しい意思決定であるとはまた言えぬ訳です。

ですのであくまで「価値認識」を画壱化しない方が其の「國家」としての日本の利益には繋がりませう。

 

其れは抽象的な「価値認識」を避けより具象的な価値の場に認識をシフトすると云うことです。

また「國」としての価値認識をするのでは無く「個」としての価値認識に止めて置けば其れで良いのである。

 

まあかうしてつい話が難しくなりますが要するに露西亜にそんな究極の核ミサイルにてやられる前に手を打って置く必要があるが其れは米國に對しより頼るやり方では無くむしろ自分から露西亜とも仲良くなるべきだと云うことであるに過ぎません。

 

其れでもって将來中國が日本を属國となすにせよ「天皇制」だけはやらせてお呉れ其の代わりに他のことはアナタの言われる通りに致します。

とさう中國のケツを舐めて居れば其れで良いのです。

 

さすれば日本はむしろ今より良くなりませう。

其れでもって亜細亜翡翠文化を世界壱のものとすれば良い。

 

すると糸魚川翡翠の原石標本の値段がおおまさにウナギ上りに高騰し自分の持って居る石だけで何と壱億円もの資産となった!

ああー、でも生きとって良かったー。

 

だから其の抽象性の高い概念である其の変な壱等國としてのプライドなどはむしろ捨てて行った方が良い。

逆に具象的に威張れば良く、まさに其の様が「男尊女卑」であり「バンカラ」での気風である。

 

 

尚其のきちがい露西亜が核ミサイルを撃たんでも此の文明の未來はまず先細りです。

と申しますかほぼ大破局するのが確定的でせう。

 

ですのでそんな状況でまた何でデカい夢ばかりを追うのかと云うことです。

そも其の抽象度の高いしかもデカい夢を追うこと其れ自體が現存在の認識に取っての誤り其のものなのだが。

 

其のやうな認識上の誤謬に自ら気付き其れを放棄しもっと多義的でしかも創造性に満ちた価値観をこそ現存在は是非生きるべきだ。

故に其の正しい認識の上での要点とはまさに「多義性」及び「創造的自我」と云う部分にこそ存する。

 

其れ即ちイザ其のデカい価値=國家の価値ー國家のメンツ、國家の欲望ーに「洗脳」されて仕舞えば其の「多義性」及び「創造的自我」などは軽軽と吹き飛びませう。

またつまりは「全體主義」とは其のデカい価値に個が持つ概念的可能性が圧殺されて行く場其のものである。

 

左様にデカい価値=國家の価値ー國家のメンツ、國家の欲望ーとは其の「全體主義」を必然として生むのです。

 

何故なら、

 

個<國家

 

とのことですので所詮はさうならざるを得ぬ。

 

ですが實は其処で其のデカい価値=國家の価値ー國家のメンツ、國家の欲望ーの部分を抜くとすれば此の世で「戦争」をする価値のほぼ全てが消滅する訳だ。

要するにさうして概念の場としてのスケールダウンを行うことこそが「理性的選択」の壱環とならう。

 

 

くれぐれも申しますが其の価値の過程の大きさこそが問題を大問題たらしめることの鍵の部分である。

要するに其れは逆に小さくまた多義的に意思決定することで防ぐことが可能な概念的對立である。

 

其れでもって人類がこんな核ミサイルの撃ち合いにて滅ぶのだとすればまさに茶番劇でせう。

ところが当の本人さん方はむしろ必死です。

 

だがよーく其処でもって考えてみればそんな國としてのメンツだの国威発揚だのに拘らず適度に地球上の領土を分け合い且つ適度に「生きることを限定しやって居れば」そんなことは起こりやうの無い話なのでした。

 

つまりは其のデカい意思決定の本質部とはまさにそんな意味での「愚かさ」=「馬鹿」のことなのです。

馬鹿即ち動物並みに其の新しいタイプの🐵共は頭が悪かったのです。

 

 

なので其の新しいタイプの🐵共=ホモ・サピエンス共は其処でもはやどんだけ頭が悪かったのかと云うことだけを考えて行かざるを得ない。

だから遠い昔に日本の自称詩人だけがそんなほんたうのことを言って居たがつい其の諫言を周りは無視して仕舞う。

 

嗚呼、其れだけを、其れだけを聞き入れて其の通りにして置けば良かったのに…。

兎に角近代の価値上での大矛盾の故に日本列島が吹っ飛ぶのであればまた其れも致し方無きことだ。

 

ですからそんなにはならぬやうに個としてあえて意思決定過程の範囲を狭めるべきだと我はさう述べて居るのです。

 

さすれば逆に、

 

國家<個

 

との新たな価値認識の世界が其処に仄見えても來ることでせう。

即ち現存在の認識に於ける難事業とはまさしく其の新たな価値認識の世界を切り開いて行くことにこそあらう。