目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

ふと気付けばすでに西田哲學に就き昨年末に論じて居た我ー大作 「絶対矛盾的自己同壱」概念に就き考える に就いてー

ふと気付けばすでに西田哲學に就き昨年末に論じて居た我ー大作 「絶対矛盾的自己同壱」概念に就き考える に就いてー

 

 

 

さて其の認識の問題が何故世界情勢の喫緊の課題と直結するかと云うに要するに其れは己と其の他としての認識の間に齟齬がありまさに其の差異の部分が實存を圧迫するか又は破壊するアンバランス状態とならざるを得ぬからなのだと思う。

とまた今回はイキナリ難しいことを述べましたのですが、其れも畢竟認識の問題が即現存在の課題であり根本命題であるからなのだ。

 

其のプラトーンの認識論にせよカントの認識論にせよ結局は其の現存在の認識の限界性を指し示したものである。

また佛陀の認識論にせよキリストの認識論にせよ結局は其の現存在の認識の限界性を指し示したものである。

 

つまるところは近現代に於ける認識の非限定性を擁護する理論はヘーゲル弁証法位のものだらう。

尚自分は常に其のヘーゲル弁証法に對する批判者です。

 

何とか是をやっつけたいとさう思って居るのでまた其のうちに考えが纏まったら其れを書こうかとも思う。

 

 

No- 9 弁証法の基本法則 - マルクス主義哲学講座 (y-ok.com)

史的唯物論 - マルクス主義哲学講座 (y-ok.com)

 

私には其のマルクス主義の前提となる「弁証法的発展」と云う概念其のものがそも理解出来ないのです。

上の方での下の方にも書かれて居ますが、「発展=進歩」は「変化=進化」とは違い前者は其れこそ非限定的な変化であり後者は限定的な変化です。

 

つまるところ後者は自然の内部での変化であり謂わば神佛の思し召しでのことですが前者は其の神佛を問題とせず要するに人的認識の範囲で現存在が良いと思った価値認識を只ひたすらに走り抜けると云った感じでせう。

だから其れはあくまで独りよがりと申しますか何かかう「怖いもの無し」での暴走と云う感じが何処までも付きまといます。

 

また其の「発展=進歩」とは加工の極でありまさに其の加工の巨大なる集積物其のものだ。

ですが對して「変化=進化」は事實上まるで加工などはして居りません。

 

 

其の面からも其れ即ち保守的な認識や思考とは「加工」しない立場を其処に表明して居る訳だ。

大體以上の如くに考え参拾五歳位から徐徐に我は其の保守思想へと転向して行くこととなった。

 

其れ迄はどちらかと言えば革命待望論者だったのだが参拾歳を過ぎてから自然に親しむうちにむしろ其の「加工」しない認識と云うものに深く魅力を感ずるやうになって行く。

 

まさにそんなさ中に出遭ったのが梅原日本學であり西田 幾多郎の哲學でした。

以降四拾代、五拾代とむしろ左翼批判の方に精を出して居りましたものです。

 

また壱度新瑞橋にて日本共産党の人人が街頭演説をして居たので手招きをして其のうちの壱人を呼び其れから20分位は共産主義批判をブチかましたりもまたして居たものだった。

でもって其の日本共産党の人が結構大人しかったので此処ぞとばかりにヤイヤイ申し立てまして其のうちに彼の応援までもが其処に駆けつけまして壱對多の状態にて論戦を繰り広げて居たのでありました。

 

まあ、ですが今は其の「無加工」の部分に拘るべきではない、なんとなれば現存在は元元加工人間なんだから、だがどうも其のヘーゲルの考えだけは納得出来ぬからコヤツを出来得ればやっつけてみたい。

と云うのがまさに今のわたくしの頭の中身です。

 

 

でもって其のヘーゲルの論敵だったショーペンハウアーがまた大好きと申すかほとんど愛して居りまして要するに我が座右の書とはまさに其のショーペンハウアーによる『存在と苦悩』です。

存在と苦悩 | アルトゥール ショーペンハウアー, Schopenhauer,Arthur, 誠也, 金森 |本 | 通販 | Amazon

其のショーペンハウアーはまさに西洋のカルトな哲學爺なのでよりにより「佛教」が好きなとんだ変態外人ですが實はキリスト教に對しても深く理解を示して居りました。

 

其れで結局は其れー認識論ーでもって世界は進んで参ります。

即ち其の認識に沿った価値観で持って國が維持され結局は個としてのあり方が其処に規定される。

 

で、価値観が違うと其れがまるで理解出来ない訳だ。

どだいバリバリの左翼👩に「良妻賢母」思想などをぶつければもうエライこととなりませう。

 

また🐶と🐵を壱緒にするともうエライこととなりませう。

さらに共産主義者高市 早苗を裸にして壱緒に風呂へ入れるとおそらくはどちらかが死ぬことになるのではないか。

 

また露西亜や中國の國是と米國の國是は全く相容れるところが無い。

要するに大対立状態だと云うことです。

 

ところが其のショーペンハウアーに於ける「表象としての盲目的な意志」の世界とは要するに認識論のあり方による世界への選択性を述べたものでありまたカントの認識論は認識に於けるコペルニクス的転換に就き述べたのだった。

なので重要なことはむしろ其の「認識」は「変えられる」訳です。

 

要するに価値観を實は変えられる。

まさに其の価値観を固定化せずフレキシブルな状態に保てば其の絶対的対立の罠から脱け出せるのではなからうか。

 

 

ー意志への奉仕に左右されることのない認識、すなわち世界の本質一般に

向けられた認識からは、鑑照(かんしょう)への美的要求が生じるか、

あるいは断念への理論的要求が生じるかのいずれかである。



※第四巻 意志としての世界の第二考察 第60節 P584
 ショーペンハウアー 「意志と表象としての世界」
 世界の名著〈続10〉 西尾幹二(編集) 中央公論社 1975年




ショーペンハウアーは、人間の苦しみの原因である無制限で盲目的な欲求から

逃れるための方途として、「イデア観照としての芸術体験」と

「意志の断念を思考する倫理的あるいは宗教的体験」であると指摘します。



イデア : Idea⇒真理・理念、プラトンの中核概念

観照 : かんしょう
 主観をまじえないで物事を冷静 に観察して、意味を明らかに知ること

七つの大罪(The Seven Deadly Sins and the Four Last Things)
  ①傲慢(高慢) ・ ②憤怒(激情) ・ ③嫉妬(羨望) ・ ④怠惰(堕落) ・
  ⑤強欲(貪欲) ・ ⑥暴食(大食) ・ ⑦色欲(肉欲)

苦しみに満ちている人間の生からの救済|ショーペンハウアー (moon-water.org)より

 

其の「イデア観照としての藝術體験」及び「意志の断念を思考する倫理的或は宗教的體験」だけを我はむしろ指向しつつ生きて来て居る。

 

 

カントの認識論 | Hitopedia

 

総合判断と分析判断|カント | Hitopedia

 

カント哲学|カントブッダ (kantbuddha.com)

 

其のカントの認識論もまた至極難解ですが壱番下のところは至極分かり易く書かれて居るので覘いてみる価値はあるかと思う。

 

さて其の西田哲學のことに関してはすでに昨年の師走にさう言えば書いて居りました。

まさに其のことをスッカリ忘れて居たのです。

 

しかも可成に入れ込んだ形にて書いて居ります。

 

なので其の眞面目さに敬意を表しつつ本日読み返し同時に文の変なところを直して置きました。

要するに其の昨年の師走の時点で我が頭の中には西田哲學のことだけが存在して居た訳だ。

 

他のことは何も無く其れだけなので其の折によくぞ生きて居られたものだとさうも思います。

 

 

『西田 幾多郎 無私の思想と日本人』を読んでー壱 我が學問の師としての佐伯 啓思先生のことー - 目覚めよ! (hatenablog.com)

 

 

「絶対矛盾的自己同壱」概念に就き考えるー壱 打たれ強い脱論理としての西田哲學ー - 目覚めよ! (hatenablog.com)

「絶対矛盾的自己同壱」概念に就き考えるー弐 罪深く且つ欲深い我我人間の實相とはー - 目覚めよ! (hatenablog.com)

「絶対矛盾的自己同壱」概念に就き考えるー参 西田 幾多郎による相対認識による分別智ー合理化ーへの批判ー - 目覚めよ! (hatenablog.com)

「絶対矛盾的自己同壱」概念に就き考えるー四 藝術と「純粋経験」ー - 目覚めよ! (hatenablog.com)

「絶対矛盾的自己同壱」概念に就き考えるー五 宗教的要求と哲學的希求の壱致ー - 目覚めよ! (hatenablog.com)

 

いやあー、凄かったー。

まるで大學の講義を直に聴いて居るかのやうでまさに勉強になった。

此の文の作者には何かかう「持ってるもの」があり如何にも頭が良いですねえ。

 

ーさても眞面目な話まさに此れぞ大作です。

其れも代表作だと言っても良い位である。ー

 

 

ヘエッ?其の自分の作文から御勉強するの?

 

自分の文と言っても大抵が壱週間程経った文はもう僕のものではありません。

いやあでも其れはオカシイぞ。

 

其れも作家の先生方や詩人の先生方はまさかそんなんでは無いぞよ。

だから僕はタダの凡人でありそんな作家でも詩人でも無いんです。

 

またヒネクレタことを言い始めたな。

まあ僕の場合は此のヒネクレタ裸の様を見せつけることこそが壱種の露出趣味としての愉しみなのだからして。

 

其の露出趣味は然しお前かのジャン=ジャック・ルソーみたいなもんだぞ。

さうかなあ。

 

でもジャン=ジャック・ルソー - Wikipediaは独學でもってあそこまで知性を磨いたところが凄い。

まあアレもまた知的変態の壱人ですが結構尊敬して居るのですぞ。

 

 

#哲學 カテゴリーの記事一覧 - 目覚めよ! (hatenablog.com)

 

また他にも幾らでもかうして出て来るぞよ!

但しまだ文を直して居ないので皆さんは全部を決して読んではイケません。

 

 

佛教とキリスト教の相違 - 目覚めよ! (hatenablog.com)

 

うーむ、コレなどもまた面白さうだ。

では早速読んでみやう。

 

いやあー、結構面白かった。

書き方にはあくまでアホが入れてあるが難しいことをさうバカバカしく表現して居る辺りは流石は宗教詩人による作文だ。

 

お前壱遍自分の文の読者になってみたらどうだ?

いやもうなってますよ。

 

其れも勉強になるのでほんたうに悪くは無いのです。

屹度此の作者は頭の良い方で其れも歴史上に名を残すやうな偉い詩人さんなのだらう。

 

 

おいこら、またまた自己崇拝が入ったぞ!

ーはっと我に返りー

まさに仰る通りです、どうもすみませんでした。

 

高校生の癖に煙草を吸いましたわたくしめは頭を丸坊主にして此の罪を償います。

また突然君は何を言ってるのだ?

 

いやだって今校長先生に呼び出しを食らい校長室でかうして謝って居るのです。

ところで其の時間を飛び越えるのだけは止めて呉れないか?

 

 

いや其のうちに場所もまた飛び越えてやるぞ。

もうみんなの頭の中をぐちゃぐちゃにしてやるからせいぜい其れを樂しみにして置きなさい。

 

君はダンダン悪役になって来たな、其れもかっての尾張藩の如くに…。

さうです、わたくしは今悪役として生きて行く決心をたった今したばかりなのだ。

 

ところでかの織田 信長は其の悪役だったのかい?

いえ信長公は潔癖症でもって至極眞面目な人でした。

 

逆に悪には徹し切れぬつまりは心の裏表の無い人だったのだとさう思う。

またつまりは悪役と云う意味では徳川家の方がより其れに相応しいかと…。

 

まあ其の悪と云うか屈折がある方が世の中は安定する訳だ。

だからこそ悪の自民党がかうして何時までも政権の座に居据わるのだな、ガックリ…。

 

ー同じやうにー

ガックリ…。

 

尚本日は肌寒い壱日だったがあくまで我に取り静かな良い壱日だった。

其れもこんな日がずっと続けば良いのにね。