目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

現存在に於ける相対認識の脱構築に就いてー詩人による其の草刈りに於ける脱構築の様ー

現存在に於ける相対認識の脱構築に就いてー詩人による其の草刈りに於ける脱構築の様ー

 

 

 

台湾有事なら「日本でも戦争」=自民・麻生氏 (msn.com)

「台湾でドンパチ。日本で戦争起きる」 麻生副総理が講演で言及 (msn.com)

 

🐊爺さん、そも言うてることがオカシイですよ。

 

 

香川照之さん、NHK番組は「今後の予定なし」 会長「あってはならないこと」 (msn.com)

 

何?其の昆虫すごいぜ!の放送予定がもう無い?

 

ちょっと待て、オンデマンドを確認してみやう。

つい先日視た「香川照之の昆虫ヤバいぜ!」だけはありましたので早速今夜視直して置きます。NHKオンデマンド | NHKスペシャル 「香川照之の昆虫“やばいぜ!”」 (nhk-ondemand.jp)

 

香川照之の昆虫”やばいぜ!”  - NHKスペシャル

 

香川照之の昆虫番組がヤバすぎと話題 環境問題を焦点に警鐘 (2019年8月2日) - エキサイトニュース (excite.co.jp)

香川照之、コスタリカの昆虫に大興奮!見ているだけで「お酒飲めちゃう」 | WEBザテレビジョン (thetv.jp)

 

 

「レクサス」販売店に大型トラック突っ込む、2週間前にも近くの中古車店にトレーラー (msn.com)

 

だから結局さう云うことになるでせう。

前前から僕が批判したものにはロクなことがありません。

 

眞面目な話我には所謂共時性シンクロニシティ - Wikipediaが強めに発現することが多い。

 

たとえば以前にナイアガラの滝のことをたまたま掲示板で取り上げたら其処から日本人女性が落ち亡くなったことがあった。【※閲覧注意】ナイアガラの滝に落ちて日本人死亡!!衝撃の内容とは・・・(※画像あり) | ページ 3 / 6 | Academic Box (academic-box.be)

 

また今回も香川 照之氏のカマキリ先生のことをことを書いた直後に香川氏の人生に取っての重要な転機が訪れた。

つまりは我とは直接関係無いことなのですがあくまで深いところでは何処か意味合いとして繋がって居るのである。

 

 

共時性 (synchronicity) (rinnsyou.com)

共時性(シンクロニシティ)について:意味ある偶然の一致/ユング/河合隼雄 - 「東京散歩」と「踏ん張り投資」 (katsuq.com)

「共時性」の不思議を科学する (j-phyco.com)

 

重要なことは其の共時性とは決してオカルトの類での話では無いと云うことです。

むしろユング心理學に於いては必然として起こり得ることでせう。

 

さうして不思議なこと、不可思議なことが此の世には必ずあります。

またむしろ廿世紀の人文科学ー心理學や哲學の領域ーは其の種の領域に就き理性として対決を挑んで行ったのだと言える。

 

其れも哲學に限ればニーチェの思想などから或は其れ以前にショーペンハウアーの思想などからむしろ其れが始まって行って居るのだと言える。

其の不思議なこと、不可思議なことはむしろ近代的な學問の対象範囲のことであり前近代的な非合理領域のものには非ず。

 

 

カール・グスタフ・ユング - Wikipedia

 

ユング心理学とは?ユングのタイプ論 (mental-coaching.jp)

 

其の心理學の是非は別としてあくまで哲學的には、

 

思考⇔感情

感覚⇔直観

意識⇔無意識

 

のやうに弐元分離したところでの諸要素が見かけ上での対立関係を形作るところこそが此の世界に於ける本質部です。

 

或はもっと砕けた言い方をすれば、

 

高級⇔低級

金持ち⇔貧乏

男⇔女

本物⇔偽物

 

のやうに弐項対立概念世界を形成するのが現存在の認識としての形式である。

 

なんですが🐕や🐈やまた🐵でさえさうした認識上の癖に捉われて居る訳では無い。

即ち認識上のニュータイプとしての現存在に於いて初めて其の認識上の形式が発現するのである。

 

問題は社會が未発達な時ー前近代的な時代ーは其の認識形式に大きく問題が生ずる訳では無いが近代的な意味での成熟した社會を形成するうちに其の弐項対立概念世界はまさに矛盾の坩堝に投げ込まれて仕舞うと云うことである。

例えば今や、

 

自然⇔文明

との弐項対立に於ける矛盾が最大限化して来て居ります。

 

其処でわたくしが考えて来たこととは、

其の対立関係に弐義的関係を設定することで対立其のものを脱構築して行くと云うことであった。

 

尚わたくしは時にイキナリかうして學者のやうなことを述べたりもまた致します。

つまりは學者並に考える力をわたくしは持ち合わせても居ります。

 

尚此の考えは所謂仏蘭西現代思想から盗み盗ったものなのでは無くあくまで壱東洋人としてのわたくしのオリジナルの考えとしてのものです。

ー尤も其れは結果的に所謂ポスト・モダン思想の流れに連なることとはならうがー

 

 

わたくしはかって哲學的且つ宗教的に生其れ自體に就き悩んだ挙句にまさに此の結論に到達致しました。

大體五拾歳位で其の考えの輪郭が出来還暦にてほぼ理論的に完成致しました。

 

其れはいつも述べて居るが如くに対立関係の中に相剋し且つ相即する部分を見且つ認めると云うことです。

 

即ちA⇔Bばかりでは無くむしろ半分位がA=Bなのです。

 

またA<B、B<Aなどと云うことでもありません。

其の優劣は基本的に人知にて決まるものでは無く其れこそ不可思議なる領域にて決定されるものでせう。

 

だからそも、

 

田舎<大都會などと云う壱義的価値観=進歩史観などは誤りです。

 

さて自然⇔文明との大命題に對しても、

自然⇔文明ばかりでは無くむしろ半分位は自然=文明で良いのです。

 

其のやうな関係性に於いてこそ現存在の認識及び行動を正して行かねばならない。

逆に申せば認識のあり方がそも誤って居るから世界が結局破壊へと導かれて仕舞う訳だ。

 

其のやうに須らく価値は弐義的に解釈されて行かねばならない。

また其れは全否定では無くむしろ二義的要素の全肯定です。

 

但し部分的には否定もまた含まれる。

否定即ち負の要素、負の領域にまで価値を拡張し価値構築ー脱構築的価値の構築ーを進めなければならない。

 

 

尚釈迦による思想やキリストによる思想は基本的に其の価値の脱構築での流れのものである。

尤も佛陀の場合は此の世での価値の完全なる否定ー完全なる脱構築ーでありキリストの場合は現世での価値を脱構築し価値構築の抽象的次元を上げ神の価値観へと至らしめる為のものだ。

 

言わば釈迦の思想の方がより完全ですが其の完全を目指す分人間が壊れて行くので其処にはもはやどんな愛も無いこととなる。

其の代わりに神の愛なるものを設定するのがキリスト教に於ける価値認識である。

 

尚此の世界には其れこそ問題が山積みであり其の種の現存在の持つ認識のあり方の問題は壱見直接的な問題では無いやうに見えて實は其れが根本での問題であり課題です。

何故なら我我が抱える仕事の上でのまた家庭の上での問題や課題はむしろ其の社會のあり方にこそ大きく規定されるものなのだから。

 

故にさうして社會ーの認識ーが誤って居る限りは現存在に取り本質的な幸福が訪れることは考え難い。

なのではあれ其の社會の価値観其れ自體を脱構築化して行く試み自體は常に個の範囲にて可能なことです。

 

わたくしが日頃述べて居る価値観とは全てが其の社會の価値観其れ自體を脱構築化して行く試みでのことだ。

其の脱構築化は壱見バカバカしいやうな価値に彩られて居るがむしろ其れは考え抜いてさう行われて居ることなのだ。

 

 

故にさうして翡翠と戯れたり筆記具を改造してみたりまた🌸を愛で其の香りに酔い痴れることなどもむしろ其の脱構築化の流れの中でのことである。

さて本日は午前中に草刈りを致しました。

 

其れも庭の草刈りなのでは無く家の門や生垣や車庫から歩道へと生え出た🌸の草刈りです。

門の横に以前に弟夫婦に伐られたムラサキシキブ - Bing imagesがまた大繁殖して居り其れを少しだけ伐る。

 

さらにピンク色の花が咲く雑草の類を刈り取る。ランタナの🌸- Bing images

 

ヒルザキツキミソウ – 春から夏に淡いピンクの花を昼に咲かせる月見草 | きたむらいふ (kitamulife.net)

またこんな感じの🌸も刈り取る。

 

紫 雑草 夏 - Bing images-危険なので此処のサイトには入らないで!-

🌸の名前が不明ながら此の紫の花が多く咲き乱れ余りに美しいので刈り取ることが出来ない。

 

 

汗だくになりつつ刈り取りの作業を終え道路側から庭を点検すると庭の壱番西側の芙蓉の🌸が眞っ盛りである。

白もあればまた赤もあるが、まさにこんな感じにて壱輪だけ特に美しく咲いて居たのがピンク色 芙蓉 - Bing imagesだった。

 

刈り取ったムラサキシキブを生け🌸として陶芸作家物のゴツイ大きな花瓶に活けてみた。

尚我が生け花はあくまで自己流だが何せ藝術は得意な分野なのでソコは自然と出来るのである。

 

尚其の草刈りもまた我に取り重要な社會的な価値を脱構築する試みの壱つである。

事實其れをして居る間は屡家の前を🚙が横切って行くがさうした自然と興じる作業をして居る限り其の🚙が何か邪魔なもの、余計なものに感ぜられてならぬ。

 

 

正直🚙なんぞは無い方が文明にとっては絶対に良いだらう筈だ。

文明はさうした面を根本的に脱構築せぬ限りは此の現在進行形である自然破壊への負のスパイラルからは決して脱け出せぬ筈だらう。

 

自称の詩人はさうして翡翠標本を噛んだり其れと寝たりもして全く馬鹿をやって居るやうにしか周りには見えぬことだらうがかうして常に文明と直に対峙し愛すべきものだけを選んで暮らして来て居る。

無論のこと其の雑草としての🌸🌸こそが其の愛すべきものなのだが只周りがウルサイのでかうして其れ等を刈り取るより他は無い。

 

逆に文明世界の方こそが刈り取らねばならぬと云うのにまさに因果なものよのう。

そんな訳で本日もまた🌸🌸を愛で翡翠標本と戯れ、且つ🐈のエサの世話をしつつゆるりと過ごした壱日であったとさ。