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文明批判と心の探求と

『サロメ』に見る女の性としての魔性ー+ギュスターヴ・モローによる「サロメ」の絵画ー

サロメ』に見る女の性としての魔性ー+ギュスターヴ・モローによる「サロメ」の絵画ー

 

 

 

 

出現  ギュスターヴ・モロー 1876

 

 

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「ワキ嗅ぎ乳揉み」香川照之が壮絶セクハラで巨額違約金の危機。“大和田常務”の姿で再び土下座か? - ページ 2 / 3 - まぐまぐニュース! (mag2.com)

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かうしてカマキリ先生は結局「色好み」でもまたあるやうだ。

 

尚男性の放蕩は大抵の場合「飲む、打つ、買うとさらに権威、権力志向」の要素のドレかであらう。

其れも元気の良い🚹の場合には。

 

逆に藝術家気取りにてまるで元気の出ない「意識が高過ぎる」系の🚹は、

「世間か又は他をー批判する、否定する、バカにするー相手にせずー。」

 

と云うこととなり易い。

まあ我も結局はさうなのだが。

 

だがカマキリ先生がこんなことでは「昆虫すごいぜ」が続けられなくなりおまけに大TOYOTAのCMにも出られなくなる。

全く困ったものよのう、其の♂の欲望の方もまた。

 

 

政治家個人より「党」が悪い。自民と統一教会が“組織的関係”であるこれだけの証拠 - まぐまぐニュース! (mag2.com)

政治家個人より「党」が悪い。自民と統一教会が“組織的関係”であるこれだけの証拠 - ページ 3 / 4 - まぐまぐニュース! (mag2.com)

 

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旧統一教会の闇が暴かれるほど山上容疑者に同情が集まり…拘置所に相次ぐ「現金」差し入れ (msn.com)

 

左様に党が悪い。

つまりは組織が悪い、社會のあり方其のものが悪いのである。

 

 

FKの甥がはじめて明かす…安倍元首相銃撃事件がケネディ一族に与えた「衝撃」 特攻隊員を取材して気づいたこと (msn.com)

 

其のジョン・F・ケネディ大統領の甥である作家、マクスウェル・テイラー・ケネディ氏(57歳)もまた「組織の指導者が悪い」とさう述べられて居る。

 

個人的にはまさに其の考えこそが大正解なのだと思う。

文明は結局其のヒエラルキー社會に於ける矛盾構造にて崩壊に至るのである。

 

故に逆に組織からは意図的に離れて行くべきだ。

さて其のヒエラルキー社會は共産主義にせよ抜け切れぬものでよって現存在は結局組織中では搾取構造を取らざるを得なくなり其れが近代に於いて最大限化されたのが自然への搾取過程である。

 

よって現存在により建設される社會はむしろ其の社會的矛盾により壊れて行くのである。

「平等」と云う価値はまさに其の意味で大事なものとなる。

 

つまりは其の「特権層による搾取により威張りを成立させる社會のヒエラルキー構造」こそが破壊の元凶であり且つ不平等としての温床である。

よって其の特権意識を剥奪し革命せんとする試みが悪いとはまるで言えぬのだ。

 

 

 

ー1878年、長詩『ラヴェンナ』を刊行し、オックスフォード大学を首席で卒業。特にギリシア語に優れていた。

 

1895年(41歳)、息子を気遣う第9代クイーンズベリー侯爵ジョン・ダグラスと告訴を応酬して敗け、卑猥行為をとがめられて投獄され、さらに破産を宣告された。そして翌年母も亡くなった。

 

1900年初夏までさすらってパリ6区のホテル『L'Hôtel』に泊り、梅毒による脳髄膜炎で亡くなった、46歳。ワイルドの葬儀は、ロスやダグラスのほか数人だけの淋しい葬儀であった。ーオスカー・ワイルド - Wikipediaより

 

オスカー・ワイルド - Wikipedia

 

さうしてワイルドは確かにおかしかったが其れは天才故にオカシイのであり其れはみんなが普通にオカシイー社會に洗脳されてもまるで気にならないーのとはむしろ逆方向でのオカシさなのだ。

 

 

サロメ (戯曲) - Wikipedia

 

「耽美主義」の極致はワイルド『サロメ』である【あらすじ・感想】 (moriishi.com)

 

さてワイルドの代表作と言えばまさに其の『サロメ』であらう。

 

だが我は正直『サロメ』には興味が無くまた読んでも居ない。

我は其のドロドロした人間の愛憎劇のやうなものが基本的に好きでは無いのである。

 

サロメ〜絵画の中の女性たち | HolisticStyleBook (h-stylebook.com)

 

でも今回調べてみたところ、其のサロメが口づけをした生首とは洗礼者ヨハネの首であったことを知り愕然とした。

つまりは新約聖書中の話が元話なのだ。

 

 

ヨルダン川河畔の荒野で、神の国が近づいたことを人びとに伝え、悔い改めるよう迫り、罪のゆるしに至る洗礼を授けていた。

 

ヨハネは、ユダヤ人でさえも罪の汚れによって神の民と呼ばれる権利を失ってしまっていると考え、洗礼は悔い改めた者に対する神の赦しの確証と、新しいイスラエルの一員として受け入れられた確証とを意味する預言的しるしとしたのである。[1]

西暦28年ころ、ナザレのイエスも彼の洗礼を受けた。

 

なお、ヨハネが求めた「悔い改め」とは道徳的な改心ではなく、むしろ従来の当時のユダヤにおける人間の生活上の価値基準を180度転換すること、すなわち文字通りの「回心」であった。ヨハネは、ファリサイ派など当時のユダヤ教の主流派が、過去において律法を守って倫理的な生活を送ってきたことを誇り、それを基準として律法を守らない人びと、あるいは貧困などによって守りたくても守ることのできない人びとを、穢らわしいものとして差別し、蔑む心のありようをと考えた[2]

 

「谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くなる。曲がった道はまっすぐに、でこぼの道は平らになり」と二重の並行句によって、イエスの先駆者としてその道を整えるヨハネの使命が示され、社会的不均衡の是正が示唆されている。ー洗礼者ヨハネ - Wikipediaより

 

 

さてイエス・キリストの生涯を描く映画やドキュメンタリー作品に接して居ると其のナザレのイエスに對しヨルダン川にて洗礼を施した洗礼者ヨハネと云う宗教家が必ずと言って良い程登場する。

其れでもって其のヨハネは救世主かと言えばさうでは無くあくまでイエスの方が救世主なのださうだ。

 

要するに其の洗礼者ヨハネは先駆的な宗教改革者だったのであり其の思想を受け継ぐイエスの方が其の宗教改革を成し遂げた教祖と云うことになる。

上にも書かれて居るやうにヨハネ+イエスは当時のユダヤ社會に於ける価値観のコペルニクス的転換を説いた宗教改革者であり宗教革命家であった。

 

だから彼等は当時の宗教的権威を悉く否定し謂わば其の逆の価値観ばかりを説き続けて行ったのだった。

つまりは其の間違った秩序が生み出すところでの背徳や社會的不均衡との闘争者であり是正者なのである。

 

尚お釈迦様の方も全く同じやうなもので当時のバラモン教を大批判し其の価値観を百八十度変えよと説かれた宗教改革者であり宗教革命家であった。

其処からしても宗教とはむしろ社會的な営為である。

 

 

こんな社會ー価値観ーではダメだから変えよとさう述べたのが釈迦でありキリストであった訳で其の部分は然し忘れない方が良いのではないか。

 

さう彼等は全然社會が良いなどとは述べて居ないのであるから。

むしろこんな社會は全部間違ってるぞとさうハッキリ述べたのがさうして釈迦でありキリストであった訳だ。

 

 

其の『サロメ』の方の話に戻れば女の邪な愛憎劇から洗礼者ヨハネは首を切り落とされるのだから酷い話であり要するに「👩の馬鹿さ加減=物事を論理的に考えぬ本能的利己的自我」のやうなものが其処には怪しいばかりの光を放ち其処に描き込まれて居る。

 

其の訳の分からぬ女の情念の如きものに翻弄され破滅させられるのはむしろ超眞面目な洗礼者ヨハネだった訳だ。

 

左様に『サロメ』はまた明らかに「女の魔性」を書き描いた作品である。

尚女とは弐面者であり其れも決まって振幅の激しい利己愛の保持者なので眞面目な男性諸氏は是非気を付けるべきである。

 

かうして藝術は其の「女の魔性」の如きものに関しても屡言及を重ねて来て居る。

また其れは洋の東西を問わずにさうして語り継がれて来たものでもある。

 

 

尚リンクのところにはギュスターヴ・モローの絵画が載せられても居た。

 

ー19世紀のロマン主義文学の題材として好まれ、絵画でも多く取り上げられるようになった「男性を破滅させる魔性性をもつ女性」のことを」ファム・ファタルと呼びます。

真っ先に浮かぶのは、アダムの妻のイヴで、禁断の果実の実を食べるだけでなくアダムにも進めることで、人類の運命をも変えてしまいます。ーギュスターヴ・モロー 出現 | 旅と美術館 (tabitobijutsukan.com)より

 

其の魔性性はおそらくは全ての👩乃至は♀の中にしかとある。

まさに其れは根源的暗愚とでも言うべき生への執着、生存への信仰の如きものから齎されて居ることであらう。

 

まあショーペンハウアー流に言えば「生への盲目的な意志」に對し刺し貫かれて居る訳だ。

さて其のイヴには生其のものへの欲望がデカくありよってかうしてやってはイカンことを仕出かして仕舞う。

 

 

すると👩=👿ですか?

半分は其れでもって正解だ。

 

但し場合により👩は聖母でもあり得る。

故に、

👿⇔聖母様

 

との弐面性のことだらう。

 

尚御釈迦様による初期の🚺批判には其れは其れは手厳しいものがありましたものです。

「👩は絶対に成佛などは出来ん」

とさう仰られて居て、だからなのか昔は多くの寺が女人禁制だったのでした。

 

ギュスターヴ・モローの『出現』を解説~サロメの絵画・あらすじ | 日本のルーブル美術館を目指すサイト (gemeinwohl.jp)

 

尚我が穿った見方を其処にあえてするのだとすれば、其の「👩の欲望」にあくまで「聖なる者」としての洗礼者ヨハネの首が捧げられて仕舞うことへの理不尽さと云う部分が少しく気になる点です。

「👩の欲望」=盲目的なる子宮思考と云うものは結局「聖なる何か」よりも強いのだとすると其れぞまさに最強の意志だと云うこととなる。

 

實際に釈迦であれキリストであれまたどんな宗祖、教祖様であれ皆女から生まれて居ります。

だから其の最強の生命とは汝等女に他ならぬものである。

 

との考えを以前よりわたくしは持つ訳だ。

 

逆に🚹は半分位は死んで生きて居るので其処に眞の意味での悪魔性を有して居るのでは無い。

要するに🚹の方が心性的、霊性的によりタチが悪いのだとは言えやう。

 

だけれども命の母とは例外無く其れは🚺である。

ではあるが、余りソコには拘らずにまずは釈迦やキリストによる社會批判のあり方からこそ我我🚹は學ぶべきなのではないでせうか。

 

またショーペンハウアーの理性的な🚺批判から學ぶべきなのではないか。

 

 

さて、アンサイクロペディアと云う場があり其処にて検索してみたところ面白いことーふざけては居るがーが書かれて居たので以下に貼り付けて置きます。

 

オスカー・ワイルド - アンサイクロペディア (uncyclopedia.info)

 

 

オスカー・ワイルドにせよギュスターヴ・モローにせよつまりは世紀末を生きた藝術家だった訳だ。

其の世紀末藝術こそが退廃と破滅の香りを振り撒くものだった訳ですが其の退廃と破滅の香りを振り撒き続ける者こそが悪で體制の側にキチッと嵌った者が善かと言えば其れは必ずしもさうでは無い。

 

むしろワイルドの如きまたモローの如き表現の高みの上では其の形式性の上に胡坐をかき続けるであらう美への反発者ー體制の維持者ーこそが犯罪者であり悪の権化ですらある。

翻り我が國にもまた無頼を奉じて生きた文學者がかっては居たものでした。

 

また我が注視して来たのはむしろそんな徹底した藝術家だったのだと言える。

其れも中途半端では無く此の世の偽善性や欺瞞と闘い揚句には生の無慈悲さに負けて死んで行った作家であり詩人であり画家達のことだ。

 

世紀末藝術とはさうした世の流れへの壱つの巨大な反抗の足跡だったのではあるまいか。

其の耽美的でしかも破滅的な美への殉教の流れの中に其の批判精神こそがまさに滔々と流れて居るかの如く感ぜられる。

 

 

幸福な王子 - アンサイクロペディア (uncyclopedia.info)

 

もしも此の話が本当の話だとすれば其れは恐るべき實話です。

ネット上で調べてもみたが事の眞偽はまるで分からず。

 

但し文學表現のあり方としてはあくまで此れが事實に基づく話であるかどうかはまた別の話である。

かのワイルドはあくまで人助けに就き述べたかったのであり何故其れを述べたのかと云うにかうして社會が矛盾に満ちて居て搾取が酷いが故に是非其れに就き述べなくてはならなかったからなのです。

 

 

かくして藝術とは美の本質の部分をまさぐる作業其のもののことだ。

故に世間が藝術だと考えるものを逆に「其は藝術には非ず」と述べることなどもまた是非必要となることだらう。

 

 

ヘロデ王の前で踊るサロメ ギュスターヴ・モロー 1876