目覚めよ!

文明批判と心の探求と

NHKオンデマンド | こころの時代~宗教・人生~ アーカイブ 「“ノアの箱舟”をつくる人」 (nhk-ondemand.jp)

 

ところでこちらは現存在のあり方の矛盾を學ぶが為に至極為になる話が語られる番組である。

此の方は所謂壱般的な意味での「意識が高い系」の方でありよって壱般人に取っては何かと為になる認識を披歴されても居るので其処がまさに良い番組である。

 

個人的にはかって此の番組を弐度視、今回で参度目の視聴となったが何故さうして此の番組を何度も視たかと云うに其処にヤーコプ・フォン・ユクスキュル - Wikipediaの環世界への言及があるが為である。

 

 

ユクスキュルの生物から見た世界とは。具体例で簡単に分かりやすく解説、要約する。 | コテンto名著 (kotento.com)

 

我もまた此処にて何度も述べたやうに人間の認識にはそも癖がありまた其れが余計な抽象性を帯びる場合には自ずと自然界に於ける認識とは乖離して行って仕舞うと云うことが此処にも述べられて居る。

 

結論的に我我現存在に於ける固有の認識はむしろ自然界からは切り離された妄想的自我である可能性が高くあるものと個人的には考える。

尤も地球の生物はまた皆違う認識世界を生きるが其れとはまた質的に違う認識世界を勝手に創り上げむしろ其処をのみ生きるのが現存在としてのあり方である。

 

また其の生の目的や意味、また平和だ愛だ救済だと云う概念的価値は壱見正しい認識のやうに見えてあくまで其れ等は抽象度の高い価値なのである。

抽象度の高い価値は例えば、

本能⇔理性

との弐項対立をもまた生み出して仕舞う訳だ。

 

其の本能こそがまさに自然界を規定する価値だが現存在には其れをのみ生きることは出来ない。

何故なら現存在は生物種の謂わばニュータイプであり其の本能と対置される理性をも常に生きねばならぬからなのだ。

 

では理性が悪いのかと言えば逆に現存在は理性的にこそ生きるべく運命を担わされし生物なのである。

但し其の理性の使い方を壱歩誤ると嗚呼まさに奈落の底へと落ちて行くことだらうそんな壱種の危うさをも抱えた存在なのだ。

 

 

ーみずからにこの事実をしっかり突きつけてみてはじめてわれわれは、われわれの世界にも一人一人を包みこんでいるシャボン玉があることを認識する。そうすると、わが隣人もみなシャボン玉に包まれているのが見えてくるだろう。それらのシャボン玉は主観的な知覚記号から作られているのだから、何の摩擦もなく接しあっている。主体から独立した空間というものはけっしてない。それにもかかわらず、すべてを包括する世界空間というフィクションにこだわるとすれば、それはただこの言い古された 譬え話を使ったほうが互いに話が通じやすいからにほかならない。ー客観的世界の崩落~ユクスキュル『生物から見た世界』|ばる|専業読書家(人文学)|noteより

 

元より其の認識は主體的主観的なものであるより他は無い。

但し客體的客観的領域は無いかと言えば我は以下の如くに考える。

 

主體ー主観ー⇔客體ー客観ー

つまりは其の弐元的相互作用なので其れ其れは別箇に規定し得ない。

但し人間の場合は新生物なので、


主體ー主観ー<客體ー客観ー

となり、

対して自然界の場合には逆に、


客體ー客観ー主體ー主観ー

となるのである。

 

またつまりは其の客體ー客観ー領域の拡大こそが人間の陥った認識上の過ちの部分=抽象領域の拡大なのである。

要するに其れは自然科学其のものが客体視に拘り過ぎて居ると云うことになる。

 

だが其れは哲學的に捉えるとさうならざるを得ぬと云うことであり故に自然科学を全否定するに至ると云う考え方なのでは無い。

其れはそも、

人文科学⇔自然科学

なのであり、


人文科学<自然科学

と今はなりつつあるのでむしろ、

自然科学<人文科学

となった方が間違い無く世の中は落ち着き其の進歩主義の暴走も止まるのである。

 

ところが、地球環境が今破壊されつつあるので、結局は

人文科学<自然科学

との形にてむしろ地球温暖化を抑えたり生物種の絶滅を防いだり或は所謂火星への移住などをやらざるを得ぬところに我我現存在は追い込まれて来て居る。

 

と云うこれまたややこしい現實に直面して居ると云うのが現存在と及びそいつらが築いた現行の文明の偽らざる姿なのだ。

だから何かしら誰しもが科学アレルギーのやうなものはあるにせよ現存在はむしろ科学的に其れを何とかして行くしか手が無いのである。

 

だからそんなもんは幾ら神やまた佛に願い奉ったところであくまで客観的にはまるで救われぬ物理的現實の様だ。

なんですが人文の徒は其れでも救われやうと頑張る訳で元より其の努力は間違ってなどは居ない訳だ。

 

だけれどもさうして現存在が心理的に宗教にて救われるのと廿壱世紀の今地球に突き付けられし大破壊の阻止の話とはまさに別次元での御話なのだ。

無論のこと壱番ヤバい話なのは其の物理的な破壊の方の話である。

何故なら宗教は眞理として個としての認識を救うものだが地球の物理的な破壊を止めるものでは畢竟無いのである。

じゃあ後は自然科学がやれるかどうかだけなのだがまた其れが厄介なことに自然科学には魂の気付きのやうなものが元元欠けて居るので今に至ってもさうして進歩主義壱本槍なのだ。

 

だから其の盲目的進歩を止めつまりは進歩の方向性を変え地球を守らんが為の自然科学であり科学技術へと変身しなければ少なくとも此の地球にさらに現行文明にもはや未来は無い。