強く夏休みを感じた今週+結果安倍が死んで呉れた、どうも有難う。
安倍元首相、銃撃され死亡 奈良で街頭演説中 (msn.com)
安倍氏銃撃、米でもショック広がる=国務長官「悲しく、心配」―トランプ氏「真の友人」 (msn.com)
まずは安倍氏が亡くなられたことに対し心よりお悔やみ申し上げます。
ですが其れと日本の政治が此れ迄どのやうに安倍氏により展開されて来たかと云うことはまた別の話です。
まずは岸田氏の目指すところでの理性的な政策に取り悪影響を及ぼすであらう抵抗勢力の壱角が崩れ去ったことに対し「御目出たう御座ります」とさう申し上げておきたい。
よって後は岸田が其の新しき資本主義をやれるかどうかだけです。
やれたら日本は沈没せずとも済み其れともやれなんだら確實に日本は沈没します。
岸田は日本の最高學府としての早稲田大學を出て居るので流石に頭の出来が違う。
されどデカい派閥のドーブツジジイ共が威張って岸田の政策に反対するので其れが出来なくなる訳です。
が、今日其の最大派閥のトップの安倍が死んで呉れました。
其れを喜ばずして壱體何を喜べと云うのでせう。
🐕!
🐶!
此の際早う特攻せよ。
岸田、もうやりたい放題にやらう。
だが岸田がやれなんだらもはや自民党は終わりである。
岸田、もう自民党其れ自體を革命したれ!!
そんな訳で暫くの間我は岸田総理を是非応援させて頂きます。
名古屋駅前の無断“野菜畑” 野菜が突然消え“更地”に… 河村市長は… (msn.com)
偉い、河村ナゴヤ市長はさうして名古屋駅前に野菜畑を是非作りたいのだ!
ええい、もう此の際尾張ナゴヤを全部野菜まみれにでもしたったらどうだ?
だから其れがトウキョウやオオサカには無い環境を大事にする大都市ナゴヤ独自の視点であらう。
尚河村ナゴヤ市長とは相生山のホタル観賞にて壱度行き違いになったことがあった。ー拾年程前に市長が帰った直後に我がさうして相生山へ入って居るー
でもって講演会のやうなものにも弐度程出むいたこともまたあった。
河村ナゴヤ市長はかうして癖が強く見えて案外悪い人ではないのやもしれぬ。
ちなみに此の方、元元はスッゴイインテリの方である。河村たかし - Wikipedia
けれども世の中に出てからは次第に世俗化つまりは下品化して行ったのやもしれぬ。
さて我に取り今相生山は只の山では無い。
相生山はまさに我が生活圏であり主に良い方での影響ー生きる上での歓びーを与えて呉れる場其のものなのだ。
ヒメボタル「最後の楽園」を守るか、否か?ー問われる名古屋の「持続可能な開発」と「生物多様性」(志葉玲) - 個人 - Yahoo!ニュース
其の相生山に関しては此のことが前前から大きな問題となって居た。
要するに都会としての便利さの方を取るか其れとも自然環境の保全が大事なのかと云うまさに文明規模での問題がまさに此処に突き付けられて居る。
ー弥富相生山線は昭和32年に渋滞の解消や生活道路への車の流入を防ぐために建設が計画された。この道路は相生山緑地という広大な緑地帯の中央部を通過する形で計画され、平成5年9月から工事が開始された。
しかしながら、建設当初から相生山緑地に生息するホタルなどの生態系への影響が危ぶまれており、名古屋市長である河村市長の指示により平成22年に工事が中断された。
そして、科学的な検証などを進めた結果、平成26年に同市長は弥富相生山線の道路事業の中止を正式に発表した。この発表によって弥富相生山線が一般的な市道として運用される未来は断たれたことになる。
同市長は弥富相生山線を公園として整備するという考えを示している。ー名古屋に眠る未成道「弥富相生山線」|富岡那恵|noteより
相 生 山 緑 地 の 道 路 建 設 に か か わ る 要 望 書
弥富相生山線の道路事業廃止及び相生山緑地の計画に関する説明会を受けての意見書
かうした要望書や意見書の類が屡名古屋市長や市政側に対し提出されて来たやうだ。
道路が途切れて崖のようになったまま…市長が事業廃止を表明した道路の建設計画 地元が完成求め署名提出 | 東海テレビNEWS (tokai-tv.com)
ところがかうして早う道路を造れと云う奴等もまた居る訳なのである。
名古屋市:都市計画道路 3・4・79号 弥富相生山線(市政情報) (city.nagoya.jp)
とのことで結局のところ道路建設工事は中断された侭であるが其れこそ市長が変わりでもまたすれば強引に道路建設の運びとなる可能性が無いでも無い。
されど我はまず思うのだけれど、そも相生山の自然を壊してまでも何故都會の人間はさらなる便利さの方を求めて仕舞うのだらうか。
個人的には過剰な便利さをむしろ拒否して行くことこそがまさに理性的な意見の選択だと思います。
其処は要するに左的な考えではあるが實は右の立場から考えたにせよ将來大きなリスクを子孫に負わせることなど決して許されはしない筈だ。
日本の保守派はまず其のことを第壱義的に考えて置くべきなのでありさもなければ其れは「今の國力」に拘るだけの自民党による似非保守派としての政策と何ら変わりの無いこととなって仕舞う訳だ。
いいですか、だからまずは保守派としてのアナタが壱體何を守るのだ?と云う御話です。
其れでもって其れが「今と云う便利な體制」を守るだけなのであればもはや其処には持続可能性などは無いのです。
で、保守の壱番悪いところが其の「頭が悪い」ところです。
ですが其れでは自民党の馬鹿幹部共=悪代官の群れとまるで同じことになって仕舞う。
だから頭の良い保守と云うものは、ズバリほぼアナキストです。
アナキストは所謂極左に分類されませうが其ればかりでは無く「守る」意識が最も高くある政治思想なのでもまたある。
ちなみにアナキストとテロリストは似ては居つつもまるで違うものです。
で、兎に角河村名古屋市長ですが、個人的には〇だと思って居ます。
特に道路建設工事を中断された功績は大きい。
河村名古屋市長は何せヒメホタルを観に夜相生山へ行った位な人なので悪人では無い。
ですがまさか僕程の理性を持ち合わせて居るとはまるで思えません。
そんな僕から言わせれば其の道路建設工事廃止後の緑地基本計画ですが、無論のこと其れもまた要りません。
要するにそんな公園だのキャンプ場など要る筈がありません。
つまるところは今の侭で良いのです。
今の侭で充分に相生山は市民の憩いの場であり癒しの場となって居る。
要するにもう何もやるな、引っ込んでろ、だ。
文明の壱番ダメな部分はさうして「何でもやりたがる」点です。
ですが其の「何でもやりたがる」点の集積こそが今地球其れ自體を破壊し尽くすことに繋がって居る。
よって文明ひいては人類は今「あえてやらぬこと」を學ばねばならない。
其の「あえてやらぬこと」こそが未来を守りひいては人類其のものを守ることにさえ繋がる。
其のことが馬鹿には何も分かってません。
正直人類には馬鹿が多いので其のことがまるで見えて来やしないのです。
ですから、保守派は馬鹿では勤まりません。
馬鹿はもう死んでも馬鹿ですから其のお化けもまた馬鹿であるに過ぎぬ。
対してお利口な人間の頭はたとえ死んでもお利口なのだ。
ソコの違いをこそまずは考えてみて下され。
全くのところ此の世には其の馬鹿が多くて困る。
馬鹿は何処までも馬鹿でよって何遍生き直してもヤッパリ同じことなのだ。
ではお利口な人は果たして今何を考えて居るのでせう?
其れは主義主張の話である以前に人間の生自體に対し抑制的でありむしろ極めて地味なことを考えて居るのです。
ですが世間での価値観は其れをむしろ消極性としか捉えて居ない訳だ。
ですが其れこそがバカの壱つ覚えでの価値観のことだ。
勿論さうでは無く此の世の価値は其の両面を見詰めて行くべきだ。
よって其の馬鹿と云うのは物の見方が壱義的になって仕舞うことを言い、対する正しい物の見方とは両義的な認識をあえてしむしろ其処から最適解へと導くことをこそ言う。
言葉では簡単にかうも申せますが世の中のほぼ八割方の人人が其の種の複雑な認識が出来ぬのです。
よって凝り固まった政治的信条だの宗教的信仰だのをひけらかし其れ以外の考えは誤って居るとさう判断するのが並の認識だと云うことです。
ですが實はお利口な人人は其処をこそ乗り越えて行くのです。
と申しましてもほんたうにほぼ其の両義的認識は並の人間にはまず不可能です。
さうして馬鹿と利口の違いはまさに其の両義的認識が可能となるかどうかと云う部分にこそ存する。
さて其の相生山の横の歯科での治療も壱段落しよってまた秋から通うこととなり嬉しいやうな寂しいやうなそんな気分である。
水曜日には相生山へ採集にも行った。
股関節の具合は良くは無いが動かぬと余計に悪くなる。
山道は壱般の人に取っては平坦な道路よりも歩きにくく感ぜられるのやもしれぬがあくまで我に取っては、
1.舗装道路其のものが硬いのですぐに足が痛くなる
2.周りに車や人が居ること其れ自體が鬱陶しい
3.兎に角妙に暑い
との理由から其の平坦な舗装道路は嫌いであり例え山登りや山下りがあったにせよそちらの方がむしろ樂である。
されど此の時期の山は兎に角大変である。
4.虫が多く其れ等がたかって来ること
5.山にせよ夏場は暑い
である訳なので此処拾年ばかりは夏場には山へは行かぬのだが、今年は梅雨が早く来て5、6月の辺りにほとんど採集が出来なかったので其の股関節のリハビリも兼ねて相生山へ行ってみた。
其処では意外なことにまずは木陰での涼しさが印象的だった。
街中でも街路樹の陰に憩うことがまた出来るものだが無論のこと其れよりはもっと涼しい。
其れと7月の前半の山はまだ自然が夏の激しい炎熱に負けては居らず緑の具合などが概して良いのである。
其れと空の色などもまた綺麗なのだ。
結構良い石英が落ちて居るので其れを拾う。
月曜日に豪雨があったのでまだ石が濡れて居りどんな石かと云うことがいつも以上に良く分かる。
また豪雨や台風の後には良い石が地面から地表へと穿り出され出て居ることなどが多いものだ。
相生山には市の中心部が見渡せる展望台のやうなところがあり其処から家の近辺や金山の辺りとまた名古屋駅の高層ビル群などがしかと見えた。
木曜日はまた歯医者へ行く為に相生山へ行く。
拾番の坂を登ると余りに暑く大変なのだがー百五拾米位の急勾配の坂道ー其処でもまさに森全體が木陰を作って居り其処にて涼むことは出来る。
されど歯医者へと至る弐百五拾米程の坂道は其処は単なる市道の歩道部分なのでなかなか涼めはしない。
其れでも街路樹があるので其れだけでもまた違うものだ。
そんな訳で歯医者へ行くこと自體が良い運動となることである。
採集の帰りに天白川のサイクリングコースへ下りると沢山の水筒が置いてありイザ川を見ると弐拾人位の小学生が教師に引率され川で泳いで居た。
先生は男女弐人居たがアレはひとつ間違うと子供が死ぬ可能性もあるプレッシャーの強い仕事である。
幸い男性教諭の方がムキムキマンの人だったので良かったが其れが我みたいな文化人だったりすると大抵は壱人位子を溺れさせて仕舞うのではないかしら。
我我が子供の頃天白川はむしろ今よりも汚かったのだが其れでも今程臭い川では無くよって見た目だけは良くはなったが矢張り天白川は臭い川なのだ。
そんなところでさうして小学生がよく泳いで居るものだ。
さらに天白川の土手からは母校中根小学校のプールが見え其処に小学生参拾名程が水泳の授業を受けて居る最中だった。
かうして夏は矢張り山と川と海である。
夏とは結局其の夏休みの思い出だけなのである。
勿論わたくしの夏休みはまた今でもかうして現在進行形である。
さう云う意味で夏休みだと感ぜられること自體が其の人に取ってのまさに夏休みなのである。