目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

認識上の本能寺の変ーそんな「眞面目さゆえの悲劇」に就いてー

71.認識上の本能寺の変ーそんな「眞面目さゆえの悲劇」に就いてー

 

 

 

 

「生活安全保障3本柱」泉代表が発表 - 立憲民主党 (cdp-japan.jp)

 

其の立憲民主党の論理ではないが確かに國民の生活其れ自體が壊れては日本の體制の維持もクソもまた無いのではないか。

 

日銀、物価高と円安の「二重苦」鮮明 - 産経ニュース (sankei.com)

消費者物価2%超上昇 日銀は「弊害」を直視せよ | 経済 | 論説 | 福井新聞ONLINE (fukuishimbun.co.jp)

<社説>物価高と日銀 2%目標から脱却急げ :北海道新聞 どうしん電子版 (hokkaido-np.co.jp)

物価高でも消費に意欲? 驚きの日銀調査への期待と不安: 日本経済新聞 (nikkei.com)

 

其処でもって新聞各社もまた何が果たして敵なのか?と云う部分をかうして明確に示して来て居る。

要するに政府の子會社化して居る其の日銀こそがむしろ元凶なのである。

 

だけれども普通みんなは「日銀こそは日本の経済を守らんが為の組織」であるとさう思って来て居る。

でも果たして其れは本当なのか?

 

いやでも確かに日銀はまた政府は日本を守らうとしては居るのだらう。

でも其れはあくまでさうした観念としての日本の國力でありよもや具體化された上での國民の生活の方では無い。

 

 

ー超低金利国債の大量買い入れが国家財政の借金頼みを許すなど、元首相をして「日銀は政府の子会社」とまで言わしめた。結果、日本経済の体質改善を先送りさせ、足元での記録的な円安を招いたのは事実だろう。日銀のかじ取りは一段と難しく景気への影響に細心の注意を払いつつ、行き過ぎた金融緩和の「弊害」を今こそ直視すべきだ。ー消費者物価2%超上昇 日銀は「弊害」を直視せよ | 経済 | 論説 | 福井新聞ONLINE (fukuishimbun.co.jp)より

 

此の馬鹿組織がさうして事實上ドンドン物価を上げることに貢献し、でも往々にして馬鹿程金持ちなのであくまで自分等は食い物が例え弐倍の値にならうがエンゲル係数は上がらぬやうな儲けが何処かに確保されて居るのである。

でもってもうこんな物価高にて餓死寸前となり或は精神的に追い詰められこれから首を括ろうかと思って居る日本國民がおそらくはすでに百萬人単位で居ることだらう。

 

だからもう死ぬ位ならいっそ革命でもやったれ!

まずはさうして自民党及び日銀を叩かねば我我の生存権はもはや回復出来ぬことだらう。

 

いいですか、兎に角問題は其の救済其れ自體の抽象化にこそある。

ですが問題の本質はむしろ常に具體化され生じる。

 

なので、其の政府+日銀はおおまさに其の具體的では無い問題に頭を支配されて居りよって具體的に物価が上がらうが逆に賃金が下がらうがお構い無しに自分等とまた其の支持層の利益となることばかりをやり続けさうして何時の間にか幻想の奴隷、妄想による支配其れ即ち👿に心を売り渡す羽目へと陥るのだ。

 

 

ああああー、怖い。

お化けよりコッチの方がもうなんぼか怖い。

 

其の大組織による犯罪こそがおおまさに眞の意味での恐怖を呼び込む大罪其のもののことだ。

 

 

 

 ー米国の利上げで日米金利差が拡大し、円安は際限なく進みかねない。憂慮すべき事態だ。

 黒田東彦総裁は「円安は経済全体にはプラス」と繰り返すが、出費増にあえぐ庶民の暮らしに目を向けない姿勢は理解に苦しむ。

 日銀法は金融政策の目的について、物価を安定させて「国民経済の健全な発展に資する」ことだと定める。通貨安と物価高を招いている現状は法の趣旨に反しよう。

 異次元緩和は効果が判然とせず、弊害は円安助長に限らない。日銀は政策を早急に修正し、正常化への出口戦略を示すべきだ。<社説>物価高と日銀 2%目標から脱却急げ :北海道新聞 どうしん電子版 (hokkaido-np.co.jp)よりー

 

其の日銀だがむしろ無い方が良くはないか?

其の黒田にせよ壱遍もうほんたうに牢屋に入った方が良くはないか?

 

其れも全くかうやって日銀其れ自體が悪の権化化して居るのだからそりゃあもうどうしたって世の中なんぞ良くはなりません。

ですから、何度も何度も此れ迄に述べて来たが如くに、其のみかけ上の國威発揚、みかけ上の體制の維持、また庶民を特攻させて置いて自分等だけがぬくぬくと地位や権力や金に固執しつつしかも👩遊びにうつつを抜かし、さらに👿に心を売り渡した上での其の威張り散らし方。

例えば國民なんて皆奴隷だからもうそんなもんは皆水呑み百姓と同じで餓死しやうがどうしやうが知ったことかともさう仰る。

 

 

さう重要なのはもう此の日本の見かけ上の経済力だけなのだ。

アノアベのやり方でもっておおまさに其れがコレ迄維持されても来たのだ!

 

でもってキシダは果たして何をやっとる?

アノ早稲田を出て居るキシダはちゃんと仕事をして居るのか?

いいや、こんなではダメだ、ダメだ、ダメだ…。

 

キシダ、お前は早う新しい資本主義をやり金持ちから兎に角壱銭でも多く金を毟り取れ!!!

 

 

左様にもはや壊れてる。

政治と云うか日本の組織其れ自體が何時の間にかダメになっちゃってる。

 

ー悪い物価上昇と円安の二重苦に直面する日銀は、大規模緩和で金利抑制を継続すれば円安進行に歯止めがかけられず、そうかといって金融政策を修正すれば景気の腰折れや、市場の混乱を招きかねない袋小路にはまっている。だが、足元の物価高の痛みには政府が緊急対策を講じるとはいえ、物価の安定は本来、日銀の役割だ。日銀、物価高と円安の「二重苦」鮮明 - 産経ニュース (sankei.com)よりー

 

尚わたくしは経済のことに関しては疎いと云うか元元詳しくは無い。

なのだけれども、其の経済的なものこそが現實を回して行くことであること位は常に分かって居るつもりだ。

 

問題はさうした現實的に重要な任を担う組織に限りさうして👿が栄えることである。

即ち其れは最終的に政治だの経済システムだのと云った個別の問題では無く嗚呼まさに人間の良心が其処に有るか無いかの問題なのだ。

 

 

では「革命」にて其の👿共を追い払えば日本は救われるのでせうか?

ですから、「革命」もまたありでせうけれども、其れでも「革命」して日本が救われると云う保証はまた何処にも無い訳です。

 

但し此の「立場に胡坐をかき続ける」こと、即ち権威、権力、組織力、つまりはネームヴァリューのやうなものに寄り掛かり其処にて自らを反省すること無く無理を押し通す姿勢、其のデカいもの強い力を持つものこそがまさにドレイを支配する王様である、との考え方はむしろ近代もクソも無く要するに前近代の世界観其のものでのことだ。

 

ですのでどうも日本の組織其のものが其の親方日の丸的なものへの信仰の度が常に強い、即ちデカい組織こそがみんなを統べる正しい組織である、とのそんな正の価値ヒエラルキー、力の価値ヒエラルキーの権化として常に機能して居るものなのです。

即ち其れは本質的に日本の社會が欧米圏での市民社會、また民主主義での社會にまるでなり切れて居ないことの証左なのだ。

 

じゃあどうすれば良いのですか?

もはやどーにもならんと云うのが正直なところです。

 

只壱つだけ申し上げて置きたいのは、理性は常に其のデカい組織の自己矛盾の様を常に監視して行かねばならぬと云う点でせう。

少なくとも理性的に今此の世に現象されて居る方ならば其の保守の名の下に行われて居る破壊の行為を批判し糾弾することでもって悪を追い詰めて行かねばならない。

 

で、其れがやれて初めて理性的な人間となれるのです。

 

でも組織に頭を下げてばかり居たり又は孫の頭を撫でてばかり居たりさらに👩の尻を触ってばかり居ますと其の理性的闘争心はもはや何処かへと失せて行くことでせう。

だからそんなんではダメだ。

 

 

むしろ我が率先して爆弾を抱えて日銀に飛び込む。

では無く、其の日銀を相手に戦い抜く。

 

其のやうな闘争的自我をまずは涵養されて行って下され。

されて行って下され、とさう人任せにして置いてさてもアナタ自身は壱體何をしておいでなので?

 

ああわたくしですか?

わたくしは今夜相生山へホタル観賞に出向きます。

 

ええっ?政治的闘争をされるのでは無くあくまでさうして藝術の追求の方なのですか?

 

ですからすでにわたくしは日本の社會がどうあらうが知ったことでは無い。

また将來日本がどうならうが其れも知ったことでは無い。

 

 

尚『仏教の冷たさ キリスト教の危うさ』と云う本の中でネルケ師が其の政治的な意味での右と左の立場に就き様様な角度から論じられて居ます。

其処で結果的にネルケ師は御自分のことを首から上は左派で首から下は右派だとさう述べられて居る。

 

いまひとつ其処には印象的なことが書かれて居り、其れはキリストはむしろチェ・ゲバラの如きラディカルな反體制活動家だったのだし釈迦もまた権威と云う権威を徹底的に疑う體制の批判者であったと仰る部分です。

 

要するに其の部分こそがまさに自己矛盾し現在ではイエス様とお釈迦様はむしろ體制の守護者の如きに奉じられて居りますのですがあくまで本来的には共に反體制の権化のやうな御弐方だった。

でもって其れこそ本来的に御弐方の思想を其の侭に現代に持ち込んでみますとむしろ今のキリスト教や佛教、其れも大乗各派が唱えて居る體制維持の為の教えは不純で且つ虚的なものとならざるを得ないことだらう。

 

要するになんか全然違うものをさうしてあえてやって来て居るのが現代に於けるキリスト教であり佛教なのでせう。

なのではあるがわたくしは其れを全否定して居る訳では無く只あくまで其れは違うものでせう、と云うことを嗚呼まさに信心深い皆様に対しかうして申し上げて居るばかりでのことなのだ。

 

そんな訳で此の世でのこととはそんな具合に須らく矛盾的展開に陥るであらうおおまるでデカい肥溜めの如くに臭くて汚ないものばかりなのだ。

だからかうしてあくまで潔癖なボクはそんなのに関わるともはや自分が汚れて仕舞うので其れをあえて遮断させて頂くのです。

 

 

そもそんな具合ですので其処で幾ら眞面目に自分の立場を構築し意見を表明したにせよ結局は無駄なあがきのやうなものとなるだけだ。

なんですが、其れでも猶言う事は言わねばならぬのが理性的立場だと云うこととなる。

 

其のイエス様とお釈迦様の御立場こそがまさにさうした模範的な立場となり得るものでせう。

 

尚たとえ宗教勢力であれ、つまりはそんな権威の塊のやうなものであれ其れが間違って居る限りは其れを指摘して行かねばならない。

其れでも聞き入れられぬのであれば例えば焼き討ちだとか、革命して悪い奴等を断頭台送りとするだとか、或は議事堂の襲撃などさうした武力行使することなどもまた止むを得ぬ選択ともなり得ませう。

 

ですが個人的にはあくまで逃げます。

もう何処までも逃げて行き其の代わりにペンの力でもってしてかうして世間の価値観を執拗に批判させても頂く。

 

おおまさに其れが文人の鑑としての生き方なのではなからうか。

 

偉い!

流石はペンの力でもってして生きて御座る文人様による理性的選択の様だ!!

 

でもほんたうに偉いの?

へっ?

 

 

だからほんたうに偉いの、ではどんなに偉いの?

みどもの倍程はもう偉くなっても居られませうが…。

 

おおさうか、さうか、何だか物凄く気分が良いぞ。

 

天下統壱はもはや目前だ!!!

ところで君は誰だ?

 

わたくしは明智で御座ります。

 

おお光秀であったか。

お前などもうダメだから早速領地替えじゃ。

 

 

其れと早う四國を攻めよ。

 

ーくううー、もはやコイツには我慢がならぬ。ー

其れはさうとワシはたった今より本能寺へ入る。法華宗大本山 本能寺【公式】TOP (kyoto-honnouji.jp)

 

其処にてホタルや石の観賞会をやりおまけに美味いものをたらふく食うのだ。

やったー、もうなんでもやりたい放題にやって怖いものなしだーーーー。

 

 

信長様!先程からどうも周囲が騒がしゅう御座りまする!!

キャア―、ついにやられちゃったあー。

 

ついについにやっちゃったー。

さうか、コレもかうして逃げまくって来た報いなのだな…。

 

幾ら後悔されやうとすでにかうして千本もの矢が!

ブスッ。

 

痛い!!

 

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!

 

こんなに痛い、が、死にはしない。

 

 

其れは何故か?

 

何故ならあくまで此処は観念の場としての本能寺なのだ。

 

すると信長公はさうして生き延び徳川 家康になられたのですか?

或は天海僧正になられたのですか?

 

其の徳川と織田はあくまで別物です。

また天海僧正となったのはあくまで明智 光秀のことでせう。

 

 

兎に角理性は常に戦いを放棄しはせぬ。

むしろ其れに挑んで行く。

 

挑んでは行くが其処であえて逃げることを忘れてはならぬ。

つまりは其れが逃げる理性としての新たなる信長の精神の形である。

 

そんな卑怯な…。

馬鹿!馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿のバカ!!

 

此の逃げはまさか卑怯なのでは無い。

こんな逃げこそがまさに「愛の逃げ」なのだ。

 

「愛の逃げ」?

何ですか、其れは、もしやイエス様の教えのことなのですか?

 

はい、さうして佛法をあえて壱神教化し半分キリスト教化してみました。

 

 

エエッ、其れはもしや浄土信仰のことなのですか?

さうでは無く、釈迦の原始佛教に直接其の「愛」を足してみましたのです。

 

なんと!!!

 

其のやうな教義は今迄に聞いたこともまた見たことも無い。

其れは教祖詩人、まさにお前が考え出したところでの悪の宗教即ち邪教としての教義なのだらう?

 

でもまあ其れが新宗教だとは言えることかと思います。

ですが其れもまた壱つの逃げであることは否めません。

 

逃げられるうちはさうして逃げて、でも戦うべき時は戦う、で良いのではないでせうか?

結局そんな解放された生き方の方がどうも持続的であるやうな気さえもがまた致します。

 

 

もし本能寺の変がなかったら信長はアジアを統一した│宝島社の公式WEBサイト 宝島チャンネル (tkj.jp)

織田信長が本能寺の変で死んでいなければ日本史はどうなっていた?スペインと同盟を結んでいた? | はじめての三国志 (hajimete-sangokushi.com)

 

個人的にはあくまで具象的に信長公は死すべき運命にあったのだとさう思います。

要するに彼はあくまで尾張と云う土地柄が生んだ天才であり、天才はまた色色な意味で不安定ですのですぐに「ドッカーン!」となり最終的にはみんなから嫌われて仕舞う=もう付いてイケナイとさう思われて仕舞うのです。

 

ところが信長公はまた意外と保守的な面をも持って居た。

つまりは保守的な面と革新的な面を両面持ち合わせた眞の意味での天才だったことでせう。

 

其れと性格的にもそんな苛烈さばかりでは無く實際には優しいところなどもあったやうです。

但し空気を読まずに思った風に生きるのは其の通りでありまさに其れが「自己本位」であると云うことです。

 

尚何故かわたくしにもそんな自己本位性がしかと御座ります。

まあ其れが尾張人としての気質なのではないでせうか。

 

 

其れと忘れてならないのは信長は中國の宗教的、思想的変遷に対し大きく敬意を表して居たと見られる点です。

従って信長公はタダの新し物好きの田舎者なのでは無く歴とした都會人でありしかも東洋の思想文物に対しても精通して居たことだらう優れた頭脳の持ち主でした。

 

他方ではさうして何せ頭が良いものですから、西洋文明などもすぐに理解し且つ吸収して行った訳です。

ですが信長公が西洋文明の方ばかりを向いて居たのでは無いことは明らかなことでせう。

 

要するにこんな天才級の知性の持ち主なのでおそらくは西洋文明と東洋文明の対立のやうなことまですでに考え込んで居たのやもしれません。

同時にそんな大事を前にして相変らず頭の中が其の組織内での価値ヒエラルキーに毒されて居る公家やら天皇家やらさらに武士階級までをもバカにされて居た可能性すらもが高くあります。

 

要するにさうしておそらくは全ての組織を見下されて居たことかと存ずる。

なんですのでそも彼は天才なのであり同時に人からは理解されず何時の間にかさうして独りでもって浮いて行って仕舞うのです。

 

 

ですが信長公の精神面はおそらくはまだ今でも生きて居て現代にも通用する何かを持ち合わせて居るのやもしれぬ。

そんな信長公はおそらく共産主義國家である中國を案外嫌ったりはしないことでせう。

 

でも同時に日本の神社や仏閣を大事にするのではないかとさうも思います。

何故ならわたくし自身がまさにさうなんです。

 

後に信長公は我が國の佛教勢力から大きく批判されたが其れは単に坊主共のやることなすことが腐り切って居たからであり其れは信長公云云の話では無く其れこそお釈迦様に対する根本での坊主共が仕出かした大罪でもまたあったことでせう。

信長公は兎に角さうして潔癖な性格の持ち主なのでもまたあった。

 

 

其の潔癖と云うことこそが優れた知性を持つ者の宿命のやうなものなのでもまたある。

さうして潔癖だから常に両方がやれるのです。

 

やれるのですが、もしも其れをやると愚鈍な周りは其れが理解し得なくもなり易い。

そんな訳で信長公の精神は多分まだ死んでは居りません。

 

おそらく其の精神はかうして尾張の天才達の頭の中へと潜り込み其処でもって突如としてイチローとなったりまた真央ちゃんとなったりさらに藤井君となったり且つこんな自称文人となったりもするのでせう。

おみゃーがほんとにノブナガ詩人ならほんとの詩をきゃーて(書いて)すーぐにでもソレを見せてみやー!

 

だからもはや其れはアノ谷川 俊太郎先生がすでにやられたことでせう。

 

 

さうか、かうして信長公の精神はまだ生きて居たんだ。

其れも何だか有難い御話だな、ナンマイダブ、ナンマイダブ、ナンマイダブ。

 

ちなみに信長公はむしろナンミョーホーレンゲキョーの方だったらしく、尤も理論的にはどうも禅宗に傾倒されて居たやうです。沢彦宗恩と織田信長 | 3分でわかる織田信長の歴史 (nobunagahistory.com)

 

 

【戦国こぼれ話】織田信長が神になろうとしたので、本能寺の変は勃発したのか(渡邊大門) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

1.信長公以外にも戦國武将は屡自らを神格化して居た

2.比叡山の焼き討ちは信長公で實は参度目だった

3.信長公は無神論者では無く逆に神佛が好きで結局信心深い人だった

 

其の宣教師ルイス・フロイスの考えは1.のことをそも良く知らぬことからの邪推であった可能性が高くある。

2.に就いては先日も書かせて頂きましたがつまるところは当時の比叡山と云う宗教組織其れ自體が滅茶苦茶なものでした。

信長公は逆に其の過ちから目覚めさせんが為にさうして破戒坊主共を皆殺しにされたのです。

 

 

ーしかし、この指摘も大きな誤解である。先述のとおり、信長は寺社を庇護したが、比叡山や大坂本願寺は宗教者としての本分を忘れ、信長に戦いを挑んだので戦わざるを得なかった。大坂本願寺は何度か信長に詫びを入れて許されたが、また挙兵するありさまだった。

 信長は自身に従う宗派を保護し、世俗権力が宗教権力に優越するという方針を宗教政策の根本に据えたと考えられる。したがって、信長が無神論者であるという指摘は当たらない。ー【戦国こぼれ話】織田信長が神になろうとしたので、本能寺の変は勃発したのか(渡邊大門) - 個人 - Yahoo!ニュースより

 

 

つまるところ信長公は宗教に対してもとても潔癖な人であった可能性が高くある。

わたくしが以前信長公に関して述べられた本を読んだところ、其処に兎に角彼が潔癖であり城の内部の細かな汚れや塵などを常に指摘して居た人であったことを知り愕然としたものでした。

 

さうした神経の細かい人、つまりは潔癖な人は結局は眞面目な人であり其れが天才級に昂じて居るとなると余計に周囲には理解されなくなり易いものです。

さうして事實上信長公は豪快で豪胆な武将などでは無く繊細且つ壊れ易い自我を抱えた藝術家タイプの武将だったのでせう。

 

歴史の解釈と云うものはかうしてとても難しいもので何時の間にか時代劇やら歴史小説やらで醸成されたイメージが定着して仕舞い易いものです。

ゆえにだから信長公に対して抱かれる壱般的イメージ其れ自體がすでに誤って居る可能性が高くあらう。

 

明智 光秀に関しては此の人もまた基本的には眞面目人間だったやうに個人的には感じて居ります。

だから其の本能寺の変とは眞面目人間が眞面目人間をやっつけたと云う壱種情けない御話なのでありであるからこそわたくしは今其れを「眞面目さゆえの悲劇」であるとも考えて居るのです。