目覚めよ!

文明批判と美と心の探求と

年頭の感

 

新年明けましてお目出度う御座ります。

 

さて年末恒例のN響の第九は日本人指揮者であったが良く纏まりを見せなかなか良い出来ー日本的に良い出来ーであった。

数年前の独逸人指揮者の時はコレが同じN響かと思わせる程の厳しい、まさにベートーヴェンらしいシンフォニーとなったが其れとはまた別の完成度の高さが其処にはあった。

 

其の後の番組ではショパン・コンクール弐位となった反田氏がChopinのソナタを弾くなどしまさに其れに聴き入りついでに紅白の方をチョロリと視てまたEテレへとチェンジしてみたところ何とベートーヴェンの後期ソナタまでもが弾かれて居たのである。

 

よって此の年末のEテレの番組構成はまさに完璧であったのだと言えやう。

 

さうしてベートーヴェンの後期ソナタに酔い痴れつつ京都東山の料亭監修のおせちを食う我はまさに果報者である。

相変らずの世の中のバカバカしさとは別にかうして完璧な年末を過ごしてやったぞ!

 

もはや其れは誰にも奪えぬおおまさに信長詩人だけに許されし特権世界での快樂であらう。

 

 

しかも酒を買って来るのを忘れたので代りに珈琲を淹れ其れを食って居たのだ。

其れにつけても嗚呼、ベートーヴェン

 

然し我はかの第九には難癖をつけても居り要するに其れはアノシラーの詩の方が気に入らぬ訳だ。

何故なら今人類は勝利の雄叫びを上げるのでは無く意気消沈し全てを諦めて行く時なのではないか。

 

左様にベートーヴェンだのシラーだの生きて居た頃とはすでに時代が大きく移り変わって居る。

当時文明はお先が開けて居た訳であったが現状はすでに先細りでもっと言えば實はお先は眞っ暗だ。

 

そんな時に人類の進歩だ勝利だとそんな妄想に浮かれて居るとなるともはや道を踏み外すぞ!

故に壱刻も早う学校で宗教やまた哲學を教え「悲観主義」を徹底的に子等の脳味噌に叩き込まずしてどうする?

 

其処でまず教えねばならぬのはまさに「巌頭の感」だ。

さらに芥川と太宰の生き様だ。

 

またショーペンハウアーの厭世思想を徹底的にまずは教師の頭の方へと叩き込め!

さすればみんなが暗くなり程良いバランスの社會が其処に組み上がるであらう。

 

だから現代文明、まさにお前達が今やって居るやり方こそが変だ。

何処が変なのか?

 

結局は最初から最後まで変だ。

但し藝術や宗教其れに文學、哲學を除くものこそが変だ。

 

 

さうした観点からほんたうのことを言えば年末年始に海の幸、山の幸をさうして詰め込んだおせちを食う奴などは大馬鹿者だ。

だが其れはもう終わったことだ。

 

終わったことはもう変えられない。

我はすでに其れを食い尽しついでにウンコにしてブリブリと出して仕舞った。

 

どうだ、凄いだらう?

君等などにはまさか眞似など出来ぬ完璧なる年末年始だらう。

 

 

おまけにEテレにて凄い番組を幾つか視た。

實はEテレ程ぶっ飛んだ局は無く概ね其れが眞面目でもってふざけて居るのがNHKらしくは無いのである。

即ち総合TVの方でやれないシュールなギャグだのお馬鹿だのを平気でやるのが實はEテレなのだ。

 

言ってみれば其れは、

 

御勉強⇔おふざけ

の弐重奏と化して来て居るのである。

 

香川照之の昆虫すごいぜ! | NHK for School

兎に角其の東大出の香川がカマキリ先生に扮して自然の精緻な営みと大切さを説く樂しい番組だ。

本日ー元日ーも朝の壱発目から是を視たのであるが兎に角勉強になる。NHKスペシャル選「香川照之の昆虫“やばいぜ!” - Bing video

 

つまり此れは子供に見せる番組では無く實は大人が視て是非自然に就き學ばねばならぬ番組なのだ。

だが高度なる資本主義社會に毒されし所謂「常識的な大人」程かうした番組には縁が無いものと相場は決まって居らう。

 

 

植物に学ぶ生存戦略 話す人・山田孝之 - NHK

もう何と言って良いのか分からぬ程に不眞面目な番組ー彼山田氏が林田アナを口説くと云う其の番組の設定其のものが不謹慎極まりないーなのだが他面では至極眞面目に植物の多様な生き様を毎回取り上げて行く。

 

こちらの方が大人向けの半分エロ番組であらう。【衝撃】セクハラ?山田孝之がNHKの林田アナに問題発言! - Bing video

 

尚、わたくしも今年は是非もっと眞面目に眞理に就き語らねばならぬのだと思う。

ところが其れがなかなか出来ない。

 

出来ぬのだが、其れを是非やらねばなるまい。

でも何故か其れが出来ぬ。

 

すぐに下らぬギャグへと走って仕舞う訳だ。

だが兎に角今はかっての眞摯さを、其の厳しさと苦悩の深さとを是非取り戻さねばならぬものとさう考えて居る。

 

で、眞面目なものと云えば正直赤旗の日曜版の方がより眞面目である。

 

 

まずは1月2日、9日合併号の第弐部に小野 りりあんさんと云うモデルで気候活動家の方が所謂「気候正義」の實現に就き述べて居られ、其処で「そもそも破局的な気候変動を回避し、人類が絶滅しないで済むために残された時間は多くありません。」とまで述べられて居る。

 

僕の場合はかうして感度の良い文人の壱人なのでどうしても周りの意識の低さを批判的に捉えて仕舞うのだけれども、實際にはかうして意識の高い方方もまた世間には居られる訳だ。

 

さらに小野氏はグレタさんのファンだとさう仰る。

グレタ氏は「人の搾取も、生物の搾取も、もう終わらせよう。」

とさう最近さる公園での集会で訴えて居たさうである。

 

まさに其の通りで、其の「搾取」が大好きでむしろ其れが無いと生きて行けない資本主義社會其のものが搾取の元凶であり諸悪の根源であらう。

資本主義がさうしてヤバい體制其のものであると言うのにまさに其れをやらぬと欲が満足されぬと云う其の自己本位の様、さうした人類と云う種としての自己矛盾に就きどうしても我は語らねばならぬ立場に居るのであらう。

 

だが其のことはまさに實存的な社會との闘争なのでもはや爺となりし我としては大きく負担がかかる仕事でありよって何時我が悪にやられ倒れるとも限らぬおおまさに命を懸けし闘争なのだ。

でも中には其の究極の闘争を鼻でもってせせら嗤うおバカな輩も居ることであらう。

 

 

汝等は此の詩人の命を懸けた闘争をさうして小馬鹿にして居るのか!

お前等等もう地獄へ堕ちよ。

 

やがてお前等は皆神佛に裁かれ地獄の眞っただ中へと堕ちるのだ!!

 

まあいい、かうして元日から余り怒ると流石に余り宜しくは無い。

其れよりも何よりも僕の完璧な年末年始のことを事細かに語ることの方がずっと有意義なことだ。

 

 

次に1月2日、9日合併号の第壱部に俳優の仲代 達也氏が短く述べて居られる。

其の要旨は、「人間は弱いものであり👿のささやきには抗し切れぬものだ」とのことである。

さうして其の耳触りの良い甘い誘惑に乗せられることにより社會に於ける裏方的な努力の多くが吹き飛ばされて仕舞うとさう仰せである。

 

また其れは社會の習熟度を示す問題である旨も述べられて居り、また其処では社會のあり方を探る不断の努力無くして其の維持は望み得ぬとも述べられて居る。

此の部分はなかなかに深い御話である。

 

資本主義は相変らずかうして欲望を煽り自民党は相変らず権力の行使としての今を独占せんとして居る。

だが其処で重要なこととはまずは何が悪としてありまた何がほんたうの意味で善なのかと云う其の価値判断の基準を自律的に成り立たせることなのであらう。

 

 

人類が五千年を、また壱萬年を費やし段階的に成し遂げて来たことも其の「甘い誘惑の言葉」や「歯切れが良く勇ましい言葉」につい乗せられることにより崩壊へとなだれ込んで行く訳だ。

「甘い誘惑の言葉」はまさに資本主義社會がさう仕掛けて居るものであり「歯切れが良く勇ましい言葉」は戦争が好きな壱部の國粋主義者達が好むものでもまたあることだらう。

 

但し悪は外側に設定するべきだけのものでは無く自らの心の内側に設定するべきものなのやもしれない。

故に最も重要なことはまさに自らの欲望のあり方の方向性を変えることだらう。

 

まさに其のことが私流に申せば「社會の言いなりとなり生きない」と云うことです。

むしろ社會に対しては大いに疑惑の目を向け内面的に価値を評価し且つ再構成すべきです。

 

 

人間は小さい欲、限定された欲にこそ生きるべきであり其れ以上を欲しては決してならない。

ですが其の小さい欲、限定された欲の中に所謂常識的な社會的欲望はむしろ入って居ない。

 

其の部分が分からなくなるやうに我我は社會により洗脳されて来て居ると云うさう言うことです。

 

さてもさうして洗脳されて来た我我に取り最も難しいことが理性の力にて自らを規定するー限定するーことである。

よって我は率先して其の理性的限定を生きることとしてみた。

 

其れでもかうして案外樂しいものです。

いやソチラは樂しくとも他方では勿論苦しい。ー壱番苦しいのが社會としての価値観の其れへの無理解ですー

 

ですが其れこそが理性ある者の荊の道であるとさう述べて居る訳だ。

故に最終的に其の理性的自我はプチ佛陀やプチキリストの精神の流れへと合流して行かねばなりません。

 

 

其の聖なる精神の流れへとまさに自らの獣性を限定して行くのです。

佛陀やキリストがかって述べられたこととはまさに其の限定に就いてのことです。

 

まさに其れをこそ異なる方向性から説かれて居るのです。

曰く、「本能」を其の侭に生きるな。

 

とさう諭されて居るのだから。

 

 

仕舞った!

本能の侭にすでにおせちを全部食って仕舞ったが其れでもってもしや地獄に堕ちるのだらうか。

 

 

いやお前は良い子なのでおそらくは救って頂けることだらう。

いや僕は悪い子ですよ。

かうして常に欲深くして至極悪い子です。

 

さうでは無い、お前は自分の悪を認めるからむしろ善人なのだ。

さうしたお前の善はな、たとえ闘いに敗れ屍と化さうとも必ずや神佛が見守って居て下さることであらう。

 

さうか、良かったな。

僕はもうコレで満足だ。

もう何でも出来るぞ、むしろ我こそが完璧なんだ!

 

 

さてもお前は今自己の認識に己惚れたな。

だってアナタが善だと言ったでは無いですか、我が認識こそが正しいのだと…。

 

いや其の己惚れによりたった今汝の心は地獄へと堕ちた!

 

 

新年早早ついやってもうたー。

どうかどうか其の地獄行きの哀れな獣に御教え下され。

如何にすれば此の地獄より我が魂を救い出せませうや?

 

其れはまさに汝の今後の言動に掛かっておる。

今後は是非善を語り己を語らず悪を語らず己を語らず、でもって行くがよい。

 

其れではまさにプチ佛陀やプチキリストの発言であり面白くも何とも無くなるでは御座りませんか。

 

其れでもって萬事宜しい。

どだい其の受けを狙い馬鹿話をやり過ぎるのがまさにお前の悪い癖だらう。

 

 

分かり申した。

では今後は是非善の詩人となってみせませう。

必ずや必ずや眞面目な人間となってみせませう。

 

 

其の眞面目と云うのはEテレみたいなのではダメだよ。

もっともっと高尚でしかも難解な御話が果たして君に出来るのか?

 

…出来ます。

其れも必ずや成し遂げてみせませう。

だから我を此の苦しい地獄より御救い下され。

 

 

僕はもうこんな地獄の生活は金輪際イヤだ。

あれ、お前は確か完璧な年末年始を過ごして居るとさう申して居た筈だが。

 

まあソコはあくまで捉えやうです。

其の捉え方ひとつでまさに地獄にも極樂にもなると云うことだな。

 

では両方に行って居る訳だ。

さう、まさに両方へ行って居ます。

 

すると両義性のことか…。

さう双方向性のことだ。

あらゆる認識を其の両義性を踏まえたものへと転換せしめよ。

 

僕がまずは年頭に申したかったことこそがまさに其の眞理である。