目覚めよ!

文明批判と心の探求と

悲観主義の行方ー弐 「理性的解脱」の方法Ⅲー

哲學10

 

 

 

 

ー知恵とは、盲目性を脱却する知性の働きである。こうして知恵の力によって、たとえ一時的であるにしても、我々は意志を制御することができる。ー

ー第一に、意志は生殖本能によって、もっとも強烈に現れるから、生殖意志を完全に遮断する。第二に、利己心の絶滅である。童貞、素食、清貧が完全なる意志制御の三大要件である。ーアルトゥル・ショーペンハウアー|思想と哲学 | Hitopediaより

 

さて此処は非常に重要な点です。


ショーペンハウアーはまさに此の世が知性や論理では動かぬことを知りながらあえて「知恵」の力こそが重要だとさう述べて居ります。

其れはまさに其の「知恵」の働きこそが意志つまりは欲望ー獣性ーの統御に繋がると考えて居たからでせう。

 

さて其の理性的な抑制力を最大限に認めて居たのがかのカントによる「定言命法」でした。

其の意味ではカントはあくまで理性を信じて居た訳です。

 

個人的に其のカントやショーペンハウアーの哲學に於ける理性への信心こそは至極美しいものなのだと思う。

まさに其れぞ「古き良き理性への理解であり信仰」なのだと思う。

 

 

故に此処からもまさに「人間は理性を失ってはお仕舞い」なのだ。

但し其れは人文理性を決して失うべきでは無いと云うことです。

 

もしも合理的理性を失うことがあるにせよ人文理性までをも失っては決してならない。

まさに其の「盲目的な」非合理の世界が此の世の正體である限り此の世は闇であり地獄の様なのでせう。

 

つまるところ大衆に取り此の世が「生きるに値する良いところ」なので其処でもってなるべく長生きをしたくしかも子孫を繁栄させたい訳です。

ですがインテリ層の悲観主義はさうして其れとは逆の見方をして居るものです。

 

 

ーカント直系を自任しながら、世界を表象とみなして、その根底にはたらく〈盲目的な生存意志〉を説いた[1]。この意志のゆえに経験的な事象はすべて非合理でありこの世界は最悪、人間生活においては意志は絶えず他の意志によって阻まれ、生は同時に苦を意味し、この苦を免れるには意志の諦観・絶滅以外にないと説いた[1][29]。ーアルトゥル・ショーペンハウアー - Wikipediaより

 

でもってわたくしはショーペンハウアーの哲學とは其の知識層の悲観主義を代表するものであるとさう捉えて来て居ます。

さらに其れは佛法其れも釈迦の佛法にも近似的に近づいて行くものだらう。

 

ですがあくまで其れに重なるものでは無いと捉えて居る訳だ。

其の最大の理由はショーペンハウアーの哲學が釈尊による両極否定の論理によるものでは無いからです。

 

またショーペンハウアー『存在と苦悩』で結構キリスト教のことを書いて居ります。

ですが其れは概ね好意的な解釈でかのニーチェの如くにキリスト教を強く批判するやうなものではありません。

 

 

結局彼は「非常苦非我不浄」=悲観主義としての認識にて此の世をさうして最悪の場と捉えますが其処であえて理性の力を信じ「理性的解脱」を目指して行く、つまり其の生きるに値せぬ生をあえて認め逆に其処で理性を磨いて行かうと云うのがショーペンハウアーによる論理であり厭世観なのだと思う。

 

と云うことは其れは此の世の全てがダメだから滝から飛び降りやうとさう言って居るのでは無くむしろ其れへの絶望を抱いた上で理性を磨いて生き心のあり方を変えて行きませうとさう述べて居る訳だ。

逆に申せば其のインテリジェンスが絶望して死ぬることでは心のあり方が変えられないので結局また此の世に彷徨い出て来て同じやうな苦に苛まれることとなるのだから其れは避けた方が良いとさう述べて居るかの如くです。