目覚めよ!

文明批判と心の探求と

「平和ボケのタカ派」に関する善悪としての考察ー善悪対立は最終的に食欲へと転ずるのかー

何でだらう?4

 

 

 

 

ーこんな甘い構想を抱くのは戦争を具体的に考えられない「平和ボケのタカ派」の論と言うしかない。ー「防衛費GDP比2%」は“平和ぼけタカ派”の空公約 (msn.com)より

「防衛費GDP比2%」は“平和ぼけタカ派”の空公約 (msn.com)

まさに其の通りで、其のタカと云うのは壱體どんな鷹なのかと云うことをまさに今考えてみるべきなのではなからうか。

 

其の鷹と云うのは、つまりは本能でしか動けない輩のことを言うのである。

つまりはアノ野球部のバカ、所謂体育會系の本能モリモリの様のことをこそ指しさう云うのだ。

 

かく云うわたくしは昔から運動部の其の全体主義には馴染めずアラ、イヤだわ、おほほほほほ。

 

などとかの今川 義元ばりに公家気質を気取って居りましたものでした。

なのでわたくしの「怒り」とはあくまで理性に於ける瞋りなのであり人を組み伏せ何でも思い通りにやったらうか、などと云うそんな下品な力の論理なのでは元よりありませんのです。

 

 

ちなみにわたくしの御先祖様ー母方のーは其の今川 義元の家来でかの桶狭間にて信長にやられた後に星崎と云う地へ落ちのびた其の壱族から實は出て居るのです。

ですのでわたくしの血には多分に其の「おほほほほほ」の気風が混じって居り従いまして兎に角藝術などに対してはむしろ生まれつきに強い訳です。

 

で、そんなわたくしの心のあり方の自慢は抜きにして戦争が如何に愚かなことであるかと云うことを以下で論じてみます。

 

 

さて此の軍事ライターの方は其の日本國のタカ派は戦争を具体的に考えられない馬鹿だとさう仰って居る。

いやさうは言っては居られぬ訳だがわたくしに限り彼等は馬鹿もエエトコだとさう考えて居る。

 

何故なら其の意思決定が理性的なものでは無いからなのだ。

 

普通理性的であればある程に人間は其の戦争を否定してかかるものだ。

其れは何故か?

 

勿論其れが樂しくは無いからだ。

 

 

では樂しいこととは何か?

壱體どんなことが人間にとっての日々の歓びであり理想的な生活なのか?

 

わたくしは其のことに就きすでに考え抜いて来て居る。

 

だから其の結論に就いてはすでに述べても来て居る。

即ち其れが「アタラクシア」なのだ。

 

まさに其の「アタラクシア」こそが有情にとっての樂園のことであらう。

 

だがより欲深い即ちより獣臭い人々はそんなものではまさか満足出来やしない。

要するに犯し殺し敵を根絶やしにして初めて幸福を感じる人間もまた居るのである。

 

 

つまるところ其処で其の戦争への危惧の問題とは人間としての心の質の問題へと全てが還元されて行く。

つまりはタカ派、お前等が獣臭いからこそむしろ日本國がこんなんなって行くのだ。

 

だが果たして其の欲は、其の他を組み伏せより大きな欲を成就させやうとする試みは人間にとっての眞の幸福に繋がらう筈も無い。

何故なら大きな欲の成就は破壊だけを生み出す、まさに其のことこそが此の宇宙を貫く哲理だからなのだ。

 

其の大きな欲の成就は何故破壊に直結する行いとならざるを得ぬのだらう?

 

まさに其のことが此の世での「限定」を指し示す指標である。

所詮は其れが此の世の實相なのでもある。

 

だが残念ながら悪魔共にはそんな哲理がまるで通用しない。

何故なら奴等こそ👿の化身だからなのだ。

 

 

 

でもそんな弱気では此の世は渡り切れぬものです。

勿論其れもまた承知して居ります。

 

だから其処で是非文豪の死に様をこそ見詰めるべきなのではないか。

かっての文豪は皆此の世から逃げて行きましたがさても其れは弱い生き方だったのでせうか?

 

わたくしは其れをむしろ強い生き方であったとさう結論付けて居ます。

 

其れはまるで三島先生のやうに強い特攻だったと云うことなのか?

いや、三島先生も結局は弱い人間です。

 

三島先生は例えば弱い太宰を大変嫌って居られましたが結局此の世から逃げて行かれたのはまるで同じことです。

逆に申せばさうして逃げをうたぬ世の中は最終的に大破壊を引き起こし終わると云うことだ。

 

 

うーむ、ソコまで言った人はなかなか居ない、流石は自称の詩人さんだ。

でもお前はそんな風に何処までも逃げ切れはしない筈だ。

 

まあソコは確かに逃げ切れない。

でもたとえ具象的にはさうして敗れるにせよ抽象的段階でつまりは心の中身として構築されたものは決して消え去りはしない。

 

するとまさに其れが輪廻転生して行くのですか?

おそらくは其の心の性質が何処までも引き摺られて行くのでせう。

今生ばかりか七生に亘り其れが繰り返されても行くことでせう。

 

 

するとまさに其れがキリスト教で云われる最後の審判のことなのですか?

いや其れは知りません。

其処はまだまだ勉強不足なのです。

 

ですが、問題は其の抽象的理念としての分離度のことです。

タカ派ハト派

 

僕が注目するのはむしろ其のハト派の「弱さ」の方です。

 

でもハトは容易にタカにはやられませう?

確かにやられます。

 

ですが其れはあくまで具象的にやられた訳であり抽象的にはつまり人間としての理性の範囲に於いてはむしろ勝利して居るのではないでせうか。

 

 

つまるところはまさにソコがキリスト教の論理とまるで同じである訳だ。

 

庶民に取り人生はかうして常に苦しい。

其れは世に👿の心の持ち主が蔓延して居るからのことに他ならぬ。

 

だが神を信じて生きることにより最終的には其の👿に打ち克つことが出来る。

まさに其の👿とは自民党タカ派であり戦争大好きの體育會系軍人であり且つ搾取しまくりの資本家共である。

 

 

うわあー、愈愈具体的に其の👿の正體が見えて来ましたね。

すると其の👿と闘うのがキリスト教徒であり文學者なのですか?

 

いや別に佛教徒であれ常に其れと闘って居ます。

 

要するに其の悪の正體を是非見極めねばならない。

 

では例えば悪とは邪教のことですか?

いやだから其の邪教かどうかはほんに難しい問題なのだ。

 

個人的には人間の「弱さ」に寄り添う宗教は邪教では無く正教なのだとさう思う。

でもニーチェなどはかって其れが邪教だとさう述べた筈です。

 

いやニーチェは半分正しいのですが半分は間違って居ましたよ。

だから結局は発狂して仕舞いました。

 

 

さてもアナタの傍に果たして👿は居ますか?

アナタが見て居られる其の世界に果たして悪の世界は拡がって居ますか?

 

個人的には其のデカい欲望こそがまさに其の👿の姿なのだと思う。

すると逆に小さき欲望は神のまた佛の智慧の世界に属するものだ。

 

其のタカ派の馬鹿さ加減とは要するに理性的な判断には常に欠けることでせう。

 

ですが何度も申し上げたやうに政治とはむしろ理性では微塵も動かぬものなのだ。

まさに其処が危うい点です。

 

 

即ち「力の論理」に寄り掛るとむしろ内面ー心ーをも破壊して行かざるを得ない。

👿の本質とはまさに其の破壊である。

 

対する神の本質、佛の本質とは人間にとってのほんたうの意味での樂の實現にこそあらう。

 

尤も其の樂とは征服や搾取によるものには非ず。

征服や搾取が生み出すものとは其の逆に「苦」である。

 

また其の意味での戦争、戦闘が其の「苦」をより増すのである。

故に戦闘は内面でのものだけに是非止めて置くべきものだ。

 

逆に内面を闘う者こそが智者であり勝者である。

 

智者はさうして外面的な成果や戦い得られる利益に対し決して目を呉れたりはせぬものだ。

智者はさうしてむしろ己を貧しくしつつ生きるものだ。

 

かのキリストのやうに。

またかの佛陀の如くに。

 

 

とは言えあくまで其れは抽象的次元での御話で軍備無くば具象的に滅びるものと相場は決まっておる。

 

故に此の世は其の善悪の対立の場なのだ。

ならば其の善は如何に其の悪を駆逐して行くか?

 

其れはまさに此の世に於いて征服や搾取をしない価値に於いてこそ成就されやう。

 

だからまさに其のことが現世利益の放棄に他ならぬ。

 

 

現世利益をさうして「求めない」こと。

まさに其のことこそが征服や搾取をしない価値に生きることだ。

 

其の意味で原始キリスト教と原始佛教は共に思想的に正しい。

 

 

但し其の後キリスト教には普遍的価値が生じて行く。

わたくしはもしや其れが悪さをして居るのやもしれぬとさう考える。

 

佛教もまた大乗思想の方に其の普遍的な価値が見て取れむしろ其れこそが危うい。ー禅宗以外では特にー

 

 

では其のハト派こそが👼ー天使ーなので?

 

まあ天使と云っても👿もまた元はと言えば堕天使なのでソコは気を付けよーく見ておきませんと危ないです。

するとお前もまた👿の眷属なのか?

 

さうでは無くあくまで文學的に成り立つ修羅の道こそが其の可愛い小悪魔としての正體です。

 

弐元対立はさうして此の世を其の根本より昏くし且つ明るく照らし出して居る。

されどタカ派の論理を取る限り其の明るみの中に歩を進めることなどは無理だ。

 

 

征服や搾取の無い世界、そんな理想の世界が果たして實現するのでせうか?

信仰の御名に於いて、其れもおそらくは。

 

さうして我我の命は常に閉じられて居ます。

観念もまた最終的には限定されることを免れ得ない。

 

其れを突破するのはむしろ「力の論理」では無く「脱力の論理」である。

太宰の死やゴッホの死の中に其れが込められて居る。

 

 

ゴッホの死?

またゴッホに関する何かを視ましたね?

 

はい、プライム・ヴィデオにて纏めて視ました。

其れが非常に脱力して居て何やらとても勉強になりました。

 

但し我は四拾過ぎよりゴーガンの方により惹かれて行きました。

ゴーガンは何処が良いのですか?

 

未開の文明を見る其の眼差しの優しさがたまりません。

さても其のゴーガンはもしや東山植物園並に好きなのですか?

 

どうも其の質問自體に無理がある。

ゴーガンと東山植物園は明らかに違い其れはうどんときしめんのやうなものでまるで決め切れぬ。

 

 

別にどちらかに決めよと言った訳ではありません。

うどんと蕎麦ときしめんではドレが壱番好きですかとさう聞いて居るだけのことだ。

 

まあきしめんが壱番好きですがもう壱年位は食えずに居ます。

其りゃあえらいこった。

 

ならば早う宮きしめんを食いに熱田神宮へと詣でてみては如何か?

いやー、さう言われるとつい思い出して仕舞いましたが海老天宮きしめんほど美味い食い物はなかなかありません。

 

 

仕舞った!

熱田神宮詣では「カルトな旅」の方のネタにするつもりだったのに我慢が効かずついかうして喋って仕舞いました。

 

汝、心弱き者よ。

食欲に対し常にさうして負け続けることであらう貪欲者よ。

 

 

ところで瀬戸内 寂聴さんがお亡くなりになられたやうですが…。

其れは其れはどうもご愁傷さまです。

でも今までまだ生きてたのですね?

 

まあさうして余計に生きたい人程俗物です。

ですが其の俗物性を壱體誰が笑えると云うのでせう?